佐藤公子
夏霧の俊足宝永火口より
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夏霧の俊足宝永火口より
富士に向く赤松樹林蝉しぐれ
※この方の情報を教えてください!
白樺の白に揺るる葉や雪解富士
春風の届いてをりし冨士山頂
※この方の情報を教えてください!
寒林の道いくたびも富士に会ふ
落葉松の上の月夜富士見て湯ざめ
攀じに攀づ天まで富士の大斜面
天井界神に還して富士閉ざす
大いなるあゆみなりしよ葉月富士
五月富士現るるよと火山灰踏みくづす
「富士民謡」
○富士の白雪 朝日でとける
とけて流れて 三島に落ちて
三島乙女の 化粧の水
○富士に立つ影 乙女の踊り
右に金時 左に長尾
八重山霞の裾模様
○箱根まゐりに 千軒詣で
富士の裾野に 見る初夢は
一富士二鷹 三なすび
○高い山から 谷底見れば
谷は春ゆき 早や夏半ば
瓜やなすびの 花盛り
○富士の牧狩り 歌舞伎の澤は
飯盛り水仕に その身をやつす
歌舞の菩薩の 晴れの場所。
○玉穂の陣屋は 夜もふけ渡り
怪しき灯影 忍び緒しめて
曽我兄弟は 跳り足
○怨み果たして 身は花と散る
散りゆく花を 傍に見て
虎や少將は 血の涙
※高楠順次郎作詞/弘田龍太郎作曲
※昭和2年
火祭の吉田に応へ富士の火も
したたかに富士火祭の火の粉浴ぶ
富士まともなる氷店よくはやり
帰りには富士の初雪車窓にす
「あふきみよ」
○あふぎみよ
ふじのたかねのいやたかく
ひいづるくにのそのすがた
○みよやひと
あさひににほふさくらにぞ
やまとごゝろはあらハるゝ
※伊沢修二作詞作曲
太子多くの馬の中よりこれを選び出して、九月にこの馬に乗り給ひて、雲の中に入りて、東をさしておはしき。麻呂といふ人ひとりぞ御馬の右の方にとりつきて、雲に入りにしかば、見る人驚きあざみ侍りし程に、三日ありて帰り給ひて、「われこの馬に乗りて、富士の嶽に至りて、信濃の国へ伝はりて帰り来たれり」と宣ひき。
役行者、御門を傾け奉らんと謀る」と申ししかば、宣旨(せんじ)を下して行者を召しに遣はしたりしに、行者、空に飛び上りて、捕ふべき力も及ばで、使帰り参(まゐ)りてこの由(よし)を申ししかば、行者の母を召し捕られたりし折、筋なくて母に代らんが為に行者参れりしを、伊豆の大島に流しつかはしたりしに、昼は公に従ひ奉りてその島に居、夜は富士の山に行きて行ひき。
役の行者、伊豆国より召し返されて、京に入りて後、空へ飛び上りて、わが身は草座に居、母の尼をば鉢に乗せて、唐土へ渡り侍(はべ)りにき。さりながらも本所を忘れずして、三年に一度、この葛城山と富士の峰へとは来たり給ふなり。時々は会ひ申し侍り。
「音なし草紙」
さて在原の中将も、鬼一口の辛き目に、都の中に住みわびて、東の方に旅衣、遥々行きて宇都の山、思ひをいとゞ駿河なる、富士の煙とかこちつゝ、なほ行末は武蔵野の、はてしもあらぬ恋路ゆゑ、身は徒らに業平の、男に今の世の、我も何かはかはらまし、幾程あらぬ夢の世に、はかなく思ひ消えぬべき、あはれを知らせ給ひなば、露の情をかけ給へ。
「文正ざうし」
冬は雪間に根をませば、やがてか人を見るべき、富士のけぶりの空に消ゆる身のゆくへこそあはれなれ。風のたよりのことづてもがな、心のうちの苦しさも、せめてはかくと知らせばやと、色おりたるもめしたくや候。
「辨の草紙」
恋しくば上りても見よ辨の石われはごんしやの神とこそなれ
黒髪山の頂に、辨の石と云ふ霊石あり。富士の獄の望夫石の古語を思へば、事あひたる心地して、あらたなりける事どもなり。斯かる不思議ともに人みな見いて、あるは語り、あるは歎き、よしさらば、人の唱ふべきものは、弥陀の名号、願ふべきわざは安養の浄刹なるぺしと、一慶に不惜の阿弥陀仏を両三返申して、目を閉ぢ塞ぎ、袖を濡らさぬはなかりけり。
「美人くらべ」
