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2006年05月27日

水原秋桜子

獅子舞は入日の富士に手をかざす

眠る山或日は富士を重ねけり

初不二を枯草山の肩に見つ

初冨士の海より立てり峠越

初冨士の浦曲をわたる雲

初富士の見出でし岨の氷柱かな

富士つつみ立つは大寒の入日雲

風ひびき立冬の不二痩せて立つ

富士しろし百舌鳥が呼びたる空の青

鯊釣や不二暮れそめて手を洗ふ

朝霧に岩場削ぎ立つ富士薊

碧天や雪煙たつ弥生富士

黄塵の野面の隅に雪の富士

重陽の山里にして不二立てり

獅子舞は入日の富士に手をかざす

朝の蝉富士のくれなゐ褪せゆけり

波郷忌や富士玲瓏の道行きて

百舌鳥鳴けり小さき富士がまぶしくて

秋耕や富士をさへぎる山もなく

雪の富士立てり嘆きの夜ぞ明くる

風呂吹や曾て練馬の雪の不二

新村千博

ヂキタリス薄紫に富士の影

※この方の情報を教えて下さい!

須藤徹

立秋の麒麟の脚が富士を蹴り

神谷三八朗

別れては真向かいに見る遥か富士

上田五千石

手斧始もとより尺の富士ひのき

秋富士が立つ一湾の凪畳


「富士市富士中央小学校 校歌」より、3番
○世界の人が あこがれる
 富士のいただき 仰ぐとき
 希望は雲の ように湧く
 ララララ ラララ
 ここ富士中央 中央小学校

※上田五千石作詞/松村禎三作曲

2006年05月26日

管裸馬

いささかの水あり五月富士写す

浮かみ出て初雪の不二歪みなし

小さな幣杖に結びつ富士行者

富士行者つゞく草屋の蚊屋の前

西宇内

秋草や富士の水湧く池いくつ

杉山杉風(茶舎)

鳴く千鳥富士を見かへれ塩見坂

2006年05月25日

深川正一郎

赤富士も見せたし紺の夕富士も

立つ鷺にあらはれており五月富士

大富士の雪解の水に田を植うる

杉山葱子

冨士昏れて枯野灯す達磨市

金森徳次郎

「少年少女のための憲法のお話」
一三 国の象徴(しるし)
子どもたちが、動物園へ行ってきました。帰ってからの夕食のあとで、おもしろそうに笑って、はしゃいでいます。見ると、妙なものをかいて、何だかあてっこをしています。きつねだ、きりんだ、猿だとさわいでいます。つのを見れば、牛を知り、富士山を見れば、日本を考え、国旗を見れば、日本を思うのは、あたりまえです。わたくしたちは、天皇をあおぐと、心にしみいるように深く、日本を感じます。これが象徴(しるしのこと)の意味です。甲を見ると、乙を心にピタリと感じられるときに、甲は乙の象徴です。桜の花がさいた、春がきた。紅葉が赤い、秋が深くなった。こんなばあいに、象徴の意味がはっきりします。

2006年05月23日

新田郊春

初凪や雲を聚めて小さき富士

2006年05月22日

近藤真琴

「澳行日記」
四日朝右舷のかたに遠山雪の如く見ゆ。これアラビヤのフラテオーなるべし。正午にはアーデンの山々手に取るごとく見ゆ。三時に船は港に入りぬ。このところは山みな巌石にして火山の如く、富士のいたゞきのごとくにぞありける。さればたえて草木なく、いささかの流れだになければ水に乏しく、家ごとに平らかなる屋根を作り、ふる雨をうけとめてもらさじとすめり。港には蒸溜機械を具へたる船ありて、日毎に怠らず海水を蒸溜して真水とせり。

真田清見

初富士や空に柾目のあるごとく

2006年05月21日

憲法普及会(編)

「新しい憲法 明るい生活」
◇私たちの天皇
天皇は神様の子孫であるからというような神話をもととして、天皇の地位や権限をこの上なく重んじていたのが今日までのゆき方であつた。
新憲法では天皇は日本の国の象徴であり、国民結び合いの象徴であるということが示されてある(第一条)。これは私たち国民全体の天皇にたいする共通の気持をそのままあらわしたものである。
象徴というのは一つの「めじるし」であつて、これによつて国そのもの、または国民結び合いの実際の姿がありありとわかることをいうのである。富士山をみれば美しい日本の国が、また桜をみればなごやかな日本の春がわかるというのが、そのおよその意味である。

森田游水

直ぐ消えし富士の初雪空の紺

※この方の情報を教えて下さい!

深見けん二

まづ拝む窓の遠富士初稽古

初富士の暮るゝに間あり街灯る

赤富士に滴る軒の露雫

大富士の夕かげ持ちぬ蕗の薹

正面の富士に対する浴衣かな

南部富士一日まぶし赤とんぼ

上田日差子

畝ひとつ越え初富士に歩みよる

松本たかし

星空に居る大富士や除夜の駅

山山を統べて富士在る良夜かな

大富士の現れゐるや望(もち)の宿

初富士の抱擁したる小漁村

夕まで初富士のある籬かな