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2007年01月27日

木下尚江

「火の柱」
篠田はやがて学生の群と別れて、独り沈思の歩(あゆみ)を築山の彼方(あなた)、紅葉麗はしき所に運びぬ、会衆の笑ひ興ずる声々も、いと遠く隔りて、梢に来鳴く雀の歌も閑(のど)かに、目を挙ぐれば雪の不二峰(ふじがね)、近く松林の上に其頂を見せて、掬(すく)はば手にも取り得んばかりなり、心の塵吹き起す風もあらぬ静邃閑寂(せいすゐかんじやく)の天地に、又た何事の憂きか残らん、時にふさはしき古人の詩歌など思ひ浮ぶるまに/\微吟しつ、岸の紅葉、空の白雲、映して織れる錦の水の池に沿うて、やゝ東屋(あづまや)に近きぬ、見れば誰やらん、我より先きに人の在り、聞ゆる足音に此方(こなた)を振り向きつ、思ひも掛けず、ソは山木の令嬢梅子なり、

夕ばえの富士の雪とも見るべき神々しき姉の面(おもて)を仰ぎて、剛一は、腕拱(こまぬ)きぬ、
 鳥の群、空高く歌うて過ぐ、

「ふウむ」と侯爵は葉巻(シガー)の煙(けむ)よりも淡々しき鼻挨拶(はなあしらひ)、心は遠き坑夫より、直ぐ目の前の浜子の後姿にぞ傾くめり、
 浜子は彼方(あちら)向いて、遙か窓外の雪の富士をや詮方(せんかた)なしに眺むらん、

2007年01月25日

原民喜

「秋日記」
……弥生も末の七日(なぬか)明ほのゝ空朧々として月は在明(ありあけ)にて光をさまれる物から不二の峯幽(かすか)にみえて上野谷中の花の梢又いつかはと心ほそしむつましきかきりは宵よりつとひて舟に乗て送る千しゆと云所(いふところ)にて船をあかれは前途三千里のおもひ胸にふさかりて幻のちまたに離別の泪(なみだ)をそゝく
 彼は歩きながら『奥の細道』の一節を暗誦していた。これは妻のかたわらで暗誦してきかせたこともあるのだが、弱い己(おの)れの心を支えようとする祈りでもあった。


「壊滅の序曲」
正三の眼には、いつも見馴れてゐる日本地図が浮んだ。広袤はてしない太平洋のはてに、はじめ日本列島は小さな点々として映る。マリアナ基地を飛立つたB29の編隊が、雲の裏を縫つて星のやうに流れてゆく。日本列島がぐんとこちらに引寄せられる。八丈島の上で二つに岐れた編隊の一つは、まつすぐ富士山の方に向かひ、他は、熊野灘に添つて紀伊水道の方へ進む。