あふと見る夢うれしくてさめぬれば逢はぬうつゝのうらめしきかな
と有りければ、姫君の御夢にもこの如く見え給へり。又少将殿富士の高嶺を見給ひて、
年をへむ逢ひみぬ恋をするがなる富士のたかねをなきとほるかな
さて斯様に尋ね来り給ふとは、姫君知らせ給はず、都の事を思ひて、花の一本、鳥の音までも、都に変らざりければ、かくなむ、
鳥のねも花も霞もかはらねば春やみやこのかたちなりける
「富士の人穴草子」
抑承治元年四月三日と申すに、頼家のかうのとの、和田の平太を召して仰せけるは、「如何に平太、承れ、昔より音に聞く富士の人穴と申せども、未だ聞きたるばかりにて、見る者更になし。さればこの穴に如何なる不思議なる事のあるらむ、汝入りて見て参れ。」と仰せければ、畏まつて申す様、「これは思ひもよらぬ一大事の御事を仰せけるものかな。天を翔くる翼、地を走る獣を獲りて進らせよとの仰せにて候はば、いと易き御事にて候へども、之は如何候べきやらむ、如何にして人穴へ入りて、又二度とも立返る道ならばこそ。」と申上げければ、頼家重ねて是非共と仰せありければ、御意を背き難くて、二つなき命をぱ、君に参らせむとりやうしやう申し、御まへをこそ立たれける。義盛の宿所に参り「聞召せ、平太こそ君の御望みを承りて、富士の人穴へ入り申し候。」と申す。
斯かりける所に、和泉の国の住人、新田の四郎忠綱と申す者、此の事を承り、心の内に思ふ様、「所領千六百町持ちたるなり、今四百町賜はりて、まつはうますわか二人の子供に千町づゝとらせばやと思ひ、鎌倉殿へ参り、御前に畏まりて申しけるは、「忠綱こそ御判をなして、富士の人穴へ入りて見申し候はむ。」と申す。鎌倉殿聞召され、御悦びは限りなし。忠綱宿所に帰りて、女房に語りけるは「頼家の敕を蒙り、富士の人穴に入り申すべく候、岩屋の内にて死したるとも所領二人の子供に、千町づゝとらすべし、松杉を植ゑしも、子供を思ふ習ひなる。
此の草紙を聞く人は、富士の権現に、一度詣りたるに当るなり。能く/\心をかけて疑ひなく、後生を願ふべし。少しも疑ひあれば、大菩薩の御罰も蒙るなり。いかにも後生一大事なりと思ふべし。御富士南無大権現と八遍唱へべし。
「ふくろふ」
上は梵天帝釈、四大天王、閻魔法王、五道の冥官、王城の鎮守八幡大菩薩、春日、住吉、北野天満大自在天神、伊勢天照大神、山には山の神、木には木魂の神、地にはたうろう神、河には水神、熊野は三つの御山、本宮薬師、新宮は阿弥陀、那智はひれう権現、滝本は千手観音、熱田の観音、富士の浅間大菩薩、信濃には諏訪上下の大明神、善光寺の阿弥陀如来、南無三宝の諸仏を請じおどろかし候ぞや。
※御伽草子とは
「鉄道唱歌」(東海道篇)より
14(御殿場・佐野)
はるかにみえし富士の嶺は
はや我そばに来(きた)りたり
ゆきの冠(かんむり)雲の帯
いつもけだかき姿にて
15
ここぞ御殿場夏ならば
われも登山をこころみん
高さは一万数千尺(すせんじゃく)
十三州もただ一目
18
鳥の羽音におどろきし
平家の話は昔にて
今は汽車ゆく富士川を
下るは身延の帰り舟
20
三保の松原田子の浦
さかさにうつる富士の嶺を
波にながむる舟人は
夏も冬とや思うらん
29(鷲津・二川)
右は入海(いりうみ)しずかにて
空には富士の雪しろし
左は遠州洋(なだ)近く
山なす波ぞ砕けちる
「鉄道唱歌」(第5集=関西・参宮・南海各線)より
28
伊勢と志摩とにまたがりて
雲井に立てる朝熊山(あさまやま)
のぼれば冨士の高嶺まで
語り答うるばかりにて
※大和田建樹作詞・多梅稚(おおのうめわか)作曲
※歌詞は変遷がある。
元朝や軒は古りても富士の山
※姓は「かくた」とも「つのだ」とも。
講談を駿河町にも人の寄る富士の裾野の曾我の仇
※狂歌
試合場の辻講談に立客の手許へ早く迫る銭乞ひ
※狂歌
※富士山人唐麿か?教えてください!
