秋山秋紅蓼
春の白い富士に犬が来ている野の道
富士を月夜とし鉄橋のある風景
雪の富士と句碑の量感をよしとす
富士が見える屋上でゴム風船持たされる
妻に故里の三月の富士を見する
かたつむり富士の見える方へ歩いてゆく
春の白い富士に犬が来ている野の道
富士を月夜とし鉄橋のある風景
雪の富士と句碑の量感をよしとす
富士が見える屋上でゴム風船持たされる
妻に故里の三月の富士を見する
かたつむり富士の見える方へ歩いてゆく
ふじかねにのぼりて四方の国みるもまづふるさとの空をたずねて
「Syracuse Lyrics」より
○Voir les jardins de Babylone
Et le palais du Grand Lama
Rever des amants de Verone
Au sommet du Fuji Yama...
※4番あるうちの2番。
赤富士は時空を超えて北斎忌
淡雪富士ひとつの素船出てゆくも
「日本の女」
サア・オルコツクは、徳川幕府の末年(まつねん)に日本に駐剳(ちうさつ)した、イギリスの特命全権公使である。その日本駐剳中には、井伊大老も桜田門外で刺客(せきかく)の手に斃(たふ)れてゐる。西洋人も何人か浪人のために殺されてゐる。
といふと人事(ひとごと)のやうに聞えるが、サア・オルコツクの住んでゐた品川の東禅寺にも浪士が斬り込んで、何人かの死傷を生じた事件もある。その上、サア・オルコツクは、富士山へ登つたり、熱海の温泉へはひつたり、可なり旅行も試みてゐる。かういふ風に、内外共多事の幕末の日本に住み、且つまた、江戸にばかりゐずに方々歩き廻つたのであるから、サア・オルコツクの日本紀行の興味の多いのは偶然ではない。
「樗牛の事」
一山(いっさん)の蝉の声の中に埋れながら、自分は昔、春雨にぬれているこの墓を見て、感に堪えたということがなんだかうそのような心もちがした。と同時にまた、なんだか地下の樗牛に対してきのどくなような心もちがした。不二山と、大蘇鉄(だいそてつ)と、そうしてこの大理石の墓と――自分は十年ぶりで「わが袖の記」を読んだのとは、全く反対な索漠(さくばく)さを感じて、匆々(そうそう)竜華寺の門をあとにした。爾来(じらい)今日に至っても、二度とあのきのどくな墓に詣でようという気は樗牛に対しても起す勇気がない。
「不思議な島」
僕は大いに感心しながら、市街(まち)の上へ望遠鏡を移した。と同時に僕の口はあっと云う声を洩らしそうになった。
鏡面には雲一つ見えない空に不二に似た山が聳えている。それは不思議でも何でもない。けれどもその山は見上げる限り、一面に野菜に蔽われている。玉菜(たまな)、赤茄子、葱、玉葱、大根、蕪、人参、牛蒡(ごぼう)、南瓜(かぼちゃ)、冬瓜(とうがん)、胡瓜(きゅうり)、馬鈴薯、蓮根(れんこん)、慈姑(くわい)、生姜、三つ葉――あらゆる野菜に蔽われている。蔽われている? 蔽わ――そうではない。これは野菜を積み上げたのである。驚くべき野菜のピラミッドである。
「本所両国」
「富士の峯白くかりがね池の面(おもて)に下(くだ)り、空仰げば月麗(うるは)しく、余が影法師黒し。」――これは僕の作文ではない。二三年前(まへ)に故人になつた僕の小学時代の友だちの一人(ひとり)、――清水昌彦(しみづまさひこ)君の作文である。
武蔵野の霞める中にしろ妙の富士の高根に入日さす見ゆ
若くさや富士をうしろにひとりゆく
小便をするとて富士も笑ふらむ
草も木もわすれてしろし富士の山
時しらぬ山は蕎畑いつとてか
市中や木の葉も落ず不二颪
蝌蚪生るる田の半分に逆さ富士
大鳥居はみ出してゐる夏の富士
雲行きて初富士に著くこともなし
起し絵のけはしき富士の聳えけり
裏富士を傾き出でて炭車
初御空おのがひかりの中の富士
青富士や松の秀に鳴く茅くぐり
富士ふつと立つ草木瓜の返り花
小寒の夕映富士をのぼりつむ
軒菖蒲青き切つ先富士を指す
富士疎林三光鳥の声わたる
富士樹海森林浴の深息す
小寒の夕映富士をのぼりつむ
大いなる富士を入れたり青葉闇
初富士や浪の穂赤き伊豆相模
焼土にずり込む杖や富士詣
