三鼠(岡村恒元)
木のまたに六月尽の富士低し
※正岡子規の叔父
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木のまたに六月尽の富士低し
※正岡子規の叔父
富士見ゆる窓を今年の恵方かな
※早稲田文学明治29年(1896)に収録
富士は兀たり海道百里の秋の風
おほ洋に富士ゆた/\と今日の月
※以上2句は早稲田文学、明治30年(1897)収録
「大路の雨」より
○急がしく水うつ人の、
手をとめて空を仰ぐは、
うれしくも富士の高根に、
雨雲の起るなりけり。
※早稲田文学 明治28年(1895)収録
「孤鶴」
○砂白き 東海の浜、
鶴一羽 朝日に翔り、
わだつみの 万古の波に、
影富士の 影にゆらぐも。
○末の世の 秋風たたば、
飛ぶ鶴の 影もとどめじ、
羽衣の 昔語りも、
まぼろしの 三保の松原。
○汝(な)が厭ふ 街(ちまた)の塵も、
朝日には 天の白雲、
いざしばし 翼をとめて、
富士の根の 雪にやすらへ。
○富士の根の 雪に清きも、
ゆく鶴は 帰り来らず、
鳴き捨つる 一声遠く、
波青し 三保の松風。
○飛ぶ鶴の 翼しあらば、
天人の 羽衣なくも、
われもまた 富士を抱きて、
雲遠く 月をや訪はむ。
○つばさなき 身を喜びて、
力なき 砂を蹈みつつ、
わたつみに 涙洗へば、
富士の山 朝日に浮ぶ。
※早稲田文学:新体詩三篇(明治28年)より
如月も 尽きたる富士の 疲れかな
空に透く旅のかたみの弥生富士
ふるさとの富士と真向ふ大旦
雪の墓碑富士逆光の訣れかな
如月の・・・は、2006年2月28日の朝日夕刊(こころの風景)に立川昭二氏が「二月末の富士に疲れた表情を見てとる日本人のアミニズム」という表現で、この句を解している。
焼あとに富士しづまりし初明り
白露より現れて直ちに富士高し
湧く雲の流れて澄めり五月富士
※この方の情報を教えてください!
夕富士の刻刻変る麦を蒔く
冨士 そめいろのやまの東は人も見す
この世にたかき冨士のしら雪
霧ふかく不二は見えねど山開き
静岡学ぶ:2006年6月16日
・ NPO法人「富士山測候所を活用する会」。
・ 15日、三浦雄一郎氏を校長に「富士山学校」を開校。
・ 約50人が参加。
・ 講師を務めた三浦さん「富士山からスキーで滑り降りた時には宇宙的な感覚に感動しながら滑った。富士山などの山に登ることが老化防止につながる」。
・ 浅野理事長は「山登りの健康への効用」の講演。
・ 高地民族に心臓病や高血圧症などの発症率が低い事例。
・ 富士山の自然や歴史、研究などについて理解を深めてもらう。
・ 来年3月まで「科学講座」を医学博士や気象予報士らが講師を務める。
・ 来年度以降も継続。
そよ風が肌を乾かす逆さ富士
水苔が見え鮎が見え下田富士
初秋の雲がかゝるや富士の山