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2006年04月15日

与謝蕪村

不二ひとつ うづみ残して わかばかな

富士を見て通る人あり年の市

富士ひとつ埋みのこして若葉かな

不二颪十三州の柳かな

玉あられこけるや不二の天辺より

飛蟻とぶや冨士の裾野ゝ小家より

レーダードーム館、指定管理者制度へ

山梨日日:2006年04月14日
 ・ (財)富士吉田コンベンションビューロー(理事長は市長)が8月末で解散することが決定。
 ・ 市観光協会と再編統合した新財団を設立、9月から業務移行。
 ・ 国際会議誘致が低調で、組織再編。
 ・ 新財団は引き続き観光振興や国際会議誘致などを進める。
 ・ 現在の財団は1991年に北ろく7市町村や県、富士吉田商工会議所や民間企業などが基本財産1億3000万円を出して設立。
 ・ 市は富士山レーダードーム館、道の駅、富士山アリーナの3施設について、指定管理者制度を導入する。
 ・ 道の駅は今のところ、現在の財団が運営を受託していて、新財団は指定管理者受託も視野に入れているとみられる。

和田暖泡

裾山の雲こそ早し富士小春

公魚の穴釣り富士に皆背き

鈴木只夫

青富士のいよいよ蒼き野分かな

北州(島本北州?)

雪解富士見ゆる裏なり雑魚干せる

鈴木正代

往還の暦日永し雪解富士

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北光星

虻唸る高さに身ゆる利尻富士

林寛

深雪晴富士の全容迫りくる

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有馬壽子

初冨士の擂鉢ほどに遠かりき

野々口立圃

かはらぬや其ふりかかりふじの雪

木村秋峰

厚化粧して雛の日の表富士

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木村史津子

きさらぎの裾野ふくらむ女富士

堀江都紫

冬麗の富士が巨きく野に座る

※この方の情報を教えてください!

北野里波亭

初富士の全容を置く籬かな

堀内ひろし

富士仰ぐ背に意表つく時鳥

2006年04月14日

橘南谿

「東西遊記」
山の姿峨々として嶮岨画のごとくなるは、越中立山の剣峯に勝れるものなし。立山は登ること十八里、彼の国の人は、富士よりも高しと云。然れども越中に入りて、初て立山を望むに、甚高きを覚えず、数日見て漸くに高きを知る。

東京大学法理文学部第八年報

同月(七月)二十七日往復三週間を期シ、理学研究ノタメ、理学部教場助手山田尭扶ニ、物理学第三生徒ヲ随行セシメ駿州富士嶽ヘ派遣ス。時ニ教授メンデンホール、チャプリン両氏モ亦私費ヲ以テ該地ニ至リ、生徒ノ実験ヲ監督ス。

福田甲子雄

しばらくは雪煙りあげ夜の富士

たっぷりと柿にいろのる夜明け冨士

初富士の茜に染まる雪煙

保坂伸秋

富士の肩鷲づかみして雲は夏

朝富士の素肌の荒きほととぎす

米沢徳子

日の湖も荒富士も越え春の雲

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米沢登秋

早発ちに雲ぬぎすすみ五月富士

平本くらら

黒富士に佇つ雪便りふところに

福沢義男

伊賀富士の親しき春田打ちにけり

芒野の奥に伊賀冨士鎮座せり

服部嵐雪

おもしろく富士にすじかふ花野かな

武藤猫車

形代の打ち寄せられて逆さ富士

木津柳芽

暮れぎはや不二もあらはに冴えかへる

富士かくれ篠のうぐひす鳴つれる

富士きえて晴るる箱根にほととぎす

片岡奈王

初富士をさへぎるもののなかりけり

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2006年04月13日

道の記(富士の道の記)

十とせあまりのむかし、子なるものゝ病て、こゝの医かしこの医の術つきて、此世のものともおもわざりしが、冨士の御山やまへねぎごとし、三五の年にあたれる時、御嶺へのぼらん事を誓ぬるに、神も其真心を納ましてや、そくに病の愈し事こそ尊くありがたけれ。

旭のつと昇り隅田あたりまで一眼にみへ渡りければ、
  きり晴や冨士と筑波を右ひだり
と口ずさみつゝ、はや市ヶ谷の御門を通り、尾の大侯の御表を過行に、我より先へ旅のよそほひしたる人の行けるあり。久しう此みち行来ゝせぬ事にありぬれば、「此人冨士へや行かん、府中へや行かたなるべし。よき案内や」と、己がこゝろにたくし、付行けるに、程もなく大きやかなる道へいづ。

