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2007年06月20日

植村よし子

赤富士へ漕ぎ出したる湖の秋

2007年05月09日

ウォルトン(マリー・ウォルトン、W. H. M. Walton)

「御岳より乗鞍まで」
前日の我々の困苦は次の日の日出の光景を以て十二分に償はれたのである。余は廔々日本の緒の山(勿論富士を含む)で「ご来光」を見たが乗鞍の絶景に比すべきものはない。萬籟寂として声なく、眼下は白雲層々として大海原の観を呈し東方の一角太陽未だ浮ばずして僅に金色を漂はし、北方には笠、立山、槍、穂高の諸岳が一群の黒き島となって現はれ、東の方には南アルプス、駒、北又は間、塩見、東、荒川、赤石、聖等、余の曽遊の山々が其雄姿を浮かべ、富士は群峯の後ろからこちらを覗いて居る。

※「山岳」第二十二年第三号(昭和3年)より
※大正10年に富士登山

2007年03月17日

ウォルター・ウェストン(Walter Weston)

「日本アルプスの登山と探検」(Mountaineering and Exploration in the Japanese Alps)
なお十歩あまり進むと、もうそこが頂上だった。槍ヶ岳を手中におさめたのだ。海内無双の富士を除いては、この山岳帝国の版図の中でもっとも高い地点にぼくたちは立っていた。

※山崎安治・青木枝朗共訳

2007年03月01日

上田三四二

晴れわたる富士といふともおのづからあそぶ白雲は雪にかげ置く

上田三四二

晴れわたる富士といふともおのづからあそぶ白雲は雪にかげ置く

2006年12月20日

海野十三

「未来の地下戦車長」
「いや、わかっています。わしには何でもわかっているんだ。しかしね、一郎さん。土を掘るのもいいが、地質のことを考えてみなくちゃ駄目だよ」
「地質ですって」
「今、掘っているのは、どういう土か、またその下には、どんな土があるかということを心得ていないと、穴は掘れないよ」
 御隠居さんは、中々物知らしい。
「じゃあ、教えてくださいよ」
「わしも、くわしいことは知らんが、お前さんが今掘っているその土は、赤土さ」
「赤土ぐらい知っていますよ」
「その赤土は、火山の灰だよ。大昔、多分富士山が爆発したとき、この辺に降って来た灰だろうという話だよ。大体、関東一円、この赤土があるようだ」
「はあ、そうですか。御隠居さんも、なかなか数値のうえに立っているようだな」


「○○獣」
敬二は寝衣(ねまき)をかなぐりすてると、金釦(きんボタン)のついた半ズボンの服――それはこの東京ビルの給仕としての制服だった――を素早く着こんだ。そしてつっかけるように編あげ靴を履いて、階段を転がるように下りていった。彼の右手には、用心のたしにと思って、この夏富士登山をしたとき記念のために買ってきた一本の太い力杖が握られていた。


「三十年後の世界」
「大きさが富士山くらいある宇宙塵は決して少なくないと、今まで知られています」
富士山くらいですか。そんな大きなものも、塵とよぶのですか」


「地中魔」
「大丈夫です。不肖ながら大辻(おおつじ)がこの大きい眼をガッと開くと、富士山の腹の中まで見通してしまいます。帆村荘六の留守のうちは、この大辻に歯の立つ奴はまずないです」


「地球要塞」
「オルガ姫、こんどは、東京へ向けてみよ。途中、富士山にぶつかるだろうから、その地点を忘れないで教えて、ちょっと停めよ」

「ここが富士山の位置です」

富士山は、ここかね。山なんぞ、ありはしないが……」
どう見まわしても、富士山らしいものはなかった。このとき艇は、海面下わずかに一メートルのところを走していたのを、ぴたりと停めたわけであるが、このとき見えるのは、艇の下、約七、八メートルのところに、なんといったらいいか、恰(あたか)も並べられた大きなパンの背中を見るような感じのするベトンだけであったのだ。やや凸凹はあるものの、山らしい形のものは、さっぱり見当らない。

その一方において、富士山がなくなり、その代りでもあるように、紀伊水道が浅くなってしまって、ベトンの壁が突立っているのであった。一体、どういうわけであろう。

これを使えば、あの海抜四千メートル余もある富士山も、百台の機械でもって、わずか一時間のうちに、きれいに削り取られてしまうのであった。こんなことをいっても、三十年前の人間には、とても想像さえつかないであろう。


