若林貯水
「神奈川県大和市 新大和音頭」
○ハー
空の港で 世界に知れて
今をときめく 旭の出の大和
サテ
大山の向こうの あの富士山が
いつも大和を のぞいて晴れる
朝な夕なの 薄化粧
ソレ
大きな大きな 和で踊れ
※4晩あるうちの2番
※若林貯水作詞/清水保雄作曲
「神奈川県大和市 新大和音頭」
○ハー
空の港で 世界に知れて
今をときめく 旭の出の大和
サテ
大山の向こうの あの富士山が
いつも大和を のぞいて晴れる
朝な夕なの 薄化粧
ソレ
大きな大きな 和で踊れ
※4晩あるうちの2番
※若林貯水作詞/清水保雄作曲
樹下しろく白木蓮こぼれ富士の下
掛り凧富士より高く暮れのこる
雪を被て裏富士神の座に戻る
獅子独活や八月の富士くろがねに
富士包む闇大いなり新酒酌む
くろがねの富士をそびらに踊の輪
西方に浄土の富士や秋の暮
富士の雪解けぬまげんげさかりなる
大富士は日照り返し梅実る
雪の富士に藍いくすぢや橡咲いて
天の原初富士吹雪ながれやまず
雪解富士幽かに凍みる月夜かな
富士は雲に沈みあやめは濃紫
枯尾花日光富士を消しにけり
柿若葉雨後の濡富士雲間より
暖房車富士を見しあと子は眠り
蓴生う富士の伏流水ぞんぶん
富士講の御師の胡座やあをふくべ
裾山の雲こそ早し富士小春
公魚の穴釣り富士に皆背き
五合目の燭いきいきと野分富士
赤富士のたちまちに紺秋どどと
したたかに富士火祭の火の粉浴ぶ
「子守唄」
松の木十本二十本
百本千本一萬本
ぽんぽんあがるは揚花火
あがつてはじめて下り龍
龍のゐるのは富士の山
富士の山から下見れば
三保の松原田子の松
松の木十本二十本
百本千本一萬本
ぽんぽん叱つて下さるな。
海の声 若山牧水 明治41年刊
富士よゆるせ今宵は何の故もなう涙はてなし汝を仰ぎて
凧ぎし日や虚の御そらにゆめのごと雲はうまれて富士恋ひて行く
雲らみな東の海に吹きよせて富士に風冴ゆ夕映のそら
雲はいま富士の高ねをはなれたり据野の草に立つ野分かな
赤々と富士火を上げよ日光の冷えゆく秋の沈黙のそらに
一すぢの糸の白雪富士の嶺に残るが哀し水無月の天
独り歌へる 若山牧水第2歌集 明治43年1月1日,八少女会
窓あくればおもはぬそらにしらじらと富士見ゆる家に女すまひき
武蔵野の岡の木の間に見なれつる富士の白きをけふ海に見る
おぼろおぼろ海の凪げる日海こえてかなしきそらに白富士の見ゆ
海のあなたおぼろに富士のかすむ日は胸のいたみのつねに増しにき
安房の国の朝のなぎさのさざなみの音のかなしさや遠き富士見ゆ
富士見えき海のあなたに春の日の安房の渚にわれら立てりき
別離 若山牧水第3歌集 明治43年4月10日,東雲堂書店
富士よゆるせ今宵は何の故もなう涙はてなし汝を仰ぎて
草ふかき富士の裾野をゆく汽車のその食堂の朝の葡萄酒
一すぢの糸の白雪富士の嶺に残るが哀し水無月の空
窓あくればおもはぬそらにしらじらと富士見ゆる家に女すまひき
おぼろおぼろ海の凪げる日海こえてかなしきそらに白富士の見ゆ
海のあなたおぼろに富士のかすむ日は胸のいたみのつねに増しにき
安房の国の朝のなぎさのさざなみの音のかなしさや遠き富士見ゆ
富士見えき海のあなたに春の日の安房の渚にわれら立てりき
路上 若山牧水第4歌集 明治44年9月12日,博信堂書房
酸くあまき甲斐の村村の酒を飲み富士のふもとの山越えありく
朝の歌 若山牧水第9歌集 大正5年6月22日,天弦堂書房発行
芝山に登れば見ゆる秋の相模の霞み煙れるをちの富士が嶺
