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2006年05月30日

下村湖人

「次郎物語」(第五部)
第三日目は人間的交渉をさけて、ひたすら自然に親しもうという計画だった。未明に鉄舟寺を辞すると、まず竜華寺(りゅうげじ)の日の出の富士を仰ぎ、三保の松原で海気を吸い、清水駅から汽車で御殿場(ごてんば)に出て、富士の裾野を山中湖畔までバスを走らせた。

次郎はほうっと深い息をした。それは安堵の吐息ともつかず、これまで以上の深い苦悶の吐息ともつかないものだった。
二人はやがて立ちあがって、言い合わしたように富士を仰いだ。どちらからも口をきかなかった。富士は、三保で見たすらりとした姿とはまるでちがった、重々しい沈黙と孤独の姿を、青空の下に横たえていた。

星野高士

富士よりの風にも慣れし秋の蝶

成瀬櫻桃子(成瀬桜桃子)

壷焼きや手のひらにのる遠き富士

広重の富士は三角鎌鼬

2006年05月29日

菅原師竹

富士垢雛富士百景の第一図

富士が雪化粧

朝日山梨:2006年05月26日
 ・ 最近は5合目以上も半分ほどの山肌が見えていた。
 ・ 24日の夕から夜にかけて降った雪で5合目付近から山頂にかけて真っ白に。
 ・ 富士吉田市富士山課「真冬に近い姿。この時期では極めて珍しい」。

読売山梨:26日
 ・ 8合目付近に20日以降見えていた雪形「農鳥」。
 ・ 25日、雪に埋もれて姿を消した。
 ・ 5月の連休前後に雪が降って隠れることはまれにある。
 ・ 富士山課「この時期に一度現れた農鳥が姿を消すのは珍しい」。
 ・ 同課によると、12月中旬程度の状態。
 ・ 例年、農鳥は4月中旬から5月中旬。5月末には姿を消す。
 ・ 北麓では、冬に農鳥が現れた年は凶作になるとされている。
 ・ 地元住民は「冬に一度出て、この時期にまた隠れて、今年はどうなるのか……」。

2006年05月28日

星野立子

初冨士につづく山々遠く近く

初秋の大きな富士に対しけり

富士を背に富士を真向きに茶を摘めり

雪晴の富士など見つゝ来られしや

星野椿

迷ひ蟻富士夕映に包まるる

金風や蝦夷富士雲を遠ざけて

夕富士に力抜きたる土用波

雪解富士清水港も昏れてきし

汀歩す待春の富士輝いて

初富士の小さくなつて昏れにけり

くつきりと子規忌の富士でありにけり

赤富士や湖の底より日は昇る

星野椿について

杉良介

夏富士の裾に勾玉ほどの海

※「海」は「湖」?

杉山岳陽

赤冨士としてきはまる慈悲心鳥

郭公や吾妻小富士のはゝに似る

水原春郎

八月の富士のくろがね敗戦日

ことごとく枯れ恭順の富士薊

2006年05月27日

水原秋桜子

獅子舞は入日の富士に手をかざす

眠る山或日は富士を重ねけり

初不二を枯草山の肩に見つ

初冨士の海より立てり峠越

初冨士の浦曲をわたる雲

初富士の見出でし岨の氷柱かな

富士つつみ立つは大寒の入日雲

風ひびき立冬の不二痩せて立つ

富士しろし百舌鳥が呼びたる空の青

鯊釣や不二暮れそめて手を洗ふ

朝霧に岩場削ぎ立つ富士薊

碧天や雪煙たつ弥生富士

黄塵の野面の隅に雪の富士

重陽の山里にして不二立てり

獅子舞は入日の富士に手をかざす

朝の蝉富士のくれなゐ褪せゆけり

波郷忌や富士玲瓏の道行きて

百舌鳥鳴けり小さき富士がまぶしくて

秋耕や富士をさへぎる山もなく

雪の富士立てり嘆きの夜ぞ明くる

風呂吹や曾て練馬の雪の不二

新村千博

ヂキタリス薄紫に富士の影

※この方の情報を教えて下さい!

