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2007年07月01日

横松しげる

赤富士を眺めしあとの眉寒し

2007年06月06日

吉丸一昌

「静岡県立静岡高等学校(旧制静岡中学) 校歌」
○岳南健児 一千の
 理想は高し 富士の山
 八面玲瓏 白雪の
 清きはわれらの こころなり

※4番あるうちの1番
※作詞吉丸一昌/作曲島崎赤次郎

2007年04月16日

吉野秀雄

此岡の梅よはや咲け真向ひに神さひそゝる富士の挿頭

夏富士に消のこる雪はいたゝきの斑三すちと細りけらしも

麓雲なゝめに曳きて富士の嶺の重たく西に傾けり見ゆ

天の門に暁うこきいちはやく富士のしら雪朱を流せり

きさらぎの浅葱の空に白雪を天垂らしたり富士の高嶺

御社(おやしろ)の華表(とりゐ)の前にふりさけて立春大吉富士は雲なし

富士が嶺は奇(くし)びの山か低山(ひきやま)の暮れ入る時を赤富士と燃ゆ

2007年02月01日

横瀬夜雨

「春」
山の春の期待に澱みなくふくらんでゐる、裸の木で春早く囀るは四十雀だ。常陸野は明るい。筑波は近く富士は遠く、筑波の煙は紫に、富士の雪は白い。風はあつても、枝々をやんわり撫でて行くに過ぎぬ。


「花守」
小貝川は村端れから一二丁のところです。新川と古川との間に島がある。一面豐腴の畠地でこれから筑波山は手のひらで撫でゝ見たい位、日に七度かはるといふ紫も鮮かに數へられます。夕景に成て空が澄み渡ると、金星のかゞやく下に幻影(まぼろし)のやうな不二が浮びます。

さゝべり淡き富士が根
百里の風に隔てられ
麓に靡く秋篠の
中に暮れ行く葦穗山

富士を仰ぎて
○大野の極み草枯れて
 火は燃え易くなりにけり
 水せゝらがず鳥啼かず
 動くは低き煙のみ
○落日力弱くして
 森の木の間にかゝれども
 靜にうつる空の色
 翠はやゝに淡くして
○八雲うするゝ南に
 漂ふ塵のをさまりて
 雪の冠を戴ける
 富士の高根はあらはれぬ

