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2006年03月25日

加藤楸邨

初富士やねむりゐし語の今朝めざめ

富士の紺すでに八方露に伏す

富士初雪日向はどこも鉄くさし

五月富士屡々湖の色かはる

藷負ふや焦土の果の夜明富士

煖房車黙せばいつも冨士があり

加藤知世子

皹赤し富士の向ふの夕茜

富士が主体の嵐のオブジェ富士薊

河東碧梧桐

この道の富士になりゆく芒かな

裏富士の囀る上に晴れにけり

富士晴れぬ桑つみ乙女舟で来しか


「南予枇杷行」
 この石仏から、曲流する肱川と大洲の町を見おろす眺望は、一幅の画図である。富士形をした如法寺山の、斧鉞を知らぬ蓊鬱な松林を中心にして、諸山諸水の配置は、正に米点の山水である。


河東碧梧桐について

皆吉爽雨

一本の襞初富士を支えたる

富士浮沈しつつ大寒林をゆく

遅月に富士ありキャンプ寝しづまり

富士雪解せり宝永は終んぬる

狐火のそのとき富士も空に顕つ

富士あざみより絮ひとつ小春空

着ぶくれて見かへる時の富士かしぐ

初富士の秀をたまゆらに山路ゆく

岡田日郎

大雪渓袈裟がけ海に利尻富士

ハマナスや雲横引きに利尻富士

寒夕焼富士に一番星沈む

小梅恵草夕富士雲上に浮び出づ

秋の風お中道見ゆ室も見ゆ

雲海に浮び青磁の夜明富士

風花や残照富士の遠ちになほ

峠より遠富士眺め年惜しむ

群蜻蛉飛べど飛べども富士暮れず

枯山をくだり来て夕富士にあふ

各務麗至

うらおもてなし磐石の富士不二

今上天皇

外国(とつくに)の旅より帰る日の本の空赤くして富士の峯立つ

河野美奇

赤富士の褪め山小屋の灯も消えて

先づ白き富士より霞み初めにけり

河野南畦

つつじ燃え伊豆の近か富士親しうす

月見草富士は不思議な雲聚め

河野多希女

赤富士にかつとをんなの内側を

河合甲南

初富士の美しく旅恙なく

加茂達彌

元日の富士を連れ出す車窓かな

加倉井秋を

富士にまだ明るさ残る門火焚く

目の力あへなかりけり富士に雪

雪解富士晴れて喜び榧飴売

夕不二やひとりの独楽を打ち昏れて

加舎白雄

不二晴よ山口素堂のちの月

下村非文

富士隠す雨となりたり炉を開く

下間ノリ

富士薊高原の風ほしいまま

久米牡年

ふじ垢離(ごり)の声高になるさむさかな

沖鴎潮

ねんごろに会釈しあうて富士講者

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岡野やす子

くっきりと富士の雪解の縞模様

岡田貞峰

初東雲あめつち富士となりて立つ

高速路初富士滑り来たりけり

岡井省二

流鶯の夕澄む富士となりにけり

横田さだ子

籐寝椅子在りし日のまま富士へ向く

横山白虹

くろぐろと富士は宙吊り冬霞

横光利一

靴の泥枯草つけて富士を見る

摘草の子は声あげて富士を見る


「夜の靴――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)」
極貧からとにかく現金の所有にかけては村一番になっている。村の秘密を知っているものも彼ただ一人だ。経済のことに関する限り、彼を除いて村には知力を働かせるものもない。すること為すこと当っていって、他人が馬鹿に見えて仕方のない落ちつきで、じろりじろりと嫁を睨んでいれば良いだけだ。肩から引っかけた丹前の裾の、富士形になだれたのどかな様子が今の彼には似合っている。