須藤徹

立秋の麒麟の脚が富士を蹴り

神谷三八朗

別れては真向かいに見る遥か富士

上田五千石

手斧始もとより尺の富士ひのき

秋富士が立つ一湾の凪畳


「富士市富士中央小学校 校歌」より、3番
○世界の人が あこがれる
 富士のいただき 仰ぐとき
 希望は雲の ように湧く
 ララララ ラララ
 ここ富士中央 中央小学校

※上田五千石作詞/松村禎三作曲

2006年05月26日

管裸馬

いささかの水あり五月富士写す

浮かみ出て初雪の不二歪みなし

小さな幣杖に結びつ富士行者

富士行者つゞく草屋の蚊屋の前

西宇内

秋草や富士の水湧く池いくつ

杉山杉風(茶舎)

鳴く千鳥富士を見かへれ塩見坂

2006年05月25日

深川正一郎

赤富士も見せたし紺の夕富士も

立つ鷺にあらはれており五月富士

大富士の雪解の水に田を植うる

杉山葱子

冨士昏れて枯野灯す達磨市

金森徳次郎

「少年少女のための憲法のお話」
一三 国の象徴(しるし)
子どもたちが、動物園へ行ってきました。帰ってからの夕食のあとで、おもしろそうに笑って、はしゃいでいます。見ると、妙なものをかいて、何だかあてっこをしています。きつねだ、きりんだ、猿だとさわいでいます。つのを見れば、牛を知り、富士山を見れば、日本を考え、国旗を見れば、日本を思うのは、あたりまえです。わたくしたちは、天皇をあおぐと、心にしみいるように深く、日本を感じます。これが象徴(しるしのこと)の意味です。甲を見ると、乙を心にピタリと感じられるときに、甲は乙の象徴です。桜の花がさいた、春がきた。紅葉が赤い、秋が深くなった。こんなばあいに、象徴の意味がはっきりします。

2006年05月23日

新田郊春

初凪や雲を聚めて小さき富士

2006年05月22日

近藤真琴

「澳行日記」
四日朝右舷のかたに遠山雪の如く見ゆ。これアラビヤのフラテオーなるべし。正午にはアーデンの山々手に取るごとく見ゆ。三時に船は港に入りぬ。このところは山みな巌石にして火山の如く、富士のいたゞきのごとくにぞありける。さればたえて草木なく、いささかの流れだになければ水に乏しく、家ごとに平らかなる屋根を作り、ふる雨をうけとめてもらさじとすめり。港には蒸溜機械を具へたる船ありて、日毎に怠らず海水を蒸溜して真水とせり。

真田清見

初富士や空に柾目のあるごとく

2006年05月21日

憲法普及会(編)

「新しい憲法 明るい生活」
◇私たちの天皇
天皇は神様の子孫であるからというような神話をもととして、天皇の地位や権限をこの上なく重んじていたのが今日までのゆき方であつた。
新憲法では天皇は日本の国の象徴であり、国民結び合いの象徴であるということが示されてある(第一条)。これは私たち国民全体の天皇にたいする共通の気持をそのままあらわしたものである。
象徴というのは一つの「めじるし」であつて、これによつて国そのもの、または国民結び合いの実際の姿がありありとわかることをいうのである。富士山をみれば美しい日本の国が、また桜をみればなごやかな日本の春がわかるというのが、そのおよその意味である。

森田游水

直ぐ消えし富士の初雪空の紺

※この方の情報を教えて下さい!

深見けん二

まづ拝む窓の遠富士初稽古

初富士の暮るゝに間あり街灯る

赤富士に滴る軒の露雫

大富士の夕かげ持ちぬ蕗の薹

正面の富士に対する浴衣かな

南部富士一日まぶし赤とんぼ

上田日差子

畝ひとつ越え初富士に歩みよる

松本たかし

星空に居る大富士や除夜の駅

山山を統べて富士在る良夜かな

大富士の現れゐるや望(もち)の宿

初富士の抱擁したる小漁村

夕まで初富士のある籬かな

2006年05月20日

富士山測候所を活用する会

静岡社会:2006年5月19日
 ・ 気象庁の平木哲長官の17日の定例会見。
 ・ 富士山測候所の有効活用を探る同庁設置の検討委について。
 ・ メンバーに、NPO法人「富士山測候所を活用する会」を加える。
 ・ 同施設の維持、管理の受け皿機関を目指して発足した同会。
 ・ 庁舎有効活用か、廃止(撤去)するか、できる限り早期に方向性をまとめたい考え。
 ・ 結論の目標時期などは明らかにせず。
 ・ 長官「NPOの考えをよくうかがい、検討を進めていく。測候所庁舎は国の持ち物であるから、(気象庁だけではなく)財政当局ともよく相談していただく必要がある」。
 ・ 検討委の昨年3月の中間報告:同法人や静岡、山梨両県などが提案している大気化学や高所医学などの「極地高所研究拠点」とすることを利用の第一候補。
 ・ 施設の管理主体が課題として残り、協議が停滞。
 ・ 同庁が政府に提出した公務員削減案
     今後5年間に御前崎など全国46カ所の測候所を原則廃止
 ・ 長官「サービスレベルが低下するものではない」