芝山の榊の蔭に風を避けゐつふと立ちたれば見ゆる富士が嶺
渓谷集 若山牧水第12歌集 大正7年5月5日 東雲堂書店
この朝のわきて寒けく遠空にましろに晴るる富士見えにけり
上総野の冬田行きつつおほけなく富士のとほ嶺を見出でつるかも
なだらかにのびきはまれる富士が嶺の裾野にも今朝しら雪の見ゆ
浪の間に傾き走るわが船の窓に見えつつ富士は晴れたり
海かけて霞みたなびくむら山の奥処に寒き遠富士の山
伊豆の国戸田の港ゆ船出すとはしなく見たれ富士の高嶺を
柴山の入江の崎をうちめぐり沖に出づれば富士は真うへに
野のはてにつねに見なれしとほ富士をけふは真うへに海の上に見つ
崎越すと船はかたむきひとごゑもせぬ甲板に富士を見て居る
冬日さし海は濃藍にとろみつつ浪だにたたぬ船に富士見つ
冬雲のそこひうづまき上かけてなびけるうへに富士は晴れたれ
見る見るにかたちをかふるむら雲のうへにぞ晴れし冬の富士が嶺
黒土 若山牧水第13歌集 大正10年3月22日,新潮社
わが部屋のはしに居寄れば冬空のふかきに沈み遠き富士見ゆ
隣家なる椎の老樹のうらがれていささか隠すその富士が嶺を
海見ると登る香貫の低山の小松が原ゆ富士のよく見ゆ
香貫山いただきに来て吾子とあそび久しく居れば富士晴れにけり
低山の香貫に登り真上なるそびゆる富士を見つつ時経ぬ
照り曇りはげしき地にみなみ風吹きすさびつつ富士冴えてをる
駿河なる沼津より見れば富士が嶺の前に垣なせる愛鷹の山
愛鷹の真くろき峯にうづまける天雲の奥に富士はこもりつ
夏おそき空にしづもる富士が嶺に去年の古雪ひとところ見ゆ
富士が嶺に雲かかりたりわが門のまへの稲田に雀とびさわぎ
消つ降りつさだめなき秋の富士が嶺の高嶺の雪を朝な朝な見る
愛鷹に朝居る雲のたなびかば晴れむと待てや富士のくもりを
綿雲の湧き立つそらに富士が嶺の深雪寂びつつかがよへる見ゆ
雪降りていまだ日を経ぬ富士が嶺の山の荒肌つばらかに見ゆ
裾野かけて今は積みけむ富士が嶺の雪見に登る愛鷹の尾根を
峯に夙く登らばひたと向ひあふ富士をおもひてなだれを登る
愛鷹のいただき疎き落葉木に木がくり見えて富士は輝く
愛鷹の峯によぢ登りわがあふぐまなかひの富士は真白妙なり
山なだれなだらふ張の四方に張りてしづもり深き富士の高山
松原のしげみゆ見れば松が枝に木がくり見えてたかき富士が嶺
山桜の歌 若山牧水第14歌集
大正12年5月17日 新潮社
時雨空小ぐらきかたにうかびたる富士の深雪のいろ澄めるかな
わが門ゆ挑むる富士は大方は見つくしたれどいよよ飽かぬかも
笠なりのわが呼ぶ雲の笠雲は富士の上の空に三つ懸りたり
をちこちに野火の煙のけぶりあひてかすめる空の富士の高山
怠けゐてくるしき時は門に立ち仰ぎわびしむ富士の高嶺を
雲まよふ梅雨明空のいぶせきに暁ばかり富士は見らるる
紫に澄みぬる富士はみじか夜の暁起きに見るべかりけり
たづね来て泊れる人をゆり起す夏めづらしき今朝の富士見よ
めづらしくこの朝晴れし富士が嶺を藍色ふかき夏空に見つ
陰ふくみ湧き立ち騒ぐ白雲のいぶせき空に富士は籠れり
叢雲にいただき見する愛鷹の峰の奥ぞと富士を思へり
夏雲の垂りぬる蔭にうす青み沼津より見ゆ富士の裾野は
片空に凝りゐる雲の下かげに長き尾ひけり富士の裾野は
富士が嶺や裾野に来り仰ぐときいよよ親しき山にぞありける
富士が嶺の裾野の原の真広きは言に出しかねつただにゆきゆく
富士が嶺に雲は寄れどもあなかしこわがみてをればうすらぎてゆく
