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2007年04月30日

清崎敏郎

一天の一劃にして雪解富士

2007年04月29日

福田正夫

「愛國の花」
眞白き富士の 氣高さを
 こころの強い 楯として
 御國につくす 女(おみな)等は
 輝く御世の 山ざくら
 地に咲き匂ふ 國の花

※福田正夫作詞/古關裕而作曲
※4番あるうちの1番

2007年04月28日

夢野久作

「梅津只圓翁伝」
翁は九州に帰って後、そうした惨澹たる世相の中に毅然として能楽の研鑽と子弟の薫育を廃しなかった。野中到氏(翁の愛娘千代子さんの夫君で、後に富士山頂に測候所を建て有名になった人)と、翁の縁家荒巻家からの扶助によって衣食していたとはいえ全く米塩をかえりみず。謝礼の多寡を問わず献身的に斯道の宣揚のために精進した。

翁の愛婿、前記野中到氏が富士山頂に日本最初の測候所を立てて越冬した明治二十六年の事、翁は半紙十帖ばかりに自筆の謡曲を書いて与えた。「富士山の絶頂で退屈した時に謡いなさい」というので暗に氏の壮挙を援けたい意味であったろう。その曲目は左の通りであった。
 柏崎、三井寺、桜川、弱法師(よろぼうし)、葵上(あおいのうえ)、景清、忠度(囃子)、鵜飼(うかい)、遊行柳(囃子)
野中氏は感激して岳父の希望通りこの一冊を友としつつ富士山頂に一冬を籠居したが、その時に「景清」の「松門謡」に擬した次のような戯(ざ)れ謡(うたい)が出来たといって、古い日記中から筆者に指摘して見せた。
「氷雪堅く閉じて。光陰を送り。天上音信を得ざれば。世の風声を弁(わきま)えず。闇々たる石窟に蠢々(しゅんしゅん)として動き、食満々と与えざれば、身心きょうこつと衰えたり。国のため捨つるこの身は富士の根富士の根の雪にかばねを埋むとも何か恨みむ今はただ。我父母に背く科(とが)。思えば憂しや我ながら。いずれの時かなだむべきいずれの時かなだむべき」
 この戯謡の文句を見ると野中到氏は両親の諫止をも聴かず、富士山頂測候所設立の壮挙を企てたものらしい。そうして只圓翁の凜烈(りんれつ)の気象は暗にこれに賛助した事になるので、翁の愛嬢で絶世の美人といわれた到氏夫人千代子女史が、夫君の後を趁(お)うて雪中を富士山頂に到り夫君と共に越冬し、満天下の男女を後に撞着せしめた事実も、さもこそとうなずかれる節があるやに察せられる。


「名娼満月」
ブラリと立出づる吹晒(ふきさら)しの東海道。間道伝いに雪の箱根を越えて、下れば春近い駿河の海。富士の姿に満月の襟元を思い浮かめ、三保の松原に天女を抱き止めた伯竜(はくりゅう)の昔を羨み、駿府から岡部、藤枝を背後(うしろ)に、大井川の渡し賃に無けなしの懐中(ふところ)をはたいて、山道づたいの東海道。


「二重心臓」
突然に叫び出した浴衣がけの若い男が一人、最前列の左側の見物席から、高い舞台の板張に飛付いて匍い上ろう匍い上ろうと藻掻(もが)き初めた。それを冷然と流し目に見た天川呉羽は、慌てず騒がず、内懐(うちふところ)に手を入れて、キラリと光るニッケルメッキ五連発の旧式ピストルを取出した。自分の白い富士額の中央に押当ててシッカリと眼を閉じた……と思う中(うち)に、
……轟然一発……。


「冥土行進曲」
翌る日は久し振り汽車に乗ったせいか、無暗(むやみ)に腹が減った。ボーイに笑われる覚悟で三度目に食堂に入っていると間もなく左手に富士山が見えた。多分今生の見納めであろう富士山が……。
  富士が嶺は吾が思ふ国に生(な)り出でて
       吾が思ふごと高く清らなる
コンナ和歌が私の唇から辷(すべ)り出た。他人の歌を暗記していたのか、私が初めて詠(よ)んだのかわからない。それ程スラスラと私の頭から辷り出た。辞世というものはコンナ風にして出来るものかも知れないと思うと思わず胸がドキンドキンとした。富士山は日本の大動脈瘤じゃないか知らん……といったような怪奇な聯想も浮かんだがコイツはどうしても歌にならなかった。


