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岡本かの子

するがなる大富士が嶺の裾長に曳きたる野辺の八千草の花


富士
またこれにより富士は常に白雪を頂き、寒厳の裸山になったのだ、と古常陸地方の伝説は構成している。

山の祖神の翁は螺の如き腹と、えび蔓のように曲がった身体を岸の叢(くさむら)に靠(もた)せて、ぼんやりしていた。道々も至るところで富士の嶺は望まれたが見れば眼が刺されるようなので顧ってみなかった。

初夏五月の頃、富士の嶺の雪が溶け始めるのに人間の形に穴があく部分がある。「富士の人型」といって駿南、駿西の農民は、ここに田園の営みを初める印とする。その人型は螺の腹をしえび蔓の背をした山の祖神の翁の姿に、似ている。いやそれにやや獣の形を加えたようでもある。
ここにまた筑波の山中に、涙明神という社がある。本体には富士の火山弾が祭ってある。

山は晴れ、麓の富士桜は、咲きも残さず、散りも始めない一ぱいのときである。洞から水を汲みに出た水無瀬女は、浅黄の空に、在りとしも思えず、無しと見れば泛ぶかの気の姿の、伯母の福慈の女神に遇った。

福慈の岳の噴煙は激しくなって、鳴動をはじめた。
   不二の嶺のいや遠長き山路をも妹許(いもがり)訪へば気(け)に呻(よ)はず来(き)ぬ
富士の西南の麓、今日、大宮町浅間神社の境内にある湧玉池と呼ばれる湛えた水のほとりで、一人の若い女が、一人の若い男に出会った。
頃は、駿河国という名称はなくて、富士川辺まで佐賀牟(さがむ)国と呼ばれていた時代のことである。

笑ったあとで、女は富士を見上げた。はつ秋の空にしんと静もり返っている。山は自分の気持の底を見抜いていて、それはたいしたことはない、しかしいまの年頃では真面目にやるがよいといっているようでもある。

女は思慮分別も融けるような男の息吹きを身体に感じた。しかし前回での男とのめぐり合いののち、富士を眺め上げて、それはただ血の気の做すわざなんだか、もっと深く喰入るべきものがあるような気がしたのを想い出して、自然と抑止するものがあった。

女は、何となく本意なく、富士の高嶺を見上げた。その姿は、いま眼のまえに横っている小雄鹿の死と同じ静謐さをもって、聳えて揺り据っている。今日も鳥が渡っている。

種族の血を享けてか、情熱と肉体の逞しさだけあって、智慧は足りない方だった。彼は強いままに当時の上司の命を受けて、東国の界隈の土蜘蛛の残りの裔を討伐に向った。たまたまこの佐賀牟の国の富士の山麓まで遠征した。

女は、そ知らぬ顔をして富士を見上げた。碧い空をうす紫に抽き上げている山の峯の上に相変らず鳥が渡っている。奥深くも静な秋の大山

富士が生ける証拠に、その鼓動、脈搏を形に於て示すものはたくさんあるが、この湧玉の水もその一つであった。

仰げばすでに、はっきり覚めて、朝化粧、振威の肩を朝風に弄(なぶ)らせている大空の富士は真の青春を味うものの落着いた微笑を啓示している。

   さぬらくは玉の緒ばかり恋ふらくは不二の高嶺の鳴沢のごと


「川」
「向ふの丘へ行つて異人館の裏庭から、こちらを眺めなすつたらいゝ。相模の連山から富士までが見えます。」


「東海道五十三次」
鈴川、松並木の左富士


「母子叙情」
そしてかの女は規矩男と共に心楽しく武蔵野を味わった。躑躅の古株が崖一ぱい蟠居(ばんきょ)している丘から、頂天だけ真白い富士が嶺を眺めさせる場所。ある街道筋の裏に斑々(はんぱん)する孟棕藪(もうそうやぶ)の小径を潜ると、かの女の服に翠色が滴り染むかと思われるほど涼しい陰が、都会近くにあることをかの女に知らした。


「老主の一時期」
顔を上げた時、二人の頬から玉のやうな涙が溢れ落ちた。御殿女中上りの老婢に粧装(つく)られる二人の厚化粧に似合つて高々と結(ゆ)ひ上げた黒髪の光や、秀でた眉の艶が今日は一点の紅をも施さない面立ちを一層品良く引きしめてゐる。とりわけ近頃憂ひが添つて却つてあでやかな妹娘の富士額(ふじびた)ひが宗右衛門には心憎いほど悲しく眺められたのであつた。


「老妓抄」
柚木は、華やかな帯の結び目の上はすぐ、突襟(つきえり)のうしろ口になり、頸の附根を真っ白く富士山形に覗かせて誇張した媚態(びたい)を示す物々しさに較べて、帯の下の腰つきから裾は、一本花のように急に削げていて味もそっけもない少女のままなのを異様に眺めながら、この娘が自分の妻になって、何事も自分に気を許し、何事も自分に頼りながら、小うるさく世話を焼く間柄になった場合を想像した。


「金魚撩乱」
復一は、鏡のように凪いだ夕暮前の湖面を見渡しながら、モーターボートの纜(ともづな)を解いた。対岸の平沙(へいさ)の上にM山が突兀(とつこつ)として富士型に聳え、見詰めても、もう眼が痛くならない光の落ちついた夕陽が、銅の襖(ふすま)の引手のようにくっきりと重々しくかかっている。