「正気歌」より
天地正大気 粋然鍾神州
秀為不二嶽 巍々聳千秋
注為大瀛水 洋々環八洲
発為万朶桜、衆芳難与儔
※天地正大の気、粋然神州に鍾る。秀でては不二の嶽となり、巍々千秋に聳ゆ。注いでは大瀛の水となり、洋々八洲を環る。発いては万朶の桜となり、衆芳与に儔し難し。
「黎明の不二」より
よく見ればその空高く、かすかにも雪煙立ち、その煙絶えすなびけり。 いよいよに紅く紅く、ひようひようと立ちのぼる雪の焔の、天路(あまぢ)さしいよよ盡きせね、消えてつづき、消えてつゞけり。
「春はあけぼの」
○春はあけぼの
紫染めて
不二は殿御(とのご)の立ちすがた
○裾は紫
頂上は茜
不二は蓮華の八つ面
「初花ざくら」
○不二の裾野の
初花ざくら、
様は木花咲耶姫。
○不二の裾野の
一本ざくら、
いとしそさまも花盛り。
「山北」
○早やも山北、
ちらちら、燈(あかり)、
鮨は鮎鮨、
渓(たに)の月。
○箱根越ゆれば、
裾野の夜露、
不二は紫、
百合の花。
「山じや」
これが山じやと、
すうと立つたお山、
さすがお不二さん、
山の山。
「武蔵野の不二」
○心ぼそさに
背戸(せど)に出て見れば、
不二がちよつぽり、
枯木原。
○不二の遠見に、
火の見の梯子、
野良は火のよな
唐辛子。
不尽の山れいろうとしてひさかたの天の一方におはしけるかも
北斎の天をうつ波なだれ落ちたちまち不二は消えてけるかも
「香ひの狩猟者」
六十一種といふ名香の中に、紅塵、富士煙(ふじのけぶり)などは名からして煙つてゐる。一字の月、卓、花は何と近代の新感情を盛ることか。ことに隣家(りんか)にいたつては、秋深うして思ひ切なるものがある。
「不二の裾野」
○不二の裾野と
吹雪の夜汽車
何處(どこ)に下りよう當(あて)もない
○不二のしら雪
解けなば解けよ
とても愛鷹(あいたか)、三島宿
○不二の巻狩
夜明けの篝火(かがり)
今は速彈(はやだま)、戀の仇
※北原白秋作詞/成田為三作曲
「不二の高嶺に」
○不二の高嶺に
朝ゐる雲は
あれは雪雲
風見雲
○不二の高嶺に
夕ゐる雲は
末は茜の
わかれ雲
※北原白秋作詞/成田為三作曲
「紅吹雪」
○天(そら)へ天(そら)へと
あの雪煙(ゆきげむり)
お山なりやこそ
紅吹雪
○いとし焔(ほのほ)か
焔の雪か
不二は夜の明け
紅吹雪
○雪の焔の
燃え立つ朝は
さぞやお山も
せつなかろ
○やるせないぞへ
あの紅吹雪
早やも後朝(きぬぎぬ)
不二颪
※北原白秋作詞/成田為三作曲
たらの芽や雲を聚めて利尻富士
雨雲の夜雲となりつ富士詣
大寒の富士にぶつかる葬かな(五島沙歩郎逝く)
大露や抜身のごとく富士立てり
ハンカチーフ雪白なりや富士曇る
大寒の富士にぶつかる野辺送り
刻々の大赤富士となりゐつつ
雉子鳴くつめたき富士と思ふかな
籐椅子に師あれば簷に富士青し
処暑の富士雲脱ぎ最高頂見する
山毛欅枯れて富士より他に何もなき
初凪や児島湾なる備前富士
あをあをと富士のかぶさる大根蒔
北斎の雲を放ちて秋の富士
富士聳え干菜の匂ひたかかりき
赤彦の夕陽の歌や雪解富士
「平塚学園高等学校 校歌」
○富士が峯の かがよう雪に
久遠なるさとし見ざるや
ふるまいの 美しきもの
尽くさまし 世の人のため