夕富士に夏蚕終ひのまぶし干す
白菜括る夕べは富士の現つ気配
富士夕焼父の言ひたきこと知りつゝ
富士の根に眠りかなしむ山幾重
裏富士に天の一太刀鳥かへる
湖べりに富士を見惜しむ夕焚火
菜の花や坊主坐りに讃岐富士
※「けい」の漢字が難しい。
富士新雪落葉松の金厚くなる
富士真白諸君も髯を剃れという
丸みぐせ伸ばす富嶽のカレンダー
クレソンの葉混みはぐくむ富士の水
初富士の天つ袴として立てり
「うたたねの記」
不二の山は、ただここもとにぞ見ゆる。けぶり雪いと白くてこころぽそし。風になびく煙の末も夢の前に哀れなれど、上なきものはと思ひ消つこころのたけぞ、ものおそろしかりける。甲斐の白根もいと白く見渡たされたり。
「十六夜日記」
富士の山を見れば煙もたゝず。むかし父の朝臣にさそはれて、「いかになるみの浦なれば」などよみしころ、とほつあふみの國まては見しかば、「富士のけぶりの末も、あさゆふたしかに見えしものを、いつの年よりか絶えし」と問へば、さだかにこたふる人だになし。
「たが方に なびきはてゝか 富士のねの 煙のすゑの 見えずなるらむ」。
古今の序のことばまで思ひ出でられて、
「いつの世の ふもとの塵か 富士のねを 雪さへたかき 山となしけむ。
くちはてし ながらの橋を つくらばや 富士の煙も たゝずなりなば」。
今宵は、波の上といふ所にやどりて、あれたる昔、更に目もあはず。
廿七日、明はなれて、後富士川わたる。朝川いとさむし。かぞふれば十五瀬をぞ渡りぬる。
「さえわびぬ 雪よりおろす 富士川の かは風こほる ふゆのころも手」。
けふは、日いとうらゝかにて、田子の浦にうち出づ。あまどものいさりするを見ても、
「心から おりたつ田子の あまごろも ほさぬうらみと 人にかたるな」
とぞ言はまほしき。
「立ち別れ 富士のけぶりを 見てもなほ 心ぼそさの いかにそひけむ」。
又これも返しをかきつく、
「かりそめに 立ちわかれても 子を思ふ おもひを富士の 煙とぞ見し」。
初冨士の擂鉢ほどに遠かりき
向き直りをらむ裏富士朴散華
富士の雲はれて樹海に虹の脚
冬麗の富士目のあたり賀に参る
攀じに攀づ天まで富士の大斜面
天井界神に還して富士閉ざす
冬晴れの富士に祈りて人見舞ふ
初富士の鼓動聞こゆるところまで
会釈したき新雪の富士麦を蒔く
大富士に引き寄せられて天の川
大富士に引き寄せられて天の川
ちかぢかと富士の暮れゆく秋袷
梅雨明けの裏富士のこの男貌
月夜富士見むとテラスに出て来たる
黒富士といふ大きさの夏野かな
鮎釣に雲はらひ聳つ紀州富士
大銀杏騒げる窓に夏の富士
「東海道名所記」
三嶋と富士とは、親と子の御神なり、富士権現には木花開耶姫なり。三島は御父の神にてオハシましけり。竹取の物語にかぐや姫とかきしハ、後の世の事にやあるらむ。三嶋と申すハ、伊予・摂津・伊豆の三所におハしますよしを、延喜式の神明帳にのせたり。
さて本町に入りて見れば、隔子かうしの中には、金屏風はしらかし、たばこ盆に眞刻(しんきざみ)、匂ひたばこなんど、金銀のきせるとりそへ、池田炭を富士灰に埋み、時々伽羅、梅花、侍從なんど、おぼろにくゆらかし、打しめりたる三味線の音引いて、さすがにかしましからず。
「江戸か東京か」
それから浅草の今パノラマのある辺に、模型富士山が出来たり、芝浦にも富士が作られるという風に、大きいもの/\と目がけてた。可笑かったのは、花時(はなどき)に向島に高櫓を組んで、墨田の花を一目に見せようという計画でしたが、これは余り人が這入りませんでした。
「カインの末裔」
北海道の冬は空まで逼っていた。蝦夷富士といわれるマッカリヌプリの麓に続く胆振の大草原を、日本海から内浦湾に吹きぬける西風が、打ち寄せる紆濤(うねり)のように跡から跡から吹き払っていった。寒い風だ。見上げると八合目まで雪になったマッカリヌプリは少し頭を前にこごめて風に歯向いながら黙ったまま突立っていた。
「農場開放顛末」
小樽函館間の鉄道沿線の比羅夫駅の一つ手前に狩太といふのがある。それの東々北には蝦夷富士がありその裾を尻別の美河が流れてゐるが、その川に沿うた高台が私の狩太農場であります。