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2006年07月31日

渡邊千枝子

雪を被て裏富士神の座に戻る

獅子独活や八月の富士くろがねに

富士包む闇大いなり新酒酌む

くろがねの富士をそびらに踊の輪

2006年07月30日

渡辺水巴(渡邊水巴)

西方に浄土の富士や秋の暮

富士の雪解けぬまげんげさかりなる

大富士は日照り返し梅実る

雪の富士に藍いくすぢや橡咲いて

天の原初富士吹雪ながれやまず

雪解富士幽かに凍みる月夜かな

富士は雲に沈みあやめは濃紫

枯尾花日光富士を消しにけり

柿若葉雨後の濡富士雲間より

2006年07月29日

渡会昌広

暖房車富士を見しあと子は眠り

田中政子

海雲糶る嗄声に富士晴れゆけり

2006年07月28日

田川飛旅子

初富士へ化粧が濃いとひとり言

博多人形の函を機上に富士初雪

殿村菟絲子

子が子負ふねんねこ富士は風の神

九年母や大家族制に富士立てり

五月富士四方より雲の来て留る

2006年07月27日

天野武子

蝌蚪生るる田の半分に逆さ富士

田村了咲

馬市や町に峙つ南部富士

2006年07月26日

天野蘇鉄

大鳥居はみ出してゐる夏の富士

辻田克己

富士を見しこと初旅の余恵とす

2006年07月25日

椎本才麿

炉開きの里初富士おもふあしたかな

富士ぞ雪魯盤か掛けし日本橋

五月雨や富士の高根のもえて居る

鳥居美智子

青野より富士に近づく一歩かな

客山は富士と秋草丈競ふ

2006年07月24日

長田白日夢

鉞の一撃富士の山開き

長谷川秋子

芒野の宙や今日のみ女富士

富士仰ぎつづけ主張となる芒

露けしや朝富士の眉刎ねあがり

夏富士の旅思ひ立つ何を捨てに

浦和より見る富士愛し初手水

2006年07月23日

長谷川史郊

雲払ふ不二へ穂絮のかぎりなし

諏訪秋山

「友の訪ひし時詠みける(雑録)」から「和倉温泉に浴して」より
薬師の岳(やま)の峰高く
紫嵐(あらし)に袖をはらはんも
こゝろもとなく弁天の
巌のかげにをりたては
しらべしづけき磯馴松
下枝にかすむ能登富士
闇の几帳の裾なかく
瀬嵐の森のつぎ/\に
いつしか眠る浜千鳥

※早稲田文学、明治31年(1898)に収録。

2006年07月22日

長谷川かな女

富士洗ふ冷え引き寄せし枕かな

中島斌雄

船に酔うて子の手冷たし春の富士

2006年07月21日

町田しげき

笛のよく売れる祭よ津軽富士

中田剛

秋の闇富嶽も鈴も封じたり

炎天はときに富嶽を蔵すかに

2006年07月20日

中拓夫

すじ雲に初冠雪の富士が出ず

富士よりの湧水の池種浸す

水やうかん六月富士の細り立つ

夏の富士舟より魚の血を流す

中村明子

夏富士や臓潔らかに鱒育つ

2006年07月19日

中野詩紅

手なぞこに乗るほどの富士鍬始

中村汀女

初富士にかくすべき身もなかりけり

一条の煤煙のもと皐月富士

初刷に立ち迫るかな富士の絵

初富士や母を珠ともたとふれば

日の暮の富士のそびえの秋風に

ほととぎす金色発す夕富士

2006年07月18日

中村草田男

寒富士や俳句の行衛国の行衛

富士現れてハンケチさへも秋の影

秋富士の彼方に病友文を待つ

雲海の彼岸の富士や今日あけつゝ

雪の富士落暉紅さと円さの極

暮の富士歌の茂吉に会ひに行く

白馬の眼繞る癇派雪の富士

初富士や鷹二羽比肩しつつ舞ふ

揚羽遂に潮路に墜ちぬ不二の前

富士秋天墓は小さく死は易し

初冨士銀冠その蒼身は空へ融け

秋富士は朝(あした)父夕(ゆふべ)母の如し

寒富士は空を広めて緊く細く

諸山は遠富士に添ひ朝焼くる

中村春逸

富士講のリボンをつけし生命杖

2006年07月17日

中村史邦

武蔵野や雪降り分かる富士筑波

※雪振り分けて の資料もある。どちら?