「旅愁」
「僕は社の用でときどきここへ来たんだが、前にここは僕の知人だったんですよ。」
矢代は塩野にそう云ってから、庭の隅にある四間ばかりの高さの築山を指差した。
「これは目黒富士といってね、これでも広重が絵に描いてるんだ。近藤勇もよくここへ来たらしいんだが、どうも日本へ帰って来て、少しうろうろしているとき気がつくと、すぐこんな風に、歴史の上でうろついてるということになってね。広重もいなけりゃ、勇もいやしない脱け跡で、これから僕ら、御飯を食べようというんだからなア。」
「そう思うとあり難いね。御飯も。」
 塩野は庭下駄を穿いて飛石の上を渡り、目黒富士の傍へ近よっていった。薄闇の忍んでいる三角形の築山全体に杉が生えていて、山よりも杉の繁みの方が量面が大きく、そのため目黒富士の苦心の形もありふれた平凡な森に見えた。しかし矢代は廊下に立って塩野の背を見ながらも、やがて来そうな千鶴子のことをふと思うと、争われず庭など落ちついて眺めていられなかった。パリで別れてから、大西洋へ出て、アメリカを廻って来た千鶴子の持ち込んで来るものが、まだ見ぬ潮風の吹き靡いて来るような新鮮な幻影を立て、広重の描いた目黒富士の直立した杉の静けさも、自分の持つ歴史に一閃光を当てられるような身構えに見えるのだった。


「榛名」
縁側に坐つて湖を見ると、すでに山頂にゐるために榛名富士と云つても對岸の小山にすぎない。湖は人家を教軒湖岸に散在させた周圍一里の圓形である。動くものはと見ると、ただ雲の團塊が徐徐に湖面の上を移行してゐるだけである。音はと耳を立てると、朝から窓にもたれて縫物をしてゐる宿の女中の、ほつとかすかに洩らした吐息だけだ。もう早や私は死に接したやうなものだ。

2006年03月24日

高島南枝

花すすきせりあがりたる表富士

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高田明子

裏不二のひとひらの雲秋日和

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2006年03月23日

富士宮市歌

○朝日に富士の雪映えて
 明るい希望の陽が昇る
 ああ爽やかな富士宮
 ここに生まれてここに住む
 我らこぞりてこのまちに
 夢を咲かそう美しく

※3番まである
※富士宮市選定/小山章三作曲

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2006年03月22日

平家物語

「流布本」
駿河国富士の裾野に到る。その国の凶徒、「この野に鹿多く侯。狩して遊ばせ給へ」と申しければ、尊即ち出で遊び給ふに、凶徒等野に火を着けて尊を焼き殺し奉らんとしける時、帯き給へる天叢雲剣を抜きて草を薙ぎ給ふに、苅草に火付きて劫かしたりけるに、尊は火石・水石とて二つの石を持ち給へるが、先づ水石を投げ懸け給ひたりければ、即ち石より水出でて消えてけり。又火石を投げ懸け給ひければ、石中より火出でて凶徒多く焼け死にけり。それよりしてぞその野をば、天の焼けそめ野とぞ名付けける。叢雲剣をば草薙剣とぞ申しける。尊、振り捨て給ひし岩戸姫の事忘れがたく心に懸りければ、山復(かさ)なり、江復(かさ)なるといふとも志の由を彼の姫に知らせんとて、火石・水石の二つの石を、駿河の富士の裾野より、尾張の松子の島へこそ投げられけれ。彼の所の紀大夫といふ者の作れる田の北の耳に火石は落ち、南の耳に水石は落つ。二つの石留まる夜、紀大夫の作りける田、一夜が内に森となりて、多くの木生ひ繁りたり。火石の落ちける北の方には、如何なる洪水にも水出づる事なく、水石の落ちたる南の方には、何たる旱魃にも水絶ゆる事なし。これ火石・水石の験なり。


「城方本・八坂系」
するがのくにうきしまがはらにもなりしかばおほいとのこまをひかへて
  しほぢよりたえずおもひをするがなるみはうきしまになをばふじのね
おんこゑもんのかみ
  われなれやおもひにもゆるふじのねのむなしきそらのけぶりばかりは