平塚は 和むふるさと
奥ゆかし 清し むつまじ
ああ われら泉を分けて
培わん 徳の芽生えを
※3番あるうちの2番
※作詞大木惇夫/作曲乗松明広
「富士吉田市歌」
○浄(きよ)らけき不二の高嶺の
裾ひくや 緑のわが市(まち)
人のため はらからのため
幸(さいわい)を 紡ぎて織らん
ああ誉(ほまれ)あり 富士の子われら
奮(ふる)ひ立ち こぞり立ち
明日の花の栄えを見ばや
○白妙の不二の高嶺の
影うつす鏡ぞ 湖
ここにこそ人ら集ひて
新しき生命(いのち)を汲まん
ああ 望みあり 富士の子われら
扶(たす)けあい睦みあい
平和の貢(みつぎ) 世にささげばや
○仰ぎ見る不二の高嶺の
みさとしは 気高し ふるさと
美(うる)はしき殿堂を いざ
あけぼのの夢に築かん
ああ 祈りあり 富士の子われら
相呼びつつ 応へつつ
世界に虹を懸けわたさばや
※大木惇夫作詞/小松清作曲
「富士山」
○我(わが)日本(にっぽん)に山あり 富士と云ふ。
日本に二つなき山。
冬は只 仰げ仰げ、
仰げば雪を 戴きて、
眼(まなこ)を射る
白扇、さかさまなり。
○我日本に山あり 富士と云ふ。
日本に二つなき山。
夏はいざ 登れ登れ。
登れば雲に 擢(ぬきん)でゝ。
面(おもて)を吹く
天風(てんぷー) ひやゝかなり。
※巌谷小波作詞/東儀鉄笛作曲
※「お伽唱歌」(明治40)に収録
秋晴や富士明に水鏡
三日程富士も見えけり松の内
「ふじの山」
○あたまを雲の上に出し
四方の山を見おろして
かみなりさまを下にきく
ふじは日本一の山
○青ぞら高くそびえたち
からだに雪のきものきて
かすみのすそをとおくひく
ふじは日本一の山
※巖谷小波(いわやさざなみ)作詞/作曲者不詳/文部省唱歌
初富士やねむりゐし語の今朝めざめ
富士の紺すでに八方露に伏す
富士初雪日向はどこも鉄くさし
五月富士屡々湖の色かはる
藷負ふや焦土の果の夜明富士
煖房車黙せばいつも冨士があり
皹赤し富士の向ふの夕茜
富士が主体の嵐のオブジェ富士薊
この道の富士になりゆく芒かな
裏富士の囀る上に晴れにけり
富士晴れぬ桑つみ乙女舟で来しか
「南予枇杷行」
この石仏から、曲流する肱川と大洲の町を見おろす眺望は、一幅の画図である。富士形をした如法寺山の、斧鉞を知らぬ蓊鬱な松林を中心にして、諸山諸水の配置は、正に米点の山水である。
一本の襞初富士を支えたる
富士浮沈しつつ大寒林をゆく
遅月に富士ありキャンプ寝しづまり
富士雪解せり宝永は終んぬる
狐火のそのとき富士も空に顕つ
富士あざみより絮ひとつ小春空
着ぶくれて見かへる時の富士かしぐ
初富士の秀をたまゆらに山路ゆく
大雪渓袈裟がけ海に利尻富士
ハマナスや雲横引きに利尻富士
寒夕焼富士に一番星沈む
小梅恵草夕富士雲上に浮び出づ
秋の風お中道見ゆ室も見ゆ
雲海に浮び青磁の夜明富士
風花や残照富士の遠ちになほ
峠より遠富士眺め年惜しむ
群蜻蛉飛べど飛べども富士暮れず
枯山をくだり来て夕富士にあふ
うらおもてなし磐石の富士は不二
外国(とつくに)の旅より帰る日の本の空赤くして富士の峯立つ
赤富士の褪め山小屋の灯も消えて
先づ白き富士より霞み初めにけり
つつじ燃え伊豆の近か富士親しうす
月見草富士は不思議な雲聚め