杉谷代水

「神曲余韻」より ((中)終盤〜(下)前半の抜粋)

(中)まひ
・・・
○近江の国のたゝ中に
 大地はくぼむ七十里
 忽ち海となりにけり
 琵琶の形をそのまゝに
○再び飛びて波の撥は
 東海百里のあなたなる
 駿河大野に立ちにけり
 富士の高峰と名も著く
(下)なごり
○あはれ/\天つ女神の
 其の姿今やいづこぞ
 たふとくも妙なる調べ
 其の音の今やいづこぞ
富士の峰の万古の雪は
 天つ日の万古の影に今もにほへど
 琵琶の海の五百重の
 波はてる月の千里の影に今も残れど
○末の世の此の末の世に
 姫神のありし姿の
 うつらめや
 彼の雪にかの波に

※早稲田文学、明治30年(1897)に収録


「宇宙の妙律」より (中の前半抜粋)
中 大絃小絃
○あらがねの
 地(つち)のきはみは多(さは)なれど
 その名にしおふ日の本は
 天の精気をうけあつめ
 四方に秀る国柄ぞ
○天地の
 永き調和の琴の緒は
 星より星と伝はりて
 我が地球(よ)の中に下りては
 先づ皇国(こゝ)にしもとまりけん
○国の鎮めと目もさやに
 聳えて立てる富士の峰
 その頂を柱(ぢ)となして
 走りゆくへや南溟の
 雲のあなたか夕づゝの
 北斗の星の青空か
○天つ調べの大絃の
 かかりてとまる富士の根
 更らに出でたる小絃は
 妙義浅間や蓮華山
 北は百里の蝦夷が島
 千島のはてをきはめつゝ
 遥かに飛ぶや西筑紫
 阿蘇霧島にかけわたり
 みづちあぎたふ沖縄の
 波路の末ははる/\と
 印度 唐土(もろこし) 欧羅巴
 其の山々を柱となして
 ひくや蜘蛛の綱機の糸

※早稲田文学、明治31年(1898)に収録

2006年07月16日

下村牛伴

瓜の花小き富士の見ゆるなり

北に見る富士やゝ寒くなりにけり

梅澤和軒

富士の高根を望む」
○くちぞしぬべき玉の緒の
 長くふりにし雨はれて
 いとも花さく白浪の
 浜松がえは夕映ぬ
○君よ見たまへ甲斐が根を
 「君がしたひし其山を
 さやかに見るは今の時」
 友はいひつゝさりにけり
○小田の細道ふみゆけば
 夕日の光まばゆきや
 早稲のいなほのほのかにも
 秋は見えけりいとはやも
○鏡が浦に出て見れば
 大海原の末かけて
 一きに高し不二の山
 雲を衣となしつつも
○西の空へと天つとふ
 入日しぬれば白雲の
 てりかへすらん日の光
 富士の高根にあかねさし
○ぬかつきふすと見し山は
 眺めし山は城となり
 笠となりつゝ甲斐が根を
 おほふやにのくもたなびきて
○空も一つの海原に
 見ゆる白帆は鳥じもの
 浮かとぞ思ふ船こそは
 三保の浦回をこぐならめ
○あからびく日は落ちはてて
 高根のかげもおぼろなり
 あかりこそゆけ金星の
 光はあかし西の空
○星の林もかがやきて
 鏡が浦にうつるなり
 五つ六つ四つ漁火の
 影火は玉のみすまるか
○見し人々は皆さりて
 うちさびにけり玉藻かる
 沖つ白浪音ぞなき
 汐もかなひし此浦回
○大和島根はうまし国
 富士の高根ははしき山
 山と国とのしるしなる
 大和心は花ならじ
○大和魂を人とはゞ
 かくと答へん駿河なる
 富士の高根もなほ低く
 千尋の海もなほあさし

※早稲田文学、明治30年(1897)収録

2006年07月15日

三鼠(岡村恒元)