森玲子

赤富士やちやぷちやぷ波の寄り来たり

富士山の殺げしド−ムに垂氷かな

富士山を放れ湾に向ひし鷲一羽

遥かより水湧き来たる富士の冷

森田峠

雲を脱ぐ富士が見えそめ避暑放歩

見えねども富士へ向けたる避暑の椅子

上村占魚

利尻富士雪の裾野を海ぞこへ

よべの雪化粧ひて利尻富士泛ぶ

2006年05月19日

神田岩魚

裏富士の星の光芒鳴く夜鷹

大冨士の闇のふるへる虎鶫

紫式部

「源氏物語」(大島本・若紫)
「絵にいとよくも似たるかな。かかる所に住む人、心に思ひ残すことはあらじかし」とのたまへば、
「これは、いと浅くはべり。人の国などにはべる海、山のありさまなどを御覧ぜさせてはべらば、いかに、御絵いみじうまさらせたまはむ。富士の山、なにがしの嶽」
など、語りきこゆるもあり。


「源氏物語」(大島本・鈴虫)
火取りどもあまたして、煙たきまで扇ぎ散らせば、さし寄りたまひて、
 「空に焚くは、いづくの煙ぞと思ひ分かれぬこそよけれ。富士の峰よりもけに、くゆり満ち出でたるは、本意なきわざなり。講説の折は、おほかたの鳴りを静めて、のどかにものの心も聞き分くべきことなれば、憚りなき衣の音なひ、人のけはひ、静めてなむよかるべき」
など、例の、もの深からぬ若人どもの用意教へたまふ。


「源氏物語」若紫 (與謝野晶子訳)
「絵によく似ている。こんな所に住めば人間の穢(きたな)い感情などは起こしようがないだろう」
と源氏が言うと、
「この山などはまだ浅いものでございます。地方の海岸の風景や山の景色をお目にかけましたら、その自然からお得(え)になるところがあって、絵がずいぶん御上達なさいますでしょうと思います。富士、それから何々山」
こんな話をする者があった。また西のほうの国々のすぐれた風景を言って、浦々の名をたくさん並べ立てる者もあったりして、だれも皆病への関心から源氏を放そうと努めているのである。


「源氏物語」鈴虫 (與謝野晶子訳)
火入れがたくさん出されてあって、薫香(たきもの)をけむいほど女房たちが煽(あお)ぎ散らしているそばへ院はお寄りになって、
「空(そら)だきというものは、どこで焚いているかわからないほうが感じのいいものだよ。富士の山頂よりももっとひどく煙の立っているのなどはよろしくない。説教の間は物音をさせずに静かに細かく話を聞かなければならないものだから、無遠慮に衣擦れや起(た)ち居の音はなるべくたてぬようにするがいい」
などと、例の軽率な若い女房などをお教えになった。

森岡正作

春疾風富士に深手のありにけり

大根を抜くたび富士と目が遇ひぬ

森下草城子

朝のガラスに富士がきており暗し

2006年05月18日

測候所を今後5年間で原則廃止

中日政治:2006年5月14日
 ・ 全国46カ所にある測候所。
 ・ 政府の「行政減量・効率化有識者会議」に出した公務員削減案に明記。
 ・ 廃止に向け、問合せ対応、自動観測システムの導入などを促進。
 ・ 地域防災活動にも役割を果たしてきた測候所の全廃には、反対も出そう。
 ・ 46カ所は富士山、御前崎、松本、飯田、軽井沢、輪島、尾鷲など。
 ・ 46の測候所に関係する要員は現在計454人。
 ・ 観測システム導入による無人化などで338人を削減方針。