大わだのうねりに似たる富士が嶺の裾野の岡のうねりおもしろ
つつましく心なりゐて富士が嶺の裾野にまへるうづら鳥見つ
富士が嶺の裾野の原のくすり草せんぷりを摘みぬ指いたむまでに
富士が嶺の裾野の原をうづめ咲く松虫草をひと日見て来ぬ
なびき寄る雲のすがたのやはらかきけふ富士が嶺の夕まぐれかな
まひのぼる朝あがり雲の渦巻の真白きそらに富士の嶺見ゆ
群山のみねのとがりのまさびしく連なれるはてに富士の嶺見ゆ
登り来て此処ゆのぞめば汝がすむひんがしのかたに富士の嶺見ゆ
冬さびし静浦の浜の松原にうち仰ぐ富士は真白妙なり
うねりあふ浪相打てる冬の日の入江のうへの富士の高山
わが登る天城の山のうしろなる富士の高きはあふぎ見飽かぬ
たか山にのぼり仰ぎ見高山のたかき知るとふ言のよろしさ
山川に湧ける霞のたちなづみ敷きたなびけば富士は晴れたり
まがなしき春の霞に富士が嶺の峰なる雪はいよよかがやく
富士が嶺の裾野に立てる低山の愛鷹山は霞みこもらふ
日をひと日富士をまともに仰ぎ来てこよひを泊る野の中の村
草の穂にとまりて啼くよ富士が嶺の裾野の原の夏の雲雀は
雲雀なく声空にみちて富士が嶺に消残る雪のあはれなるかな
寄り来りうすれて消ゆる水無月の雲たえまなし富士の山辺に
張りわたす富士のなだれのなだらなる野原に散れる夏雲のかげ
夏雲はまろき環をなし富士が嶺をゆたかに巻きて真白なるかも
富士が嶺の裾野なぞへ照したる今宵の月は暈をかざせり
めづらしき今朝の寒さよおもはざる方には富士の高く冴えゐて
冬なぎに出でてわがみる富士の嶺の高嶺の深雪かすみたるかも
黒松 若山牧水第15歌集 昭和13年9月13日,改造社
富士が嶺にひと夜に降れる初雪の峰白妙に降りうづめたる
この年の富士の初雪したたかに降りてなかなか寂しくぞ見ゆ
わが門の草に残れるよべの雨の露しげくして富士は初雪
冬寂びし愛鷹山のうへに聳え雪ゆたかなる富士の高山
富士がねのこなたの空を斜に切りて二つうち並び行くよ飛行機
この里よ柿のもみぢのさかりにて富士にはいまだ雪の降らざる
富士が嶺の麓ゆ牛に引かせ来て山桜植ゑぬゆゆしく太きを
富士と足柄とのあひだを流るる黄瀬川のみなかみに遊びて
樫鳥の群れて遊べる岡に見ゆ春しらたへの大富士の山
あらはなる富士の高嶺のかなしけれ裾野の春の野辺にあふげば
富士の嶺の裾野のなだれゆたかなる片野の春の今はたけなは
夜には降り昼に晴れつつ富士が嶺の高嶺の深雪かがやけるかも
冬の日の凪めづらしみすがれ野にうち出でて来てあふぐ富士が嶺
富士が嶺の麓にかけて白雲のゐぬ日ぞけふの峰のさやけさ
天地のこころあらはにあらはれて輝けるかも富士の高嶺は
※「富士」のみで検索抽出した。
「たべものの木」
山櫻の實。櫻のうちで私は山櫻を最も好む。そしてこの木は普通にはない。吉野染井などならば幾らでも手に入るのだが、私はわざ/\富士の裾野の友人に頼んで其處の山から三四本掘つて來て貰つた。中の一本が痩せてはゐるが相當の古木で、昨年も今年も實によく咲いてくれた。何ともいへない清淨な花のすがたであつた。
「伊豆西海岸の湯」
私はこの五六年、毎年正月元日に此處にやつて來てゐます。朝暗いうちに自宅で屠蘇(とそ)を祝つて、五時沼津の狩野川河口を出る汽船に乘るのです。幸ひと今迄この元日には船が止りませんでした。然し毎年相當に荒れました。私は船に強いので、平氣で甲板に出て荒浪の中をゆく自分の小さな汽船の搖れざまを見てゐます。晴れゝば背後に聳えた富士をその白浪のうへに仰ぐことになります。河口を出て靜浦江の浦の入江の口を横切り大瀬崎の端へかゝると船は切りそいだ樣な斷崖の下に沿うてゆくことになります。
