新田次郎
残雪の不二は真近し稲荷祭
富士を背にみどりしたたる妙法寺
残雪の不二は真近し稲荷祭
富士を背にみどりしたたる妙法寺
豊年や往きも復りも富士を見て
大宮の朝立
清/\し不二に向ひし朝心
前々木といふ所にて
笠毎に朝露白き夜明哉
村山村の眺望
神の富士雲より上の高さ哉
夫より木立にかかりて
名も知れぬ木草の多し不二の裾
萱野にて
呼へは直く前て答へて夏野原
一合目にて鴬をきく
鴬もたしかに若し神の山
二合目にて
袖の下から雲湧きぬ富士の山
三合目にて全く草木なく 焼石原のみとはなりぬ
眼に障る物なし不二の三合目
四合目にて
ふもとにて雷なりぬ不二の山
五合目にて
夕立の下から来たり不二の山
六合目にて
雲霧を捉らへて見たり不二の山
七合目にて万代雪をかむ
不二崇し神代のまゝの峰の雲
これよりは一歩は一歩より 峻嶮となりゆきなか/\に 句作の余裕なし項上にて
暫らくは我より高き物はなし
こゝに至りて唯一身の無事 を祈る外一切の思決して邪なし
富士に来て神ならぬ人よもあらじ
※早稲田文学「俳句十四首」(1894)より
秋色の南部片富士樹海より
短日や北見の国に北見富士
妻癒えよ一望に初富士初浅間
玲瓏と富士痩せ冬に入りにけり
坂ひとつのぼりて春の富士に逢ふ
青富士の裾のキャンプにめざめたる
初旅の富士の白無垢たぐひなし
寒晒富嶽大きく裏に聳つ
林檎咲く月夜を占めて津軽富士
富士ぞ雪盛り切飯に立つ煙
ヂキタリス薄紫に富士の影
秋草や富士の水湧く池いくつ
初凪や雲を聚めて小さき富士
正月の雲すこし被て表冨士
富士は雪三里裾野や春の景
さらし干す夏きにけらし不尽の雪
赤富士もやがて紫夏の朝
登らんず富士真上より月照らす
日記から
「昨夜寝るまへにウイムパーの『アルプス登攀記』を読んでゐた。富士山のことが想い出された。しかも不思議なことに楽しい思ひ出として。生きてをれば又今年か来年の夏ゆく事が出来ると思つた。急に生きてゐることはこれだからいいといふ気持が動いた。」
(昭和15年2月9日の南吉の日記)
※富士登山で詠んだ34句を選び、後日句集「ふじ」をまとめている。