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2007年07月28日

木下利玄

「春雨小傘」より
御軍のかちを祝ふと御旗たてし町のはづれに富士の高峰見ゆ


「富士山へ上る」
傾きて裾野に通る一本の道を自働車走るも富士に真向ひ
いちじるしく大きく見ゆる富士の下に自働車を下り現し身ひくし
山を前に自働車を下り歩みおこす足裏幽けく火山砂鳴る
自働車下り歩めば静けし裾野原夏日澄みやかに野ばら咲くあり
青草に夏日照り澄みひろ/゛\と裾野傾けりそのかたむきを
裾野木原葉のかさなりを深く徹る日にをちこちの草光あり
太郎坊に霧を颪すも昼すぎしこの大き山へ敢へてし上る
地をこめてたゞよひ動く霧の脚麓の傾斜の熔岩濡らす
大霧のしゞまの中をぬれくろむ火山砂踏みのぼりつゞけ居り
富士の麓大霧中のしゞまにし現し身探し笠しづくすも
目の前にて大霧俄かにとぎれたるにま近くなりゐつ富士の頂き
面むけて上りつゞけゐし富士山よりふりかへり見る裾野のひろがり
山腹に立ち見はるかす傾斜の線夕空なゝめに切りてし曳けり
今日とまる七合日の小屋山腹の高きところにて旗ひるがへせり
小屋の中ランプの前にところ狭くわれ等人間夜明けを待つも
岩室の夜冷えて来つたづさへし毛布かつぎて山畏れ寝ぬ
昼の疲れいでしものから寝つかれぬ岩室の床の夜ふけて冷ゆる
岩室出て尿をしたり今宵のわれしみ/゛\いとしも寒さにふるへて
東京横濱空明りするをのぞみゐれば身慄ひつくもお山の夜冷え
都会の空ほの明りせりお山に寝る今宵のわれのかすかにもいとしき
岩室出でて空の真闇にそゝりたてるお山しばし見て灯の下にかへる
岩室の夜更けしづみ地より冷え稲光うつる硝子戸口に
岩室は大地より冷え室人の更けて寝ぬ声さゐさゐきこゆ
地球はめぐりけらしも起きて見れば澄みつかれたる星々の光
真夜すぎて幾時もあらね起きて見ればこの山へ向けて白みきざせり
七合日の夜明けの寒さ寝の足らぬ眼をしばたたき草鞋をはくも
一夜ねし暁の灯の下を出でぬ白みつゝあるお山のさむさ
白みそめし山の石ころみち睡の足らぬ眼にみすゑて上りに上る
山を脊にむき直る前は雲の大海しづみ白めりこのたよりなさ
日の出前の紅み真に受け富士山の東傾れは染まりたるかも
急になれる山に面むかひ足もとに力をいれて岩ふみのぼる
山へとゞく朝日のいろの黄いろきに虎杖の葉のいや緑なり
富士山の大き傾き遂に上り石ころの地にころぶしにけり
眼をはなつこの大傾れを二日かゝり攀ぢきとおもひ足をやすます
眼をはなつこの大傾きをこつ/\と攀ぢつめしかもよ頂上にあり
富士山の頂上なれば登山者どち人間同志のよしみを感ず
頂上に庵する人は岩積みて暗きが中に昼もこもれり
太陽は真上に来り眼の前に富士の頂上を明かに照らす
頂上の石塊しきて下に居れば午の日真に照り我れ山に酔ふ
甲斐の側に白きは雲と見し間もなくはびこりもり上るこの量は如何に
山に酔へる眼をひき入れて我れの前に奈落へ低まる傾れのひろがり
大傾れたよるものなきに足ふみ入れ山酔頭痛堪へたへ下る
太郎坊も通りすぎけり裾野原この日も夕づき何かわびしも
夕日洩るゝ裾野木原に下りきたりくたびれあゆむ平たきみちを
御殿場へいそがす馬車のとゞろきに身をまかせつゝ富士顧す
御殿場より夕不二のぞむ上り来し今日のお山かいつくしきかも


