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2007年03月31日

中川昭

あれは富士あれは丹沢愛鷹はいづくと早やも沼津は過ぎぬ

2007年03月30日

大橋乙羽

「千山萬水」より「月瀬の春」から
旅の用意もはや整ひたればいざやとて同行四人、四月十二日の一番汽車にうち乗り、新橋の停車場を立出でぬ、國の名も武蔵相模駿河遠江参河と遠かり行き、風物も自然と異なる程に、乗り詰めの長旅も厭きの来ぬこと妙なれ。頓(やが)ては雲の富士を車の廂(ひさし)に眺め、濱名の湖水を窓前に熨(の)して、見る間に雨そぼそぼと降り出でたり。

2007年03月29日

直木三十五

「南国太平記」
この辺から、左右に、小山が連なって、戸塚の焼餅坂を登りきると、右手に富士山が、ちらちら見えるまでに、晴れ上ってしまった。左手には、草のはえた丘陵が起伏して、雨に鮮かな肌をしていた。戸塚の松並木は、いつまでもいつまでもつづいた。七瀬は、その松並木が余りに長いので腹が立った。そして、すっかり疲れきった。


「三人の相馬大作」
相馬大作、相馬大作と、豪傑のように――来てみれば、左程でも無し、富士の山だ。紙の大筒など、子供欺しをしおって――万事、平山のやり方は、山師だ。玄関先に、堂々と、いかなる身分の者、いかなる用件といえども、紹介する者無しには、面謁せぬと。頼山陽先生さえ、断ったというが――たわけた沙汰だ。


「大衆文芸作法」
四人の武士が集って、燭台の燈火を取り巻いていたが、富士型の額を持った武士が一人だけ円陣から抜けだしてふすまの面へ食っついたので、円陣の一所へ空所が出来て、そこから射し出している燈火の光が、ふすまの方へ届いて行って、そこに食いついている例の武士の、腰からかがとまでを光らせている。

「私はお前一人と決めたよ! こういうことはこれまでには無かった! それは一人に決めたいような、私の好みに合った男が、見つけられなかったがためなのだよ、……お前は私には不思議に見える! 優しい顔や姿には似ないで厳かで清らかな心を持ってる。だから私には好ましいのだよ。私は是非ともその心を食べてかみ砕いて飲んでしまいたい!……お前は「永遠の男性」らしい。だから私は食べてやり度い! そうしてお前を変えてやり度い!」女の声の絶えた時、例の富士型の額を持った武士が、震える声でいいつづけた。

2007年03月27日

尾崎放哉

「俺の記」
実は、俺がこれ迄行つてゐた方は、小使部屋、雪隠、湯殿、などの方面だつた。俺が初めて来た折は、西寮の小使部屋へ持つて行かれたのさ。勿論小使部屋だ、マツチ箱の様な中に持つて来て、角火鉢、大薬鑵、炭取、箒、寝台、布団、机、鈴、乃至茶碗、土瓶、飯箱、鉄串に至るまで、まるで足の踏み処も無い始末、もし火事が始まつた時には、小使はキツト焼け死ぬるに異ひないと思つた。秋小口はさうでもないが、追々と、富士山が白うなつて来る頃になると、小使部屋の火鉢にだん/\と、炭をたくさんつぎ出す、それと共に、生徒がこの狭い小使部屋に押しかけて来る。小使の椅子をチヤンと占領してしまつて、火鉢をグルリツと取りまく。

2007年03月25日

後鳥羽院

うき世厭ふ思ひは年ぞ積もりぬる富士の煙の夕暮の空

清見潟富士の煙や消えぬらん月影みがく三保の浦波

2007年03月23日

久保天随

「山水美論」の中の一章、「旅行特に登山に就いて」から
もし真正なる登山の快観をなさむとせば、五六千尺より以上の者にあらざれば不可なり。之を本邦に見るに、此の如き者固より少からず、駿河の富士や、台湾が我国の版図に入りたる後こそ、新高山の次席として第二に下落したれ、高さ一万二千尺、東都を距ること僅かに数十里、実に好位置にあり、若し汽車の便を借り、最も敏活に立ちまはれば、二日にして帰来すること難に非ず。且つ登攀最も容易にして、天下の山、実に此の如き者少しといふべき程なり。経路六条、十里と称すれども、実は少しく其半を超過せし位のみ、石室処々にあり、宿泊休憩随意なり。且つ斯山の如きは海汀より直に隆起して、臍攀の途上、常に絶頂を仰ぎつつあり、信飛の境上の諸山の如き、重畳せる峰嶂をいくつとなく越えて、目的の所、何処にあるやを判知するに苦しむものとは大に同じからず。

