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吉行エイスケ

「バルザックの寝巻姿」
数ヶ月後、妾達の東洋曲芸団の一行は、巴里のゲエテ街にいました。モンマルトルは相も変わらず放縦(ほうじゅう)な展覧会が開催されて、黒い山高帽の群とメランコリックな造花の女が、右往左往していました。妾達の小屋はセエヌ左岸のアルマの橋を渡ったところに、日本画の万灯に飾られて、富士山や田園の書割(かきわり)にかこまれて、賑かにメリンスの友禅の魅力を場末の巴里(パリ)人に挨拶していたのです。