「大根畑」より
冬空の西夕焼けてくきやかに富士連山を磨ぎ出しにけり

2007年06月05日

喜田川守貞

「守貞謾稿」(守貞謾稿)
五月晦日、六月朔日ノ両日、江戸浅草、駒込、高田、深川、目黒、四ツ谷、茅場町、下野小野照(以上八所トモニ江戸ノ地名也。並ニ冨士山ヲ模造シテ、浅間ノ神を祭レリ。平日ハ、此模山ニ登ルコトヲ聴サズ。此両日ノミ、詣人ヲ登ス。蓋、駒込ヲ江戸ノ本所トス。)等ノ富士詣テト号テ、群参ス。各所、必ラズ麦藁制ノ蛇形ヲ、生杉枝ニ繞ヒタルヲ賣ルニ、大小アルトモ皆同制也。富士詣ノ方物トス。
或書曰、宝永中疫病行レ、緒人患(レ)之。干時駒込ノ農夫喜八ナル者、麦ワラ制の蛇ヲ、冨士辺ノ市ニ賣ル。買(レ)之者皆必ラズ疫病ノ患ヲ除ク。依(レ)之テ、以後毎年今日、専ラ賣之。又曰、当時ハ、遠近ヨリ冨士詣ノ童子、専ラ披髪ニテ行ク云々。
又曰、享保二年始テ、銕炮洲ノ船松町ヨリ花万度ヲ、毎年今日、駒込冨士権現ニ献ズ。
塵塚談曰、駒込冨士権現祭、五月晦日ヨリ六月朔日迄参詣夥シ。予、若年ノ比ハ、俗間ノ童子等、参詣ニハ皆、髪ヲアラヒ、油元結ヲ用ヒズ、散髪ニシテ詣デシガ多カリシ。近年、右躰ノ童、更ニ見ヘズ。移リ代ル世ノ有サマ、斯ノ如シ云々。

※上記の(レ)は、レ点を表した。

昔は京坂の昆布店に 板を富士山の形に造り采りて招牌とす。文政の始めまで 大坂順慶町堺筋南西角にこぶ店あり。その所に不二の看板ありしを 予幼年に見覚へあり。その他にもありしならん。古き小唄に 大きいもので云ふなら弓削の道鏡 名も高き千石船の帆柱か。奈良の大仏二王さまアリヤ。九文竜に釈迦ヶ岳。富士の山をばちよつと片手に提げまする。それは昆布ヤノ掾ジヤイナ(九文竜釈迦ヶ岳、二人角力の名)。

2007年06月01日

喜多村信節(喜多村■庭:きたむらいんてい)

「嬉遊笑覧」
相撲大全に、角前髪の角力取櫛をさすこと元禄年中に盛なりし云々。此事おぼつかなし。たまたま櫛をさしゝもありしなるべし。かく云ては多くさしたる様なり。さはあるまじきと思はるゝは五元集闘鶏句合素琴が句■勝鬨に毛なみを直す櫛もがな■判云。中入して手はじめなるに女房の後見とは心得ぬ業なり。
富士の烟のかひやなからん。力かひなく歯がみせらるゝぞかし。牝鶏晨すればわざはひ有とこそ伝へ侍れ。象もよくつながれ鹿必よると云る詞をしらば、さしぐしも心を付てつゝしむべし。

2007年05月14日

木俣修

「静岡県立清水工業高等学校 校歌」
富士が嶺に 雲は騰り
 三保の松原 風に光る
 白亜の校舎 並みたつところ
 われらが勢う 声はひびく
 学べよ明るく 誠実に
 かかげん共に よき理想
 ああ 若人に 誇りあれ
 清水 清水 わが工業高校

※3番のうちの1番
※作詞木俣修/作曲沖不可止


「平塚江南高等学校 校歌」
○山あり 富士ヶ嶺
 雲に映ゆるもの 時じくの雪
 げに 光おぎろなし
 うら若き眉をあげて
 聴かずや この匂ひ この正大
 ここぞ江南
 よき窓 わが学び舎
 ああ われらの胸 けふも美し

※3番のうちの1番
※作詞木俣修/作曲平井保善


「練馬区立田柄中学校 校歌」
○秩父の山も富士も かなたに呼び 夢をさそう
 讃えよ友とつねに このわが学び舎
 意志強く鍛えてここにかげりなし 勤労のまこと
 かかぐる理想 国を興さん
 ああ わが田柄 田柄中学校

※3番のうち3番
※作詞木俣修/作曲平井康三郎

2007年04月30日

清崎敏郎

一天の一劃にして雪解富士

2007年04月02日

紀乳母(紀の乳母)