2007年03月21日

折口信夫(しのぶ、釈迢空)

「叙景詩の発生」
奈良の詞人の才能は、短歌に向うてばかり、益伸びて行つた。長歌は真の残骸である。赤人にしても、其短詩形に於て表して居る能力は、長歌に向うては、影を潜めてしまつた様に見える。新らしく完成せられた小曲に対して集中する求心的感動の激しさ、其で居て観照を感情に移すのに毫も姿を崩さない、静かな而もねばり強い把握力の大きさには、驚かされる。其赤人の長歌が、富士の歌と言ひ、飛鳥神南備の歌と言ひ、弛緩した心を見せて居るに過ぎない。それに短篇に段々傾いて行つて居るのも、気分が長詞曲にはそぐはなくなつたことを見せて居る。


「雪の島 熊本利平氏に寄す」
処が、来住の古いことを誇つてゐる家筋では、大晦日の夜の事としたのが多い。大晦日の夜、春の用意をしてゐる時に、神が来臨せられたので、其まゝで御迎へした。其以来此一党では、正月に餅を搗かぬの、標(シ)め飾りをせぬのと言ふ。又、其変化して多く行はれる形は、本土から家の祖先が来た時が、大晦日の夜で、正月の用意も出来ないで、作つて居た年縄(トシナハ)を枕に寝て、春を迎へた。或は、餅を搗く間がなかつたとも言ふ。其で、其子孫一統、正月の飾りや、喰ひ物を作らぬのだ、と説いてゐる。此は皆、富士筑波・蘇民将来の話よりも、古い形なのである。


「大嘗祭の本義」
此新嘗には、生物(ナマモノ)のみを奉るのではなく、料理した物をも奉る。其前には長い/\物忌みが行はれる。単に、神秘な穀物を煮て差し上げる、といふのみの行事ではない。民間には、其物忌みの例が残つて居る。常陸風土記を見ると、祖神(ミオヤガミ)が訪ねて行つて、富士で宿らうとすると、富士の神は、新粟(ワセ)の初嘗(ニヒナメ)で、物忌みに籠つて居るから、お宿は出来ない、と謝絶した。そこで祖神は、筑波岳で宿止(ヤドメ)を乞うた処が、筑波の神は、今夜は新嘗をして居るが、祖神であるから、おとめ申します、といつて、食物を出して、敬拝祇(ツヽシミツカヘ)承つた、とある。此話は、新嘗の夜の、物忌みの事を物語つたものである。此話で見る様に、昔は、新嘗の夜は、神が来たのである。


「稲むらの蔭にて」
神待ちの式のやかましいことは、
   誰ぞ。此家の戸押(オソ)ぶる。
   新嘗(ニフナミ)に我が夫(セ)をやりて、
   斎ふ此戸を鳰鳥(ニホドリ)の葛飾早稲を嘗(ニヘ)すとも、
   その愛(カナ)しきを、外(ト)に立てめやも(同)
と言ふ名高い万葉集の東歌と、御祖神の宿を断つた富士の神の口実(常陸風土記)などに、其俤を留めてゐる。


「萬葉集辭典(万葉集辞典)」
ふじ【富士】
常陸風土記に、昔、祖神尊(ミオヤノミコト)諸処を巡行して、駿河国の富士に至って宿を乞うた時、富士の神が、今日は新嘗の夜だから、宿は貸されない、と断つたので、祖神尊が恨んで、自分の親にさへ宿を貸さない様な者の山は、夏冬とも雪が降って、寒さは甚しく、人民が登り得ず、食物も無くなるぞ、と言つたと言ふ話が見えてゐる。
ふじのしばやま【富士ノ柴山】
裾野の灌木帯で、雑木をとる故の名であらう(杣山の対)か。或は富士の神を遙拝するのに、柴を折り挿した為の名であらうか。又、富士ノ嶺