「しばし足を休めん」と茶家に立より茶などふくしてありけるに、はや冨士の登山終りて帰かへれる同者五六人も此茶店に休み居たり。草咄してある其中に、先達とおぼしき人油扇子を笏にとり、或は開きて風を乞て咄すを聞ば、「夫(それ)冨士山はいにしへの事はしらねども、元禄の年次、甲陽吉田口を道ひらきせし食行身禄といへるは、勢州一志郡清水村の産にして富めるものなりけるが、行者となりて家を出、十七歳より御山へ登山なし其外諸国諸山をへめぐり、果は江戸山手に借家して妻もありて女子三人ありとかや。四十五ヶ年の登山終つて六十三歳の時、『中なる娘は其器にあたる行者也』と、行法並書るものどもを譲り教へて登山なし、三十一日の断食し七合五勺目に入定あられしとかや。今烏帽子岩にてなり。夫よりして北口登山の同行多く吉田の繁栄いちぢるし。又此食行の教へに、冨士山は神佛両部にて死服の穢れ魚肉の穢れをいとわずとも、心にも諸の穢れなければ登山して、其ねぎ事の叶はぬはなし」など、実か否かわしらねど、鼻うごめかして語り居けるを、かたわらにてこゝかしこ聞、「長物語きかんも道行邪魔」と立いでつ。

   かつらなる其つ文字かわ(は)しらねども弓とつらなる近道を来て
と言いつゝ舟をわたり、此乗合先の商人と又下野佐野辺のものなるよし五人連にて冨士参詣のものにして、我もよき同行と思ひ、咄し合、渡しを上り崖に添、弓手に流れをみて行ば、ほどなく吉野へいづ。

木戸を通れば大鳥居、「冨士山大権現」の額は新田源道純公の御筆也。此鳥居の前にひざおりて鈴ふりならして御歌を上る同者あり、又直さまに行も有。是より御師商家軒をならべて賑しく、登り来る同者あれば、登山過て帰る同行ありて、其鈴の音かしましく、我講の御師は仙元坊なれど、一人り別ならん事の本意なくて佐野の五人らが御師外川能登守へ行んと約しつゝ、東側にて中程ほどの外川の家へ馬もろ共に七ツ下りに着にける。

又しばしして「夫々の御勘定はかくの通」と手代の持出す書付は、
一百廿二文御山役料 一九十弐文 綿入損料 一百文 御持弁当 一八十文 上下わらし四足 一八十文 強力わり合 十壱人前四百九十文
といへる所へ、一人毎に金弐朱つゝ出し残りは「余り少しなれども坊入也」と手代に渡せば、御師の出て坊入の礼をのべ、「はや寝まり候へ」と蚊帳つり寝ござふとんまで持出す合図にほつ/\降り来る小雨は、「今日午の七刻土用の明し印にもやあらん冷しさや」と不二の御山を枕とし能き夢みんと、みなもろ共に寝まりけり。

又先程ほどのくみ給へる酒の御恩も多性のいにし、しるとしらぬをゆるし給はゞ行衣の御判をかたに着て先達をやいたさんと、
   先達にあらねど夫と頼まれて呑込んで行五合目の酒
といへければ、みな/\と笑わらへけり。


※新潟大学佐野文庫所蔵の一冊しかないらしい。

飯田龍太

強霜の富士や力を裾までも

裏富士の月夜の空を黄金虫

紅梅や富士充実の白に満ち

夏富士のひえびえとして夜を流す


飯田龍太 について

飯田蛇笏

ある夜月に 富士大形の 寒さかな

初富士や樹海の雲に青鷹(もろがへり)

裏富士のすそ野ぐもりに別れ霜

富士垢離のほそぼそたつるけむりかな


飯田蛇笏

武石佐海

高嶺蝶見失ふとき富士まぶし

南沢よね子

冬の湖波立ち逆さ富士見せず

鍋島一草

露霜の蝦夷富士雲の厚き日箭

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苗村千里

深川や芭蕉を富士に預けゆく

飯利勝郎

草田男忌夕星(ゆうづつ)肩に男富士

八島美枝子

二日富士望みて寄木細工買ふ

白幡千草

蝦夷富士にマ−ガレットに雨晴るる

白根栄一

裏富士の紫紺となりて秋晴るる

※この方の情報を教えてください!

白井常雄

雪襞の濃淡もまた師走富士

笠曇を脱がぬ裏富士梅日和

富安風生(とみやすふうせい)