「高野本」
入道相国うれしさのあまりに、砂金一千両、富士の綿二千両、法皇へ進上せらる。

まことにめでたき瑞相どもありければ、吹くる風も身にしまず、落くる水も湯のごとし。かくて三七日の大願つゐにとげにければ、那智に千日こもり、大峯三度、葛城二度、高野・粉河・金峯山、白山・立山・富士の嵩、伊豆、箱根、信乃戸隠、出羽羽黒、すべて日本国のこる所なくおこなひまは(廻つ)て、さすが尚ふる里や恋しかりけん、

清見が関うちすぎて、富士のすそ野になりぬれば、北には青山峨々として、松ふく(吹く)風索々たり。南には蒼海漫々として、岸うつ浪も茫々たり。

   ただたのめ(頼め)ほそ谷河のまろ木橋ふみかへしてはおち(落ち)ざらめやは
むねのうちのおもひはふじのけぶりにあらはれ、袖のうへの涙はきよみが関の波なれや。


「長門本」
彼庄内にあさくら野と云所に、ひとつの峯高くそびえて、煙りたえせぬ所あり、日本最初の峯、霧島のだけと號す、金峯山、しやかのだけ、富士の高根よりも、最初の峯なるが故に、名付て最初の峯といふ、六所権現の霊地也、

今も女院だに渡らせ給はましかば、申留め参らせ給ひなましと、事のまぎれに旧女房たちささやきあひ給へり、富士綿千両、美濃絹百疋御験者の禄に法皇に参らせらるるこそ、いよいよ奇異の珍事にてありけれ、

大将年ごろ浅からず思ひて通はせられけるに、ある夜待わび、さむしろ打拂ひ富士のけぶりのたえぬ思の心地して、宵のかねうち過おくれがねかすかに聞えければ、侍従なくなくかうぞ思ひ続けける、
   待宵のふけゆくかねの音きけばあかぬわかれの鳥はものかは

「龍谷大学本」
侍、郎等、乗替相具して、馬上二十八万五千余騎とぞ記しける、其外甲斐源氏に一条次郎忠頼を宗徒として二万余騎にて兵衛佐に加はる、平家の勢は富士の麓に引上げて、ひらばり打ちてやすみけるに、兵衛佐使を立てて、親の敵とうどんげにあふ事は、極めて有がたき事にて候に、御下り候こと悦存候、あすは急ぎ見参に入候べく候といひおくられたり、

清見が関をも過ぬれば、富士の裾べにもなりにけり、左には松山ががとそびえて、松吹く風もさくさくたり、右には海上漫々として、岸打浪もれきれきたり、

清見が関にかかりぬれば、朱雀院御時、将門が討手に宇治民部卿忠文、奥州へ下りける時、此関に止まりて、唐歌を詠じける所にこそと涙をながし、田子の浦にも着ぬれば、富士の高根と見給ふに、時わかぬ雪なれども、皆白妙に見え渡りて、浮島が原にも到りぬ、北はふじの高根、東西はるばると長沼あり、いづくよりも心すみて、山の翠かげしげく、空も水も一なり、

みなみに向て、又念仏二三十遍計申けるを、宗遠太刀をぬき頸をうつ、その太刀中より打をりぬ、又打太刀も、目ぬきよりをれにけり、不思議の思ひをなすに、富士のすそより光り二すぢ、盛久が身に、差あてたりとぞ見えける、


「百二十句本」
法皇、やがて還御の御車を門前に立てられたり。入道相国、うれしさのあまりに、砂金一千両、富士綿二千両、法皇へ進上せらる。人々、「しかるべからず」とぞ内々に申されける。