「暗黒公使(ダーク・ミニスター)」
顔は丸顔で……もしもし……顔は丸顔で髪は真黒く、鏝(こて)か何かで縮らした束髪に結って、大きな本真珠らしい金足(きん)のピンで止めてあったと云います。眉は濃く長く、眼は黒く大きく、口元は極く小さくて締まっていたそうです。額は明瞭な富士額で鼻と腮(あご)はハッキリわかりませんが……もしもし……ハッキリと判りませんが兎に角中肉中背の素晴らしい美人で、顔を真白く塗って、頬紅をさしていたそうで……非常に誘惑的で妖艶な眼の覚めるような……


「街頭から見た新東京の裏面」 ※杉山萠圓(夢野久作)
それはともかくとして、記者は江戸ッ子衰亡の事実を見たり、聞いたりする度毎に、あの隅田川を思い出さずにはいられない。否、あの隅田川の岸に立つ毎に、記者は、この河に呪われて刻々に減って行く江戸ッ子の運命を思わずにはいられないのである。
「富士と筑波の山合(やまあい)に、流れも清き隅田川」
と奈良丸がうたい、
「向うは下総葛飾郡、前を流るる大河は、雨さえ降るなら濁るるなれど、誰がつけたか隅田川ドンドン」
と昔円車(えんしゃ)が歌った隅田川――


「謡曲黒白談」
「ああ、それそれ、死んだ爺さんが謡い御座った、あの、それ……四方にパッと散るかと見えてというあれを」
富士太鼓ですか」
「それそれ、その富士太鼓――」
果然、富士太鼓は拙者の得意の出し物であった。

「今度は何を謡いましょう」
と尋ねて見ると、祖母は又もや涙を拭いながら、
「お前はあの富士太鼓を知っていなさるかの」
 と云った。自分は聊(いささ)か驚いて、
「今うたいましたよ、それは」
「何をば」
「その富士太鼓をです」
「ああ、その富士太鼓富士太鼓。妾はようよう思い出した。死んだ爺さんはそれが大好きで、毎日毎日謡い御座った。あれを一ツ」

「ああ、久し振りで面白かった。死んだ祖父(じい)様が生きて御座ったらなあ。それでは今度は富士太鼓を一ッつ何卒(どうぞ)」
 と云った。自分はとうとう死に物狂いの体で今一番富士太鼓を謡って、伯父伯母が帰らぬ内に這々の体で退却した。
そうして聴き手を択(えら)むべきものだと、この時つくづく感じた事であった。

謡曲中毒もここまで来ると既に病膏肓(やまいこうこう)に入ったというもので、頓服的忠告や注射的批難位では中々治るものでない。丁度モルヒネだの阿片の中毒と同じで、止めようと思ってもガタンガタンが四楽(しらく)に聞こえ、ゴドンゴドンが地謡いに聞こえて、唇自ずからふるえ、手足自ずから動き、遂に身心は恍惚として脱落し去って、露西亜(ロシア)で革命党が爆裂弾を投げようが、日本で政府党が選挙に勝とうが、又は乗り換えを忘れようが、終点まで運ばれようが委細構わず、紅塵万丈の熱鬧(ねっとう)世界を遠く白雲緬※(めんばく)の地平線下に委棄し来(きた)って、悠々として「四条五条の橋の上」に遊び、「愛鷹山富士の高峰」の上はるかなる国に羽化登仙(うかとうせん)し去るのである。


「鼻の表現」
中でも天狗の原産地たる吾国では、到る処の高山深谷に住んで、各(おのおの)雄名を轟かしております。先ず天狗道の開山として、天孫を導き奉った猿田彦の尊の流れとしては、鞍馬山の大僧正が何といっても日本天狗道の管長格でありましょう。九州では彦山の豊前(ぶぜん)坊、四国では白峯の相模坊、大山の伯耆坊、猪綱(いのつな)の三郎、富士太郎、大嶺の善鬼が一統、葛城天狗、高間山の一類、その他比良岳、横川岳、如意ヶ岳、高尾、愛宕の峯々に住む大天狗の配下に属する眷属(けんぞく)は、
 中天狗、小天狗、山水天狗、独天狗、赤天狗、青天狗、烏天狗、木っ葉(こっぱ)天狗
といったようなもの共で、今日でも盛んに江湖専門の道場を開いて天狗道を奨励し、又は八方に爪を展(の)ばし、翼を広げて、恰(あたか)も大道の塵の如く、又は眼に見えぬ黴菌の如く、死ぬが死ぬまでも人間に取り付いております。