木のまたに六月尽の富士低し

※正岡子規の叔父

2006年07月14日

不易庵九十九

富士見ゆる窓を今年の恵方かな

※早稲田文学明治29年(1896)に収録

繁野天来

富士は兀たり海道百里の秋の風

おほ洋に富士ゆた/\と今日の月

※以上2句は早稲田文学、明治30年(1897)収録


「大路の雨」より
○急がしく水うつ人の、
 手をとめて空を仰ぐは、
 うれしくも富士の高根に、
 雨雲の起るなりけり。

※早稲田文学 明治28年(1895)収録


「孤鶴」
○砂白き 東海の浜、
 鶴一羽 朝日に翔り、
 わだつみの 万古の波に、
 影富士の 影にゆらぐも。
○末の世の 秋風たたば、
 飛ぶ鶴の 影もとどめじ、
 羽衣の 昔語りも、
 まぼろしの 三保の松原。
○汝(な)が厭ふ 街(ちまた)の塵も、
 朝日には 天の白雲、
 いざしばし 翼をとめて、
 富士の根の 雪にやすらへ。
富士の根の 雪に清きも、
 ゆく鶴は 帰り来らず、
 鳴き捨つる 一声遠く、
 波青し 三保の松風。
○飛ぶ鶴の 翼しあらば、
 天人の 羽衣なくも、
 われもまた 富士を抱きて、
 雲遠く 月をや訪はむ。
○つばさなき 身を喜びて、
 力なき 砂を蹈みつつ、
 わたつみに 涙洗へば、
 富士の山 朝日に浮ぶ。

※早稲田文学:新体詩三篇(明治28年)より

2006年07月13日

中村苑子

如月も 尽きたる富士の 疲れかな

空に透く旅のかたみの弥生富士

ふるさとの富士と真向ふ大旦

雪の墓碑富士逆光の訣れかな

中村苑子について

如月の・・・は、2006年2月28日の朝日夕刊(こころの風景)に立川昭二氏が「二月末の富士に疲れた表情を見てとる日本人のアミニズム」という表現で、この句を解している。

中川宋淵

焼あとに富士しづまりし初明り

2006年07月12日

竹中宏

白露より現れて直ちに富士高し

竹石一夫

湧く雲の流れて澄めり五月富士

※この方の情報を教えてください!

2006年07月11日

池内友次郎

夕富士の刻刻変る麦を蒔く

加藤磐斎

冨士  そめいろのやまの東は人も見す
      この世にたかき冨士のしら雪

2006年07月10日

谷迪子

霧ふかく不二は見えねど山開き

富士山学校が開校

静岡学ぶ:2006年6月16日
 ・ NPO法人「富士山測候所を活用する会」。
 ・ 15日、三浦雄一郎氏を校長に「富士山学校」を開校。
 ・ 約50人が参加。
 ・ 講師を務めた三浦さん「富士山からスキーで滑り降りた時には宇宙的な感覚に感動しながら滑った。富士山などの山に登ることが老化防止につながる」。
 ・ 浅野理事長は「山登りの健康への効用」の講演。
 ・ 高地民族に心臓病や高血圧症などの発症率が低い事例。
 ・ 富士山の自然や歴史、研究などについて理解を深めてもらう。
 ・ 来年3月まで「科学講座」を医学博士や気象予報士らが講師を務める。
 ・ 来年度以降も継続。

