北村透谷
「蓬莱曲別篇」より
慈航湖(じこふのうみ)
(露姫玉棹を遣ひ素雄失心して)
(船中に在り)
露、 これは慈航の湖(うみ)の上、波穏かに、水滑らかに、岩静かに、水鳥の何気なく戯(た)はれ泳げる、松の上に昨夜(ゆふべ)の月の軽く残れる、富士の白峯(しらね)に微(かす)けく日光(ひのめ)の匐(は)ひ登れる、おもしろき此処の眺望(ながめ)を打捨てゝ、
いざ急がなん西の國。
「富嶽の詩神を思ふ」より
白雲、黒雲、積雪、潰雪(くわいせつ)、閃電(せんでん)、猛雷、是等のものを用役し、是等のものを使僕し、是等のものを制御して而して恒久不変に威霊を保つもの、富嶽(ふがく)よ、夫れ汝か。渡る日の影も隠ろひ、照る月の光も見えず、昼は昼の威を示し、夜は夜の威を示す、富嶽よ汝こそ不朽不死に邇(ちか)きものか。汝が山上の浮雲よりも早く消え、汝が山腹の電影よりも速に滅する浮世の英雄、何の戯れぞ。
遠く望めば美人の如し。近く眺れば威厳ある男子なり。アルプス山の大欧文学に於ける、わが富嶽の大和民族の文学に於ける、淵源(えんげん)するところ、関聯するところ、豈(あに)寡(すくな)しとせんや。遠く望んで美人の如く、近く眺めて男子の如きは、そも我文学史の証しするところの姿にあらずや。アルプスの崇厳、或は之を欠かん、然れども富嶽の優美、何ぞ大に譲るところあらん。われはこの観念を以て我文学を愛す。富嶽を以て女性の山とせば、我文学も恐らく女性文学なるべし。雪の衣を被(かつ)ぎ、白雲の頭巾を冠りたる恒久の佳人、われはその玉容をたのしむ。
尽きず朽ちざる詩神、風に乗り雲に御して東西を飄遊し玉へり。富嶽駿河の国に崛起(くつき)せしといふ朝、彼は幾億万里の天崕(てんがい)よりその山巓(さんてん)に急げり、而して富嶽の威容を愛するが故に、その殿居に駐(とゞ)まり棲みて、遂に復(ま)た去らず。是より風流の道大に開け、人麿赤人より降(くだ)つて、西行芭蕉の徒、この詩神と逍遙するが為に、富嶽の周辺を往返して、形(けい)なく像なき紀念碑を空中に構設しはじめたり。詩神去らず、この国なほ愛すべし。詩神去らず、人間なほ味(あぢはひ)あり。
「楚囚(そしゆう)之詩」より
彼は余と故郷を同じうし、
余と手を携へて都へ上りにき――
京都に出でゝ琵琶を後(あと)にし
三州の沃野(よくや)を過(よぎ)りて、浜名に着き、
富士の麓に出でゝ函根(はこね)を越し、
遂に花の都へは着(つき)たりき、
兎(と)は言へ、猶(な)ほ彼等の魂(たま)は縛られず、
磊落(らいらく)に遠近(おちこち)の山川に舞ひつらん、
彼の富士山の頂に汝の魂(たま)は留(とどま)りて、
雲に駕し月に戯れてありつらん、
嗚呼何ぞ穢(きた)なき此の獄舎(ひとや)の中に、
汝の清浄なる魂(たま)が暫時(しばし)も居(お)らん!
「富士山遊びの記憶」より
二十(六)七日 早朝亭を立出でゝ南の方富士の裾野へ進みけり強力の携えし品ハ長どてら一枚、別製鞋四足今日の弁当翌朝の餅等なり、