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岡本綺堂

「近松半二の死」
あづま路に、かうも名高き沼津の里、富士見白酒名物を、一つ召せ/\駕籠に召せ、お駕籠やろかい參らうか、お駕籠お駕籠と稻むらの蔭に巣を張り待ちかける、蜘蛛の習(ならひ)と知られたり。浮世渡りはさま/″\に、草の種かや人目には、荷物もしやんと供廻(ともまは)り、泊りをいそぐ二人連れ――


「半七捕物帳・ズウフラ怪談」
安政四年九月のことである。駒込富士前町の裏手、俗に富士裏というあたりから、鷹匠屋敷の附近にかけて、一種の怪しい噂が立った。


「半七捕物帳・白蝶怪」
旧暦二月のなかばの春の空は薄むらさきに霞んで、駿河町からも富士のすがたは見えなかった。その日本橋の魚河岸から向う鉢巻の若い男が足早に威勢よく出て来た。


「綺堂むかし語り」
この茶店には運動場があって、二十歳ばかりの束髪の娘がブランコに乗っていた。もちろん土地の人ではないらしい。山の頂上は俗に見晴らし富士と呼んで、富士を望むのによろしいと聞いたので、細い山路をたどってゆくと、裳(すそ)にまつわる萩や芒(すすき)がおどろに乱れて、露の多いのに堪えられなかった。登るにしたがって勾配がようやく険しく、駒下駄ではとかく滑ろうとするのを、剛情にふみこたえて、まずは頂上と思われるあたりまで登りつくと、なるほど富士は西の空にはっきりと見えた。秋天片雲無きの口にここへ来たのは没怪(もっけ)の幸いであった。