「四邊の山より富士を仰ぐ記」
駿河なる沼津より見れば富士が嶺の前に垣なせる愛鷹の山
東海道線御殿場驛から五六里に亙る裾野を走り下つて三島驛に出る。そして海に近い平地を沼津から原驛へと走る間、汽車の右手の空におほらかにこの愛鷹山が仰がるる。謂(い)はば蒲鉾形の、他奇ない山であるが、その峯の眞上に富士山が窺(のぞ)いてゐる。
いま私の借りて住んでゐる家からは先づ眞正面に愛鷹山が見え、その上に富士が仰がるゝ。富士といふと或る人々からは如何にも月並な、安瀬戸物か團扇(うちは)の繪にしかふさはない山の樣に言はれないでもないが、この沼津に移住して以來、毎日仰いで見てゐると、なか/\さう簡單に言ひのけられない複雜な微妙さをこの山の持つてゐるのを感ぜずにはゐられなくなつてゐる。雲や日光やまたは朝夕四季の影響が實に微妙にこの單純な山の姿に表はれて、刻々と移り變る表情の豐かさは、見てゐて次第にこの山に對する親しさを増してゆくのだ。
一體に流行を忌む心は、もう日本アルプスもいやだし、富士登山も唯だ苦笑にしか値しなかつた。與謝野寛さんだかゞ歌つた「富士が嶺はをみなも登り水無月の氷の上に尿垂るてふ」といふ感がしてならなかつた。それで今まで頑固にもこの名山に登ることをしなかつたが、こちらに來てこの山に親しんで見ると、さうばかりも言へなくなり、この夏は是非二三の友人を誘つて登つてゆき度い希望を抱くに到つてゐる。
閑話休題、朝晩に見る愛鷹を越えての富士の山の眺めは、これは一つ愛鷹のてつぺんに登つて其處から富士に對して立つたならばどんなにか壯觀であらうといふ空想を生むに至つた。
愛鷹山は謂はゞ富士の裾野の一部にによつきりと隆起した瘤(こぶ)の樣なもので、山の六七合目から上は急峻な山嶽の形をなしてゐるが、それより下は一帶の富士の裾野と同じく極めてなだらかな、そして極めて細かな襞(ひだ)の多い、輕い傾斜の野原となつてゐるのである。
よく晴れた日で、前面一體には駿河灣が光り輝き、その左に伊豆半島、右手に御前崎が浮び、山の麓の海岸には沼津の千本松原からかけて富士川の川口の田子の浦、少し離れて三保の松原も波の間に浮んで見える。明るい大きな眺めであるが、矢張り富士の見えないのが寂しかつた。その富士はツイ自分等の背後峯の向うに立つてゐる筈なのである。
今來た道を沼津へ出ようとすればこそ夜にもなるが、頂上から最も手近な麓の村へ一直線に降りる分にはどうにか日のあるうちに降りられやう、頂上には小さなお宮があると聞くので、屹度(きつと)何處へか通ずる道があるに相違ない、折角此處まで來て富士を見ぬのは何とも氣持の惡い話だといふ樣な事から、時計が既に午後の二時をすぎてゐるのにも構はず、それこそ脱兎の勢で登り始めたのであつた。
辛うじて頂上に出た。案の如く富士山とぴつたり向ひ合つて立つことが出來た。然し、最初考へたが如く、一絲掩はぬ富士の全山を其處から見ると云ふことは不能であつた。たゞ一片の蒲鉾を置いた樣にたゞ單純に東西に亙つて立つてゐるものと想像してゐたこの愛鷹山には、思ひのほかの奧山が連り聳えてゐるのであつた。沼津邊からはたゞその前面だけしか見えぬのだが、その背後に寧ろ前面の頂上よりも高いらしい山嶺が三つ四つごた/\と重つてゐるのであつた。しかも自分等の立つた頂上からも最も手近に聳えた一つの峯は我等の立つてゐる山とは似もつかず削りなした樣な嶮しい岩山であつた。その切り立つた岩山を抱く樣にして、大きく眞白く、手に取る樣な眞近な空にわが富士山は聳え立つてゐるのであつた。