2007年04月27日

本間雅晴(本間雅勝

「朝日に匂ふ櫻花」
○朝日に匂ふ 櫻花
春や霞める 大八洲
紅葉色映え 菊薫る
秋空高く 富士の山
昔ながらの 御柱と
立ててぞ仰ぐ 神の國

※本間雅昇郢譟榛監D構作曲
※10番あるうちの1番

2007年04月26日

野口雨情

「旅の民謡」より
○芒ァ穂に立つ
 裾野は秋よ
 富士は今年も
 山仕舞
  (富士の裾野にて)
○山にや霧立つ
 霧ァ雲となる
 雲も重なりや
 雨となる


「富士の白雪」
○富士の白雪
 お日和つづき
○一つ眺めて
 見ませうかな
○藪でなくのは
 藪鶯か
○春の日永を
 藪でなく
○富士の白雪
 いつとけるやら
○一つ眺めて
 見ませうかな


「龍ヶ崎小唄」より
○富士はなつかし筑波はいとし
 どちら向くにも身は一つ
 困りましたよ私はちょいと
  (モダン龍ヶ崎アリントアリントサ)

※()内は囃子ことば


「足利節」より
○前は渡良瀬 織姫さまは
 遠く富士さへ ひと眺め


「木更津ばやし」より
○上総木更津 飛行場が出来て
 こひし東京の チョイト空護る
  (富士の白雪ア 解けそで解けない)
  (木更津港と チョイト 差し向ひ)

※()内は囃子ことば


「一橋をどりの歌」より
○寒い風だよ富士山颪
 山にや雪でも 降るのやら
  (一橋 一橋 一橋サ)
  (自由の鐘は カカンカカンと)
  (一橋 一橋 一橋サ)

※()内は囃子ことば


「富士八景小唄」
○相州江の島 (トコ ヤンヤノサ) 涼しいはずよ
 富士とまともに 富士とまともに 差し向ひ
  (来たか常夏 夏こそ富士よ)
  (富士の白雪ア玉の肌 トコ ヤンヤノサ)
○箱根芦の湖 玉なす水に
 富士は慕ふて 富士は慕ふて 影うつす
○夏の御殿場 裾野の流れ
 富士のそよ風 富士のそよ風 そよそよと
○沼津千本浜 松の葉の上に
 富士はちらちら 富士はちらちら 見えかくれ
○田子の浦から 虹たつころは
 富士に横雲 富士に横雲 雨の脚
○興津清見潟 後ふり向けば
 富士は真上に 富士は真上に のしかかる
○三保の松原 曇らば曇れ
 富士の眺めに 富士の眺めに 変りやない
○吉田吉田と 夏吹く風は
 富士の雪斛(ゆきげ)の 富士の雪斛の 送り風

※()内は囃子ことば


「甲州音頭」より
○富士は東に アリヤ 御嶽は西に
 音頭とるなら まん中に
    ヨイトナ ヤレヨイトナ
 音頭とるなら まん中に
    スツチヨコ スツチヨン スツチヨンナ
    ヤーレ スツチヨン スツチヨンチヨン

○最早や火祭り アリヤ もう山じまひ
 お富士やこれから ひとりぽち
    ヨイトナ ヤレヨイトナ
 お富士やこれから ひとりぽち
    スツチヨコ スツチヨン スツチヨンナ
    ヤーレ スツチヨン スツチヨンチヨン

○富士は五つの アリヤ 鏡の湖に
 朝な夕なの 薄化粧
    ヨイトナ ヤレヨイトナ
 朝な夕なの 薄化粧
    スツチヨコ スツチヨン スツチヨンナ
    ヤーレ スツチヨン スツチヨンチヨン

※1,6,8番抜粋

2007年04月25日

中烏健二(なかがらすけんじ)