沼尻巳津子

五月五日全き富士と逢うて去る

西方に富士の山あり火を焚けり

かけがへなき一人の我茜富士

紅の暁ヶの喪礼富士は不二


沼尻巳津子について

森澄雄

蒼茫と春のはやてに富士かすむ

湖より裾をしぼりて春の富士

2006年05月17日

松村蒼石

小春富士ひと日かがやく兵と父に

松村幸一

いきなりや顔いつぱいに春の富士

松岡潔

エンデバー春雪の富士掠めけり

2006年05月16日

小林牧羊

初旅にして大いなる富士を見し

小林碧郎

雲表に富士立つ登路凍るなり

小林俊彦

寒菊にあさの大富士澄めりけり

小林康治

水霜に尿たらす富士覚めたれば

2006年05月15日

小林葭竹

またたびや大沢崩れ雲の中

北斎に無き冨士聳てりつちぐもり

小沢満佐子

雪解富士全し泉湧きつゞき

松浦其国

初富士や瑞山は未だ明けきらず

2006年05月14日

松澤昭

凩に富嶽百景抛りだす

富嶽冠雪へなへなと坐るなよ

小倉英男

羽衣の天女舞ひ来よ五月富士

2006年05月13日

勝又一透

富士消えて空の濁れる春深し

朝の富士大きく生まれ梅の宿

凍蝶のたちたる籠に不二のこる

木枯のはるかなものに富士ひとつ

打ち晴れて富士孤高なる仏の座

成人の日の裏富士のうつくしき

初富士の汀の果てに立てりけり

枯萱の山ふかく来て富士に会ふ

夕富士の消ぬべくありぬ花瓢

大富士の愛のごとくに大泉

ちちははの朝寝の富士の美しく

大冨士にひれ伏す軒端寒晒

ふるさとの不二かゞやける薺かな

小川濤美子

ふれんとし花も剌持つ富士薊

2006年05月12日

小西藤満

菜の花や海よりかげる薩摩富士

小山森生

裏富士や男に憑きし碧揚羽

渋谷松月

描きかけてありし画板の皐月富士

2006年05月11日

勝亦年男

影富士の及ぶ花野の県境

冷し瓜富士の真清水戸々に湧き

勝俣のぼる

初富士の紅さしそめて町の上

市丸利之助

紺青の駿河の海に聳えたる
  紫匂ふ冬晴れの富士

垂れこめし雲中腹に凝結し
  忽ち白く抜けいづる富士

夕靄の伊豆を包みて海原も
  富士も縹に冬の日暮れぬ

野も山も包み了りて春霞
  包みあませる富士の白雪

厩にして富士ははるかに遠ざかり
  機は一文字南の島

2006年05月09日

酒井絹代

いまさらに富士大いなり初御空

萱刈の声とばしけり富士颪

芒野に富士も全し今日の月

種市清子

冬の日や富士を残して落ちにけり

手島知韶

山開き遅るる富士の残り雪

手島靖一

富士と我隔つものなき初明り

この岨の富士細身なり風露草

手塚美佐

絵日傘に触るる親しさ秋田富士

若林つる子

蓴生う富士の伏流水ぞんぶん

2006年05月08日

吉田口8合目で滑落死

読売社会:2006年5月3日
 ・ 3日13時半ころ、山梨県側の8合目付近で男性が滑落。
 ・ 登山者が目撃、110番通報。
 ・ 県警のヘリで病院へ運ばれたが、頭などを強く打っており、午後5時ころ死亡。
 ・ 富士吉田署で身元確認中。
 ・ 70歳前後で、単独登山とみられる。

朝日山梨:4日
 ・ 3日、登山客の滑落が相次ぐ。
 ・ 午後4時20分過ぎ、7合目付近でスキー男性が滑落。
     スキー客から110番。
     約1時間後、県警ヘリ「はやて」で救出。
     顔などにけが。病院へ。
     藤沢市の藤沢さん(33)。
     現場はアイスバーン状態だった。
死亡の男性 身元を確認 富士山・滑落事故

朝日山梨:5日
 ・ 4日、亡くなった男性は流山市の松田さん(69)と確認。
 ・ 松田さんは登山が趣味、富士山も数回登頂経験。

山日富士山:4日
 ・ 死亡事故:当時、晴天で風もほとんどなし。積雪はあり。
 ・ けが:
    同僚と2人でスキー滑走中にアイスバーンに足を取られて滑落。
    同僚とはぐれ、別の登山者が発見通報。
 ・ 富士吉田署:今シーズンの富士山遭難は、今回の2件を含めて計4件。死者2人、負傷者2人。

