住吉胡之吉
正直に自分の日本に対する気持。日本は好きだ、愛する。だが日本の国体云々以上に日本人は大きく人間の運命を考へなければならないのではなからうか。美しくも清き富士、郷土愛、民族愛、が祖国愛たることならば、人後に落ちない。だがたゞ過去の歴史、国体のために戦ふのはどうしても割り切れぬ。人間の悲惨事は天皇では救へぬ。日本人一人々々がもつと立派にならなくては。
※「はるかなる山河に−東大戦没学生の手記」より
正直に自分の日本に対する気持。日本は好きだ、愛する。だが日本の国体云々以上に日本人は大きく人間の運命を考へなければならないのではなからうか。美しくも清き富士、郷土愛、民族愛、が祖国愛たることならば、人後に落ちない。だがたゞ過去の歴史、国体のために戦ふのはどうしても割り切れぬ。人間の悲惨事は天皇では救へぬ。日本人一人々々がもつと立派にならなくては。
※「はるかなる山河に−東大戦没学生の手記」より
「日本を(長編歴史童話) --ペリー艦隊来航記--」
来年再び来るのは来るのですが、ともかくこゝで一たん日本の領海から撤退するといふことは、日本人に取つては怖らく当面多少の安神になり得たばかりでなく、四艘の艦隊そのものが、すさまじく浪を衝いて発程する光景それ自身も彼等には珍らしく愉快だつたに相違ありません。浦賀の岬なぞでは、兵隊たちがどん/\と砲台から駆け出して、ぎつしり立ち集つて見てをります。中には丘の上まで走り上るものもあり、艦隊がだん/\と沖合に遠ざかると争つて船で漕ぎ出してまで見物しました。見る/\うちに何百艘といふ船が海上を掩うて動いてゐたやうな有様です。艦隊は間もなく、富士の高い峰を後にして、すつかり大洋の真中へ出てしまひました。
翌日になりますと、風も止んで平穏な日和になりました。本土の陸地を見ますと、富士山はすつかり真白に雪を被つてをり、あたり一帯の低い山々も頂上には寒さうに雪がつもつてゐます。手近の岸の丘なぞも、この前真つ青だつたのにくらべて、全で別ものゝやうに赤茶けてゐます。甲板へ出ると肌を裂くやうな風が絶えずびゆう/\と吹き通しました。
「母子群像「灯」に題す」
渺茫たり 駿河の海 玲瓏たり 芙蓉の峯
四時 新緑を望み 丸天偉容を仰ぐ
光を求めて 佳境に学ぶ
能を磨いて鋭鏡を露わせ
「静岡県立静岡高等学校 逍遥歌」
○芙蓉のかげを 水にくむ
知識の泉 学園に
三年の春は 快よく
我等が夢を 通わしむ
※4番あるうちの1番
※作詞作曲/鈴木守郎
残照をいまだに保つ紅き雪匂ふばかりに富士の暮れゆく
「友の訪ひし時詠みける(雑録)」から「和倉温泉に浴して」より
薬師の岳(やま)の峰高く
紫嵐(あらし)に袖をはらはんも
こゝろもとなく弁天の
巌のかげにをりたては
しらべしづけき磯馴松
下枝にかすむ能登富士や
闇の几帳の裾なかく
瀬嵐の森のつぎ/\に
いつしか眠る浜千鳥
※早稲田文学、明治31年(1898)に収録。
「神曲余韻」より ((中)終盤〜(下)前半の抜粋)
(中)まひ
・・・
○近江の国のたゝ中に
大地はくぼむ七十里
忽ち海となりにけり
琵琶の形をそのまゝに
○再び飛びて波の撥は
東海百里のあなたなる
駿河大野に立ちにけり
富士の高峰と名も著く
(下)なごり
○あはれ/\天つ女神の
其の姿今やいづこぞ
たふとくも妙なる調べ
其の音の今やいづこぞ