2007年01月23日

正岡子規

一日一日富士細り行く日永哉

永き日に富士のふくれる思ひあり

佐保姫は裾のすがるや富士の山

春風や吹のこしたる富士の雪

春風の吹き残したり富士の雪

春風の高さくらべん富士筑波

鼻先の富士も箱根も霞みけり

其中に富士ぼつかりと霞哉

富士薄く雲より上に霞みけり

富士の根の霞みて青き夕哉

日本は霞んで富士もなかりけり

富士は雲に隠れて春の山許り

富士筑波西には花よあすか山

若草や富士の裾野をせり上る

鶏鳴くや小冨士の麓桃の花

ぼんやりと大きく出たり春の不二

衣更着や稍なまぬるき不二颪

此頃はひらたくなりぬ弥生不二

春風の脊丈みしかし不二のやま

春風やごみ吹きよせて不二の影

春風や不二を見こみの木賃宿

雪ながら霞もたつや不二の山

薄黒う見えよ朧夜朧不二

不二の山笑はねばこそ二千年

炉塞や椽へ出て見る不二の山

汲鮎や釣瓶の中の不二の山

五六尺不二を離るゝひはりかな

雲雀野や眼障りになる不二の山

越路から不二を見返せ帰る雁

吹きわける柳の風や不二筑波

青柳のしだれかゝるや不二の山

苗代やところところに不二のきれ

ふじよりも立つ陽炎や春の空

畑打やふじの裾野に人一人

薄紙のやうなふじあり桃の花

初秋の富士に雪なし和歌の嘘

秋風や片手に富士の川とめん

月高し窓より下に近江富士

雪の富士花の芳野もけふの月

朝霧の富士を尊とく見する哉

舞鶴の富士はなれけり秋の空

富士は曇り筑波は秋の彼岸哉

箱根路や薄に富士の六合目

霜月や雲もかゝらぬ晝の富士

此頃の富士大きなる寒さかな

森の上に富士見つけたる寒さかな

はつきりと富士の見えたる寒さ哉

寒けれど富士見る旅は羨まし

雪の無き富士見て寒し江戸の町

旭のさすや紅うかぶ霜の富士

帆まばらに富士高し朝の霜かすむ

朝霜の藁屋の上や富士の雪

木枯や富士をめかけて舟一つ

富士を出て箱根をつたふ時雨哉

積みあまる富士の雪降る都かな

大雪やあちらこちらに富士いくつ

富士ひとりめづらしからず雪の中

富士ひとりめづらしからず雪の朝

雪の富士五重の塔のさはりけり

赤いこと冬野の西の富士の山

冬籠り人富士石に向ひ坐す

庵の窓富士に開きて藥喰

富士山を箸にのせてや藥喰

富士へはつと散りかゝりけり磯千鳥

其奥に富士見ゆるなり冬木立

冬木立遙かに富士の見ゆる哉

冬枯や何山彼山富士の山

茶の花の中行く旅や左富士

明け易き夜頃や富士の鼠色

富士の影崩れて涼し冷し汁

秋近き窓のながめや小富士松

雪の間に小富士の風の薫りけり

炎天の中にほつちり富士の雪

不二垢離にゆふべの夢を洗ひけり

富士垢離は倶利迦羅紋の男哉

雲の峰いくつこえきて富士詣

ありあけの白帆を見たり富士詣

富士に寝て巨燵こひしき夜もあり

富士登る外国人の噂かな

雪くひに行くとて人の富士詣

富士行者白衣に雲の匂ひあり

見渡せば富士迄つゞく田植哉

初松魚生れ変らば富士の龍

日本橋や曙の富士初松魚

富士も見え塔も見えたる茂り哉

富士山は毎日見えつ初茄子

初空や烏は黒く富士白し
※烏でなく鳥という資料もある。

一の矢は富士を目かけて年始

西行の顏も見えけり富士の山

煩惱の梦の寐さめや富士の雪

富士の山雲より下の廣さかな

海晴れて小冨士に秋の日くれたり

見直せは冨士ひとり白し初月夜

冨士はまた暮れぬ内より高燈籠

小男鹿の冨士よちかゝる月よ哉

冨士隱す山のうらてや蕎麥の花

一家や冨士を見越の雁來紅

冨士ひとりいよいよ白き卯月哉

筆とつて冨士や画かん白重

冨士の雪見なからくふや夏氷

氷室守冨士をしらすと申しけり

初空や裾野も冨士と成りにけり

冨士といふ名に仰き見つつくり山

灘のくれ日本は冨士斗り也

冨士の根を眼當に昇る旭かな

秋たつやけふより不二は庵の物
※庵?俺?

