芥川龍之介
「日本の女」
サア・オルコツクは、徳川幕府の末年(まつねん)に日本に駐剳(ちうさつ)した、イギリスの特命全権公使である。その日本駐剳中には、井伊大老も桜田門外で刺客(せきかく)の手に斃(たふ)れてゐる。西洋人も何人か浪人のために殺されてゐる。
といふと人事(ひとごと)のやうに聞えるが、サア・オルコツクの住んでゐた品川の東禅寺にも浪士が斬り込んで、何人かの死傷を生じた事件もある。その上、サア・オルコツクは、富士山へ登つたり、熱海の温泉へはひつたり、可なり旅行も試みてゐる。かういふ風に、内外共多事の幕末の日本に住み、且つまた、江戸にばかりゐずに方々歩き廻つたのであるから、サア・オルコツクの日本紀行の興味の多いのは偶然ではない。
「樗牛の事」
一山(いっさん)の蝉の声の中に埋れながら、自分は昔、春雨にぬれているこの墓を見て、感に堪えたということがなんだかうそのような心もちがした。と同時にまた、なんだか地下の樗牛に対してきのどくなような心もちがした。不二山と、大蘇鉄(だいそてつ)と、そうしてこの大理石の墓と――自分は十年ぶりで「わが袖の記」を読んだのとは、全く反対な索漠(さくばく)さを感じて、匆々(そうそう)竜華寺の門をあとにした。爾来(じらい)今日に至っても、二度とあのきのどくな墓に詣でようという気は樗牛に対しても起す勇気がない。
「不思議な島」
僕は大いに感心しながら、市街(まち)の上へ望遠鏡を移した。と同時に僕の口はあっと云う声を洩らしそうになった。
鏡面には雲一つ見えない空に不二に似た山が聳えている。それは不思議でも何でもない。けれどもその山は見上げる限り、一面に野菜に蔽われている。玉菜(たまな)、赤茄子、葱、玉葱、大根、蕪、人参、牛蒡(ごぼう)、南瓜(かぼちゃ)、冬瓜(とうがん)、胡瓜(きゅうり)、馬鈴薯、蓮根(れんこん)、慈姑(くわい)、生姜、三つ葉――あらゆる野菜に蔽われている。蔽われている? 蔽わ――そうではない。これは野菜を積み上げたのである。驚くべき野菜のピラミッドである。
「本所両国」
「富士の峯白くかりがね池の面(おもて)に下(くだ)り、空仰げば月麗(うるは)しく、余が影法師黒し。」――これは僕の作文ではない。二三年前(まへ)に故人になつた僕の小学時代の友だちの一人(ひとり)、――清水昌彦(しみづまさひこ)君の作文である。