杉乃湯の富士は白帆を待つばかり

2007年04月24日

井上健太郎

大菩薩峠にせまる黒き富士天の無音に聳えたちたり

2007年04月23日

大高芭瑠子(はるこ)

夏富士や靴より抜きし足真つ白

2007年04月22日

鈴木幸輔

残照をいまだに保つ紅き雪匂ふばかりに富士の暮れゆく

2007年04月21日

土岐善麿(土岐哀果)

たちまち正面より近づき近づく富士の雪の光の全體


「静岡県伊豆市立修善寺中学校 校歌」
○希望の空に 富士は高く
 学べば狩野川 岸ひろし
 天城よ近く 雲晴れたり
 輝く緑の 世界に立ちて
 新たに時代を 開くべし

※2番あるうちの1番
※土岐善麿作詞/信時潔作曲


「東京都足立区立千寿小学校 旧校歌」
○正しく踏み行く道のみなみ
 隅田の川の流れ豊かに
 北には深し放水路
 遥かに仰ぐ雲の彼方
 秩父あり 富士もそびゆ
 新たに学ぶ楽しさよ
 あヽ共に知る喜びよ

※土岐善麿作詞/信時潔作曲
 

「帝京高等学校 校歌」
○希望にかがやく 若葉の朝風
 仰げば富士あり 理想も高かれ
 真理を求めてゆく 野は広く
 石神井の流れの 清きに立ちて
 帝京われらの 相寄るところ
 社会の人たる ほこりに生きん

※2番あるうちの1番
※作詞土岐善麿/作曲信時潔


「東京電機大学中学校・高等学校 校歌(旧校歌)」
○都心の天地は高くひろく
 輝き集まる時代の文化
 科学と技術の上に立ちて
 真理を仰げば富士に雲なく
 勤労の道に希望あり

※作詞土岐善麿/作曲信時潔
※3番あるうちの1番。


「静岡県沼津市立第四小学校 校歌」
○霞に雪に そびえる富士
 あおげば深い 松の緑よ
 香貫の空は 高く晴れて
 桜はにおい もみじは照る
 ああ 第四 ここに学ぶ
 春秋(はるあき)我らは 楽しや

※2番あるうちうちの1番
※作詞土岐善麿/作曲信時潔


「東京都立日本橋高等学校 校歌」
○隅田の流は ゆたに満ちて
 かもめ舞い連れ 浪輝く
 望めば甍に 富士の氣高さ
 吾らがあぐる 正義の声は
 大地揺がし 擧りて高し

※3番のうちの2番
※作詞土岐善麿/作曲信時潔


「不平なく」の「機廚茲
めづらしく、げにめづらしく、あるきて、
三月の富士を見たり、
 日本橋のうへに。

2007年04月20日

岡山巌

太陽は没(い)りはてぬれば天(そら)いちめん逆光線のはてに富士あり

2007年04月19日

長岡雲海(長岡護美)

「登嶽五首」
海上風来散紫煙
羽人導我至崇巓
仙遊不必騎黄鶴
手把芙蓉嘯碧天

※海上 風来りて紫煙を散ず
※羽人 我を導きて崇巓(すうてん)に至る
※仙遊 必ずしも黄鶴(こうかく)に騎(の)らず
※手は芙蓉を把(と)り 碧天に嘯(うそぶ)く

風雲一擧宿仙壇
孰與鯤鵬九萬摶
欲渡銀河朝上帝
天雞破曉曉霜寒

※風雲一擧 仙壇に宿す
※鯤鵬(こんぽう)九萬の摶(たん)と孰(いず)れぞや
※銀河を渡りて上帝に朝(ちょう)さんと欲すれば
※天雞 曉を破り 曉霜寒し

五更獨歩逼天宮
絶頂振衣萬里風
六十餘州人未起
燭龍遙躍大瀛中

※五更 獨(ひとり)歩みて天宮に逼(せま)る
※絶頂 衣を振う 萬里の風
※六十餘州 人未だ起きず
※燭龍(しょくりゅう) 遙かに躍る 大瀛(たいえい)の中(うち)

萬丈芙蓉插九天
曉看海日到吟邊
仙童巳去雲初散
人在金鼇背上眠

※萬丈の芙蓉 九天に插(さしはさ)む
※曉(あかつき)に看る 海日の吟邊(ぎんべん)に到るを
※仙童已(すで)に去り 雲初めて散じ
※人は金鼇(きんごう)背上に在りて眠る