秋元不死男

富士爽やか妻と墓地買ふ誕生日

梳きはじめ鏡台の富士傾けて

冬蜂の尻てらてらと富士の裾


秋元不死男

秋山牧車

富士真白諸君も髯を剃れという

秋元大吉郎

丸みぐせ伸ばす富嶽のカレンダー

2006年05月07日

車谷弘

富士みえる筈のあたりの朝曇

柴田白葉女

日の讃歌富士はつ秋の山容ち

柴田奈美

讃岐富士聳え晴天高うする

篠田悌二郎

初富士の玲瓏巨き創あをし

篠原梵

富士の孤の秋空ふかく円を蔵す

富士暮れしそば金縁の雲うかぶ

松の間に真白き富士のどこかが見ゆ

富士茜真紅の冬日しづみければ

赤き富士朝霧の上の山の上に

富士の肩棚雲よりも夕焼濃し

富士を見に芽ぶきし木々をぬけてゆく

若山すみ江

富士講の御師の胡座やあをふくべ

2006年05月06日

異常な多湿

東京新聞:2006年5月2日
 ・ 無人化の富士山測候所
 ・ 昨年に続き今春も突出した多湿。
 ・ 平均湿度は3月、4月とも平年を大幅に上回った。
 ・ ヘリコプター取材では、観測装置周辺が分厚い氷雪に覆われている。
 ・ 外気の湿度を正しく観測していない可能性。
 ・ 平年の平均湿度は、3月56%、4月59%。
 ・ 今年は3月76%、4月79%。
 ・ 無人化を境に昨年から跳ね上がった。
 ・ 冬型の気圧配置でさえ高い湿度が長時間続く。
 ・ 観測装置周辺が、氷雪に分厚く覆われている。
 ・ 氷雪は、無人化前は職員が頻繁に取り除いていた。
 ・ 富士山測候所「何が起きているのか、ここでは分からない。観測装置は正常に稼働しており、故障はしていない」。
 ・ 庁内「周りを氷や雪に覆われて、きちんと外気に触れていないなど、観測環境が悪化しているのではないか」との指摘。
 ・ 森田正光さん「測器は壊れていなくても、それで何を測っているかが問題」
 ・ 「同じ環境で測る気温データの信頼性も疑われる」
 ・ 「“観測魂”にもとる話だ」
 ・ 「測候所の無人化や筑波山のアメダス廃止など、貴重な観測をどんどん切っていけば、いつか倒壊するのではないか」

篠原武雄

裏富士の引けば翳おくとりかぶと

七田千代子

夏蜜柑剥く大富士を前にして

※この方の情報を教えてください!

寺田寅彦

野分止んで夕日の富士を望みけり

朝寒や富士を向ふに大根畑


「言葉の不思議」
アイヌ語「シリ」はいろいろの意味があるがその中で陸地を意味する場合もある。またこれに他の語が結びついた時には「シリ」が山を意味する事もあるらしい。この「シリ」が梵語(ぼんご)の山「ギリ」に通じる可能性がある。
この「ギリ」は露語の「ゴーラ」に縁がありそうに見える。箱根の強羅を思い出させる。また信州に「ゴーロ」という山名があり、高井富士(たかいふじ)の一部にも「ゴーロ」という地名がある。上田地方方言で「ゴーロ」は石地の意だそうである。土佐の山にも「ナカギリ」という地名がある。


「LIBER STUDIORUM」
遠くにはお城の角櫓(すみやぐら)が見え、その向こうには大内山(おおうちやま)の木立ちが地平線を柔らかにぼかしている。左のほうには小豆色の東京駅が横たわり、そのはずれに黄金色(こがねいろ)の富士が見える。その二つの中間には新議会の塔がそびえている。昔はなかったながめである。


「ジャーナリズム雑感」
従来用い古した解析的方法に容易にかかるような現象はだれも彼も手をつけて研究するが、従来の方法だけでは手におえないような現象はたとえ眼前に富士山のようにそびえていてもいっさい見て見ぬふりをしているという傾向がたしかにあるのである。しかし、だれか一人のパイオニアーがその現象に着眼して山開きのつるはしをふるって登山道がつき始めると、そうすると、始めて我れも我れもとそのふもとに押しかけるようになるのである。


「丸善と三越」
「駿河町」の絵を見ると、正面に大きな富士がそびえて、前景の両側には丸に井桁(いげた)に三の字を染め出した越後屋ののれんが紫色に刷られてある。絵に記録された昔の往来の人の風俗も、われわれの目には珍しくおもしろい、中でも著しく自分の目につくのは平和な町の中を両刀をさして歩いている武士の姿である。
富士山の見える日本橋に「魚河岸」があって、その南と北に「丸善」と「三越」が相対しているのはなんだかおもしろい事のように思われる。丸善が精神の衣食住を供給しているならば三越や魚河岸は肉体の丸善であると言ってもいいわけである。


「伊吹山の句について」
大垣停車場から、伊吹山頂、海抜一三七七メートルの点までの距離が、ほとんどちょうど二十キロメートル、すなわちざっと五里である。それから計算してみると、大垣から見た山頂の仰角は、相当に大きく、たとえば、江の島から富士を見るよりは少し大きいくらいである。従って大垣道から見て、この山はかなり顕著な目標物でなければならない。もっとも伊吹以北の峰つづきには、やはり千メートル以上の最高点がいくつかあるから、富士のような孤立した感じはないに相違ない。


