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2006年08月18日

僧契冲

富士がねは山の君にて高御座
   空にかけたる雪の経笠

そらにみつやまとしまねにふたつなき
   たよりとなれるふじのしば山

日のもとのくにをしづめてうごきなき
   ふじのたかねのなるさはのいし

くちなしのゆきげの雲は空とぢて
   人ぞいひつぐふじのたかね

ふじのねに峰をわたりてふる雪の
   めづらしげなくめづらしきかな

あづまぢはをちこち人のいひづきて
   ゆくもかへるもふじのしばやま

ひさかたのあまのみはしら神代より
   たてるやいづこふじのしば山

富士のねをみれば雲にものらぬみの
   こゝろは空にうきしまがはら

をとめこがふじのみゆきのしたがさね
   あまのはごろもなるゝよもなし

山路愛山

「詩人論」
殊に知らず、天地の情豈に一人一派にして悉知(しつち)するを得んや。月影波に横はれば砕けて千態万状を為すに非ずや。百日の富士は百日の異景を呈するに非ずや。詩人たる者唯宜しく異を容れて惟(こ)れ日も足らざるべし、何を苦しんで党派を作らんとするぞ。是も亦談理の弊に非ずや。

2006年08月17日

坂口安吾

「明治開化 安吾捕物 その十九 乞食男爵」
当時の女相撲は十五六貫から二十一二貫どまりであるが、女相撲だからデブで腕ッ節の強いのが力まかせに突きとばせば勝つにきまっていると思うのは早計である。斎藤一座は特に四十八手の錬磨にはげませたから、例の遠江灘オタケ二十一歳六ヶ月、五尺二寸四分二十一貫五百匁が歯力ならびに腕力抜群でも、実は西の横綱だった。東の横綱は富士山オヨシ二十六歳八ヶ月、五尺二寸五分、体重はただの十六貫二百である。


「明治開化 安吾捕物 その十二 愚妖」
轢死体のあった場所は、昔の東海道線、国府津と松田の中間。今の下曾我のあたりだ。そのころは下曾我という駅はなかった。今の東海道線小田原、熱海、沼津間ははるか後日に開通したもので、昭和の初期はまだ国府津から松田、御殿場と、富士山麓を大まわりしていたものだ。


「外套と青空」
 いつ頃のことであつたか、あるとき花村が情慾と青空といふことをいつた。印度の港の郊外の原で十六の売笑婦と遊んだときの思ひ出で、青空の下の情慾ほど澄んだものはないといふ述懐だつた。すると舟木が横槍を入れて、情慾と青空か。どうやら電燈と天ぷらといふやうに月並ぢやないかな、といつた。その花村や舟木や間瀬や小夜太郎らは庄吉も一しよにキミ子を囲んで伊豆や富士五湖や上高地や赤倉などへ屡々旅行に出たといふ。キミ子が彼等の先頭に立ち、短いスカートが風にはためき、まつしろな腕と脚をあらはに、青空の下をかたまりながら歩く様が見えるのだつた。すると花村も舟木も間瀬も小夜太郎も、一人々々が白日の下でキミ子を犯してゐるのであつた。


「巷談師」
共産党以外の人には分る筈だが、この文句は、時の首相とか、政党の指導者などに用いるもので、巷談屋には用いない。用いて悪い規則もないが、巷談屋とヒットラーには、用いる言葉がおのずからそれぞれに相応したものでなければならない。
こう断定した共産党は静岡県の富士郡というところの何々村の住人だ。行って見たわけではないが、富士山の麓のヘキ村だろう。そんなところに住んでいても、民衆の心が巷談屋から離れているのをチャンと見ているのである。


「教祖の文学――小林秀雄論――」
花鳥風月を友とし、骨董をなでまはして充ち足りる人には、人間の業と争ふ文学は無縁のものだ。小林は人間孤独の相と云ひ、地獄を見る、と言ふ。
 あはれあはれこの世はよしやさもあらばあれ来む世もかくや苦しかるべき (西行)
 花みればそのいはれとはなけれども心のうちぞ苦しかりける (西行)
 風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな (西行)
 ほのほのみ虚空にみてる阿鼻地獄行方もなしといふもはかなし (実朝)
 吹く風の涼しくもあるかおのづから山の蝉鳴きて秋は来にけり (実朝)
秀歌である。たしかに人間孤独の相を見つめつゞけて生きた人の作品に相違なく、又、純潔な魂の見た風景であつたに相違ない。

岡本綺堂

「近松半二の死」
あづま路に、かうも名高き沼津の里、富士見白酒名物を、一つ召せ/\駕籠に召せ、お駕籠やろかい參らうか、お駕籠お駕籠と稻むらの蔭に巣を張り待ちかける、蜘蛛の習(ならひ)と知られたり。浮世渡りはさま/″\に、草の種かや人目には、荷物もしやんと供廻(ともまは)り、泊りをいそぐ二人連れ――