まことにめでたき瑞相どもあまたあり。吹き来る風も身に沁まず、落ち来る水も湯のごとし。かくて三七日の大願つひにとげければ、那智に千日籠り、大峰三度、葛城二度、高野、粉河、金峯山、白山、立山、富士の岳、伊豆、箱根、信濃の戸隠、出羽の羽黒、総じて日本国残る所もなく行きまはり、さすがなほ旧里や恋しかりけん、都へのぼりたりければ、飛ぶ鳥も祈りおとす、「やいばの験者」とぞ聞こえし。

清見が関も過ぎ行けば、富士の裾野にもなりにけり。北には青山峨々として、松吹く風も索々たり。南は蒼海漫々として、岸うつ波も茫々たり。

是は浮島が原と申しければ、大臣殿(おほいとの)、
   塩路よりたえぬ思ひを駿河なる名は浮島(うきしま)に身をば富士のね
右衛門督(ゑもんのかみ)、
   我なれや思ひにもゆる富士のねのむなしき空の煙ばかりは

平家物語について

2006年03月21日

高田貴霜

夕霧に富士の影富士離れ立つ

高村正知

北斎の富士雪となる三ツ峠

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高橋福子

伊賀冨士のうす紫に今朝の秋

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高橋克郎

表富士海まで枯れをひろげたり

2006年03月20日

武蔵坊弁慶?

「西塔武蔵坊弁慶最期書捨之一通」
抑若年之時、寄身于雲州鰐淵山、自童形以来、日夜不怠、粗試阿吽之二字。況至剃除餐髪之頃、向真言不思議窓、転極(うたた)頸密之秘法、於入定座禅床、探金胎両部之奥蔵。大日不二之法尤大切也。我自出母胎内以来、不犯禁戒、全護五常之道、欲達現当二世之本懐之処、先世之宿縁難遁而今将(はた)果者歟。

菅江真澄(白井秀雄)

「かすむ駒形(こまかた)」
南は根白石嶽刈田の白石荒神山、こは、みな月のころのぼれば、はるかにのぞむ谷ぞこに、家あまたあるを、いかなる里としる人なし。又あやしの人に、あふことありといへり、加美郡のうち也。西の方には、胆沢の駒形、此郡の駒形、尾をまじへたり、二迫の文字邑、不二にひとしき山は、をとが森、一迫鬼頭(おにかうべ)、この山奥より、白黄土といふ土をとりて、よねをあはせて、辰のとしまで、餅飯となしてくらひしなど、花淵山、いみじき花、いろいろあればしかいふ。

馬場信意

「義経勲功記」(附録「夢伯問答」)
昔常陸坊海尊とかや、源の九郎義経奥州衣川高館の役に、一族従類皆亡びけるに、海尊一人は軍勢の中をのがれて、富士山に登りて身を隠し、食に飢えてせん方のなかりしに、浅間大菩薩に帰依して守を祈りしに、岩の洞より飴の如くなる物涌き出でたるを、嘗めて試むるに、味ひ甘露の如し。是を採りて食するに飢えをいやし、おのづから身もすくやかに快くなり、朝には日の精を吸いて霞に籠もり、終に仙人となり、折節は麓に下り、里人に逢いてはその力を助け、人の助かる事、今に及びて、世に隠れてありという。

高平眞藤(高平清敏)

「平泉志」の「医王山毛越寺」より
五十四代仁明天皇の御宇嘉祥三年慈覚大師の開基なり。大師済度の為め東奥に巡歴し、暫く禅錫を此地に留め伽藍を草創あり。抑大師飛錫の始め俄に霧雲山野を蔽ひて行路咫尺を弁せさりしか怪哉。前程白鹿の毛を敷散し綿々として一径を開けり大師追従数歩にして回顧すれは、白髪の老翁忽焉と出現し大師に告て曰く。此に蘭若を開始せは弘法済民の功※(火+曷)焉にして、邦國不二の霊場ならむと。即ち其形白鹿と共に消えて見えすなりぬ。

