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2007年11月10日

東條義門

「活語餘論」
尚いはゞ ゐ ゑ を は喉唇音なるが故に、い え お のただ喉音なるは■からで、此三音いづれも是を云んとする時、初微隱にウ音を帶べるは、たとへば だ で の二はもとあぎを打て舌用に關る事の深きに彙へて ぢ づ を呼び、ざ ぜ の二は舌用いと/\ 淺くかすかにて、だ で の如く腭をうつには非るに准へて、じ ず を|唱へこゝろみれば、藤(フヂノ)花 富士(フジノ)山 などおのづからによく分れて有べきにもよそへて、いはゆる お を それに随ひては い ゐ え ゑ のけぢめをも辨ふべき事なりとぞ思はるゝ。

2007年11月05日

五十嵐力

「我執轉々記」の「信濃路」より
またのろ/\と饒舌(しゃべ)りながら引いて行く。
「車屋さん、此の邊から名高い高山が見えるかね。」
「エヽ見えますともな。八ケ岳に穗高岳、それから飛騨の高山も見えます。富士山も見えます。晴れて居ますと、此の正面のあの山の間からな。エヽ/\……」


「我執轉々記」の「參宮」より
   朝熊岳の頂上より
昨日麓から二十二町の嶮路に身體中(からだぢゆう)の汗を絞つて、頂上の一軒旅館豆腐屋に着いたのは午後の四時半頃でありました。すぐ一浴して「十八亭」の一室に案内されました。「十八亭」は山鼻に建てられた凉臺式(すゞみだいしき)の離家(はなれや)で、そこから、伊勢、志摩、紀伊、尾張は云ふに及ぼず、秋冬の晴天には澄んだ空を透ほして、遠く富士、箱根から駒ケ嶽、御嶽、乗鞍、立山、白山まで都合十八ヶ國を一目に見渡し得るので、かくは名づけたのであります。


「我執轉々記」の「白帝城」より
此の谿には岩と水と樹木との美妙な調和を成した、かやうな絶景が、二三里切れ目なしに續いて居るといふことで、其の間に駱駝岩、猿岩、獅子岩、鳶岩、眼鏡岩、兜岩、綱干岩、川平の二つ岩、不二の瀬、觀音の瀬などいふ、いろ/\の岩や淵や瀬があり、山にも夕暮富士、伊木山、氷室山、瑞泉寺山、實積寺山など、數々あるが、一々の眺めは、とても筆の上に寫せることではない。


「我執轉々記」の「山彦」より
私は今まで平凡な單調な道を歩いて來たとはいふものの、それでも後に思ふと、幾度かの命拾ひをして居ります。それを回想して、「おれはあの時に臺灣で死んだ筈だ。」「富士の谷底に落ちた筈だ。」「あの病氣の折には死を傳へられて悔みに來られたことがあるぢやないか。」と思へば、世の中はのんきなものです。

   會遊の地で好かつた處をと蕁ねられて
富士と瀬戸内海を別として、まづ九州の阿蘇山の噴火ロと北海道登別(ぬぶるべつ)温泉の地獄谷とが浮かんで來ます。