眞裸體の富士山を見ようといふねがひは前の愛鷹山で見ごとに失敗した。然し、何處かでさうした富士を見ることが出來るであらうといふ心はなか/\に消えなかつた。
そして寧ろ偶然に足柄と箱根との中間にある乙女峠を越えようとしてその願ひを果したのであつた。私はその時箱根の蘆の湖から仙石原を經て御殿場へ出ようとしてこの峠にかゝつたのであつた。乙女峠の富士といふ言葉を聞いてはゐたが實はその時極めてぼんやりとその峠へ登つて行つたのであつた。
乙女峠の富士といふ言葉は久しく私の耳に馴れてゐた。其處の富士を見なくてはまだ富士を語るに足らぬとすら言はれてゐた。その乙女峠の富士をいま漸く眼のあたりに見つめて私は峠に立つたのである。
富士よ、富士よ、御身はその芒の枯穗の間に白く/\清く/\全身を表はして見えてゐて呉れたのである。
乙女峠の富士は普通いふ富士の美しさの、山の半ば以上を仰いでいふのと違つてゐるのを私は感じた。雪を被つた山巓(さんてん)も無論いゝ。がこの峠から見る富士は寧ろ山の麓、即ち富士の裾野全帶を下に置いての山の美しさであると思つた。
しかもその山の前面一帶に擴がつた裾野の大きさはまたどうであらう。東に雁坂峠足柄山があり、西に十里木から愛鷹山の界があり、その間に抱く曠野の廣さは正に十里、十數里四方にも及んでゐるであらう。しかもなほその廣大な原野は全帶にかすかな傾斜を帶びて富士を背後におほらかに南面して押し下つて來てゐるのである。その間に動いてゐる氣宇の爽大さはいよ/\背後の富士をして獨りその高さを擅(ほしいまま)ならしめてゐるのである。
伊豆の天城から見た富士もまた見ごとなものであつた。愛鷹からと云ひ乙女峠からと云ひ、贅澤を言ふ樣だが實は少々近過ぎる感がないではなかつた。丁度の見頃だとおもふ距離をおいて仰がるゝのはこの天城山からであつた。
天城も下田街道からでは恰好な場所がない。舊噴火口のあとだといふ八丁池に登る途中からは隨所に素晴しい富士を見る事が出來た。高山に登らざれば高山の高きを知らずといふ風の言葉を幼い時に聞いた記憶があるが、全く不意にその言葉を思ひ出したほど、登るに從つていよ/\高くいよ/\美しい富士をうしろに振返り/\その八丁池のある頂上へ登つて行つたのであつた。
天城もまた御料林である。愛鷹と比べて更に幾倍かの廣さと深さとを持つた森林が山脈の峯から峯へかけて茂つてゐる。その半ばからは杉の林であるが、上は同じく落葉樹林である。私の登つたのは梢にまだ若葉の芽を吹かぬ春のなかばであつたが、鑛物化した樣なその古木の林を透かして遙かに富士をかへりみる氣持は實に崇嚴なものであつた。
高山に登り仰ぎ見たか山の高き知るとふ言(こと)のよろしさ
天地(あめつち)の霞みをどめる春の日に聳えかがやくひとつ富士が嶺
わが登る天城の山のうしろなる富士の高きは仰ぎ見飽かぬ
山から見た富士ばかりを書いた。最後にひとつ海を越えて見た富士を記してこの文を終る。これは曾て伊豆の西海岸をぼつ/\と歩いて通つた紀行の中から拔いたものである。
今度は獨りだけに荷物とてもなく、極めて暢氣(のんき)に登つて行くとやがて峠に出た。何といふことはなく其處に立つて振返つた時、また私は優れた富士の景色を見た。
