メインページへ

2007年07月17日

浜松歌国

「摂陽見聞筆拍子」
○大坂関取名寄の事
濡髪。浅浪。白藤。旭山。住の江。白浪。生田川。花靱。刎石。鷲ノ尾。三保関。大鳴戸。浪除。島ヶ崎。日出山。岩城山。虹ヶ崎。竹縄。山分。小空。若山。八島。富士嵐。柳。大島。八汐。入船。松風。玉ノ井。大島。反橋。藤島。八ッヶ峰。車軸。巴。一文字。岩亀。岩角。今川。鷲ヶ峰。虎ヶ嶽。雁俣。山科。早友。総角。種ヶ島。荒馬。時鐘。石山。荒鷲。六角。築島。唐竹。浅尾山。若狭山。浅間山。不二谷。楯山。浅香山。湊山。神楽。六甲山。渡り山。川崎。
右は中古にて名人上手の顔にして。此余は略す。

2007年07月16日

原田濱人(はらだひんじん)

暁を待つ富士化(け)の如し時鳥

2007年06月27日

服部躬治(もとはる)

富士道者つらなりわたる並木路の並松が上に蝉鳴き喧騒騒ぐ

凝り成せる豊旗雲の凝りあへぬすこしの間に富士の遠山

遠富士は闇のあなたに月かげは闇のこなたにわれは殿戸に

相客となりし昨夜(ユフベ)の人も亦駕を出でたり富士見ゆる茶屋


「富士百首」より
手に撫でて神世の昔わが問へば巌もの言はずただ風に吼ゆ
この山しまこと扇の形ならばここや要のあたりなるらむ
ここにしてわが吹く息の狭霧より八州の野に雲満つらむか
火を噴かむけはひもあるを静なる山の姿と誰か見るらむ
足下にはたたく神の声すなりなゐかふるらむ四方の国原
見かへれば雲より外のものもなしいづこより来しわが身なるらむ
よぢていなば天知るべきをいつの世にとだえけりせむ雲の桟橋
白雪をかざみにかめば鉄のわが骨軽くなりにけるかな
わが心今ぞたらへる家に在りてよそに仰ぎし天雲の上に
かぐづちの血しほやここにたばしりし五百津磐村(イホツイハムラ)煙わきのぼる
手をのべて取らばやとしもおもふ哉ななめになりぬ北斗七星
文机に載せて見るべくこの山の形に似たる石や拾はむ
高らかに歌ひて居れば白雲のわれをはばかりて遠ざかりゆく
富士が根に煙はたたず然れども底の思ひはもえまさらずや

2007年03月13日

原田清

にほやかに潤ふ空に富士聳え忍野八海年あらたなり

2007年01月25日

原民喜

「秋日記」
……弥生も末の七日(なぬか)明ほのゝ空朧々として月は在明(ありあけ)にて光をさまれる物から不二の峯幽(かすか)にみえて上野谷中の花の梢又いつかはと心ほそしむつましきかきりは宵よりつとひて舟に乗て送る千しゆと云所(いふところ)にて船をあかれは前途三千里のおもひ胸にふさかりて幻のちまたに離別の泪(なみだ)をそゝく
 彼は歩きながら『奥の細道』の一節を暗誦していた。これは妻のかたわらで暗誦してきかせたこともあるのだが、弱い己(おの)れの心を支えようとする祈りでもあった。


「壊滅の序曲」
正三の眼には、いつも見馴れてゐる日本地図が浮んだ。広袤はてしない太平洋のはてに、はじめ日本列島は小さな点々として映る。マリアナ基地を飛立つたB29の編隊が、雲の裏を縫つて星のやうに流れてゆく。日本列島がぐんとこちらに引寄せられる。八丈島の上で二つに岐れた編隊の一つは、まつすぐ富士山の方に向かひ、他は、熊野灘に添つて紀伊水道の方へ進む。