赤富士にかつとをんなの内側を
初富士の美しく旅恙なく
元日の富士を連れ出す車窓かな
富士にまだ明るさ残る門火焚く
目の力あへなかりけり富士に雪
雪解富士晴れて喜び榧飴売
夕不二やひとりの独楽を打ち昏れて
不二晴よ山口素堂のちの月
富士隠す雨となりたり炉を開く
富士薊高原の風ほしいまま
ふじ垢離(ごり)の声高になるさむさかな
ねんごろに会釈しあうて富士講者
※この方に関する情報を教えてください!
くっきりと富士の雪解の縞模様
初東雲あめつち富士となりて立つ
高速路初富士滑り来たりけり
流鶯の夕澄む富士となりにけり
籐寝椅子在りし日のまま富士へ向く
くろぐろと富士は宙吊り冬霞
靴の泥枯草つけて富士を見る
摘草の子は声あげて富士を見る
「夜の靴――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)」
極貧からとにかく現金の所有にかけては村一番になっている。村の秘密を知っているものも彼ただ一人だ。経済のことに関する限り、彼を除いて村には知力を働かせるものもない。すること為すこと当っていって、他人が馬鹿に見えて仕方のない落ちつきで、じろりじろりと嫁を睨んでいれば良いだけだ。肩から引っかけた丹前の裾の、富士形になだれたのどかな様子が今の彼には似合っている。
「旅愁」
「僕は社の用でときどきここへ来たんだが、前にここは僕の知人だったんですよ。」
矢代は塩野にそう云ってから、庭の隅にある四間ばかりの高さの築山を指差した。
「これは目黒富士といってね、これでも広重が絵に描いてるんだ。近藤勇もよくここへ来たらしいんだが、どうも日本へ帰って来て、少しうろうろしているとき気がつくと、すぐこんな風に、歴史の上でうろついてるということになってね。広重もいなけりゃ、勇もいやしない脱け跡で、これから僕ら、御飯を食べようというんだからなア。」
「そう思うとあり難いね。御飯も。」
塩野は庭下駄を穿いて飛石の上を渡り、目黒富士の傍へ近よっていった。薄闇の忍んでいる三角形の築山全体に杉が生えていて、山よりも杉の繁みの方が量面が大きく、そのため目黒富士の苦心の形もありふれた平凡な森に見えた。しかし矢代は廊下に立って塩野の背を見ながらも、やがて来そうな千鶴子のことをふと思うと、争われず庭など落ちついて眺めていられなかった。パリで別れてから、大西洋へ出て、アメリカを廻って来た千鶴子の持ち込んで来るものが、まだ見ぬ潮風の吹き靡いて来るような新鮮な幻影を立て、広重の描いた目黒富士の直立した杉の静けさも、自分の持つ歴史に一閃光を当てられるような身構えに見えるのだった。
「榛名」
縁側に坐つて湖を見ると、すでに山頂にゐるために榛名富士と云つても對岸の小山にすぎない。湖は人家を教軒湖岸に散在させた周圍一里の圓形である。動くものはと見ると、ただ雲の團塊が徐徐に湖面の上を移行してゐるだけである。音はと耳を立てると、朝から窓にもたれて縫物をしてゐる宿の女中の、ほつとかすかに洩らした吐息だけだ。もう早や私は死に接したやうなものだ。
花すすきせりあがりたる表富士
※この方の情報を教えてください!
裏不二のひとひらの雲秋日和
※この方の情報を教えてください!