富士の景色で私の記憶を去らぬのが今までに二つ三つあつた。一つは信州淺間の頂上から東明の雲の海の上に遙かに望んだ時、一つは上總の海岸から、恐ろしい木枯が急に吹きやんだ後の深い朱色の夕燒けの空に眺めた時、その他あれこれ。今日の船の上の富士もよかつた。
この中に「信州淺間の頂上から云々」とある。その廣々とした雲海の上に聳えて私の眼についた二つの山があつた。一つは富士、これはその特殊の形からすぐ解つた。今一つは細く鋭く尖つた嶺の上にかすかに白い煙をあげた飛騨(ひだ)の燒嶽であつた。
その燒嶽に昨年の秋十月、普通の登山者の絶え果てた時に私は登つて行つた。よく晴れた日で、濛々と煙を噴きあげてゐるその頂に立つて見てゐると、西に、北に、南に、東に、實に無數の高い山がうす紫の秋霞の靡いた上にとび/\に見渡された。その中に矢張りきつぱりと一目にわかる富士の山が遙かの/\東の空に望まれたのであつた。
「地震日記」
その間にも、ヅシン、ヅシンと二三度搖つて來た。海は然し却つて不氣味な位ゐに凪いでゐた。そしてまた何といふ富士山の冴えた姿であつたらう。
雲一つない海上の大空にはかすかに夕燒のいろが漂うてゐた。そしてその奧には澄み切つた藍色がゆたかに滿ち渡つてゐる。其處へなほ一層の濃藍色でくつきりと浮き出てゐるのが富士山であるのだ。
『斯んな綺麗な富士をば近來見ませんでしたねヱ、何だか氣味の惡い位ゐに冴えてるぢアありませんか。』
暫くもそれから眼を離せない氣持で私は言つた。
「夏を愛する言葉」
しいんとした日の光を眼に耳に感じながら靜かに居るといふことは、從つて無爲(むゐ)を愛することになる。一心に働けば暑さを知らぬといふが、完全に無爲の境に入つて居れば、また暑さを忘るゝかも知れぬ。ところが、凡人なかなかさう行かない。
怠けゐてくるしき時は門に立ちあふぎわびしむ富士の高嶺を
なまけつつこころ苦しきわが肌の汗吹きからす夏の日の風
「岬の端」
それから暫く嶮しい坂になつて、登り果てた所は山ならば嶺(いただき)、つまりこの三浦半島の脊であつた。可なり広い平地で、薩摩芋と粟とが一杯に作つてある。思はず脊延びして見渡すと遠く相模湾の方には夏の名残の雲の峯が渦巻いて、富士も天城も燻(いぶ)つた光線に包まれて見えわかぬ。眼下の松輪崎の前面をば戦闘艦だか巡洋艦だか大きなのが揃つて四隻、どす黒い煙を吐いて湾内を指してゐる。
「或る日の晝餐」
小山ながら海寄りの平野に孤立して起つた樣な山なので、この頂上からは四方の遠望が利く。北東には眞上に富士が仰がれる。が、その山の形よりその裾野の廣いのを眺めるのに趣きがある。次第高になつてゆく愛鷹と足柄との山あひの富士の裾野がずつと遠く、ものゝ五六里が間は望まれるのである。然し、その日は私は頂上まで行き度くなかつた。其處ではどうしても氣が散りがちであるからだ。そして中腹の、やゝ窪みになつた所に行つて新聞包を置いた。
「春の二三日」
松原に入つた頃はまだ薄暗かつた。松はたゞしつとりと先から先に立ち竝んで、ツイ左手近く響いてゐる浪の音もあるかなしかの凪ぎである。やがて空の明るむにつれて、高々と枝を張つてゐる松の梢を透して眞白な富士が見えて來た。そして同じくその右手の松の根がたに低く續いた紅ゐの色が見え出した。今を盛りに咲き揃つた桃の畑である。
一筋町の細長い其處を離れると、いよ/\廣重模樣の松並木が道の兩側に起つて來た。並木を通して右手眞上には富士、左には今までと反對に桃畑を前にした松原が見えてゐる。