池田澄子

そよ風が肌を乾かす逆さ富士

2006年07月09日

谷川季誌子

水苔が見え鮎が見え下田富士

谷活東

初秋の雲がかゝるや富士の山

2006年07月08日

沢木欣一

赤富士の胸乳ゆたかに麦の秋

初旅の友来る富士の裾野より

笹鳴や満月登る富士の肌

沢田はぎ女

富士一つ浸せり春の水はろに

2006年07月07日

沢聰

蒼白き雲海に富士日の出待つ

2006年07月06日

大国隆正

ふじのねは雲はれわたる度毎に
 たかさやそふとおどろかれつゝ

松瀬青々

蒼茫に冨士をさがしつ明易き

2006年07月05日

瀧井孝作

冬靄に赤富士こもるスズキ舟

大山の南に不二や渡り鳥

瓦版

「富士山出水之図」
天保五年甲午四月、七日夜より駿河の国富士郡(ごほり)のほとり殊(こと)の外大雨降出し同八日益(ますます)大風雨にて午の刻ごろより不二山震動いたし頻(しきり)に暴雨滝のごとく不二の半腹(はんふく)五合目あたりより雪解水一度にどつと押出し萱野にて水筋三道(たう)に相分れ一筋の水巾凡(およそ) 半里ほどづつ有之皆泥水にて裾野村々へおし出し未刻ごろにハ水勢いよいよ盛んになり小山の如くなる大浪(なみ)打来りて裾野の在家村々の建家皆押流し老若男女のともがら家の棟に取付(とりつき)或ハ木の枝にすがり付などして声を限りに泣喚(さけ)ぶ牛馬などハ繋(つなぎ)し侭(まま)に流れ来り溺死する者その数をしらず既に大宮の町並家毎に残らず流れ富士御林(おはやし)の諸木長さ二丈三丈差わたし四五尺ほどづつも有(ある)大木根こぎになりて流れ来り巌石を転(まろば)し小石を降し震動雷電おびただしく今や天地も反覆するかとおそろしく流るる男女の泣さけぶ声す地獄の呵嘖に異ならず都(すべ)て死人おびたたしく水筋流れし通(とほり)ハ七八里其巾の広さは三里に余り彼是(かれこれ)十二三里か間■々(びやうびやう)たる荒地となりぬ
斯(かか)るめづらしき事ハまた有べくともおぼえず
終(つい)に一紙にしたためて後世に残ししらしむるのミ

※天保5年(1834)
※東大、小野秀雄コレクション

2006年07月04日

山崎方代

偏平に並べる小屋の遠くにていまいまし富士の雪は晴れたり

めずらしく晴れたる冬の朝なり手広の富士においとま申す

北斎は左利きなり雨雲の上から富士を書きおこしたり

八階の窓の向こうににこりと不二が笑ってのぼりおりたり

不二が笑っている石が笑っている笛吹川がつぶやいている

鷹羽狩行

初富士をしばらく旅の肘の上

富士を見し眼もて淡墨桜狩

初富士の浮かび出でたるゆふべかな

2006年07月03日

大木あまり

雲は冬残留孤児の富士額

麦踏みの富士のぼりきる長さとも

大峯あきら

炎天の富士となりつつありしかな

山開き

毎日静岡:2006年7月2日
 ・ 開山式では参加者約60人が登山者の安全を祈願。
 ・ 富士宮市観光協会は7〜8月で25万人の登山客を見込む。
 ・ 式では
    宮司による安全祈願
    小室市長「夏登山を開始します」
    グレアム・フライ駐日英国大使が招待された。
    富士市の秋山さん(57)「1年間の健康を祈って登ります」。
 ・ 静岡森林管理署の非常勤職員6人による「グリーン・パトロール」を初めて実施。
    臨時職員を募集した。
    3登山口と周辺国有林を9月末までパトロール。

毎日山梨:2006年7月2日
 ・ 1日、5合目(2305メートル)から山頂まで雨と強風、濃霧に包まれた。
 ・ 未明から山頂などで待機していた登山者500名は、ご来光を拝めず。
 ・ 午前5時ごろから天気が回復。
 ・ 5合目の小御嶽神社では「夏山開山祭」。
    5合目観光協会メンバーが神社の守り神、大(だい)天狗と小天狗に扮した。
    富士山型の富士型御輿
    担ぐ女性ら同協会員、同神社崇敬者の男女約50人が集合。
    鳥居に張られたしめ縄を大天狗が斧で断つ。
    「わっしょい」の掛け声と共に6合目まで練り歩いた。
 ・ 千葉県の佐瀬さん(56)「富士山を訪れるのは初めてで、ご来光を楽しみにしていたのに」。

読売静岡:2006年7月2日
 ・ 5合目駐車場は満杯。
 ・ 東京都の名古屋さん(47)はこの日の登頂が113回目。
    午前6時に5合目を出発、正午ごろ剣が峰に到着。
 ・ ガスの切れ間から伊豆半島や駿河湾、南アルプスが見渡せた。
 ・ 名古屋さん「登れば登るほど富士山が好きになっていきます。雨も降らず、快適でいい登山でした」。
 ・ 新6合目「宝永山荘」の渡井さん(65)「未明から団体客を含めると300人以上が登った。天候に恵まれる、いいシーズンになってほしい」。
 ・ 県によると、富士宮8合目以上は7月中旬に解除の見込み。