「半七捕物帳・ズウフラ怪談」
安政四年九月のことである。駒込富士前町の裏手、俗に富士裏というあたりから、鷹匠屋敷の附近にかけて、一種の怪しい噂が立った。


「半七捕物帳・白蝶怪」
旧暦二月のなかばの春の空は薄むらさきに霞んで、駿河町からも富士のすがたは見えなかった。その日本橋の魚河岸から向う鉢巻の若い男が足早に威勢よく出て来た。


「綺堂むかし語り」
この茶店には運動場があって、二十歳ばかりの束髪の娘がブランコに乗っていた。もちろん土地の人ではないらしい。山の頂上は俗に見晴らし富士と呼んで、富士を望むのによろしいと聞いたので、細い山路をたどってゆくと、裳(すそ)にまつわる萩や芒(すすき)がおどろに乱れて、露の多いのに堪えられなかった。登るにしたがって勾配がようやく険しく、駒下駄ではとかく滑ろうとするのを、剛情にふみこたえて、まずは頂上と思われるあたりまで登りつくと、なるほど富士は西の空にはっきりと見えた。秋天片雲無きの口にここへ来たのは没怪(もっけ)の幸いであった。

2006年08月16日

白木南栖

赤富士に河童忌の雲帆のごとし

2006年08月15日

白井爽風

長月の富嶽のせゐる波がしら

萩原麦草

富士照りて今夜寝られず麦を搗く

富士くらく闇夜の氷踏みにけり

2006年08月14日

石田波郷

初富士やことなきに似て甍満つ

初富士へ荒濤船を押しあぐる

※「押しあげる」の資料もあり。

初富士や蜜柑ちりばめ蜜柑山

2006年08月13日

能見八重子

富士講者火を連ねつつ夜を登る

日夏耿之介

雲の翳黝みつ富士の鋭きそそり

2006年08月12日

南俊郎

五月富士出窓の多き子の新居

※この方の情報を教えてください!

内藤鳴雪

末枯れに真赤な富士を見つけたり

※「末枯れて」の資料もあった。

元旦や一系の天子富士の山

(参考URL)
http://www.sankei.co.jp/news/060116/morning/seiron.htm
http://www1.ocn.ne.jp/~go79dou/haiku001.html

2006年08月11日

徳永山冬子

窓の富士いときはやかや初句会

春暁や紫焔紅焔富士の頂

道川虹洋

午後よりは磯波荒し富士薊

2006年08月10日

藤田知子

ことによく富士の晴れし日参賀の日

※この方の情報を教えてください!

藤田湘子

初富士にふるさとの山なべて侍す

2006年08月09日

藤田尚平

初雪の富士仰ぎつつ出勤す

※この方の情報を教えて下さい!

藤田つとむ

初富士の今し天地をつなぎけり

2006年08月08日

藤松遊子

夕富士を仰ぎて吾が身露けしや

高曇して晩秋の富岳あり

藤岡武雄

黒富士を借景とするわが庭に
 小さきかまきりの生れて身構ふ

2006年08月07日

藤井紅子

山荘の刈り残されし富士薊

湯川雅

富士桜より始まりし富士樹海

2006年08月06日

天野桃隣

市中や木の葉も落ず不二颪

東良子

眼前に富士の闇ある淑気かな

若者が富士に真向ける寒暮かな

2006年08月05日

山田美妙

「武蔵野」
その内に日は名残りなくほとんど暮れかかッて来て雲の色も薄暗く、野末もだんだんと霞んでしまうころ、変な雲が富士の裾へ腰を掛けて来た。原の広さ、天(そら)の大きさ、風の強さ、草の高さ、いずれも恐ろしいほどに苛(いか)めしくて、人家はどこかすこしも見えず、時々ははるか対方(むこう)の方を馳せて行く馬の影がちらつくばかり、夕暮の淋しさはだんだんと脳を噛んで来る。

嶋田摩耶子

授かりしもの全容の五月富士

2006年08月04日

藤崎久を

あと戻りせざる五月の富士に逢ふ

嶋田一歩

富士見えぬ方が裏口年木積む

赤富士に青くなりゆく空ありし

夕富士となつてをりけり昼寝ざめ

2006年08月03日

島田末吉

桃狩のくるりと剥けて遠い富士

2006年08月02日

土橋いさむ

初富士や常の日課の犬連れて

都筑省吾

桃の花咲くやまかひを登り来て
   空に浮かべる富士に真対ふ

2006年08月01日

唐木培水

三寒やエンデバの富士白一点

渡邉英子

掛り凧富士より高く暮れのこる