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阿仏尼

「うたたねの記」
不二の山は、ただここもとにぞ見ゆる。けぶり雪いと白くてこころぽそし。風になびく煙の末も夢の前に哀れなれど、上なきものはと思ひ消つこころのたけぞ、ものおそろしかりける。甲斐の白根もいと白く見渡たされたり。


「十六夜日記」
富士の山を見れば煙もたゝず。むかし父の朝臣にさそはれて、「いかになるみの浦なれば」などよみしころ、とほつあふみの國まては見しかば、「富士のけぶりの末も、あさゆふたしかに見えしものを、いつの年よりか絶えし」と問へば、さだかにこたふる人だになし。
「たが方に なびきはてゝか 富士のねの 煙のすゑの 見えずなるらむ」。
古今の序のことばまで思ひ出でられて、
「いつの世の ふもとの塵か 富士のねを 雪さへたかき 山となしけむ。
 くちはてし ながらの橋を つくらばや 富士の煙も たゝずなりなば」。
今宵は、波の上といふ所にやどりて、あれたる昔、更に目もあはず。
廿七日、明はなれて、後富士川わたる。朝川いとさむし。かぞふれば十五瀬をぞ渡りぬる。
「さえわびぬ 雪よりおろす 富士川の かは風こほる ふゆのころも手」。
けふは、日いとうらゝかにて、田子の浦にうち出づ。あまどものいさりするを見ても、
「心から おりたつ田子の あまごろも ほさぬうらみと 人にかたるな」
とぞ言はまほしき。

「立ち別れ 富士のけぶりを 見てもなほ 心ぼそさの いかにそひけむ」。
又これも返しをかきつく、
「かりそめに 立ちわかれても 子を思ふ おもひを富士の 煙とぞ見し」。