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久保天随

「山水美論」の中の一章、「旅行特に登山に就いて」から
もし真正なる登山の快観をなさむとせば、五六千尺より以上の者にあらざれば不可なり。之を本邦に見るに、此の如き者固より少からず、駿河の富士や、台湾が我国の版図に入りたる後こそ、新高山の次席として第二に下落したれ、高さ一万二千尺、東都を距ること僅かに数十里、実に好位置にあり、若し汽車の便を借り、最も敏活に立ちまはれば、二日にして帰来すること難に非ず。且つ登攀最も容易にして、天下の山、実に此の如き者少しといふべき程なり。経路六条、十里と称すれども、実は少しく其半を超過せし位のみ、石室処々にあり、宿泊休憩随意なり。且つ斯山の如きは海汀より直に隆起して、臍攀の途上、常に絶頂を仰ぎつつあり、信飛の境上の諸山の如き、重畳せる峰嶂をいくつとなく越えて、目的の所、何処にあるやを判知するに苦しむものとは大に同じからず。