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長谷川時雨

「明治美人伝」
とはいえ、徳川三百年の時世にも、美人は必ずしも同じ型とはいえない。浮世絵の名手が描き残したのを見てもその推移は知れる。春信、春章(しゅんしょう)、歌麿、国貞と、豊満な肉体、丸顔から、すらりとした姿、脚と腕の肉附きから腰の丸味――富士額――触覚からいえば柔らかい慈味のしたたる味から、幕末へ来ては歯あたりのある苦みを含んだものになっている。

ぽんたは貞節の名高く、当時大阪の人にいわせると、日本には、富士山と、鴈次郎(大阪俳優中村)と、八千代があるといった。富田屋八千代は菅(すが)画伯の良妻となり、一万円とよばれた赤坂春本の万竜も淑雅(しゅくが)な学士夫人となっている。祇園の歌蝶は憲政芸妓として知られ、選挙違反ですこしの間罪(つみ)せられ、禅門に参堂し、富菊は本願寺句仏上人(くぶつしょうにん)を得度して美女の名が高い。


「柳原子(白蓮)」
だが、わたしは、そのおりの印象を、ふらんすの貴婦人のように、細(ほそ)やかに美しい、凛としているといっている。そして、泉鏡花さんに、『踏絵』の和歌(うた)から想像した、火のような情を、涙のように美しく冷たい体で包んでしまった、この玲瓏たる貴女(きじょ)を、貴下(あなた)の筆で活(いか)してくださいと古い美人伝では、いっている。貴下のお書きになる種々な人物のなかで、わたくしの一番好きな、気高い、いつも白と紫の衣(きぬ)を重ねて着ているような、なんとなく霊気といったものが、その女をとりまいている。譬えていえば、玲瓏たる富士の峰が紫に透(す)いて見えるような型の、貴女をといっている。これはだいぶ歌集『踏絵』に魅せられていた。


「一世お鯉」
お鯉さんは朝のままで、髪も結いたてではなかった。別段おめかしもしていなかった。無地の、藍紫(あいむらさき)を加味したちりめんの半襟に、縞のふだん着らしいお召と、小紋に染めたような、去年から今年の春へかけて流行(はや)ったお召の羽織で、いったいに黒ずんだ地味なつくりであった。
かわらないのは眉から額、富士額の生際(はえぎわ)へかけて、あの人の持つ麗々しい気品のある、そして横顔の可愛らしさ、わたしは訪ねて来て、近々と見ることの甲斐のあったのをよろこんだ。


「最初の外国保険詐欺」
後に金瓶大黒は娼妓(しょうぎ)も二、三人になり、しがなくなって止めたそうだが、浅草観世音仁王門わきの弁天山の弁天様の池を埋めたり、仲見世を造ったり、六区に大がかりな富士山の模型をつくったりした。公園事務所長は初代が福地桜痴(ふくちおうち)居士、二代目が若い方の金兵衛さんだときいた。


「木魚の配偶」
「でも水で大変だろう。」
「うん、床が高いけれど、座ってる胸のところへ来ている。」
「硫黄をみんな二階へあげてあげるといっておくれ。」
「こっちへ連れて来たいが、老人(としより)だから流されるだろう、とても甚(ひど)いや、僕でもあぶない。」
私は突嗟(とっさ)に富士登山の杖が浮いてるのをとって、窓の外の弟にわたした。
水が引いたあと、ヘドロを掻くのと、濡れた衣物(きもの)や書籍が洗いきれずに腐って、夜になると川へ流して捨てた。

「イヨウ、綺麗になりやがあったな、弁天様だぞ。」
酒をもひとつというように口をあけた。そして露を吸うように、垂らされる雫が舌のさきに辷(すべ)ると、
――富士の、白さけ……
と幽(かすか)な幽な声で転がすように唄った。正(まさ)しく生ているおりなら、笑みくずれるほどに笑ったのであろう。唇をパクリとした。


「神田附木店」
おしょさんは、その部屋の、真中の柱に、長い柱鏡のかかっている前に、緋(ひ)の毛せんを敷いて二面の二絃琴にむかって座っている。すべての小道具は、燦然(さんぜん)とみな磨かれて艶々(つやつや)している。座ぶとんの傍に紫檀(したん)の煙草盆があって、炉扇(ろせん)でよせられた富士山形の灰の上に香(こう)がくゆっている。