決眥東溟萬里潮
絶巓停杖立懣
蜻蜓洲上緒山伏
靺鞨國邊羣嶺朝

※眥(まなじり)を決す 東溟萬里の潮
※絶巓(ぜってん) 杖を停(とど)めて 懣爾卜つ
※蜻蜓(せいてい)洲上 緒山伏(ふく)し
※靺鞨(まつかつ)國邊 羣嶺朝す

2007年04月18日

平福百穂

天地(あめつち)の極みしづけし富士の峯のなぞへこごしく雪照りにつつ

2007年04月17日

岡稻里

「早春」の「青潮」より
少女等(をとめら)がうつくしき指あつめたるそなたに遠く伊東富士見ゆ

2007年04月16日

吉野秀雄

此岡の梅よはや咲け真向ひに神さひそゝる富士の挿頭

夏富士に消のこる雪はいたゝきの斑三すちと細りけらしも

麓雲なゝめに曳きて富士の嶺の重たく西に傾けり見ゆ

天の門に暁うこきいちはやく富士のしら雪朱を流せり

きさらぎの浅葱の空に白雪を天垂らしたり富士の高嶺

御社(おやしろ)の華表(とりゐ)の前にふりさけて立春大吉富士は雲なし

富士が嶺は奇(くし)びの山か低山(ひきやま)の暮れ入る時を赤富士と燃ゆ

2007年04月15日

川田順

不二のねのふもと萱原はてもなしくわくこう鳴くと耳そはたてつ

雪の富士を眼前(まなかひ)にして家ありぬぶなの大木(おほき)の黄ばめる陰に

何もなしただ星空を黝(くろ)うせる大き斜面のおごそかなりや

富士を仰ぐ南おもての小座敷に部屋かへてあり湯をいで来れば

夕富士の尾根灰いろに靄(もや)ごもる大き景色の涙ぐましも

富士見ゆと君をまねきぬ梅折りにふと登りたる草山のうへ

おぼろ富士みまもる君がうるはしの瞳にうつる海の濃


※以下、岳麓湖上十一首のうち5首

鮒つりてかへる湖べの眞萩原夕日の富士となりにけるかな

夢遠し神の御岳のふもと村みづうみ清きはつ秋にして

鍬すてて■(をさ)の手やめて皆あふげ神の御岳に虹あらはれぬ
※■(をさ):竹冠の下に「成」

秋風や神代の人の柩など沈めるあらむ山のみづうみ

笛ぶくろ君紐とかず湖の上に月夜の富士のただふくるかな

2007年04月13日

池西言水

大年の富士見てくらす隠居かな

2007年04月12日

岡本かの子

するがなる大富士が嶺の裾長に曳きたる野辺の八千草の花


富士
またこれにより富士は常に白雪を頂き、寒厳の裸山になったのだ、と古常陸地方の伝説は構成している。

山の祖神の翁は螺の如き腹と、えび蔓のように曲がった身体を岸の叢(くさむら)に靠(もた)せて、ぼんやりしていた。道々も至るところで富士の嶺は望まれたが見れば眼が刺されるようなので顧ってみなかった。

初夏五月の頃、富士の嶺の雪が溶け始めるのに人間の形に穴があく部分がある。「富士の人型」といって駿南、駿西の農民は、ここに田園の営みを初める印とする。その人型は螺の腹をしえび蔓の背をした山の祖神の翁の姿に、似ている。いやそれにやや獣の形を加えたようでもある。
ここにまた筑波の山中に、涙明神という社がある。本体には富士の火山弾が祭ってある。

山は晴れ、麓の富士桜は、咲きも残さず、散りも始めない一ぱいのときである。洞から水を汲みに出た水無瀬女は、浅黄の空に、在りとしも思えず、無しと見れば泛ぶかの気の姿の、伯母の福慈の女神に遇った。

福慈の岳の噴煙は激しくなって、鳴動をはじめた。
   不二の嶺のいや遠長き山路をも妹許(いもがり)訪へば気(け)に呻(よ)はず来(き)ぬ
富士の西南の麓、今日、大宮町浅間神社の境内にある湧玉池と呼ばれる湛えた水のほとりで、一人の若い女が、一人の若い男に出会った。
頃は、駿河国という名称はなくて、富士川辺まで佐賀牟(さがむ)国と呼ばれていた時代のことである。