2006年11月07日

半田常牧

露霜の沙汰なかりけり富士の山

2006年08月15日

萩原麦草

富士照りて今夜寝られず麦を搗く

富士くらく闇夜の氷踏みにけり

2006年07月24日

長谷川秋子

芒野の宙や今日のみ女富士

富士仰ぎつづけ主張となる芒

露けしや朝富士の眉刎ねあがり

夏富士の旅思ひ立つ何を捨てに

浦和より見る富士愛し初手水

2006年07月23日

長谷川史郊

雲払ふ不二へ穂絮のかぎりなし

2006年07月22日

長谷川かな女

富士洗ふ冷え引き寄せし枕かな

2006年04月22日

原コウ子

尿する野路の童に夏の富士

原柯城

初富士は裾曲ぼかしに伊豆の浦

短夜の月に肩濡れ利尻富士

2006年04月19日

原裕

てのひらに富士を乗せたる秋の暮

2006年04月16日

橋本榮治

富士夏嶺谺雄々しく育ちをり

銀河懸け富士に流るる登山の灯

橋本夢道

昇り蝶大群青の富士初夏

元日や山容無類不老富士

軍隊なき夏富士を見てありがたし

橋本多佳子

胸先に黒き富士立つ秋の暮

2006年04月15日

林寛

深雪晴富士の全容迫りくる

続きを読む "林寛" »

2006年04月14日

服部嵐雪

おもしろく富士にすじかふ花野かな

2006年03月27日

佩香園蘭丸(清水長義)

講談を駿河町にも人の寄る富士の裾野の曾我の仇


※狂歌

2006年03月20日

馬場信意

「義経勲功記」(附録「夢伯問答」)
昔常陸坊海尊とかや、源の九郎義経奥州衣川高館の役に、一族従類皆亡びけるに、海尊一人は軍勢の中をのがれて、富士山に登りて身を隠し、食に飢えてせん方のなかりしに、浅間大菩薩に帰依して守を祈りしに、岩の洞より飴の如くなる物涌き出でたるを、嘗めて試むるに、味ひ甘露の如し。是を採りて食するに飢えをいやし、おのづから身もすくやかに快くなり、朝には日の精を吸いて霞に籠もり、終に仙人となり、折節は麓に下り、里人に逢いてはその力を助け、人の助かる事、今に及びて、世に隠れてありという。

2006年03月19日

原田青児

松過ぎの富士山見ゆる駅に来て

原子公平

寒星へ王墓のごとく暮れゆく富士

2006年03月18日

原順子

富士から湧水柿田は下萌ゆる

橋本風車

痩富士が遠くて盆地ただ寒し

橋本渡舟

春の嶺富士と並んで勝気なり

橋川かず子

五月富士雲脱ぐことを繰返す

2006年03月12日

羽部洞然

火祭太鼓富士へひれ伏す炬火一里

富士の笠雲漂ひいでぬ春天ヘ

木々芽吹く富士の大氷壁の前

五月富士へ真直ぐよぎる牧草地

愛鷹と富士なだれ合ふ朴の花

2006年03月07日

原譲二

「次郎長富士」より
富士を見上げた男の顔に
意地と度胸という文字が
きざみ込まれたいい男

※原譲二作詞作曲/北島三郎唄

2006年02月24日

林柳波

「羽衣」
白い浜辺の 松原に
波が寄せたり かえしたり

あまの羽衣 ひらひらと
天女の舞の 美しさ

いつか霞に つつまれて
空にほんのり 富士の山

※林柳波作詞・橋本国彦作曲
※文部省唱歌、昭和16年

2006年02月23日

林不忘

「丹下左膳」日光の巻
大は、まず小より始める。
富士の山も、ふもとの一歩から登りはじめる……という言葉がある。
日本の世直しのためには、まずこの江戸の人心から改めねばならぬ。
それには、第一に、この身辺のとんがり長屋の人気を、美しいものにしなければならない。
と、そう思いたった泰軒先生。

沼津名物、伊賀越え道中双六の平作と、どじょう汁。
品川から十三番目の宿場ですな。
三島からくだり道で、沼津の町へはいりますと、
「どうだい、右に見えるのが三国一の富士の山、左は田子の浦だ。絶景だなア!」
お壺の駕龍が千本松原へ通りかかると、お壺休み。つきしたがう侍たちは、松の根方や石の上に腰をかけて、あたりの景色にあかず見入っています。

