« 鈴木三重吉 | メインページへ | 南信一 »

木下利玄

「春雨小傘」より
御軍のかちを祝ふと御旗たてし町のはづれに富士の高峰見ゆ


「富士山へ上る」
傾きて裾野に通る一本の道を自働車走るも富士に真向ひ
いちじるしく大きく見ゆる富士の下に自働車を下り現し身ひくし
山を前に自働車を下り歩みおこす足裏幽けく火山砂鳴る
自働車下り歩めば静けし裾野原夏日澄みやかに野ばら咲くあり
青草に夏日照り澄みひろ/゛\と裾野傾けりそのかたむきを
裾野木原葉のかさなりを深く徹る日にをちこちの草光あり
太郎坊に霧を颪すも昼すぎしこの大き山へ敢へてし上る
地をこめてたゞよひ動く霧の脚麓の傾斜の熔岩濡らす
大霧のしゞまの中をぬれくろむ火山砂踏みのぼりつゞけ居り
富士の麓大霧中のしゞまにし現し身探し笠しづくすも
目の前にて大霧俄かにとぎれたるにま近くなりゐつ富士の頂き
面むけて上りつゞけゐし富士山よりふりかへり見る裾野のひろがり
山腹に立ち見はるかす傾斜の線夕空なゝめに切りてし曳けり
今日とまる七合日の小屋山腹の高きところにて旗ひるがへせり
小屋の中ランプの前にところ狭くわれ等人間夜明けを待つも
岩室の夜冷えて来つたづさへし毛布かつぎて山畏れ寝ぬ
昼の疲れいでしものから寝つかれぬ岩室の床の夜ふけて冷ゆる
岩室出て尿をしたり今宵のわれしみ/゛\いとしも寒さにふるへて
東京横濱空明りするをのぞみゐれば身慄ひつくもお山の夜冷え
都会の空ほの明りせりお山に寝る今宵のわれのかすかにもいとしき
岩室出でて空の真闇にそゝりたてるお山しばし見て灯の下にかへる
岩室の夜更けしづみ地より冷え稲光うつる硝子戸口に
岩室は大地より冷え室人の更けて寝ぬ声さゐさゐきこゆ
地球はめぐりけらしも起きて見れば澄みつかれたる星々の光
真夜すぎて幾時もあらね起きて見ればこの山へ向けて白みきざせり
七合日の夜明けの寒さ寝の足らぬ眼をしばたたき草鞋をはくも
一夜ねし暁の灯の下を出でぬ白みつゝあるお山のさむさ
白みそめし山の石ころみち睡の足らぬ眼にみすゑて上りに上る
山を脊にむき直る前は雲の大海しづみ白めりこのたよりなさ
日の出前の紅み真に受け富士山の東傾れは染まりたるかも
急になれる山に面むかひ足もとに力をいれて岩ふみのぼる
山へとゞく朝日のいろの黄いろきに虎杖の葉のいや緑なり
富士山の大き傾き遂に上り石ころの地にころぶしにけり
眼をはなつこの大傾れを二日かゝり攀ぢきとおもひ足をやすます
眼をはなつこの大傾きをこつ/\と攀ぢつめしかもよ頂上にあり
富士山の頂上なれば登山者どち人間同志のよしみを感ず
頂上に庵する人は岩積みて暗きが中に昼もこもれり
太陽は真上に来り眼の前に富士の頂上を明かに照らす
頂上の石塊しきて下に居れば午の日真に照り我れ山に酔ふ
甲斐の側に白きは雲と見し間もなくはびこりもり上るこの量は如何に
山に酔へる眼をひき入れて我れの前に奈落へ低まる傾れのひろがり
大傾れたよるものなきに足ふみ入れ山酔頭痛堪へたへ下る
太郎坊も通りすぎけり裾野原この日も夕づき何かわびしも
夕日洩るゝ裾野木原に下りきたりくたびれあゆむ平たきみちを
御殿場へいそがす馬車のとゞろきに身をまかせつゝ富士顧す
御殿場より夕不二のぞむ上り来し今日のお山かいつくしきかも


「大根畑」より
冬空の西夕焼けてくきやかに富士連山を磨ぎ出しにけり