笑ったあとで、女は富士を見上げた。はつ秋の空にしんと静もり返っている。山は自分の気持の底を見抜いていて、それはたいしたことはない、しかしいまの年頃では真面目にやるがよいといっているようでもある。

女は思慮分別も融けるような男の息吹きを身体に感じた。しかし前回での男とのめぐり合いののち、富士を眺め上げて、それはただ血の気の做すわざなんだか、もっと深く喰入るべきものがあるような気がしたのを想い出して、自然と抑止するものがあった。

女は、何となく本意なく、富士の高嶺を見上げた。その姿は、いま眼のまえに横っている小雄鹿の死と同じ静謐さをもって、聳えて揺り据っている。今日も鳥が渡っている。

種族の血を享けてか、情熱と肉体の逞しさだけあって、智慧は足りない方だった。彼は強いままに当時の上司の命を受けて、東国の界隈の土蜘蛛の残りの裔を討伐に向った。たまたまこの佐賀牟の国の富士の山麓まで遠征した。

女は、そ知らぬ顔をして富士を見上げた。碧い空をうす紫に抽き上げている山の峯の上に相変らず鳥が渡っている。奥深くも静な秋の大山

富士が生ける証拠に、その鼓動、脈搏を形に於て示すものはたくさんあるが、この湧玉の水もその一つであった。

仰げばすでに、はっきり覚めて、朝化粧、振威の肩を朝風に弄(なぶ)らせている大空の富士は真の青春を味うものの落着いた微笑を啓示している。

   さぬらくは玉の緒ばかり恋ふらくは不二の高嶺の鳴沢のごと


「川」
「向ふの丘へ行つて異人館の裏庭から、こちらを眺めなすつたらいゝ。相模の連山から富士までが見えます。」


「東海道五十三次」
鈴川、松並木の左富士


「母子叙情」
そしてかの女は規矩男と共に心楽しく武蔵野を味わった。躑躅の古株が崖一ぱい蟠居(ばんきょ)している丘から、頂天だけ真白い富士が嶺を眺めさせる場所。ある街道筋の裏に斑々(はんぱん)する孟棕藪(もうそうやぶ)の小径を潜ると、かの女の服に翠色が滴り染むかと思われるほど涼しい陰が、都会近くにあることをかの女に知らした。


「老主の一時期」
顔を上げた時、二人の頬から玉のやうな涙が溢れ落ちた。御殿女中上りの老婢に粧装(つく)られる二人の厚化粧に似合つて高々と結(ゆ)ひ上げた黒髪の光や、秀でた眉の艶が今日は一点の紅をも施さない面立ちを一層品良く引きしめてゐる。とりわけ近頃憂ひが添つて却つてあでやかな妹娘の富士額(ふじびた)ひが宗右衛門には心憎いほど悲しく眺められたのであつた。


「老妓抄」
柚木は、華やかな帯の結び目の上はすぐ、突襟(つきえり)のうしろ口になり、頸の附根を真っ白く富士山形に覗かせて誇張した媚態(びたい)を示す物々しさに較べて、帯の下の腰つきから裾は、一本花のように急に削げていて味もそっけもない少女のままなのを異様に眺めながら、この娘が自分の妻になって、何事も自分に気を許し、何事も自分に頼りながら、小うるさく世話を焼く間柄になった場合を想像した。


「金魚撩乱」
復一は、鏡のように凪いだ夕暮前の湖面を見渡しながら、モーターボートの纜(ともづな)を解いた。対岸の平沙(へいさ)の上にM山が突兀(とつこつ)として富士型に聳え、見詰めても、もう眼が痛くならない光の落ちついた夕陽が、銅の襖(ふすま)の引手のようにくっきりと重々しくかかっている。

2007年04月11日

伊藤春畝(伊藤博文)