原勝郎

「東山時代における一縉紳の生活」
そもそも連歌師の常とはいいながら、宗祇の旅行は、その回数においても、はたまたその範囲においても、共にすこぶる驚くに足るものであり、関東には七年も遍歴し、十一箇国それぞれの場所から富士山を眺めて、なかんずく筑波山から見るが最もよいと断定したほどの大旅行家で、したがって方言にも精通し、かつて実隆に『京ニ筑紫ヘ坂東サ』などの物語をしたこともある。

林芙美子

「放浪記」(初出)
十一月×日
○富士を見た
 富士山を見た
 赤い雪でも降らねば
 富士をいゝ山だと賞めるに当らない。
 あんな山なんかに負けてなるものか
 汽車の窓から何度も思った徊想
 尖った山の心は
 私の破れた生活を脅かし
 私の瞳を寒々と見降ろす。
○富士を見た
 富士山を見た
 烏よ!
 あの山の尾根から頂上へと飛び越えて行け!
 真紅な口でカラアとひとつ嘲笑ってやれ
○風よ!
 富士はヒワヒワとした大悲殿だ
 ビュン、ビュン吹きまくれ
 富士山は日本のイメージーだ
 スフィンクスだ
 夢の濃いノスタルジヤだ
 魔の住む大悲殿だ。
○富士を見ろ!
 富士山を見ろ!
 北斎の描いたかつてのお前の姿の中に
 若々しいお前の火花を見たが…………
○今は老い朽ちた土まんじゅう
 ギロギロした瞳をいつも空にむけているお前――
 なぜやくざな
 不透明な雲の中に逃避しているのだ!
○烏よ! 風よ!
 あの白々とさえかえった
 富士山の肩を叩いてやれ
 あれは銀の城ではない
 不幸のひそむ大悲殿だ
○富士山よ!
 お前に頭をさげない女がこゝに一人立っている
 お前を嘲笑している女がここにいる
○富士山よ
 富士よ!
 颯々としたお前の火のような情熱が
 ビュンビュン唸って
 ゴウジョウな此女の首を叩き返えすまで
 私はユカイに口笛を吹いて待っていよう。
私はまた元のおゆみさん、胸にエプロンをかけながら、二階の窓をあけに行くと、ほんのひとなめの、薄い富士山が見える。


「夜福」
昨夜はまんじりともしなかつたけれども、兎に角、一晩たつたといふことは、福へ對しての怒りを、ほどよく冷ますのに十分であつた。
今、眼の前に見る福といふ女は、久江にはきれいに見えた。赤ん坊もよくふとつて、清治に生うつしである。
富士山のやうに盛りあがつた小さい唇に、蟹のやうにつばきをためながら、青く澄んだ眼を久江へ呆んやり向けた。久江が思はず手を出すと、赤ん坊は思ひがけないあどけさで兩の手を久江の方へのばして來るのである。


「谷間からの手紙」
「これ‥‥」
さう言つて、富士山の模様の風呂敷から、萄葡と固パンを出して私の膝に載つけましたので、私はチヨコレートの犬の尻つぽをお返しにしました。すると、兵隊さんは、その犬の尻つぽをひと口に頬ばつて、私の足をきつと踏みました。
「痛いわ!」
さう小さい声で言つたんですけど、兵隊さんはまるで赤い地図のやうに首筋から血を上せて、顔をあかくしました。

長谷川時雨

「明治美人伝」
とはいえ、徳川三百年の時世にも、美人は必ずしも同じ型とはいえない。浮世絵の名手が描き残したのを見てもその推移は知れる。春信、春章(しゅんしょう)、歌麿、国貞と、豊満な肉体、丸顔から、すらりとした姿、脚と腕の肉附きから腰の丸味――富士額――触覚からいえば柔らかい慈味のしたたる味から、幕末へ来ては歯あたりのある苦みを含んだものになっている。

