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内田魯庵

「貧書生」
銭が儲けたいなら僕の所為(まね)をし給へ。君達は理窟を云ふが失敬ながら猶だ社会を知つておらんやうだ。先ア僕の説を聞給へ。斯う見えて僕は故郷(くに)に在(ゐ)た時分は秀才と云はれて度々新聞雑誌に投書をして褒美を貰つた事もある。四五年前の雑誌を見給へ、駿州有渡郡(うどごほり)田子の浦在(ざい)駿河不二郎の名がチヨク/\見えるよ。


「為文学者経」
ミルトンの詩を高らかに吟じた処で饑渇(きかつ)は中々に医しがたくカントの哲学に思を潜めたとて厳冬単衣終(つい)に凌ぎがたし。学問智識は富士の山ほど有ツても麺包屋(ぱんや)が眼には唖銭(びた)一文の価値もなければ取ツけヱべヱは中々以ての外なり。