「先生への通信」
氷河の向こう側はモーヴェ・パーという険路で、高山植物が山の間に花をつづり、ところどころに滝があります。ここから谷へおりる途中に、小さなタヴァンといったような家の前を通ったら、後ろから一人追っかけて来て、お前は日本人ではないかとききますから、そうだと答えたら、私は英人でウェストンというものだが、日本には八年間もいてあらゆる高山へ登り、富士へは六回登ったことがあると話しました。その細君は宿屋の前の草原で靴下を編んでいました。


「変った話」
その話によると、K先生は教場の黒板へ粗末な富士山の絵を描いて、その麓に一匹の亀を這わせ、そうして富士の頂上の少し下の方に一羽の鶴をかきそえた。それから、富士の頂近く水平に一線を劃しておいて、さてこういう説明をしたそうである。「孔子の教えではここにこういう天井がある。それで麓の亀もよちよち登って行けばいつかは鶴と同じ高さまで登れる。しかしこの天井を取払うと鶴はたちまち冲天(ちゅうてん)に舞上がる。すると亀はもうとても追付く望みはないとばかりやけくそになって、呑めや唄えで下界のどん底に止まる。その天井を取払ったのが老子の教えである」というのである。何のことだかちっとも分からない。しかし、この分からない話を聞いたとき、何となく孔子の教えよりは老子の教えの方が段ちがいに上等で本当のものではないかという疑いを起したのは事実であった。富士山の上に天井があるのは嘘だろうと思ったのであった。


「小さな出来事」
五人の描く絵が五人ながら、それぞれの小さな個性を主張しているのがかなり目立って見えた。のみならず銘々にもう既にきまった一種の型のようなものが芽を出しかけているのであった。何と云ってもいちばん多くの独創的な点をもっているのはいちばん小さい冬子の自由画であったが、その面白い点が一度認められ賞められるとそれがもう十八番になって、例えば富士山が出だすとそれがいかなる絵にでも必ず現われるのであった。今度は趣向を変えて驚かしてやろうというような気はさすがにまだ無かった。


「思い出草」
漱石先生の熊本時代のことである。ある日先生の宅で当時高等学校生徒であった自分と先生と二人だけで戯れに十分十句(じっぷんじっく)というものを試みたことがあった。ずいぶん奇抜な句が飛び出して愉快であったが、そのときの先生の句に「つまずくや富士を向こうに蕎麦の花」というのがあったことを思い出す。いかにも十分十句のスピードの余勢を示した句で当時も笑ったが今思い出してもおかしくおもしろい。しかしこんな句にもどこか先生の頭の働き方の特徴を示すようなものがあるのである。


「旅日記から(明治四十二年)」
午後にはもうイタリアの山が見えた。いよいよヨーロッパへ来たのかと思った。夕食時にはメッシナ海峡の入り口へかかった。左にエトナが見える。富士山によく似ているという人もあったが、自分の感じはまるでちがっていた。右舷(うげん)の山には樹木は少ないが、灰白色の山骨は美しい浅緑の草だか灌木(かんぼく)だかでおおわれている。


「映画芸術」
エイゼンシュテインは特に写楽のポートレートを抽出して、強調された顔の道具の相剋的(そうこくてき)モンタージュを論じているが、われわれは広重でも北斎でも歌麿でもそれぞれに特有な取り合わせの手法を認めることができるであろう。樽の中から富士を見せたり、大木の向こうに小さな富士を見せたりするシリーズは言わば富士をライトモチーヴとしたモンタージュの系列である。


「映画雑感(4)」
塚本閤治(こうじ)氏撮影の小型映画を見た時の話である。たしか富士吉田町の火祭りの光景を写したものの中に祭礼の太鼓をたたく場面がある。そのとき、もちろん無声映画であるのにかかわらず、不思議なことには、画面に写し出された太鼓のばちの打撃に応じて太鼓の音がはっきり耳に聞こえるような気がした。


「春六題」
ある日二階の縁側に立って南から西の空に浮かぶ雲をながめていた。上層の風は西から東へ流れているらしく、それが地形の影響を受けて上方に吹きあがる所には雲ができてそこに固定しへばりついているらしかった。磁石とコンパスでこれらの雲のおおよその方角と高度を測って、そして雲の高さを仮定して算出したその位置を地図の上に当たってみると、西は甲武信岳(こぶしだけ)から富士箱根や伊豆の連山の上にかかった雲を一つ一つ指摘する事ができた。