ぽんたは貞節の名高く、当時大阪の人にいわせると、日本には、富士山と、鴈次郎(大阪俳優中村)と、八千代があるといった。富田屋八千代は菅(すが)画伯の良妻となり、一万円とよばれた赤坂春本の万竜も淑雅(しゅくが)な学士夫人となっている。祇園の歌蝶は憲政芸妓として知られ、選挙違反ですこしの間罪(つみ)せられ、禅門に参堂し、富菊は本願寺句仏上人(くぶつしょうにん)を得度して美女の名が高い。


「柳原子(白蓮)」
だが、わたしは、そのおりの印象を、ふらんすの貴婦人のように、細(ほそ)やかに美しい、凛としているといっている。そして、泉鏡花さんに、『踏絵』の和歌(うた)から想像した、火のような情を、涙のように美しく冷たい体で包んでしまった、この玲瓏たる貴女(きじょ)を、貴下(あなた)の筆で活(いか)してくださいと古い美人伝では、いっている。貴下のお書きになる種々な人物のなかで、わたくしの一番好きな、気高い、いつも白と紫の衣(きぬ)を重ねて着ているような、なんとなく霊気といったものが、その女をとりまいている。譬えていえば、玲瓏たる富士の峰が紫に透(す)いて見えるような型の、貴女をといっている。これはだいぶ歌集『踏絵』に魅せられていた。


「一世お鯉」
お鯉さんは朝のままで、髪も結いたてではなかった。別段おめかしもしていなかった。無地の、藍紫(あいむらさき)を加味したちりめんの半襟に、縞のふだん着らしいお召と、小紋に染めたような、去年から今年の春へかけて流行(はや)ったお召の羽織で、いったいに黒ずんだ地味なつくりであった。
かわらないのは眉から額、富士額の生際(はえぎわ)へかけて、あの人の持つ麗々しい気品のある、そして横顔の可愛らしさ、わたしは訪ねて来て、近々と見ることの甲斐のあったのをよろこんだ。


「最初の外国保険詐欺」
後に金瓶大黒は娼妓(しょうぎ)も二、三人になり、しがなくなって止めたそうだが、浅草観世音仁王門わきの弁天山の弁天様の池を埋めたり、仲見世を造ったり、六区に大がかりな富士山の模型をつくったりした。公園事務所長は初代が福地桜痴(ふくちおうち)居士、二代目が若い方の金兵衛さんだときいた。


「木魚の配偶」
「でも水で大変だろう。」
「うん、床が高いけれど、座ってる胸のところへ来ている。」
「硫黄をみんな二階へあげてあげるといっておくれ。」
「こっちへ連れて来たいが、老人(としより)だから流されるだろう、とても甚(ひど)いや、僕でもあぶない。」
私は突嗟(とっさ)に富士登山の杖が浮いてるのをとって、窓の外の弟にわたした。
水が引いたあと、ヘドロを掻くのと、濡れた衣物(きもの)や書籍が洗いきれずに腐って、夜になると川へ流して捨てた。

「イヨウ、綺麗になりやがあったな、弁天様だぞ。」
酒をもひとつというように口をあけた。そして露を吸うように、垂らされる雫が舌のさきに辷(すべ)ると、
――富士の、白さけ……
と幽(かすか)な幽な声で転がすように唄った。正(まさ)しく生ているおりなら、笑みくずれるほどに笑ったのであろう。唇をパクリとした。


「神田附木店」
おしょさんは、その部屋の、真中の柱に、長い柱鏡のかかっている前に、緋(ひ)の毛せんを敷いて二面の二絃琴にむかって座っている。すべての小道具は、燦然(さんぜん)とみな磨かれて艶々(つやつや)している。座ぶとんの傍に紫檀(したん)の煙草盆があって、炉扇(ろせん)でよせられた富士山形の灰の上に香(こう)がくゆっている。

2006年02月22日

萩原朔太郎

「蝶を夢む」より

榛名富士

その絶頂(いただき)を光らしめ
とがれる松を光らしめ
峰に粉雪けぶる日も
松に花鳥をつけしめよ
ふるさとの山遠遠(とほどほ)に
くろずむごとく凍る日に
天景をさへぬきんでて
利根川の上(へ)に光らしめ
祈るがごとく光らしめ。