朝寒の風が吹くなり雪の不二

秋晴て物見に近し秋の不二

名月や不二を目かけて鳥一羽

名月や不二をめくつて虫の聲

いざよひの闇とゞかずよ不二の山

破れ窓や霧吹き入るゝ不二颪

旅籠屋や霧晴て窓に不二近し

初嵐小不二ゆがんて見ゆる哉

吹き返す不二の裾野の野分哉

面白やどの橋からも秋の不二

身ふるひのつく程清し秋の不二

夕やけや星きらきらと秋の不二

秋不二や異人仰向く馬の上

山はにしき不二獨り雪の朝日かな

めづらしや始めて見たる月の不二

不二こえたくたびれ顔や隅田の雁

鴫黒く不二紫のゆふべ哉

桐一葉一葉やついに不二の山

不二一つおさえて高き銀杏哉

風拂ふ尾花か雲や不二の山

武蔵野の不二は尾花に紛れけり

蔓かれてへちまぶらりと不二の山

菊さくやきせ綿匂ふ不二の雪

蕣の不二を脊にして咲きにけり

大方はうち捨られつ師走不二

不二を背に筑波見下す小春哉

大極にものあり除夜の不二の山

寒けれど不二見て居るや阪の上

雲もなき不二見て寒し江戸の町

諏訪の海不二の影より氷りけり

薄赤う旭のあたりけり霜の不二

朝霜や江戸をはなれて空の不二

朝霜や不二を見に出る廊下口

凩や木立の奥の不二の山

空合や隅田の時雨不二の雪

薄暗し不二の裏行初しくれ

世の中の誠を不二に時雨けり

武藏野や夕日の筑波しくれ不二

汽車此夜不二足柄としぐれけり

初雪のはらりと降りし小不二

すじかへに不二の山から雪吹哉

裏不二の小さく見ゆる氷哉

達磨忌や混沌として時雨不二

不二のぞくすきまの風や冬籠

不二へ行く一筋道や冬木立

冬枯のうしろに高し不二の山

冬枯のうしろに立つや不二の山

はかなしや不二をかさして歸り花

茶の花や横に見て行朝の不二

とかくして不二かき出すや落は掻

十二層楼五層あたりに夏の不二

渾沌の中にものあり五月不二

短夜の上に日のさす不二の山

夏の夜や日暮れながらに明る不二

たそがれやながめなくして不二涼し

蟻一つ居ぬ下界と見えて不二涼し

夏不二の雪見て居れは風薫る

雲か山か不二かあらぬか五月雨

五月雨や天にひつゝく不二の山

不二山にくづれかゝるや雲の峯

夕立の又やふりけす不二の雪

夏の月不二は模様に似たりけり

不二垢離にゆふべの夢を洗ひけり

甲斐の雲駿河の雲や不二詣

飛び下りた夢も見る也不二詣

うたゝねの夢に攀ぢけり額の不二

紅の朝日すゞしや不二詣

月も日も夢の下なり不二詣

不二詣烏の鳴かぬ朝清し

不二詣水無月の雪に鰒もかな

短夜の限りを見たり不二詣

門を出て見ながら行や不二詣

雲置くや朝飯冷ゆる不二の室

団扇もて我に吹き送れ不二の風

夏痩の名にも立ちけり裸不二

不二見えて火の見櫓の涼み哉

見ぬ友や幾人涼む不二の陰

足伸へて不二をつゝくや涼み舟

不二は朝裾野は暗のともし哉

夏氷かむにあそこに不二の雪

我庵に不二を吐き出す蟇の口

時鳥不二の雪まだ六合目

一吹や羽蟻くづるゝ不二颪

卯の花に不二ゆりこぼす峠哉

遠不二の姿かりるや夏木立

ほのほのと茜の中や今朝の不二

元日や日も出ぬさきの不二の山

元日や鶴も飛ばざる不二の山

元朝や虚空暗く但不二許り

まだ夜なり西のはてには今朝の不二

けさの春琵琶湖緑に不二白し

まゝにならば宇治の若水不二の齒朶

一の矢は不二へそれけりゆみはしめ

初鴉不二か筑波かそれかあらぬ

あると見た色は空なり不二の雪

間違はし初めて不二を見てさへも

不二がねや雲絶えず起る八合目

肌寒やふじをまきこむ波の音

西行のふじにものいふ秋のくれ

秋晴てふじのうしろに入日哉

ふじ一つくれ殘りけり三日の月

ふじは雲露にあけ行く裾野哉

角力取の猪首はつらしふじの山

餘りうたば砧にくえんふじの雪

ふじ見えて物うき晝の花火哉

月見んとふじに近よる一日つゝ

粟の穂にふじはかくれて鶉啼く

