向井房江
「山梨県富士吉田市立明見小学校 校歌」
○大富士の嶺の 朝明けだ
集う 学びの この庭は
正しく 明るく すこやかに
のびゆく 明見小学校
※作詞向井房江/作曲坂口五郎
※3番あるうちの1番
「山梨県富士吉田市立明見小学校 校歌」
○大富士の嶺の 朝明けだ
集う 学びの この庭は
正しく 明るく すこやかに
のびゆく 明見小学校
※作詞向井房江/作曲坂口五郎
※3番あるうちの1番
心あてに見ししら雲は麓にておもはぬ空に晴るる富士のね
「静岡県立静岡高等学校 希望の歌」
○烈日に 鍛えつつ
寒風に 耐えし身を
勲しは 富士より高く
業の花 いま開く
望みを いざ歌え高らかに
勝利はつねに われらのもの
静高 おお精鋭の群れ 静高 静高
※3番あるうちの2番
※作詞村松喬/作曲小山章三
雪の作や積りつもりて富士百句
富士山は二もなし一は雪の景
五月雨の足もや富士を一またけ
六月や名にあふ富士の六つの花
風凪ぎて富士の新雪輝かす
湯の窓に富士の全き避寒かな
これやこの富士の裾野のをとこへし
黍ほして富士の裾野の貧しき村
朝の間は横雲を置きて五月富士
秋蚊帳の干さるるみどり天に富士
白露やまみえし富士のおん姿
「源氏物語」(大島本・若紫)
「絵にいとよくも似たるかな。かかる所に住む人、心に思ひ残すことはあらじかし」とのたまへば、
「これは、いと浅くはべり。人の国などにはべる海、山のありさまなどを御覧ぜさせてはべらば、いかに、御絵いみじうまさらせたまはむ。富士の山、なにがしの嶽」
など、語りきこゆるもあり。
「源氏物語」(大島本・鈴虫)
火取りどもあまたして、煙たきまで扇ぎ散らせば、さし寄りたまひて、
「空に焚くは、いづくの煙ぞと思ひ分かれぬこそよけれ。富士の峰よりもけに、くゆり満ち出でたるは、本意なきわざなり。講説の折は、おほかたの鳴りを静めて、のどかにものの心も聞き分くべきことなれば、憚りなき衣の音なひ、人のけはひ、静めてなむよかるべき」
など、例の、もの深からぬ若人どもの用意教へたまふ。
「源氏物語」若紫 (與謝野晶子訳)
「絵によく似ている。こんな所に住めば人間の穢(きたな)い感情などは起こしようがないだろう」
と源氏が言うと、
「この山などはまだ浅いものでございます。地方の海岸の風景や山の景色をお目にかけましたら、その自然からお得(え)になるところがあって、絵がずいぶん御上達なさいますでしょうと思います。富士、それから何々山」
こんな話をする者があった。また西のほうの国々のすぐれた風景を言って、浦々の名をたくさん並べ立てる者もあったりして、だれも皆病への関心から源氏を放そうと努めているのである。
「源氏物語」鈴虫 (與謝野晶子訳)
火入れがたくさん出されてあって、薫香(たきもの)をけむいほど女房たちが煽(あお)ぎ散らしているそばへ院はお寄りになって、
「空(そら)だきというものは、どこで焚いているかわからないほうが感じのいいものだよ。富士の山頂よりももっとひどく煙の立っているのなどはよろしくない。説教の間は物音をさせずに静かに細かく話を聞かなければならないものだから、無遠慮に衣擦れや起(た)ち居の音はなるべくたてぬようにするがいい」
などと、例の軽率な若い女房などをお教えになった。
泥舟に富士の筆太飾米
形代の打ち寄せられて逆さ富士
青富士に雨雲ひくくしてはやき
秋富士のあかつきは色幾変化
満目の雪の極みに雪の富士
真夜の富士春星あまたちりばめて
空席を埋めし露人に寒の富士
※2006年4月3日死去。ご冥福をお祈りします。
「昭島市立拝島第三小学校校歌」
○春は桜の朝ぼらけ
仰ぐは清き富士の山
学びの庭にいまたちて
われらの誇り その名こそ
拝島第三小学校
※村上元三作詞/吉田正作曲
※4番まである。
「西塔武蔵坊弁慶最期書捨之一通」
抑若年之時、寄身于雲州鰐淵山、自童形以来、日夜不怠、粗試阿吽之二字。況至剃除餐髪之頃、向真言不思議窓、転極(うたた)頸密之秘法、於入定座禅床、探金胎両部之奥蔵。大日不二之法尤大切也。我自出母胎内以来、不犯禁戒、全護五常之道、欲達現当二世之本懐之処、先世之宿縁難遁而今将(はた)果者歟。
大霞富士あるごとくなきごとく