「大宇宙遠征隊」
「雲のようにというのが、分らないのかね。つまり、よく富士山に雲がかかっているだろう。あれと同じことで、味噌汁が、下へこぼれ落ちもせず、まるでやわらかい餅が宙にかかっているような恰好で、卓上(テーブル)の上をふわふわうごいているんだ。僕はおどろいたよ。そして、仕方がないから、両手をだして、宙に浮いている味噌汁をつかんでは、椀の中におしこみ、つかんではおしこんだものさ。あははは」


「怪星ガン」
眼鏡をかけても、かけないでも、じぶんの部屋のようすは、かわりがないようであった。バンドのついた椅子。有機ガラスをはめてある格子形の戸棚。テレビジョン受影機に警報器。壁につってある富士山の写真のはいっている額。その他、みんなおなじことであった。


「氷河期の怪人」
山脈中の最高峰は、八千八百八十三メートルのエベレスト山であって、富士山の二倍半に近い。そのほかにも八千メートルを越える高い峰々がならんでいて、機の高度の方が、むしろ低い。もっと機の高度をあげればよいわけであるが、これ以上あげると、エンジンの馬力(ばりき)がたいへんおちるしんぱいがあった。


「海底都市」
ところが、このヒマワリ軒と来たら、だいぶん勝手がちがう。まず入口を入ったすぐのところが円形の広間になっていて、天井は半球で、壁画が秋草と遠山の風景である。急に富士山麓へ来たような気持ちになる。あまり高くない奏楽が聞こえていて、気持はいよいよしずかになる。


「海野十三敗戦日記」
◯「富士」編輯局(へんしゅうきょく)の木村健一氏が来宅。去る十二月十二日夜、雑司ケ谷墓地附近へ敵機が投弾して火災が生じたが、そのとき木村氏は用があって附近を通行中だった。


「第五氷河期」
「――中央気象台の発表によりますと、このたびの驚異的大地震は、わが国の七つの火山帯の総活動によるものでありまして、従来五十四を数えられた活火山は、いずれも一せいに噴火が増大しました。また従来百十一を数えられた休火山のうち、その三分の二に相当する七十四が、このたびあらためて噴火を始めました。中でも、富士火山帯の活動はものすごく、富士山自身もついに頂上付近より噴煙をはじめました。今後さらに活発になるものと思われます……」
富士山が噴火をはじめたというのだ。

「おお、あそこだ。富士山が燃えている」
真赤な雲の裾から、左右に、富士山のゆるやかな傾斜が見えていた。山巓のところは、まさに異状があった。黒いような赤いような大きな雲の塊が、すこしずつ、むくむくと上にのびあがっていくのが見える。そして、ときどき、電気のようなものが、慄えながら見入っている人々の目を射た。
富士山の噴火は、ついに事実となって、市民の目の前に現われたのである。


「超人間X号」
「ああ、あれが富士山ですか」

2006年07月16日

梅澤和軒

富士の高根を望む」
○くちぞしぬべき玉の緒の
 長くふりにし雨はれて
 いとも花さく白浪の
 浜松がえは夕映ぬ
○君よ見たまへ甲斐が根を
 「君がしたひし其山を
 さやかに見るは今の時」
 友はいひつゝさりにけり
○小田の細道ふみゆけば
 夕日の光まばゆきや
 早稲のいなほのほのかにも
 秋は見えけりいとはやも
○鏡が浦に出て見れば
 大海原の末かけて
 一きに高し不二の山
 雲を衣となしつつも
○西の空へと天つとふ
 入日しぬれば白雲の
 てりかへすらん日の光
 富士の高根にあかねさし
○ぬかつきふすと見し山は
 眺めし山は城となり
 笠となりつゝ甲斐が根を
 おほふやにのくもたなびきて
○空も一つの海原に
 見ゆる白帆は鳥じもの
 浮かとぞ思ふ船こそは
 三保の浦回をこぐならめ
○あからびく日は落ちはてて
 高根のかげもおぼろなり
 あかりこそゆけ金星の
 光はあかし西の空
○星の林もかがやきて
 鏡が浦にうつるなり
 五つ六つ四つ漁火の
 影火は玉のみすまるか
○見し人々は皆さりて
 うちさびにけり玉藻かる
 沖つ白浪音ぞなき
 汐もかなひし此浦回
○大和島根はうまし国
 富士の高根ははしき山
 山と国とのしるしなる
 大和心は花ならじ
○大和魂を人とはゞ
 かくと答へん駿河なる
 富士の高根もなほ低く
 千尋の海もなほあさし