○富士の峰の万古の雪は
天つ日の万古の影に今もにほへど
琵琶の海の五百重の
波はてる月の千里の影に今も残れど
○末の世の此の末の世に
姫神のありし姿の
うつらめや
彼の雪にかの波に
※早稲田文学、明治30年(1897)に収録
「宇宙の妙律」より (中の前半抜粋)
中 大絃小絃
○あらがねの
地(つち)のきはみは多(さは)なれど
その名にしおふ日の本は
天の精気をうけあつめ
四方に秀る国柄ぞ
○天地の
永き調和の琴の緒は
星より星と伝はりて
我が地球(よ)の中に下りては
先づ皇国(こゝ)にしもとまりけん
○国の鎮めと目もさやに
聳えて立てる富士の峰の
その頂を柱(ぢ)となして
走りゆくへや南溟の
雲のあなたか夕づゝの
北斗の星の青空か
○天つ調べの大絃の
かかりてとまる富士の根ゆ
更らに出でたる小絃は
妙義浅間や蓮華山
北は百里の蝦夷が島
千島のはてをきはめつゝ
遥かに飛ぶや西筑紫
阿蘇霧島にかけわたり
みづちあぎたふ沖縄の
波路の末ははる/\と
印度 唐土(もろこし) 欧羅巴
其の山々を柱となして
ひくや蜘蛛の綱機の糸
※早稲田文学、明治31年(1898)に収録
富士垢雛や富士百景の第一図
夏富士の裾に勾玉ほどの海
※「海」は「湖」?
赤冨士としてきはまる慈悲心鳥
郭公や吾妻小富士のはゝに似る
立秋の麒麟の脚が富士を蹴り
鳴く千鳥富士を見かへれ塩見坂
冨士昏れて枯野灯す達磨市
大寒の富士をそびらにクレーン船
青富士のいよいよ蒼き野分かな
往還の暦日永し雪解富士
「かすむ駒形(こまかた)」
南は根白石嶽刈田の白石荒神山、こは、みな月のころのぼれば、はるかにのぞむ谷ぞこに、家あまたあるを、いかなる里としる人なし。又あやしの人に、あふことありといへり、加美郡のうち也。西の方には、胆沢の駒形、此郡の駒形、尾をまじへたり、二迫の文字邑、不二にひとしき山は、をとが森、一迫鬼頭(おにかうべ)、この山奥より、白黄土といふ土をとりて、よねをあはせて、辰のとしまで、餅飯となしてくらひしなど、花淵山、いみじき花、いろいろあればしかいふ。
ランナー昏れ血ひとすじの冬の富士
「無人島に生きる十六人」
元旦の初日の出を、伊豆近海におがみ、青空に神々しくそびえる富士山を、見かえり見かえり、希望にもえる十六人をのせた龍睡丸(りゅうすいまる)は、追手(おいて)の風を帆にうけて、南へ南へと進んで行った。
また、船底につく海藻は、アオサ、ノリの類(たぐい)が多い。貝では、カキ、カメノテ、エボシ貝、フジツボなどで、フジツボが、ふつういちばんたくさんにつく。フジツボは、富士山のような形をした貝で、直径五センチ、高さ五センチぐらいの大きなものもある。これが、船底いちめんにつくのだ。
明治三十二年十二月二十三日。十六人は、感激のなみだの目で、白雪にかがやく霊峯(れいほう)富士をあおぎ、船は追風(おいて)の風に送られて、ぶじに駿河湾にはいった。そして午後四時、赤い夕日にそめられた女良(めら)の港に静かに入港した。
「筑波紫」
夜は明けぬ。二の新代の朝ぼらけ、
国の兄姫の長すがた、富士こそ問へれ、
しろがねの被衣も揺に、『やよ筑波、
八十伴の緒は玉ぶちの冕冠も高に、
天の宮御垣は守るに、いかなれば、
異よそほひの東人と、汝やはひとり、
玉敷の御蔭の庭も見ず久に、
下なる国の暗谷につくばひ居るや。』
※「白羊宮」に収録