富士の嶺のならぬ思ひに燃えば燃え神だに消(け)たぬ虚(むな)し煙を


富士の嶺の燃えわたるともいかゞせん消ちこそ知らね水ならぬ身は
※上記一句、後撰和歌集648

2007年03月11日

木下孝一

枯萱の尾根の狭霧(さぎり)に吹かれたつ見えざる富士を彼の方に見て

2007年01月27日

木下尚江

「火の柱」
篠田はやがて学生の群と別れて、独り沈思の歩(あゆみ)を築山の彼方(あなた)、紅葉麗はしき所に運びぬ、会衆の笑ひ興ずる声々も、いと遠く隔りて、梢に来鳴く雀の歌も閑(のど)かに、目を挙ぐれば雪の不二峰(ふじがね)、近く松林の上に其頂を見せて、掬(すく)はば手にも取り得んばかりなり、心の塵吹き起す風もあらぬ静邃閑寂(せいすゐかんじやく)の天地に、又た何事の憂きか残らん、時にふさはしき古人の詩歌など思ひ浮ぶるまに/\微吟しつ、岸の紅葉、空の白雲、映して織れる錦の水の池に沿うて、やゝ東屋(あづまや)に近きぬ、見れば誰やらん、我より先きに人の在り、聞ゆる足音に此方(こなた)を振り向きつ、思ひも掛けず、ソは山木の令嬢梅子なり、

夕ばえの富士の雪とも見るべき神々しき姉の面(おもて)を仰ぎて、剛一は、腕拱(こまぬ)きぬ、
 鳥の群、空高く歌うて過ぐ、

「ふウむ」と侯爵は葉巻(シガー)の煙(けむ)よりも淡々しき鼻挨拶(はなあしらひ)、心は遠き坑夫より、直ぐ目の前の浜子の後姿にぞ傾くめり、
 浜子は彼方(あちら)向いて、遙か窓外の雪の富士をや詮方(せんかた)なしに眺むらん、

2006年06月04日

北村西望

卯木垣や富士ではあらで枝折山

2006年05月03日

北村季吟

富士の山師走ともなき景色哉

いや見せじ富士を見た目にひえの月

2006年04月18日

京極杞陽

早子いふ秋晴の不二よかりしと

京極杜藻

一鳥啼かず富士初雪のきびしさに

2006年04月15日

北光星

虻唸る高さに身ゆる利尻富士

木村秋峰

厚化粧して雛の日の表富士

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木村史津子

きさらぎの裾野ふくらむ女富士

北野里波亭

初富士の全容を置く籬かな

2006年04月14日

木津柳芽

暮れぎはや不二もあらはに冴えかへる

富士かくれ篠のうぐひす鳴つれる

富士きえて晴るる箱根にほととぎす

2006年04月10日

景戒

「日本現報善悪霊異記(日本霊異記)」
天皇敕之、遣使捉之。猶因驗力、輙不所捕。故捉其母。優婆塞令免母故、出來見捕。即流之伊圖之嶋。于時、身浮海上、走如履陸。體踞萬丈。飛如■鳳。晝隨皇命、居嶋而行。夜往駿河、富岻嶺而修。然庶宥斧鉞之誅、近朝之邊、故伏殺劍之刃、上富岻也。見放斯嶼而憂吟之間、至于三年矣。於是乘慈之音、以大寶元年■次辛丑正月、近天朝之邊、遂作仙飛天也。

(書き下し)
天皇勅して、使を遣りて捉らせたまふ。なほ験力に因りて、輒く捕られず。故に其の母を捉る。すなはち伊図の嶋に流す。時に身は海の上に浮び、走くことが陸が履くが如し。体は万丈に踞り、飛ぶこととぶ鳳の如し。昼は皇の命に随ひて嶋に居て行ひ、夜は駿河の富岻嶺に往きて修ふ。然うして庶はくは斧鉞の誅を宥され天朝の辺に近かむことをねがひて、故に殺る剣の刃に伏ひて、富岻の表を上る。「斯の輿に放たれて憂へ吟ふ問、三年に至る。是に慈の旨を垂れたまへ」とまうす。


景戒について

2006年03月27日

北原白秋

「黎明の不二」より
よく見ればその空高く、かすかにも雪煙立ち、その煙絶えすなびけり。 いよいよに紅く紅く、ひようひようと立ちのぼる雪の焔の、天路(あまぢ)さしいよよ盡きせね、消えてつづき、消えてつゞけり。