田辺希文

「封内風土記」
荻荘赤荻邑
戸口凡二百三十一。有號笹谷。外山地。本邑及山目。中里。前堀。作瀬。細谷。樋口。上。下黒澤。一関。二関。三関。凡十二邑。曰荻荘。 
神社凡十一。 
日光権現社。本邑鎮守。不詳何時勧請。 
若宮八幡宮。同上。 
神明宮二。共同上。 
富士権現社。同上。 
雲南権現社。同上。 
寶領権現社。同上。 
白山権現社。同上。 
山神社。同上。 
稲荷社。同上。 
竈田神社。不詳何時祭何神。

香取佳津美

春富士を目につなぎ来て旅装解く

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甲斐遊糸

雲上に冠雪の富士七五三

広田寒山

白銀の雨に身震ふ富士詣

2006年03月19日

藤原定家

ふじのねにめなれし雪のつもりきて
 おのれ時しるうきしまがはら

あまのはらふじのしば山しばらくも
 けぶりたえせず雪もけなくに

今ぞおもふいかなる月日ふじのね
 峯にけぶりのたちはじめけん

ほととぎすなくやさ月もまだしらぬ
 雪はふじのねいつとわくらん

竹取物語

※古谷知新 校訂版

   あふことも涙にうかぶわが身にはしなぬくすりも何にかはせむ
かの奉る不死の藥の壺に、御文具して御使に賜はす。勅使には調岩笠(つきのいはかさ)といふ人を召して、駿河の國にあンなる山の巓(いたゞき)にもて行くべきよし仰せ給ふ。峰にてすべきやう教へさせたもふ。御文・不死の藥の壺ならべて、火をつけてもやすべきよし仰せ給ふ。そのよし承りて、兵士(つはもの)どもあまた具して山へ登りけるよりなん、その山をふじの山とは名づけゝる。その煙いまだ雲の中へたち昇るとぞいひ傳へたる。

桂信子

たてよこに富士伸びてゐる夏野かな

五月富士全し母の髪白し

遠富士へ萍流れはじめけり

藻の花に音なく富士の顕ちにけり


桂信子について

広瀬澄江

大富士の影落つ湖の初明り

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向井太圭司

大霞富士あるごとくなきごとく

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古場真規子

吹きこもる樹林の風や葉月富士

古屋喜水

影富士となる雲海の晩夏光

原田青児

松過ぎの富士山見ゆる駅に来て

原子公平

寒星へ王墓のごとく暮れゆく富士

兼堀なみ子

遠富士の尖りをくろく冬夕焼

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熊谷清子

蝦夷富士を右に左に秋の旅

金尾梅の門

初富士や木々思はずも葉をふるふ

川上弘美

湯屋の富士描きなほされて夏に入る

深谷雄大

山里の一本のみの富士桜

金子光晴

「五つの湖」
○五つの湖が
 ふじをめぐる。
○山中湖は鶺鴒(せきれい)。
 霧のなかの
 かるい尾羽。
○額ぶち風な河口湖。
 樹海のふところからとりだした珠。
 明眸(めいぼう)の精進。
 嫉みぶかさうな、秘やかな西湖。
 そして、無の湖、本栖湖よ。
○五つの湖が
 ふじをみあげる。
○芒すすきからのぞく
 雪の額。
○緒が切れて
 裾野にこぼれた五つの珠。
○五つの湖がしぐれると
 ふじはもう、姿がみえない。
○移り気なふじよ。
 雪烟(ゆきけむり)にかくれまはり
 つゆつぽい五つの湖と
 ふじは心の遊戯をする。
○五つの湖を
 めぐりあるくふじは
 どの鏡にもゐて
 どれにも止まらない。


「富士」より
雨はやんでゐる。
息子のゐないうつろな空に
なんだ。糞面白くもない
あらひざらした浴衣のやうな
富士