2006年06月22日

吉田素抱

いないいないバァを決め込む梅雨入富士

春光をやはらかに投げ利尻富士

利尻富士眼鏡の球の雪解冷え

利尻富士顱頂を覆ふ雪解靄

春光を鈍く放てる利尻富士

利尻雪富士望遠レンズに納むべく

梅の上に聳ゆ富嶽も相模ぶり

2006年04月16日

吉野義子

二日富士あたらしき雪重ね被て

宙に浮く富士の痩身枯月夜

大年の宙にあひあふ月と富士

除夜零時星二つ連れ月の富士

月光の富士をたまひて村眠る

初晴や凍湖平らに富士に侍す

町の路地富士へひらけてさくらの芽

暁の富士瓜刻む音藁屋より

富士を截る一枝平らに朝桜

夕桜一樹もて富士覆ひけり

さくら一枝くぐりて富士へ一歩寄る

一片の雲をゆるさず花と富士

碧天に雪富士いまだ湖覚めず

吉田冬葉

野に遊び真白なる富士に驚きぬ

吉村あい子

暗闇に故里訛富士詣

吉川春藻

夜の不二と夜鷹の声と澄みまさり

吉岡富士洞

初飛行卒然と富士指呼にあり

吉井竹志

牧牛の群る高原や皐月富士

2006年04月15日

与謝蕪村

不二ひとつ うづみ残して わかばかな

富士を見て通る人あり年の市

富士ひとつ埋みのこして若葉かな

不二颪十三州の柳かな

玉あられこけるや不二の天辺より

飛蟻とぶや冨士の裾野ゝ小家より

2006年04月14日

米沢徳子

日の湖も荒富士も越え春の雲

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米沢登秋

早発ちに雲ぬぎすすみ五月富士

2006年03月26日

吉岡禅寺洞

富士聳え干菜の匂ひたかかりき

2006年03月25日

横田さだ子

籐寝椅子在りし日のまま富士へ向く

横田さだ子

籐寝椅子在りし日のまま富士へ向く

横山白虹

くろぐろと富士は宙吊り冬霞

横光利一

靴の泥枯草つけて富士を見る

摘草の子は声あげて富士を見る


「夜の靴――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)」
極貧からとにかく現金の所有にかけては村一番になっている。村の秘密を知っているものも彼ただ一人だ。経済のことに関する限り、彼を除いて村には知力を働かせるものもない。すること為すこと当っていって、他人が馬鹿に見えて仕方のない落ちつきで、じろりじろりと嫁を睨んでいれば良いだけだ。肩から引っかけた丹前の裾の、富士形になだれたのどかな様子が今の彼には似合っている。


「旅愁」
「僕は社の用でときどきここへ来たんだが、前にここは僕の知人だったんですよ。」
矢代は塩野にそう云ってから、庭の隅にある四間ばかりの高さの築山を指差した。
「これは目黒富士といってね、これでも広重が絵に描いてるんだ。近藤勇もよくここへ来たらしいんだが、どうも日本へ帰って来て、少しうろうろしているとき気がつくと、すぐこんな風に、歴史の上でうろついてるということになってね。広重もいなけりゃ、勇もいやしない脱け跡で、これから僕ら、御飯を食べようというんだからなア。」
「そう思うとあり難いね。御飯も。」
 塩野は庭下駄を穿いて飛石の上を渡り、目黒富士の傍へ近よっていった。薄闇の忍んでいる三角形の築山全体に杉が生えていて、山よりも杉の繁みの方が量面が大きく、そのため目黒富士の苦心の形もありふれた平凡な森に見えた。しかし矢代は廊下に立って塩野の背を見ながらも、やがて来そうな千鶴子のことをふと思うと、争われず庭など落ちついて眺めていられなかった。パリで別れてから、大西洋へ出て、アメリカを廻って来た千鶴子の持ち込んで来るものが、まだ見ぬ潮風の吹き靡いて来るような新鮮な幻影を立て、広重の描いた目黒富士の直立した杉の静けさも、自分の持つ歴史に一閃光を当てられるような身構えに見えるのだった。


「榛名」
縁側に坐つて湖を見ると、すでに山頂にゐるために榛名富士と云つても對岸の小山にすぎない。湖は人家を教軒湖岸に散在させた周圍一里の圓形である。動くものはと見ると、ただ雲の團塊が徐徐に湖面の上を移行してゐるだけである。音はと耳を立てると、朝から窓にもたれて縫物をしてゐる宿の女中の、ほつとかすかに洩らした吐息だけだ。もう早や私は死に接したやうなものだ。

2006年03月16日

吉波泡生

夏富士の紫しるき姿かな

吉田いつ女

涅槃富士広き裾野は萌色に

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2006年03月12日

横井也有

富士はたゞ袴に着たる錦かな


「摺鉢伝」
備前の国にひとりの少女あり。あまざかるひなの生れながら、姿は名高き富士の俤に通ひて、片山里に朽はてん身をうき物にや思ひそみけん、


「鼻箴」
たとへ百年のつくも髪だに鼻ばかりは欠けもやらず、つぶれて用をかく事もなし。ひとり常盤の操を守りて時しらぬ山とも称すべけむ。

2006年03月07日

吉野寿

「ドアを開ける俺」より
○街は入り日の雨上がり
 また静かに燃え立つ富士の山
 なんて豪華な夕焼けなんだろう
 だってそうだろ? なあ そうだろう?

※吉野寿作詞作曲/eastern youth唄

2006年02月26日

吉行エイスケ

「バルザックの寝巻姿」
数ヶ月後、妾達の東洋曲芸団の一行は、巴里のゲエテ街にいました。モンマルトルは相も変わらず放縦(ほうじゅう)な展覧会が開催されて、黒い山高帽の群とメランコリックな造花の女が、右往左往していました。妾達の小屋はセエヌ左岸のアルマの橋を渡ったところに、日本画の万灯に飾られて、富士山や田園の書割(かきわり)にかこまれて、賑かにメリンスの友禅の魅力を場末の巴里(パリ)人に挨拶していたのです。