「春はあけぼの」
○春はあけぼの
 紫染めて
 不二は殿御(とのご)の立ちすがた
○裾は紫
 頂上は茜
 不二は蓮華の八つ面


「初花ざくら」
○不二の裾野の
 初花ざくら、
 様は木花咲耶姫。
○不二の裾野の
 一本ざくら、
 いとしそさまも花盛り。


「山北」
○早やも山北、
 ちらちら、燈(あかり)、
 鮨は鮎鮨、
 渓(たに)の月。
○箱根越ゆれば、
 裾野の夜露、
 不二は紫
 百合の花。


「山じや」
これが山じやと、
すうと立つたお山、
さすがお不二さん
山の山。


「武蔵野の不二」
○心ぼそさに
 背戸(せど)に出て見れば、
 不二がちよつぽり、
 枯木原。
不二の遠見に、
 火の見の梯子、
 野良は火のよな
 唐辛子。


不尽の山れいろうとしてひさかたの天の一方におはしけるかも

北斎の天をうつ波なだれ落ちたちまち不二は消えてけるかも


「香ひの狩猟者」
六十一種といふ名香の中に、紅塵、富士煙(ふじのけぶり)などは名からして煙つてゐる。一字の月、卓、花は何と近代の新感情を盛ることか。ことに隣家(りんか)にいたつては、秋深うして思ひ切なるものがある。


不二の裾野
不二の裾野
 吹雪の夜汽車
 何處(どこ)に下りよう當(あて)もない
不二のしら雪
 解けなば解けよ
 とても愛鷹(あいたか)、三島宿
不二の巻狩
 夜明けの篝火(かがり)
 今は速彈(はやだま)、戀の仇
 
※北原白秋作詞/成田為三作曲


不二の高嶺に」
不二の高嶺
 朝ゐる雲は
 あれは雪雲
 風見雲
不二の高嶺
 夕ゐる雲は
 末は茜の
 わかれ雲
 
※北原白秋作詞/成田為三作曲


「紅吹雪」
○天(そら)へ天(そら)へと
 あの雪煙(ゆきげむり)
 お山なりやこそ
 紅吹雪
○いとし焔(ほのほ)か
 焔の雪か
 不二は夜の明け
 紅吹雪
○雪の焔の
 燃え立つ朝は
 さぞやお山も
 せつなかろ
○やるせないぞへ
 あの紅吹雪
 早やも後朝(きぬぎぬ)
 不二颪

※北原白秋作詞/成田為三作曲

2006年03月26日

岸田稚魚

たらの芽や雲を聚めて利尻富士

雨雲の夜雲となりつ富士詣

大寒の富士にぶつかる葬かな(五島沙歩郎逝く)

大露や抜身のごとく富士立てり

ハンカチーフ雪白なりや富士曇る

大寒の富士にぶつかる野辺送り

刻々の大赤富士となりゐつつ

岸本尚毅

雉子鳴くつめたき富士と思ふかな

岸風三樓

籐椅子に師あれば簷に富士青し

処暑の富士雲脱ぎ最高頂見する

山毛欅枯れて富士より他に何もなき

初凪や児島湾なる備前富士

2006年03月11日

きちせあや

赤富士の面険しき登山口

2006年03月10日

紀貫之

しるしなきけふりを雲にまかへつゝ夜をへてふしの山ともえなん
※新古今和歌集1008


「古今和歌集」(校註國歌大系)序
しかあるのみにあらず、さゞれ石にたとへ、筑波山にかけて君を願ひ、よろこび身にすぎ、たのしみ心にあまり、富士の煙によそへて人をこひ、松蟲のねに友をしのび、高砂住の江の松もあひおひのやうに覺え、男山の昔を思ひ出でて、女郎花の一時をくねるにも、歌をいひてぞなぐさめける。又春のあしたに花のちるを見、秋の夕暮に木の葉の落つるを聞き、あるは年ごとに鏡の影に見ゆる雪と波とを歎き、草の露、水の沫を見て、我が身をおどろき、あるは昨日は榮えおごりて、時を失ひ、世にわび、親しかりしも疎くなり、あるは松山の波をかけ、野中の水をくみ、秋萩の下葉をながめ、曉の鴫のはねがきをかぞへ、あるは呉竹のうきふしを人にいひ、吉野川をひきて世の中をうらみきつるに、今はふじの山も煙たたずなり、長柄の橋もつくるなりと聞く人は、歌にのみぞ心をなぐさめける。