露涼し朝富士の縞豪放に

大空に雪解富士たゞあるのみなり

富士の霧圧倒し来る月見草

一片雲もて秋富士を荘厳す

葉月なる竪縞あらし男富士

初富士の大きかりける汀かな

赤富士に露滂沱たる四辺かな

熔岩原(らばはら)の野分の荒き男富士

赤富士やぬうっと近き面構え

赤富士に露の満天満地かな

あはあはと富士容(かたち)あり炎天下

秋富士に孤鶴のごとき雲をおく

初冨士や茶山の上にかくれなし

片雲を扇かざしに秋の富士

一痕の雪渓肩に男富士

萬緑の中富士とわが一対一

秋富士を拾う湖辺の撩


※富安風生は、自筆の句集「富士百句」をまとめている。

参考URL
http://www1.ocn.ne.jp/~go79dou/haiku001.html

2006年04月12日

大淀三千風

涼しさや始て富士に後むく


「日本行脚文集」
先づ此山の開始は、いともかしこき聖君、孝安天皇九十二、水無月一夜のうちに、江州に凹(なかくぼ)の湖湧出、浮島が原に凸(なかたか)の富峰忽然と生出たり。しかあれば八層の下陰に皇帝の陵をとどめ給ふ。かつ役の角仙信託をうけ、忝なくも天照大神の息神魂(いきみたま)、市杵島姫の幸魂、加久夜姫命、則ち此御山の本主也

古川古松軒

「東遊雑記」
予、山水の癖ありて諸国を巡り、予の見る所の勝景を以て考え見るに、山においては富士を越ゆるものなく、景において松島にまさるものなし

島村正

登山路に灼けゐし富士の火山弾

宝永の火口に憩ふ登山隊

登山隊宝永山の窪歩く

渡辺和子

五合目の燭いきいきと野分富士

内田暮情

五月富士水車は高き水玉を

徳山暁美

冬霞む遠富士肩の力抜く

藤林正則

雪残る利尻の富士や涛洗う

利尻富士大きく見えて冬に入る

藤田雅子

夏の富士ただ黒くして巨いなる

藤谷紫映

登山馬富士の夕霧まとひ来る

奴井静子

大富士の影うすうすと梅雨の月

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土岡夕焼

雪富士の襞消ゆるまで白砂に

都築澄子

逆富士の湖面を渡る若葉風

中西悟堂

富士までにおよぶ雲海ひらけつゝ大見晴らしの朝鳥のこゑ

※高尾山に上記の歌碑あり。

2006年04月11日

山岡鉄舟

晴れてよし曇りてもよし不二の山
  元のすがたは変らざりけり

塚原巨矢

青富士の片膚ぬぎの雲は秋

初富士夕富士となり凧ひと日

鳥井保和

富士に触れ雪雲富士に雪降らす

長瀬春枝

えぞ富士の裾ひきしめる芋の花

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中島月笠

天の原夏冨士藍を流しやまず

中山一沖

登山杖富士の焼印のみならず

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中原八千草

朝霧の霽れゆく富士をまのあたり

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中岡照子

初冨士銀燦然と狩場みち

渡辺蟹歩

赤富士のたちまちに紺秋どどと

堤愚亭

逆さ富士色無き風の波に消ゆ

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津田悦子

逆さ富士映しコスモス映す湖

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鳥居ひろし

強力の一歩一歩や富士薊

2006年04月10日

景戒

「日本現報善悪霊異記(日本霊異記)」
天皇敕之、遣使捉之。猶因驗力、輙不所捕。故捉其母。優婆塞令免母故、出來見捕。即流之伊圖之嶋。于時、身浮海上、走如履陸。體踞萬丈。飛如■鳳。晝隨皇命、居嶋而行。夜往駿河、富岻嶺而修。然庶宥斧鉞之誅、近朝之邊、故伏殺劍之刃、上富岻也。見放斯嶼而憂吟之間、至于三年矣。於是乘慈之音、以大寶元年■次辛丑正月、近天朝之邊、遂作仙飛天也。

(書き下し)
天皇勅して、使を遣りて捉らせたまふ。なほ験力に因りて、輒く捕られず。故に其の母を捉る。すなはち伊図の嶋に流す。時に身は海の上に浮び、走くことが陸が履くが如し。体は万丈に踞り、飛ぶこととぶ鳳の如し。昼は皇の命に随ひて嶋に居て行ひ、夜は駿河の富岻嶺に往きて修ふ。然うして庶はくは斧鉞の誅を宥され天朝の辺に近かむことをねがひて、故に殺る剣の刃に伏ひて、富岻の表を上る。「斯の輿に放たれて憂へ吟ふ問、三年に至る。是に慈の旨を垂れたまへ」とまうす。


景戒について

炭太祇(たんたいぎ)

みじか夜や雲引残す富士のみね

短夜や雲引き残す富士の山

滝春一

晩春や見えしところに富士見えず

初富士の白し葛西の海濁る

竹下しづの女

初富士の金色に暮れ給ひつつ

池田隣

朝富士のしずもる山湖冬に入る

池田二三子

峠路に富士を大きく初景色

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丹羽笑子

正月の雲すこし被て表冨士

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谷はるか

雪の富士大沢崩れまざまざと

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沢田緑生

雲丹採にかたむき迫る利尻富士

大野梢子

初東雲胸中白き富士を聳たす

大野雑草子

二日富士下りひかりの車窓より