吉江喬松

「霧の旅」
妙高は稍々右の方に當つて、峯が重り合つて奇怪な姿を見せてゐる黒姫は眞正面に雄大な壓倒するやうな勢で、上から見下してゐる。飯繩は左へよつて右肩からおろして來る一線を裾長く曳いてゐる。
高原地といふ感じをこの三山の連立してゐる地くらゐ、明かに與へる場所は他にない。富士の裾野でも、私達は廣い平野の中へ立つてゐるやうな感じはするが、自分等のゐる處が高い場所であるとは感じない。

幾度見ても黒姫は、いつも同じやうで、しかも面目を改めて、私の前に嚴しく聳えてゐる。連嶺(れんれい)の亙り續いてゐる頂にばかり目を馳せてゐた私達が、初めて一山の美しき姿を仰ぐことの出來たのもこの山であつた。そして越後の海を初めて見て泣きたいばかりに心の締つた記憶と共に、何年たつても忘られないのはこの山の美しい姿であつた。しかもこの山は富士山のやうに全く轉(まろ)び出たやうに孤立してゐるのではない。妙高、戸隱、飯綱の諸山は相呼應して、嚴として高原の奧に空を劃して立つてゐる。

与謝野晶子(與謝野晶子)

「日記のうち」
十一月十三日
きゆうきゆうと云ふ音が彼方でも此方でもして、何処の寝台ももう畳まれて居るらしいので、わたしも起きないでは悪いやうな気がして蒲団の上に坐つた。けれどまだ実際窓の外は薄暗さうである。富士が見えるかも知れぬと思ふが窓掛を引く気にもならない。身繕ひをして下駄を穿きながら、ボーイに心附けを遣らないでおけば物を云ふ世話がなからうなどと考へて居た。洗面所に入つて髪を結つて来た間に上の寝台もしまはれて、大阪の商人は黄八丈の寝間着の儘で隣に腰掛けて楊枝を使つて居た。日が当つて富士が一体に赤銅色をして居る。


「元朝の富士」より
人人(ひとびと)よ、戦後の第一年に、
わたしと同じ不思議が見たくば、
いざ仰(あふ)げ、共に、
朱に染まる今朝の富士を。


「日本新女性の歌」より
○東の国に美くしく
 天の恵める海と山、
 比べよ、其れに適はしき
 我等日本の女子あるを。
○中にも特にすぐれたる
 瀬戸の内海、富士の雪
 その優しさと気高さは
 やがて我等の理想なり。


「冬晴」より
裸の木の上には青空、
それがまろく野のはてにまで
お納戸いろを垂れてゐる。
二階へ上がつたら
富士もまつ白に光つてゐよう。


「霧氷」
富士山の上の霧氷、
それを写真で見て喜んでゐる。
美くしいことは解る、
それがどんなに寒い世界の消息かは
登山者以外には解らない。
あなたにわたしの歌が解りますつて、
さうでせうか、さうでせうか。


〔無題〕
○今日わしれども、わしれども、
 武蔵の路の長くして、
 われの車の窓に入る、
 盛り上がりたる白き富士
○竜胆(りんだう)いろに、冬の空、
 晴れわたりつつ、雲飛ばず。
 見て行く萩の上にあり、
 河原より吹く風のおと。


===以下、句集から===

(明治時代)

佐保姫
青き富士うすきが下に雲ばかりある野の朝の風に吹かるる

毒草
ゆるされて水ふみわたる春の野やあらぬを富士と君もまどひし

常夏
しろ銀の魚鱗の上に富士ありぬ相模の春の月のぼる時

舞姫
遠つあふみ大河ながるる国なかば菜の花さきぬ富士をあなたに
春の潮遠音ひびきて奈古の海の富士赤らかに夜明けぬるかな
富士の山浜名の海の葦原の夜明の水はむらさきにして

夢之華
春の海潮時こしと来し波のうへに富士ありほのむらさきに

(大正時代)

晶子新集
富士の嶺のいみじき雪になぞらへぬ子を思ふこと君恋ふること
富士白し及ばずとしてみどりなる磯草に消ゆ茅が崎の雪

草の夢
夕月と富士の雪より射る光霧にみだるる田方の郡
伊豆の山すべて愁ひて潤むなり富士より早く春は知れども
しら玉の富士を仄かにうつしたる足柄山の頂の雪
わが前へ浮漂ひて富士の来ぬうす黄を雲の染むる夕ぐれ
真白なる富士を削りてわれに媚ぶ春の畑毛の温泉の靄