一帶の感じが何となく荒涼としてゐて、田子の浦といふ物優しい名の聯想とは全く異つてゐるのを感じた。振向くと見馴れた富士の姿も沼津あたりとは違つて距離も近く高さも高く仰がるゝのであつた。傍へに富士川があり、前にこの山を仰ぎ背後に駿河灣を置いた眺めは太古にあつては一層雄大なものであつたに相違ないと思はれた。
思はず長い時間を其處で費し、また街道に出て暫く行くと道はやゝに海岸を離れて愛鷹山の根に向ふ形になる。そしてその向うに吉原宿の町が見えてゐる。なるほど此處では廣重の繪の左富士を想はす角度にその山を仰ぐのであつた。然し、我等は吉原には行かず、鈴川驛から汽車で富士川を渡り、蒲原の宿で降りて、またてく/\と歩き出した。
「木枯紀行」
十月二十八日。
御殿場より馬車、乗客はわたし一人、非常に寒かつた。馬車の中ばかりでなく、枯れかけたあたりの野も林も、頂きは雲にかくれ其処ばかりがあらはに見えて居る富士山麓一帯もすべてが陰欝で、荒々しくて、見るからに寒かつた。
須走の立場で馬車を降りると丁度其処に蕎麦屋があつた。
十月二十九日。
宿屋の二階から見る湖にはこまかい雨が煙つてゐたが、やや遅い朝食の済む頃にはどうやら晴れた。同宿の郡内屋(土地産の郡内織を売買する男ださうで女中が郡内屋さんと呼んでゐた)と共に俄かに舟を仕立て、河口湖を渡ることにした。
真上に仰がるべき富士は見えなかつた。たゞ真上に雲の深いだけ湖の岸の紅葉が美しかつた。
坂なりの宿場を通り過ぎると愈々嶮しい登りとなつた。名だけは女坂峠といふ。堀割りの様になつた凹みの路には堆く落葉が落ち溜つてじとじとに濡れてゐた。
越え終つて渓間に出、渓沿ひに少し歩き渓を渡つてまた坂にかゝつた。左右口峠(うばぐちたうげ)といふ。この坂は路幅も広く南を受けて日ざしもよかつたが、九十九折の長い/\坂であつた。退屈しい/\登りついた峠で一休みしようと路の左手寄りの高みの草原に登つて行つてわたしは驚喜の声を挙げた。不図振返つて其処から仰いだ富士山が如何に近く、如何に高く、而してまたいかばかり美しくあつたことか。
我等のいま歩いてゐる野原は念場が原といふのであつた。八ヶ嶽の南麓に当る広大な原である。所所に部落があり、開墾地があり雑草地があり林があつた。大小の石ころの間断なく其処らに散らばつてゐる荒々しい野原であつた。重い曇で、富士も見えず、一切の眺望が利かなかつた。
煙草を二三本吸つてゐるうちに土間の障子がうす蒼く明るんで来た。顔を洗ひに戸外(おもて)に出ようとその障子を引きあけて、またわたしは驚いた。丁度真正面に、広々しい野原の末の中空に、富士山が白麗朗と聳えてゐたのである。昨日はあれをその麓から仰いで来たに、とうろたへて中村君を呼び起したが、返事もなかつた。
そしていつの間に出て来たものか、見渡す野原も、その向う下の甲州地も一面の雲の河となつてしまつた。富士だけがそれを抜いて独りうらゝかに晴れてゐる。
「東京の郊外を想ふ」
そしてこちらの郊外の背景をなすものは遠く西の空に浮んでゐる富士山の姿であることを忘れてはならぬ。何處からでも大抵は見えるこの山ではあるが、ことに此處等の赤松林の下蔭、幾つか連つた丘陵の一つのいたゞきから望み見る姿は、たゞの野原であるのより遙かに趣きが深いのだ。
さう書くと、ほんの赤土の崖の上である樣な東の郊外田端の高みから望む筑波のことをも書かねばならぬ。同じく西の郊外から見る野の末の秩父の連山、よく晴れゝば其處まで見る事の出來る甲州信州上州路かけての遠山の事などをも。
