小坂順子
メロン掬ふ富士見え初めし食堂車
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メロン掬ふ富士見え初めし食堂車
のぼりきて顧みすれば大富士と肩を並べてわれ立つごとし
つぶら実を日に照らさせて大富士の前に枝張る一本の柿
「横浜市立浦島小学校校歌」
○つづくうしろの森かげに
知識の花を求めつつ
み空にあおぐ富士の嶺に
高き思いを養わむ
※作詞/尾上柴舟 作曲/井上武士 3番あるうちの2番
淡雪富士ひとつの素船出てゆくも
道すから富士の煙も分かさりきはるゝまもなき空の気色に
※新古今和歌集975
「田児の浦」
昭和十七年一月某日午後二時すぎ私は静岡県清水駅に下車した。これから田児の浦ゆ打ちいでて富士山を見ようといふのである。
駅を出てバスを待つことにする。此の辺は旧東海道よりも東寄りに出来た新道をバスが行く。停留所のあたりからは富士は正面に見えて居る。やがて来た興津行のバスに乗る。道が旧東海道と一緒になる辺から、富士は次第に庵原(いほばら)川左岸の丘陵に没していく。此の丘陵の東方、海に迫つた所は清見寺のある所であるから古への清見が埼と考へられて居るのであらう。庵原川の橋の少し手前の所で私の見学には好都合にも薪バスが動かなくなつた。富士も全く見えなくなつた。
清見寺の下を廻つてもなかなか富士は見えて来ない。興津の駅から僅かに山頂が丘の上に出て見える。
折よく興津から吉原行きのバスが出るといふので私は簡便に今度の行程を済ますことにしてそれに乗つた。興津の町を進むにつれて山は次第に姿を現はし大きくなつて行つた。更にそれから興津川の左岸の丘陵(即ち薩埵山)に山頂の没して行くさまは清見埼の時とほぼ同じであつた。
富士の嶺のならぬ思ひに燃えば燃え神だに消(け)たぬ虚(むな)し煙を
富士の嶺の燃えわたるともいかゞせん消ちこそ知らね水ならぬ身は
※上記一句、後撰和歌集648
麓から頂きまでも富士の嶺を背負ひて登る八ケ岳かな
俊鶻の翼に低し富士の山
※以上一句、「一蓑一笠」の「春の筑波山」より
山は富士 湖水は十和田 ひろい世界にひとつずつ