「妣が国へ・常世へ 異郷意識の起伏」
飛鳥の都の始めの事、富士山の麓に、常世神(トコヨガミ)と言ふのが現れた。秦(ハタノ河勝(カハカツ)の対治(タイヂ)に会ふ迄のはやり方は、すばらしいものであつたらしい。「貧人富みを致し、老人少(ワカ)きに還らむ」と託宣した神の御正体(ミシヤウダイ)は、蚕の様な、橘や、曼椒(ホソキ)に、いくらでもやどる虫であつた。


「愛護若」
大体石芋民譚は、宗教家の伝記に伴ふものが多い様だが、古くは慳貪と慈悲とを対照にした富士・筑波式の話であつた。其善い片方を落したのが石芋民譚で、対照的にならずに、善い方だけの離れたのもある。

かの正本に、聴衆先刻御存知と言つた風の書きぶりが見えるのは、八太夫以前に拡つた愛護民譚と八太夫の浄瑠璃との距離を思はせるのであるが、尚他の浄瑠璃と比べては、原始的の匂ひを止めてゐたであらう。況して「都富士」や「塒箱」などは、説経現在本よりは、幾分か作意の進んでゐたもの、と考へられる。


「最古日本の女性生活の根柢」
万葉巻十四に出た東歌(あずまうた)である。新嘗の夜の忌みの模様は、おなじころのおなじ東の事を伝えた常陸風土記にも見えている。御祖(ミオヤ)の神すなわち、母神が、地に降(くだ)って、姉なる、富士に宿を頼むと、今晩は新嘗ですからとにべもなく断った。妹筑波に頼むと新嘗の夜だけれど、お母さんだからと言うて、内に入れてもてなした。それから母神の呪咀によって、富士は一年中雪がふって、人のもてはやさぬ山となり、筑波は花紅葉によく、諸人の登ることが絶えぬとある。

2007年03月20日

櫻井博道

数へ日の夕富士ぽつんと力あり

2007年03月19日

松木淡々(半時庵)

朝霜や杖で画きしふじの山

春二つ見下す不二の一夜哉

2007年03月17日

ウォルター・ウェストン(Walter Weston)

「日本アルプスの登山と探検」(Mountaineering and Exploration in the Japanese Alps)
なお十歩あまり進むと、もうそこが頂上だった。槍ヶ岳を手中におさめたのだ。海内無双の富士を除いては、この山岳帝国の版図の中でもっとも高い地点にぼくたちは立っていた。

※山崎安治・青木枝朗共訳

2007年03月15日

岡井隆

静岡いでて富士をかかぐる空に遭ふみどり子の熱も落ちつつあらむ

2007年03月13日

原田清

にほやかに潤ふ空に富士聳え忍野八海年あらたなり

2007年03月11日

木下孝一

枯萱の尾根の狭霧(さぎり)に吹かれたつ見えざる富士を彼の方に見て

2007年03月09日

今野寿美

帰るべく往くべく我をして富士はいづくと問わずふり返らする

2007年03月07日

来嶋靖生

扇山頂に立てばしろがねの大いなる富士わが前にあり

2007年03月05日

岩野泡鳴

「毒薬を飲む女」
「どうです、田村君、あの歌沢は?」番組の第四が終ってから、博士は義雄に立ち話をした。
富士の白雪などは最も面白いじゃアありませんか?」
「ちょッとひねくれて、含蓄があるようなところが、ね、お宅で初めて聴いた時から面白い物だと思いました。」


「湖上を渡り艱みし蜻蛉に寄す」より
○比叡の御山は西にあり、
 近江の富士はその東、
 周囲七十五六里の
 岸辺は遠きたヾ中や、

※『霜じも』(1901)収録

2007年03月03日

石田比呂志

しかすがに今日は罷らん甲斐のくに不二がほのかに化粧している

2007年03月01日

上田三四二

晴れわたる富士といふともおのづからあそぶ白雲は雪にかげ置く