二階は東北、及び僅かに西がかつた方角とが開けてゐて、ツイ眞下に、それこそ欄干から飛び込めさうな眞下に海がありました。そして海の向うには靜浦牛臥沼津の千本濱がずらりと見渡されて、その千本濱の少し左寄りの上の空に富士が圖拔けて高く聳えて居るのでした。
『これは素敵だ、早速此處にきめませう。』
「火山をめぐる温泉」
この火山は阿蘇や淺間などの樣に一個の巨大な噴火口を有つことなく、山の八九合目より頂上にかけ、殆んど到る處の岩石の裂目から煙を噴き出してゐるのであつた。その煙の中に立つて眞向ひに聳えた槍嶽穗高嶽を初め、飛騨信州路の山脈、または甲州から遠く越中加賀あたりへかけての諸々の大きな山岳を眺め渡した氣持もまた忘れがたいものである。更にあちらが木曾路に當ると教へられて振向くと其處の地平には霞が低く棚引いて、これはまた思ひもかけぬ富士の高嶺が獨り寂然(じやくねん)として霞の上に輝いてゐたのである。
「自然の息自然の聲」
捉へどころのない樣な裾野、高原などに漂うてゐる寂しさもまた忘れ難い。
富士の裾野と普通呼ばれてゐるのは富士の眞南の廣野のことである。土地では大野原と云つてゐる。見渡す限り、いちめんの草野原である。この野原を見るには足柄連山のうちの乙女峠、または長尾峠からがいゝ。この野の中に御殿場から印野、須山、佐野などいふ小さな部落が散在してゐるが、いづれもその間二里三里四里あまりの草の野を越えて通はねばならぬ。
富士のやゝ西に面した裾野はまたいちめんの灌木林である。そしてその北側はみつちり茂つた密林となつてゐる。いはゆる青木が原の樹海がそれである。
富士の大野原は明るくやはらかく、この六里が原は見るからに手ざはり荒く近づき難い。
これらの野原がすべて火山に縁のあるのも私には面白い。武藏野はもと/\富士山の灰から出來たのであるさうな。
「草鞋の話旅の話」
富士の裾野の一部を通つて、所謂(いはゆる)五湖をまはり、甲府の盆地に出で、汽車で富士見高原に在る小淵澤驛までゆき、其處から念場が原といふ廣い/\原にかゝつた。八ケ岳の表の裾野に當るものでよく人のいふ富士見高原なども謂(い)はゞこの一部をなすものかも知れぬ。八里四方の廣さがあると土地の人は言つてゐた。その原を通り越すと今度は信州路になつて野邊山が原といふのに入つた。これは、同じ八ケ岳の裏の裾野をなすもので、同じく廣茫たる大原野である。富士の裾野の大野原と呼ばるゝあたりや淺間の裏の六里が原あたりの、一面に萱や芒(すすき)のなびいてゐるのと違つて、八ケ岳の裾野は裏表とも多く落葉松(からまつ)の林や、白樺の森や、名も知らぬ灌木林などで埋つてゐるので見た所いかにも荒涼としてゐる。
「釣」
ソレ、君と通つて
此處なら屹度(きつと)釣れると云つた
あの淀み
富士からと天城からとの
二つの川の出合つた
大きな淀みに
たうとう出かけて行つて釣つて見ました
かん、かん、かんと秋らしい鉦(かね)が聞える
富士から愛鷹にかけては
いちめんに塗りつぶした樣な雲で
私の釣竿からも
たうとう雫が落ち出しました
「青年僧と叡山の老爺」
『ア、見えます/\、いいですねヱ。』
と。先刻(さつき)からまちあぐんでゐた富士が、漸くいま雲から半身を表はしたのだ。昨夜の時雨で、山はもう完全にまつ白になつてゐた。
『ほんたうにいゝ山ですねヱ、何と言つたらいゝでせう。』