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2007年08月30日

源平盛衰記

思きや富士の高根に一夜ねて雲の上なる月をみんとは

法皇は新熊野へ御参詣有べきにて、兼て御車を門外に立させ給ひ、急ぎ御出有けり。即新熊野にて移花進せさせ給けり。入道殿より御文有とて捧之、披て叡覧あり、沙金千両、富士の綿千両の送文なり。御布施と覚たり。最便なくぞ有ける。法皇は彼送文を後さまへ投捨て、鳴呼験者しても、身一はすぐべかりけりと仰有けり。

烏帽子子に手綱うたせて筒手に把、御使にも不憚、弟の四郎に向て云けるは、是聞給へ、人の至て貧に成ぬれば、あらぬ心もつき給けり、佐殿の当時の寸法を以て、平家の世をとらんとし給はん事は、いざ/\富士の峯と長け並べ、猫の額の物を鼠の伺ふ喩へにや、身もなき人に同意せんと得申さじ、恐し/\、南無阿弥陀仏/\とぞ嘲ける。

道すがら様々やさしき事も猛事も哀なる事も有ける中に、駿河国富士の麓野、浮島原を前に当て、清見関に宿けり。此関の有様、右を望ば海水広く湛て、眼雲の浪に迷、左を顧れば長山聳連て、耳松風に冷じ。

斯しかば大場も終に首を延て参けり。源氏は加様に大勢招集て、足柄山を打越て、伊豆国府に著て三島大明神を伏拝み、木瀬川宿、車返、富士の麓野原中宿、多胡宿、富士川のはた、木の下草の中にみち/\たり。其勢二十万六千余騎とぞ注したる。

平家の方にも如形篝火を焼、夜も漸深ければ、各寝入て有けるに、夜半ばかりに、富士の沼に群居たりける水鳥の、いくら共なく有けるが、源氏の兵共の、物具のざゝめく音、馬の啼声などに驚て立ける羽音のおびたゞしかりけるに驚て、源氏の近付て時を造るぞと心得て、すはや敵の寄たるはと云程こそ有けれ、平家は大将軍を始として、取物も取敢ず、甲冑を忘れ弓箙をおとし、長持皮籠馬鞍共に至まで捨て迷上。

山内滝口三郎同四郎は、廻文の時富士の山とたけくらべ、猫の額の物を鼠の伺定やなんど悪口したりし者也。大庭に被召出たり。佐殿宣けるは、汝が父俊綱并に祖父俊通は、共に平治の乱の時、故殿の御伴に候て討死したりし者也。其子孫とて残留れり。我世を知らば、いかにも糸惜して世にあらせ、祖父親が後世をも弔はせんとこそ深く思ひしに、盛長に逢て種々の悪口を吐、剰景親に同意して頼朝を射し条は、いかに、富士の山と長並べと云しか共、世を取事も有けりとて、土肥次郎に仰て、速に首を刎よと下知し給ふ。実平仰に依て引張て出ぬ。

御門驚き思召て行者を搦捕んとするに、孔雀明王法験にこたへて、虚空を飛事鳥の如し。依之行者の母を召禁られければ、我故に母の罪を蒙事こそ悲けれとて、自参給たり。則伊豆の大島に流し遣されけり。昼は大島に行、夜は鉢に乗て富士の山に上て行けり。一言主重て、行者を被害べき由奏し申ければ、則官兵を被下被誅とせしに、行者の云く、願は抜る刀を我に与よとて、刀をとり舌にて三度ねぶりければ、富士の明神の表文あり。天皇此事を聞召て、是凡人に非ず、定て聖人ならん、速に供養を演ぶべしとて都に被召返。

さては駿河国浮島原の辺にては追付なんと思ひて、十七騎にて打て殿原々々とて、稲村、腰越、片瀬川、砥上原、八松原馳過て、相模河を打渡、大磯、小磯、逆和宿、湯本、足柄越過て、引懸々々打程に、其日は二日路を一日路に著、河宿に著にけり。尋れば案に違はず、大勢駿河国浮島原に引たりと云。正月十日余の事なれば、富士のすそのの雪汁に、富士の河水増りつゝ、東西の岸を浸したれば、輙く渡すべき様なし。

在原業平が、きつゝ馴つゝと詠ける三川国八橋にも著しかば、蛛手に物をや思らん。浜名の橋を過行ば、又越べしと思はねど、小夜中山も打過、宇津山辺の蔦の道、清見が関を過ぬれば、富士のすそ野にも著にけり。左には松山峨々と聳て松吹風蕭々たり。右には海上漫々と遥にして岸打浪瀝々たり。

田子浦を過行ば、富士高峯を見給に、時わかぬ雪なれど、皆白平に見渡、浮島原に著ぬ。北は富士たかね也、東西は長沼あり、山の緑陰を浸して、雲水も一也。葦分小舟竿刺て、水鳥心を迷せり。

2007年08月25日

九条武子

「夕波」より
汐けむりもやごもる磯に夕富士は紺の色してたかくしありけり


「伏見丸にて」より
伊豆も遠江(とほたふみ)もまた富士も、雲多くして見えずときゝながら、船すこし動くに部屋にのみこもる。


「北海道の旅」より
蝦夷富士といはれてゐる羊蹄山(しりべしさん)が、をぐらくなつて行く空に、けれどもはつきりと重々しい姿して、大地のおごそかな威力をもつて座してゐるのが近くに見えて、六時頃倶知安駅(くちあんえき)に着いた。駅員のなまりの多い呼び声に、旅の人らはドツとみな笑つた。

2007年08月20日

住吉胡之吉

正直に自分の日本に対する気持。日本は好きだ、愛する。だが日本の国体云々以上に日本人は大きく人間の運命を考へなければならないのではなからうか。美しくも清き富士、郷土愛、民族愛、が祖国愛たることならば、人後に落ちない。だがたゞ過去の歴史、国体のために戦ふのはどうしても割り切れぬ。人間の悲惨事は天皇では救へぬ。日本人一人々々がもつと立派にならなくては。

※「はるかなる山河に−東大戦没学生の手記」より

2007年08月15日

山隅観

富士の嶺は雪に埋れてをるらむと思ひすがしむこのごろの夜は

2007年08月10日

寺島柾史

「怪奇人造島」
「それだ。それは、大きな収穫だった。山路君と陳君との友情は、やがて、日本と中国との永遠の友情の楔(くさび)となるのだ」国際優秀機は、太平洋の上空を、秀麗富士の聳える日本の空を目指して、悠々と飛んでいる。四ヶ月余に亘(わた)る、怪奇な冒険旅行を終えて、故国へ帰る僕は、疲労も、眠気も忘れて、元気一杯、口笛を吹いた。

2007年08月05日

水谷まさる

「白いマント」
○富士山が
 富士山が
 白いマントを
 ぬいぢやつた。おや、ぬいぢやつた。
○今日見りや白い
 帽子だけ
 横つちよかぶりに
 かぶつてた。おや、かぶつてた。
○富士山の
 富士山の
 白いマントは
 どうしたろ、おや、どうしたろ。
○おてんとさんと
 春風が
 どつかへ隱して
 知らぬ顏、おや、知らぬ顏。

※「歌時計」(童謠集)より