「時事雑感」
帰りの汽車で夕日の富士を仰いだ。富士の噴火は近いところで一五一一、一五六〇、一七〇〇から八、最後に一七九二年にあった。今後いつまた活動を始めるか、それとももう永久に休息するか、神様にもわかるまい。しかし十六世紀にも十八世紀にも活動したものが二十世紀の千九百何十年かにまた活動を始めないと保証しうる学者もないであろう。こんな事を考えながら、うとうとしているうちに日が暮れた。


「札幌まで」
岩手山(いわてさん)は予期以上に立派な愉快な火山である。四辺の温和な山川の中に神代の巨人のごとく伝説の英雄のごとく立ちはだかっている。富士が女性ならばこれは男性である。苦味もあれば渋味もある。誠に天晴(あっぱれ)な大和男児の姿である。


「東上記」
このあたりの景色北斎(ほくさい)が道中画譜をそのままなり。興津を過ぐる頃は雨となりたれば富士も三保も見えず、真青なる海に白浪風に騒ぎ漁(すなど)る船の影も見えず、磯辺の砂雨にぬれてうるわしく、先手の隧道(ずいどう)もまた画中のものなり。
 此処小駅ながら近来海水浴場開けて都府の人士の避暑に来るが多ければ次第に繁昌する由なり。岩淵(いわぶち)の辺甘蔗畑(かんしょばたけ)多くあり。折から畑に入るゝ肥料なるべし異様のかおり鼻を突きて静岡にて求めし弁当開ける人の胸悪くせしも可笑しかりける。沼津を過ぐれども雨雲ふさがりて富士も見えず。

これより下り坂となり、国府津近くなれば天また晴れたり。今越えし山に綿雲かゝりて其処とも見え分かず。さきの日国府津にて宿を拒まれようやくにして捜し当てたる町外れの宿に二階の絃歌を騒がしがりし夕、夕陽の中に富士足柄を望みし折の嬉しさなど思い出してはあの家こそなど見廻すうちにこゝも後になり、大磯にてはまた乗客増す。

大船にて横須賀行の軍人下りたるが乗客はやはり増すばかりなり。隣りに坐りし静岡の商人二人しきりに関西の暴風を語り米相場を説けば向うに腰かけし文身(いれずみ)の老人御殿場の料理屋の亭主と云えるが富士登山の景況を語る。近頃は西洋人も婦人まで草鞋にて登る由なりなどしきりに得意の様なりしが果ては問わず語りに人の難儀をよそに見られぬ私の性分までかつぎ出して少時(しばし)も饒舌(しゃべ)り止めず、面白き爺さんなり。


「根岸庵を訪う記」
室(へや)の庭に向いた方の鴨居に水彩画が一葉隣室に油画が一枚掛っている。皆不折が書いたので水彩の方は富士の六合目で磊々(らいらい)たる赭土塊(あかつちくれ)を踏んで向うへ行く人物もある。油画は御茶の水の写生、あまり名画とは見えぬようである。


「浮世絵の曲線」
北斎の描いたという珍しい美人画がある。その襟がたぶん緋鹿(ひが)の子(こ)か何かであろう、恐ろしくぎざぎざした縮れた線で描かれている。それで写実的な感じはするかもしれないが、線の交響楽として見た時に、肝心の第一ヴァイオリンがギーギーきしっているような感じしか与えない。これに反して、同じ北斎が自分の得意の領分へはいると同じぎざぎざした線がそこではおのずからな諧調(かいちょう)を奏してトレモロの響きをきくような感じを与えている。たとえば富岳三十六景の三島を見ても、なぜ富士の輪郭があのように鋸歯状(きょしじょう)になっていなければならないかは、これに並行した木の枝や雲の頭や崖を見れば合点される。そこにはやはり大きな基調の統一がある。


「科学者とあたま」
いわゆる頭のいい人は、言わば足の早い旅人のようなものである。人より先に人のまだ行かない所へ行き着くこともできる代わりに、途中の道ばたあるいはちょっとしたわき道にある肝心なものを見落とす恐れがある。頭の悪い人足ののろい人がずっとあとからおくれて来てわけもなくそのだいじな宝物を拾って行く場合がある。
頭のいい人は、言わば富士のすそ野まで来て、そこから頂上をながめただけで、それで富士の全体をのみ込んで東京へ引き返すという心配がある。富士はやはり登ってみなければわからない。