2006年01月28日

木下杢太郎

「少年の死」
かう云ふ懊惱(あうなう)が富之助を痩せさせる間に、三日經ち五日經つた。
船に一杯の石油を積み、それに爆發物を載せて、夜の海上に船を爆發させ、それと共に死なうなどと空想したこともあつた。
或は富士の人穴のやうな誰も知らない洞の奧に這入つて、死後も人に見付からないやうに死なうかとも考へた。

北村透谷

「蓬莱曲別篇」より
慈航湖(じこふのうみ)
 (露姫玉棹を遣ひ素雄失心して)
 (船中に在り)
露、   これは慈航の湖(うみ)の上、波穏かに、水滑らかに、岩静かに、水鳥の何気なく戯(た)はれ泳げる、松の上に昨夜(ゆふべ)の月の軽く残れる、富士の白峯(しらね)に微(かす)けく日光(ひのめ)の匐(は)ひ登れる、おもしろき此処の眺望(ながめ)を打捨てゝ、
いざ急がなん西の國。


富嶽の詩神を思ふ」より
 白雲、黒雲、積雪、潰雪(くわいせつ)、閃電(せんでん)、猛雷、是等のものを用役し、是等のものを使僕し、是等のものを制御して而して恒久不変に威霊を保つもの、富嶽(ふがく)よ、夫れ汝か。渡る日の影も隠ろひ、照る月の光も見えず、昼は昼の威を示し、夜は夜の威を示す、富嶽よ汝こそ不朽不死に邇(ちか)きものか。汝が山上の浮雲よりも早く消え、汝が山腹の電影よりも速に滅する浮世の英雄、何の戯れぞ。
 遠く望めば美人の如し。近く眺れば威厳ある男子なり。アルプス山の大欧文学に於ける、わが富嶽の大和民族の文学に於ける、淵源(えんげん)するところ、関聯するところ、豈(あに)寡(すくな)しとせんや。遠く望んで美人の如く、近く眺めて男子の如きは、そも我文学史の証しするところの姿にあらずや。アルプスの崇厳、或は之を欠かん、然れども富嶽の優美、何ぞ大に譲るところあらん。われはこの観念を以て我文学を愛す。富嶽を以て女性の山とせば、我文学も恐らく女性文学なるべし。雪の衣を被(かつ)ぎ、白雲の頭巾を冠りたる恒久の佳人、われはその玉容をたのしむ。
 尽きず朽ちざる詩神、風に乗り雲に御して東西を飄遊し玉へり。富嶽駿河の国に崛起(くつき)せしといふ朝、彼は幾億万里の天崕(てんがい)よりその山巓(さんてん)に急げり、而して富嶽の威容を愛するが故に、その殿居に駐(とゞ)まり棲みて、遂に復(ま)た去らず。是より風流の道大に開け、人麿赤人より降(くだ)つて、西行芭蕉の徒、この詩神と逍遙するが為に、富嶽の周辺を往返して、形(けい)なく像なき紀念碑を空中に構設しはじめたり。詩神去らず、この国なほ愛すべし。詩神去らず、人間なほ味(あぢはひ)あり。


「楚囚(そしゆう)之詩」より
彼は余と故郷を同じうし、
 余と手を携へて都へ上りにき――
京都に出でゝ琵琶を後(あと)にし
 三州の沃野(よくや)を過(よぎ)りて、浜名に着き、
富士の麓に出でゝ函根(はこね)を越し、
 遂に花の都へは着(つき)たりき、

兎(と)は言へ、猶(な)ほ彼等の魂(たま)は縛られず、
 磊落(らいらく)に遠近(おちこち)の山川に舞ひつらん、
 彼の富士山の頂に汝の魂(たま)は留(とどま)りて、
 雲に駕し月に戯れてありつらん、
嗚呼何ぞ穢(きた)なき此の獄舎(ひとや)の中に、
 汝の清浄なる魂(たま)が暫時(しばし)も居(お)らん!


「富士山遊びの記憶」より
二十(六)七日 早朝亭を立出でゝ南の方富士の裾野へ進みけり強力の携えし品ハ長どてら一枚、別製鞋四足今日の弁当翌朝の餅等なり、