読売山梨:7月2日
 ・ ひたちなか市の佐藤さん(21)「ご来光は見ることができなかったけれど、日本一高い山の頂上まで行けただけでも良かった」。
 ・ 県と友好県省協定を結んでいる中国四川省の高校生20人と県内高校生20人による「日中平和富士山登山」を山開きに合わせて実施。
 ・ 四川省の唐立(トーリー)さん(14)「みんなで協力して富士山に登れてとても楽しかった」。
 ・ 6合目の富士山安全指導センターでは焼却式トイレ設置作業が進む。
 ・ 8合目の山小屋では30日の宿泊者が約150人(?)。

産経静岡:7月2日
 ・ 富士宮口8合目以上の規制のため、途中で引き返した人も多かった。
 ・ 首都圏から訪れたグループ「天候が良くないが快晴よりも登りやすかった」。

産経山梨:7月2日
 ・ 茨城県の香山さん(65)「ご来光が見られずに残念。現役をリタイアしたが体力があれば再挑戦したい」。
 ・ 雨は午前7時ごろに止んだ。
 ・ 富士吉田市の「歴史の道を再発見 歩こ!富士山」に約20人が参加。

朝日山梨:2006年7月1日
 ・ 北口本宮富士浅間神社などで、30日、恒例の開山前夜祭。
 ・ 前夜祭は午後2時前スタート。
 ・ 金鳥居市民公園から同神社までの「富士講パレード」。
 ・ 約150人が白装束などの姿で約2kmを歩いた。
 ・ 神社到着後、
    安全を祈る神事
    カヤの輪をくぐって身を清める「茅(ち)の輪くぐり」
    神様の「手力(たぢから)男命(おのみこと)」が鳥居に張ったしめ縄を木づちで切る「お道開き」。

朝日静岡:2006年6月30日
 ・ 7月1日に山開き。
 ・ 全国に1300余ある浅間神社の総本宮である浅間大社社殿が現在の場所に移ったとされて1200年。
 ・ 富士宮口では記念として、例年以上のイベント。
 ・ 富士宮口の開山祭は1日午前9時、浅間大社楼門前。
   日本建築専門学校生がヒノキで造った大金剛杖を大社に奉納。
   長さ3.776m、太さ37.76cm。
 ・ 旧登山道口の村山浅間神社では午前11時から入山式。
   開山祭
   英国のグレアム・フライ駐日大使夫妻が小中学生と交流。
   みそぎやごまたき神事など伝統行事。
   夫妻は5合目で開山宣言。
   オールコック・駐日英国公使の石碑に献花。
 ・ 大社では午後4時から開山フェスティバル。
   ふじキンダー学園の幼稚園児120人が富士山詩吟吟詠。
   後藤良夫さん作詞作曲の記念歌「思えば千と二百年」の歌手オーディション。
   ミス富士山コンテスト。
 ・ 30日夕には、大社参道などで3776本のろうそく点灯「表富士回廊」。
 ・ 深夜には湧玉池で約200人の若者がみそぎ。
   御神火みこし。

山日富士山:2006年6月30日
 ・ 山開きを前に、富士吉田署と御坂山岳会は29日、山岳パトロール隊の編成式。
 ・ 署員と山岳会員約50人で編成。
 ・ 7、8月の2か月間活動。
 ・ 山岳会の勝俣副会長「落石によるけが、高山病などにならないよう、無理せずゆっくり登ってほしい」。

2006年07月02日

大島民郎

雪解富士林道山の端を行けば

雪解不二見て来て青き近江不二

めじるしの能登不二ねむる漁休


※2007年3月1日、俳人大島民郎氏死去されました。ご冥福をお祈り申し上げます。

大谷句仏

初旅の晴れ晴れしさよ焼津富士

2006年07月01日

大石暁座

藷苗をしつゝ富士のやさしけれ

大石悦子

かりがねやそよろと立ちて近江富士