「連句雑俎」
これに反して連句の場合は、言わば町から町、宿場から宿場への旅の道筋を与えられないで、ただ出発点と到着点とを指定されるだけである。その間をつなぐ道筋はいくつもあり途上の景観にもまたさまざまの異同がある。それでも、どの道筋にも共通に、たとえば富士が右手に見え近辺に茶畑が見えなければならないといったような要求が満たされなければならない。そういうわけであるから連句の場合には特に創作心理と鑑賞心理との区別を立てて考察する必要があるのである。


「銀座アルプス」
アルプスと言えば銀座にもアルプスができた。デパートの階段を頂上まで登るのはなかなかの労働である。そうして夏の暑い日にその屋上へあがれば地上百尺、温度の一度や二度ぐらいは低い。上には青空か白雲、時には飛行機が通る。駿河(するが)の富士や房総の山も見える日があろう。ついでに屋上さらに三四百尺の鉄塔を建てて頂上に展望台を作るといいと思う。その側面を広告塔にすれば気球広告よりも有効で、その料金で建設費はまもなく消却されるであろう。高い所に上がりたがるのは人間というものに本能的な欲望である。

2006年05月05日

高山傳右衛門(麋塒)

年の花富士はつぼめるすがたかな

2006年05月04日

ドーム館入館20万人

山日:2006年04月29日
 ・ 入館者が28日、20万人に達し、記念セレモニー。
 ・ 20万人目の入館者は東京都の3人。伊東市に出掛ける途中。
 ・ 市長から花束やホテル宿泊券など贈呈。
 ・ レーダードーム館は、35年間活躍したレーダーを復元し、2004年4月オープン。
 ・ 開館から約2年で20万人。

寺田コウ

富士詣了し米寿の山翁

榎本其角(宝井其角)

白雲の西に行方や普賢富士

無い山の富士に並ぶや秋の昏

富士に入日を空蝉やけふの月

白雪にくろき若衆や冨士まうで

霞消て富士をはだかに雪肥たり

富士の雪蠅は酒屋に残りけり


「芭蕉翁終焉記」
 天和三年の冬、深川の草庵急火にかこまれ、潮にひたり、苫をかつぎて、のびけん。
 是ぞ玉の緒のはかなき初め也。爰に猶如火宅の変を悟り、無所住の心を発して、其次の年、夏の半に甲斐が根にくらして、富士の雪のみつれなかればと。それより三更月下入無我といひけん。昔の跡に立帰りおはしければ、

山根草炎

富士消えてよりの雲海初飛行

富士山測候所を活用する会

静岡社会:2006年5月3日
 ・ 研究者らで組織する「富士山測候所を活用する会」(会長・中村徹元運輸事務次官)。
 ・ 2日までに、内閣府からNPO法人の認証を受けた。
 ・ 公的な認証を受けたことで、管理・運営の受け皿になることを目指す。
 ・ 平成16年10月に72年にわたった有人観測業務を終えた測候所。
 ・ 気象庁が設置した検討委が協議するが、結論は出ていない。
 ・ 同会の目的:富士山測候所を学術研究・教育などの分野で、広く国民に開かれた施設として有効活用すること
 ・ 活動内容:測候所を活用した科学・学術的事業や、環境教育事業、人的ネットワーク
 ・ 認証を受け、26日午後4時から新宿で設立総会と記念対談会。
 ・ レーダードーム建設に携わった建設会社員や測候所長らが語る。入場無料。

2006年05月03日

紙田幻草

初雪の初冠雪の富士といふ

北村季吟

富士の山師走ともなき景色哉

いや見せじ富士を見た目にひえの月

市村究一郎

富士颪わけて細枝の寄生木は

野に低き初富士にして畦照らす

2006年05月02日

山田節子

花あけび富士へ傾く樹にからむ

山田弘子

撫子を摘みし束の間富士を見し

山上樹実雄

裏富士の冷えのかぶさるとろろ汁

山口草堂

富士晴れに瑞の葉ささぐ孔雀歯朶

山本陽子

鮠透けり富士湧水を雲流れ

山本信子

初富士のほど良く見えて松の糶

2006年05月01日

山口素堂(信章)

晴る夜の江戸より近し霧の不二

唐土に富士あらばけふの月もみよ

その富士や五月晦日二里の旅

天の原よし原不二の中行く時雨かな

天の原不二をひとくち茄子哉

不二筑波二夜の月を一夜かな

蓮世界翠の不二を沈むらむ

富士山や遠近人の汗拭ひ

富士山やかのこ白むく土用干

富士は扇汗は清見が關なれや

六月やおはり初物ふじの雪

鴨の巣や富士にかけたる諏訪の池

角帽子雪にしぼむか不二詣

むさしのやふじのね鹿のねさて虫の音

富士の嶺頂く雪を剃りこぼし