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2006年08月18日

僧契冲

富士がねは山の君にて高御座
   空にかけたる雪の経笠

そらにみつやまとしまねにふたつなき
   たよりとなれるふじのしば山

日のもとのくにをしづめてうごきなき
   ふじのたかねのなるさはのいし

くちなしのゆきげの雲は空とぢて
   人ぞいひつぐふじのたかね

ふじのねに峰をわたりてふる雪の
   めづらしげなくめづらしきかな

あづまぢはをちこち人のいひづきて
   ゆくもかへるもふじのしばやま

ひさかたのあまのみはしら神代より
   たてるやいづこふじのしば山

富士のねをみれば雲にものらぬみの
   こゝろは空にうきしまがはら

をとめこがふじのみゆきのしたがさね
   あまのはごろもなるゝよもなし

2006年06月24日

宗左近

「市川賛歌(透明の芯の芯)」
○夕焼け おお 生命が炎える
 市川 夢の常夜燈
 舞う 縄文の蛍たち
 少女の乳首の尖きに富士とがり
 恋の継ぎ橋に立ちすくむ若者の瞳に
 どんな鳥が歌ってくれなかったろうか
 幸福より長い永遠はありはしないと
 市川 炎える生命
 常夜燈の夢
○曙 いま 世界が垂直
 市川 芯の芯の透明
 はばたく 虹の風たち
 恋の継ぎ橋を渡る若者の瞳に
 尖りはじめる少女の乳首の富士
 どんな光が祝ってくれないだろうか
 永遠と瞬間の沸りあう今こそが未来と
 市川 垂直が世界
 透明の芯の芯
※作詞宗左近/作曲三善晃
※3番あるうちの1番と3番

※2006年6月23日までに死去されたとのこと(6月23日報道)。ご冥福をお祈りします。

2006年04月07日

蘇谷やすお

九合目はまこと胸突富士詣

2006年02月04日

相馬愛蔵

「私の小売商道」
私が青年時代のこと、富士山に登るのに健脚の自信があって、白衣の従者を追い抜き頂の方に素晴しい勢いで登って行った。ところが八合目になると急に疲れて休まねばいられなくなった。休んでいると先ほどの白衣の道者が急がず焦らず悠々とした足取りで通って行く。これではならぬと私も勇を鼓して登って行ったが、頂上に達した時は従者はもう早く着いて休んでいた。世の中のことはすべてこれだなと思って私もその時は考えたが、家康の教えにも、「人生は重き荷を負うて遠き道を往くが如し、急ぐべからず」とあります。実に名言だと思います。
では一歩先んじようとは何であるか、遅れていても結果において早ければよいではないかと言ってしまったのでは話にならない。一歩を先んじよというのは、常に緊張して努力せよというのであって、その結果は必ず他に一歩を進める事となる。すなわちこの一歩一歩は富士の山麓から山頂までつづけられる努力であって、それは決して私がやったように一時人を出し抜く早足ではない。