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2007年02月09日

野中到(野中至)

富士の嶺を仰ぎて見れば雲かゝる行手の道も遠くもあるかな

秋寒きふじの裾野の夕暮は行手ながくもおもほゆるかな

しら雪に埋もるゝ不二の頂を今ぞ初めて踏み分けにける

おなじみの風の御神はけふはなど山の神をば吹飛ばしけん

祝ひ日のもちどころでなくやっとかゆすゝりし上に風くらひけり

ふじのねの雪の朝(あし)たの頂きをわれのみしめて住ゐぬるかな

しら雪に埋るゝ富士の頂きをげに心ある人に見せばや

しろがねにつゝみし富士の頂きは此世(このよ)の外の心地こそすれ

あられ飛(とび)風すさまじく降(ふる)雪に埋るゝ今朝の富士の頂き

あらこまを乗しづめたるのちならばうしの背なかは安けからまし

慾ばりてやかんあたまの刷毛おやぢ金に付たら迚(とて)もはなれず

2007年02月07日

梶井基次郎

「闇への書」
すると知識と視覺との間にはあんなにも美しい神祕が存在するのか。
私は以前に芭蕉の
   霧時雨不二を見ぬ日ぞ面白き
の句に非常に胸を打たれたことを思ひ出した。さうかも知れない。


「路上」
ある日曜、訪ねて来た友人と市中へ出るのでいつもの阪(さか)を登った。
「ここを登りつめた空地ね、あすこから富士がよく見えたんだよ」と自分は言った。
 富士がよく見えたのも立春までであった。午前は雪に被われ陽に輝いた姿が丹沢山の上に見えていた。夕方になって陽がかなたへ傾くと、富士も丹沢山も一様の影絵を、茜の空に写すのであった。
 ――吾々は「扇を倒(さかさ)にした形」だとか「摺鉢(すりばち)を伏せたような形」だとかあまり富士の形ばかりを見過ぎている。あの広い裾野を持ち、あの高さを持った富士の容積、高まりが想像でき、その実感が持てるようになったら、どうだろう――そんなことを念じながら日に何度も富士を見たがった、冬の頃の自分の、自然に対して持った情熱の激しさを、今は振り返るような気持であった。

2007年02月05日

柴田流星

「残されたる江戸」の「木やり唄」より
「めでためでた」の本唄はさらなり、「不二の白雪や旭で解ける――」の木やりくずしまで、唄の数は二十幾つにも及ぶが節は元よりたった一つ、多少の崩れは三味線に合わすとてのそれ者が振舞い、そこにいずれはないでもないが、吾儕の心を誘(そそ)りゆいて、趣味の巷にこれ三昧の他事なきに至らしむる、また以て忘機の具となすに足るべきではあるまいか。