※早稲田文学、明治30年(1897)収録

2006年06月05日

上島鬼貫

にょっぽりと秋の空なる富士の山

雲や匂ふ海も桜も富士の枝

富士の雪我津の国の生れ也

雪で富士不盡(ふじ)にて雪か不二の雪

その秋の覚えはなかば富士の空

富士は雪は花一時の吉野山

八雲立つ京に秋立つ富士にたつ

行く秋やむかしをからで富士ひとり

秋立や富士を後ろに旅帰り

いつもながら雪は降りけり富士の山

塩尻は富士のやうなる物ならん

わすれめや富士こす心夏の雪

秋の日や不二の嶺変(てへん)の朝朗

2006年05月27日

上田五千石

手斧始もとより尺の富士ひのき

秋富士が立つ一湾の凪畳


「富士市富士中央小学校 校歌」より、3番
○世界の人が あこがれる
 富士のいただき 仰ぐとき
 希望は雲の ように湧く
 ララララ ラララ
 ここ富士中央 中央小学校

※上田五千石作詞/松村禎三作曲

2006年05月21日

上田日差子

畝ひとつ越え初富士に歩みよる

2006年05月20日

上村占魚

利尻富士雪の裾野を海ぞこへ

よべの雪化粧ひて利尻富士泛ぶ

2006年04月16日

有働亨

梟に白装束の夜の富士

大沢崩れ御山洗の雲深し

慈悲心鳥岩壁富士に対したり

富士の山体そのものには川の名に値する川はなく、山体に降る雨は山体に浸み込み、十数年を経て地表に湧出すといふ。 「富士伏流水」と呼ぶ。白糸の瀧亦然り。
   色鳥や富士伏流水瀧と展く

2006年04月12日

内田暮情

五月富士水車は高き水玉を

2006年03月12日

浦野芳南

火祭の燠にもほほと富士の風

宇野犂子

振りし舳に見ゆ近江富士いさざ汲む

宇都木水晶花

花林檎天に夜明けの津軽富士

宇咲冬男

ほととぎす富士は噴く火をなおはらむ

宇咲冬男について

臼田亞浪(臼田亜浪)

影富士の消えゆくさびしさ花すゝき

浅間ゆ富士へ春暁の流れ雲

大北風あらがふ鷹の富士指せり

するが野や大きな富士が麦の上

尾花そよぎ富士は紫紺の翳に聳つ

富士ほのと劫火の舌の空ねぶる

尾花咲き猟夫ら富士をうしろにす

葡萄園山に喰ひ入り富士かすむ

枯草のそよげどそよげど富士端しき

富士皓といよよ厳しき年は来ぬ

春西風の空にもとめて富士あらず

臼田亞浪について

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2006年03月11日

碓氷すすみ

近づけば富士は石ころ秋あざみ

2006年02月24日

海野厚

「背くらべ(せいくらべ)」
柱のきずは おととしの
 五月五日の 背くらべ
粽(ちまき)たべたべ 兄さんが
 計ってくれた 背のたけ
きのうくらべりゃ 何のこと
 やっと羽織の 紐(ひも)のたけ

柱に凭(もた)れりゃ すぐ見える
 遠いお山も 背くらべ
雲の上まで 顔だして
 てんでに背伸(せのび) していても
雪の帽子を ぬいでさえ
 一はやっぱり 富士の山

※海野厚作詞・中山晋平作曲

2006年01月24日

上村松園

「砂書きの老人」
花を描いても天狗を描いても富士山を描いても馬や犬を描いても、それに使われる色とりどりの砂は一粒も他の色砂と交ることもなく整然と彼の老爺の右の手からこぼれるのである。あたかもすでに形あるものの上をなぞらえるがごとく、極めて淡々と無造作に描きわけてゆく。

内田魯庵

「貧書生」
銭が儲けたいなら僕の所為(まね)をし給へ。君達は理窟を云ふが失敬ながら猶だ社会を知つておらんやうだ。先ア僕の説を聞給へ。斯う見えて僕は故郷(くに)に在(ゐ)た時分は秀才と云はれて度々新聞雑誌に投書をして褒美を貰つた事もある。四五年前の雑誌を見給へ、駿州有渡郡(うどごほり)田子の浦在(ざい)駿河不二郎の名がチヨク/\見えるよ。


「為文学者経」
ミルトンの詩を高らかに吟じた処で饑渇(きかつ)は中々に医しがたくカントの哲学に思を潜めたとて厳冬単衣終(つい)に凌ぎがたし。学問智識は富士の山ほど有ツても麺包屋(ぱんや)が眼には唖銭(びた)一文の価値もなければ取ツけヱべヱは中々以ての外なり。