« 芥川龍之介 | メインページへ | 国枝史郎 »

横瀬夜雨

「春」
山の春の期待に澱みなくふくらんでゐる、裸の木で春早く囀るは四十雀だ。常陸野は明るい。筑波は近く富士は遠く、筑波の煙は紫に、富士の雪は白い。風はあつても、枝々をやんわり撫でて行くに過ぎぬ。


「花守」
小貝川は村端れから一二丁のところです。新川と古川との間に島がある。一面豐腴の畠地でこれから筑波山は手のひらで撫でゝ見たい位、日に七度かはるといふ紫も鮮かに數へられます。夕景に成て空が澄み渡ると、金星のかゞやく下に幻影(まぼろし)のやうな不二が浮びます。

さゝべり淡き富士が根
百里の風に隔てられ
麓に靡く秋篠の
中に暮れ行く葦穗山

富士を仰ぎて
○大野の極み草枯れて
 火は燃え易くなりにけり
 水せゝらがず鳥啼かず
 動くは低き煙のみ
○落日力弱くして
 森の木の間にかゝれども
 靜にうつる空の色
 翠はやゝに淡くして
○八雲うするゝ南に
 漂ふ塵のをさまりて
 雪の冠を戴ける
 富士の高根はあらはれぬ