いつしかにふじも暮けり夕紅葉

刈稻もふじも一つに日暮れけり

箱根來てふじに竝びし寒さ哉

ふじ山の横顏寒き別れかな

凩やちぎつてすつるふじの雪

面白やふじにとりつく幾時雨

初雪やふじの山よりたゞの山

白きもの又常盤なりふじの雪

母樣に見よとて晴れしふじの雪

冬の月一夜はふじにうせにけり

眞直にふじまでゆかん冬田哉

煤拂のほこりの中やふじの山

ふじのせた添水動かす枯尾花

蜘蛛の巣やふじ引かゝる五月晴

梅雨晴やかびにならずふじの雪

梅雨晴やふじひつかゝる蜘の網

夕立や雲もみださぬふじの山

松原に雪投げつけんふじ詣

卯の花にふじを結ひこむ垣根哉

元日や見直すふじの去年の雪

元日やふじ見る國はとことこぞ

ふじのねの矢先に霞む弓始

ふじのねや麓は三保の松飾り

餘の山は皆うつぶきつふじの山

灘の夕日本はふじ許り也

あし高は家にかくれてふじの山

雲いくへふじと裾野の遠きかな

秋風やつるりとしたる不盡の山

月と不盡一目一目のこよひ哉

三日月の悲しく消る不盡の山

見る内に不盡のはれけり朝の霧

見る内に不盡ははれけり朝の霧

右も三井左も三井秋の不盡

鶺鴒や飛び失ふて殘る不盡

不盡の山雪盛り上げし姿哉

吉原や眼にあまりたる雪の不盡

寒からん不盡の隣の一吹雪

不盡山をひねもすめくる吹雪哉

不盡の山白くて冬の月夜哉

西行の頭巾もめさず雪の不盡

不盡見ゆる北窓さして冬籠

不盡赤し筑波を見れは初日の出

秋のくれ見ゆる迄見るふしの山

扇見てふし思ひ出す夜寒哉

龍田姫ふしは女人の禁制そ

ふしの根に行あたりたる天の川

松折れてふしあらはなり初嵐

さりげなき野分の跡やふしの山

吹き付けてふしに消行野分哉

山山の錦きたなしふしの山

鵙なくやふしを見下す松のさき

鵲や橋杭になるふしの山

ふしの雪春ともしらぬ姿哉

はる風の吹きちゞめたりふしの雪

日本の花見下さんふしの山

ふしの影ふんて啼出す蛙哉

白梅やほつと朝日のふしの山

桃さくや紙のやうなるふしの山

日の本の桜にふしの夜明かな

梨子の花ふしは月夜に粉れけり

木枯やしかみ付たるふしの雲

時雨來る雲の上なりふしの雪

ふし見ゆる軒端をつゝる氷柱哉

冬の月一夜はふしの失にけり

冬枯の今をはれとやふしの山

茶の花や霜に明行ふしの山

熱い日は思ひ出だせよふしの山

ふしつくは都ふきこす青嵐

九合目へ来て気のせくやふし詣

空に入る身は軽げなりふし詣

松原へ雪投げつけんふし詣

ふしさへも一と夜に出来つ扇折

ふしか根の雪汁煮てや一夜酒

蝙蝠や薄墨にしむふしの山

並松へふし見に来たか閑古鳥

蚊柱やほつれほつれてふしの山

若竹や稍薄青きふしの山

元日やふしへものほる人心

目をやれば惠方にたてりふしの山

遣羽子の下にかすむやふしの山

いつそ皆子供にやれやふしの山

西行も笠ぬいで見るふしの山

日の本の俳諧見せふふしの山

天と地の支へ柱やふしの山


「筆まかせ」より「謎句」
左の二句を判じ給へ 尤(もっとも)後の方は非凡氏の立案にて余の句作なり
   埃及(えじぷと)が寒国ならば富士の山
   西形の顔も見えけりふじの山
此(この)後の句を解釈する人の説種〃あり 「富士の事を思へば連感にて西行の顔を見る如く思ふなり」「西行の顔がふじの雪に写るか 又は川にうつるものならん」「富士と西行の間へ我身をおけば可なり」などいふ説は皆あたらず


「筆まかせ」の「道中の佳景」から
併し此辺のけしきは(東京よりの下り列車ならば)右側をよしとす(尤(もっとも)自分も気車のむきに座するとして)、此他(このほか)ふじの見ゆる処は皆面白く 裾野をかけまわるも愉快なるが、尤其景色の絵画的(ピクチュアルスキュ)なるは興津、江尻近傍より後をふりむき、富士をながめたる時也 余は世界中斯(かく)の如き景はまたなきものと思ふ也