瑠璃光
八月の富士の雪解の水湛へ甲斐の谷村を走る川かな
末遠き桂の川も富士の嶺の雪解の水の行く道にして
本栖湖をかこめる山は静かにて烏帽子が岳に富士おろし吹く
空破れ富士燃ゆるとも本栖湖の青犯されず静かならまし
富士川の白き腕は舞ふ雲と千草の底におぼれはててき
日落つるとともに不思議はかき消えて富士むら山の一つとなりぬ
雲うごく富士ゆゑ心おちゐねば松籟山をいでて眺むる
白雲は富士の珊瑚の頂を少しくだれるきはに臥床す
ほの赤き小舟ばかりの影となり富士のうつれる暮方の水
去る雲も枕さだめて寝る雲もあてに振舞ふ富士の夕ぐれ
富士の嶺の裾野の雲に北海の猟虎の群もまじりてぞ行く
ほととぎすホテルの裏の花畑に臨める富士は紫にして
われいたく異ることを思はずて富士の麓の湖畔にいねん
限りなく富士より雲のひろごりて人ははかなき物思ひする
二三人うすごろも著て遊ぶなり富士に対する赤松の台
赤松が七つの条を引きたれば七間ほどの富士と云はまし
富士にある雲のひかりと赤松の精進の山の相てらす昼
さながらの形に富士をつつみたる真白き雲のをかしき夕
うぐひすや富士の西湖の青くして百歳の人わが船を漕ぐ
船にさすからかさ重し湖へ富士の雲皆おちんとすらん
富士の雲つねに流れて束の間も心おちゐぬ山中の湖
桂川富士よりいでて濁流に終るとな見そ雨降るものを
日の三時雨に引かれて川浪のわりなくまさり富士おろし吹く
東京の廃墟を裾に引きたれば愁ひに氷る富士の山かな
富士の山代代木が原の仮小屋のつらなる上に愁ひつゝ立つ

流星の道
女かと富士あはれなり重げなる雲に胸をば巻かれたるゆゑ
富士おろし及ばぬきはの足柄の岩角に居てその駿河見る
わが馬車は富士の左の緑金の線をかしこみ退きて行く
羅をば脱ぐサロメの舞にならふ富士馬車の口より見て動く富士
富士の嶺も海も不思議のふくろより出でつるものの心地する朝

太陽と薔薇
われも云ふ正月の富士高きかな真白きかなと子等に混りて

梅花集
何れとも白雲台を云ひがたし梅の占むると富士の座なると
暁の富士の朱壁のもとに咲く伊豆の山辺のしら梅の花

霧嶋の歌
王朝の世の富士の嶺の煙ほどくゆるなりけり高千穂の山

心の遠景
新潟の富士が樽をば打つ音のをかしけれども富士貴に過ぐ
足柄と青根の中に富士を見ぬ日もなつかしき尾花山荘
富士小くその頂の見ゆるゆゑ信濃をおもふ配所のやうに
白蘭のごとつややかに富士の見え三浦の霞その下に引く
忽ちに湧き上りたるものなれば富士散りはてんここちこそすれ
姥子の湯古城のごとし九つの藁屋つながり富士と向へる

采菊別集
菊の花富士の尾上の雪のごと一つぞ咲けるゆたかなる葉に


『定本與謝野晶子全集』未収録
つつましく守屋の嶽の裾山に見なせと並ぶ東海の富士
信濃路のあけぼのの雲その中に富士も靡けり一月にして
雪の止み姥子の林ほのかなる富士を上にす岩湯出づれば


秋の雨精進の船の上を打ち富士ほのぼのと浮かぶ空かな
朝の富士晴れて雲無し何者か大いなる手に掃へるごとし

2006年02月02日

与謝野鉄幹(與謝野、寛)

富士ひとつ雲をかづきて夕映す他はみな黒し甲斐のむら山


「むらさき」に収録
「日本を去る歌」より
ああわが国日本
ああわが父祖の国日本
東太平洋の緑をのぞんで
白き被衣の女富士立てり
顧望して低徊す
山なんぞ麗しき
水なんぞ明媚なる
ああわれ去るに忍ぴんや