「日出」
日出扶桑東海隈
長風忽拂嶽雲來
凌霄一萬三千尺
八朶芙蓉當面開

*日は出づ 扶桑東海の隈(くま)
*長風 忽ち嶽雲を拂いて來る
*霄(そら)を凌ぐ 一萬三千尺
*八朶の芙蓉 當面に開く

2007年04月10日

前田夕暮

まなかひに朝の富士あり天雲をつらぬきて赤くそひえたるかも

黄ばみたる桑畑の上に晝の富士ながめてひとり口笛を吹く

雪あらぬ富士の全面に翳はなし粗放厖大にして立ちはだかれり

裏富士のかげりふかくして旗たつる家あり兵のいでたらるならむ

駿河野をわが行きしかば橘の花にほふなり富士うらわかく

はろばろと雪をさかまき青空にしまきするみゆ朝晴れし富士

2007年04月09日

遲塚麗水(遅塚麗水)

不二の高根
帝、紫微の宮に坐し群仙を會して曰く東方は成果の鍾まるところ坤輿の中樞なりそれ太山を作りて永く萬邦の鎭となすべしと、一夜に大地を擘して此の不二の高根を成る、史あるの前幾千萬載斯の山既に秀でゝ靈あり、惟れ考靈帝の御宇、東海の氣漸く清明に始めて斯の山を中霄に見る、頂は分れて八峯を成しその雪を戴くが為めに宛も玉芙蓉の如し、爾來ニ千年、仰げばいや高く望めばいや尊し、歌仙も其の高きさまを歌ひ盡すこと能はず畫聖も其の尊き形を畫き盡すこと能はず、岳神は容易に秘奥の符を示さずして、唯だ人の獨詣して冥契を得るに任せ、三千年にして一人之を歌ふものあり五千年にして一人之を畫くものあるを俟つ

※登山記の冒頭である。

2007年04月08日

源実朝

富士の嶺の煙も空に立つものをなどか思ひの下に燃ゆらむ

2007年04月07日

小坂順子

メロン掬ふ富士見え初めし食堂車

2007年04月06日

尾上柴舟

のぼりきて顧みすれば大富士と肩を並べてわれ立つごとし

つぶら実を日に照らさせて大富士の前に枝張る一本の柿


「横浜市立浦島小学校校歌」
○つづくうしろの森かげに
 知識の花を求めつつ
 み空にあおぐ富士の嶺
 高き思いを養わむ

※作詞/尾上柴舟 作曲/井上武士 3番あるうちの2番

2007年04月05日

赤尾兜子

淡雪富士ひとつの素船出てゆくも

2007年04月04日

源頼朝(前右大将頼朝)

道すから富士の煙も分かさりきはるゝまもなき空の気色に
※新古今和歌集975

2007年04月03日

土屋文明

「田児の浦」
昭和十七年一月某日午後二時すぎ私は静岡県清水駅に下車した。これから田児の浦ゆ打ちいでて富士山を見ようといふのである。

駅を出てバスを待つことにする。此の辺は旧東海道よりも東寄りに出来た新道をバスが行く。停留所のあたりからは富士は正面に見えて居る。やがて来た興津行のバスに乗る。道が旧東海道と一緒になる辺から、富士は次第に庵原(いほばら)川左岸の丘陵に没していく。此の丘陵の東方、海に迫つた所は清見寺のある所であるから古への清見が埼と考へられて居るのであらう。庵原川の橋の少し手前の所で私の見学には好都合にも薪バスが動かなくなつた。富士も全く見えなくなつた。

清見寺の下を廻つてもなかなか富士は見えて来ない。興津の駅から僅かに山頂が丘の上に出て見える。
折よく興津から吉原行きのバスが出るといふので私は簡便に今度の行程を済ますことにしてそれに乗つた。興津の町を進むにつれて山は次第に姿を現はし大きくなつて行つた。更にそれから興津川の左岸の丘陵(即ち薩埵山)に山頂の没して行くさまは清見埼の時とほぼ同じであつた。

2007年04月02日

紀乳母(紀の乳母)

富士の嶺のならぬ思ひに燃えば燃え神だに消(け)たぬ虚(むな)し煙を


富士の嶺の燃えわたるともいかゞせん消ちこそ知らね水ならぬ身は
※上記一句、後撰和歌集648

2007年04月01日

大町桂月

麓から頂きまでも富士の嶺を背負ひて登る八ケ岳かな


俊鶻の翼に低し富士の山

※以上一句、「一蓑一笠」の「春の筑波山」より


山は富士 湖水は十和田 ひろい世界にひとつずつ