「筆まかせ」より
○三重まわる帯が二重もまわりかね
 一ッのものが二ッとぞなる
○化学者が水を分析してみれば
 一ッのものが二つとぞなる
○たいらなる富士のいたヾき近づけば
 一ッのものが三ッとなりけり

※盗花の名前(号)で書いてある
※九ッまである


わざとさへ見に行く旅をふじの雪

日本は霞んで富士も無かりけり

永き日に富士のふくれる思ひあり

梅雨晴や最う雲助の裸富士

※以上四句は、早稲田文学明治29年(1896)収録の子規子「俳句十二句」より。


「高尾紀行」
旅は二日道連は二人旅行道具は足二本ときめて十二月七日朝例の翁を本郷に訪ふて小春のうかれありきを促せば風邪の鼻すゝりながら俳道修行に出でん事本望なりとて共に新宿さしてぞ急ぎける。
  きぬ/″\に馬叱りたる寒さかな  鳴雪
暫くは汽車に膝栗毛を休め小春日のさしこむ窓に顏さしつけて富士の姿を眺めつゝ
  荻窪や野は枯れはてゝ牛の聲  鳴雪
  堀割の土崩れけり枯薄  同
  雪の脚寶永山へかゝりけり

2007年01月21日

加藤道夫

「なよたけ」
衛門 今時分でも頂上には雪が積っているのだそうですね?
綾麻呂 積っている。……儂(わし)がここへ赴任して来た当時は半分から上は純白の雪に蔽(おお)われていた。……この長雨で、あるいは幾らか溶けてしまったかもしれんが、……ま、いずれ雲が晴れてみれば分る。……玲瓏と云うか崇厳と云うか、とにかく、あれは日の本の秋津島の魂の象徴だ。……儂はもう文麻呂の奴に早くみせてやりたくてな。
衛門 手前だって早く見とうござります。
綾麻呂 いや何も別にお前には見せないと云うわけではない。ただあの不甲斐ない息子が一時も早く迷いの夢から覚めてくれれば、と思っているのだ。あの崇厳な不尽ヶ嶺の姿をみれば、少しは気持が落着いてくれるだろう。……全く、あいつは不甲斐のない男になってしまったものだ。

急に、雨雲が晴れ渡って、太陽が燦々と輝きはじめた。
衛門 おう! 旦那様! あれは不尽山ではございませんか! あれは不尽山ではございませんか! (前方右手を指さしている)
綾麻呂 うむ! そうだ! あれが不尽の山だ! あれが不尽の山だよ! (空を仰いで)おお、それにしても何と云う不思議だ! つい今しがたまで、あのように鬱陶(うっとう)しく立ちこめていた雨雲が、いつの間にやら、まるで嘘のように跡方もなく晴れ渡ってしまったではないか?……それに、どうだ! 衛門! 今日の不尽は嘗(かつ)て見たこともない神々しさだぞ! こんな荘厳な不尽を見るのは儂も初めてだ! 見ろ! あの白銀(しろがね)に燦(きら)めく頂きの美しさを!……おう! 後光だ! あれはまるで神の後光だ!
いつの間にか、文麻呂が向う側から丘の中腹に姿を現わして、輝やかしい瞳でじっと不尽山をみつめながら、立っている。丘の上の二人は気が付かない。舞台右手奥の方にも遠い連山が見え始める。

綾麻呂 (遠く不尽を望みながら、朗々と朗誦し始める)……
天地(あめつち)の 分れし時ゆ 神(かん)さびて
高く貴き 駿河なる 布士(ふじ)の高嶺
天の原 ふり放(さ)け見れば 渡る日の
影も隠ろい 照る月の 光も見えず
白雲も い行き憚(はばか)り 時じくぞ
雪は降りける 語り継ぎ 言い継ぎ行かむ
不尽の高嶺は……

文麻呂 (不尽を仰ぎながら)あの時代には国中の人達が美しい調和の中に生きていたのですね。……お父さん! 僕はしあわせです。(うっとりとして)万葉を生んだ国土。うつくしい国土。僕はこの国に生れたことを心の底からしあわせに思っています。