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国枝史郎

「剣侠」
「おや、ありゃア源女じゃアないか」
驚いて浪之助は口の中で叫んだ。
娘太夫は源女のお組、それに相違ないからであった。
瓜実顔、富士額、薄い受口、切長の眼、源女に相違ないのであった。ただ思いなしか一年前より、痩せて衰えているようであった。

人形ではなく生ける人間で、しかもそれは澄江であった。
富士額、地蔵眉、墨を塗ったのではあるまいかと、疑われるほどに濃い睫毛で、下眼瞼を色づけたまま、閉ざされている切長の眼、延々とした高い鼻、蒼褪め窶れてはいたけれど、なお処女としての美しさを持った、そういう顔が猿轡で、口を蔽われているのであった。


「北斎と幽霊」
これが江戸中の評判となり彼は一朝にして有名となった。彼は初めて自信を得た。続々名作を発表した。「富士百景」「狐の嫁入り」「百人一首絵物語」「北斎漫画」「朝鮮征伐」「庭訓往来」「北斎画譜」――いずれも充分芸術的でそうして非常に独創的であった。


「十二神貝十郎手柄話」
こんなことを思いながら、貝十郎は見送った。と、その時、「あづま」の門へ、姿を現わした女があった。へへり頤、二重瞼、富士額、豊かな頬、肉厚の高い鼻。……そういう顔をした女であって、肉感的の存在であったが、心はそれと反対なのであろう。全体はかえって精神的であった。
(ここの娘のお品だな、相いも変らず美しいものだ)

いつの間にそこへ来ていたものか、山深い木曽の土地などでは、とうてい見ることの出来ないような、洗い上げた婀娜(あだ)な二十五、六の女が、銚子を持って坐っていた。三白眼だけは傷であったが、富士額の細面、それでいて頬肉の豊かの顔、唇など艶があってとけそうである。坐っている腰から股のあたりへかけて、ねばっこい蜒(うね)りが蜒っていて、それだけでも男を恍惚(うっとり)させた。


「南蛮秘話森右近丸」
こう云ったのは女である。二十八九か三十か、ざっとその辺りの年格好、いやらしく仇(あだ)っぽい美人である。柄小さく、痩せぎすである。で顔なども細長い。棘のように険しくて高い鼻、小柄の刃先とでも云いたげな、鋭い光ある切長の眼、唇は薄く病的に赤く、髪を束ねて頸(うなじ)へ落とし、キュッと簪(かんざし)で止めてある。額は狭く富士形である。その顔色に至っては白さを通り越して寧ろ蒼く、これも広袖を纏っている。一見香具師の女親方、膝を崩してベッタリと、男の前に坐っている。


「怪しの館」
葉末という娘の風采が、ボッと眼の前へ浮かんで来た。月の光で見たのだから、門前ではハッキリ判らなかったが、燈火の明るい家の中へはいり、旗二郎を父親へひきあわせ、スルリと奥へひっ込んだまでに、見て取った彼女の顔形は、全く美しいものであった。キッパリとした富士額、生え際の濃さは珍らしいほどで、鬘を冠っているのかもしれない、そんなように思われたほどである。


「戯作者」
「へえ、こいつア驚いた。いやどうも早手廻しで。ぜっぴ江戸ッ子はこうなくちゃならねえ。こいつア大きに気に入りやした。ははあ題して『壬生(みぶ)狂言』……ようごす、一つ拝見しやしょう。五六日経っておいでなせえ」
 で、武士は帰って行ったが、この武士こそ他ならぬ後年の曲亭馬琴であった。
「来て見れば左程でもなし富士の山。江戸で名高い山東庵京伝も思ったより薄っぺらな男ではあった」
 これが馬琴の眼にうつった山東京伝の印象であった。


「甲州鎮撫隊」
「近藤殿の命(めい)でのう」
「何時(いつ)?」
「江戸への帰途。……紀州沖で……富士山艦で、書面(ふみ)に認(したた)め……」
「左様ならって……」
「うん」
「可哀そうに」
「大丈夫たる者が、一婦人の色香に迷ったでは、将来、大事を誤ると、近藤殿に云われたので」

「まア、甲府の方へ! それでは、沖田様も! 沖田総司様も!」
 悲痛といってもよいような、然ういう娘の声を聞いて、お力は改めて、相手をつくづくと見た、娘は十八九で、面長の富士額の初々しい顔の持主で、長旅でもつづけて来たのか、甲斐絹(かいき)の脚袢には、塵埃(ほこり)が滲(にじ)んでいた。


「鵞湖仙人」
意外! 歌声が湧き起った。
   武士のあわれなる
   あわれなる武士の将
   霊こそは悲しけれ
   うずもれしその柩
   在りし頃たたかいぬ
   いまは無し古骨の地
   下ざまの愚なる
   つつしめよ。おお必ず
   不二の山しらたえや
   きよらとも、あわれ浄(きよ)し
   不二の山しらたえや
   しらたえや、むべも可
   建てしいさおし。
訳のわからない歌であった。しかし其節は悲し気であった。くり返しくり返し歌う声がした。そうして歌い振りに抑揚があった。或所は力を入れ或所は力を抜いた。

周囲四里とは現代のこと、慶安年間の諏訪の湖水は、もっと広かったに違いない。
  信濃なる衣ヶ崎に来てみれば
      富士の上漕ぐあまの釣船
西行法師の歌だというが、決して決してそんな事は無い。歌聖西行法師たるもの、こんなつまらない類型的の歌を、なんで臆面も無く読むものか。
が、併し、衣ヶ崎は諏訪湖中での絶景である。富士が逆さにうつるのである。その上を釣船が漕ぐのである。その衣ヶ崎が正面に見えた。