○朝日に富士の雪映えて
明るい希望の陽が昇る
ああ爽やかな富士宮
ここに生まれてここに住む
我らこぞりてこのまちに
夢を咲かそう美しく
※3番まである
※富士宮市選定/小山章三作曲
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「流布本」
駿河国富士の裾野に到る。その国の凶徒、「この野に鹿多く侯。狩して遊ばせ給へ」と申しければ、尊即ち出で遊び給ふに、凶徒等野に火を着けて尊を焼き殺し奉らんとしける時、帯き給へる天叢雲剣を抜きて草を薙ぎ給ふに、苅草に火付きて劫かしたりけるに、尊は火石・水石とて二つの石を持ち給へるが、先づ水石を投げ懸け給ひたりければ、即ち石より水出でて消えてけり。又火石を投げ懸け給ひければ、石中より火出でて凶徒多く焼け死にけり。それよりしてぞその野をば、天の焼けそめ野とぞ名付けける。叢雲剣をば草薙剣とぞ申しける。尊、振り捨て給ひし岩戸姫の事忘れがたく心に懸りければ、山復(かさ)なり、江復(かさ)なるといふとも志の由を彼の姫に知らせんとて、火石・水石の二つの石を、駿河の富士の裾野より、尾張の松子の島へこそ投げられけれ。彼の所の紀大夫といふ者の作れる田の北の耳に火石は落ち、南の耳に水石は落つ。二つの石留まる夜、紀大夫の作りける田、一夜が内に森となりて、多くの木生ひ繁りたり。火石の落ちける北の方には、如何なる洪水にも水出づる事なく、水石の落ちたる南の方には、何たる旱魃にも水絶ゆる事なし。これ火石・水石の験なり。
「城方本・八坂系」
するがのくにうきしまがはらにもなりしかばおほいとのこまをひかへて
しほぢよりたえずおもひをするがなるみはうきしまになをばふじのね
おんこゑもんのかみ
われなれやおもひにもゆるふじのねのむなしきそらのけぶりばかりは
「高野本」
入道相国うれしさのあまりに、砂金一千両、富士の綿二千両、法皇へ進上せらる。
まことにめでたき瑞相どもありければ、吹くる風も身にしまず、落くる水も湯のごとし。かくて三七日の大願つゐにとげにければ、那智に千日こもり、大峯三度、葛城二度、高野・粉河・金峯山、白山・立山・富士の嵩、伊豆、箱根、信乃戸隠、出羽羽黒、すべて日本国のこる所なくおこなひまは(廻つ)て、さすが尚ふる里や恋しかりけん、
清見が関うちすぎて、富士のすそ野になりぬれば、北には青山峨々として、松ふく(吹く)風索々たり。南には蒼海漫々として、岸うつ浪も茫々たり。
ただたのめ(頼め)ほそ谷河のまろ木橋ふみかへしてはおち(落ち)ざらめやは
むねのうちのおもひはふじのけぶりにあらはれ、袖のうへの涙はきよみが関の波なれや。
「長門本」
彼庄内にあさくら野と云所に、ひとつの峯高くそびえて、煙りたえせぬ所あり、日本最初の峯、霧島のだけと號す、金峯山、しやかのだけ、富士の高根よりも、最初の峯なるが故に、名付て最初の峯といふ、六所権現の霊地也、
今も女院だに渡らせ給はましかば、申留め参らせ給ひなましと、事のまぎれに旧女房たちささやきあひ給へり、富士綿千両、美濃絹百疋御験者の禄に法皇に参らせらるるこそ、いよいよ奇異の珍事にてありけれ、
大将年ごろ浅からず思ひて通はせられけるに、ある夜待わび、さむしろ打拂ひ富士のけぶりのたえぬ思の心地して、宵のかねうち過おくれがねかすかに聞えければ、侍従なくなくかうぞ思ひ続けける、
待宵のふけゆくかねの音きけばあかぬわかれの鳥はものかは
「龍谷大学本」
侍、郎等、乗替相具して、馬上二十八万五千余騎とぞ記しける、其外甲斐源氏に一条次郎忠頼を宗徒として二万余騎にて兵衛佐に加はる、平家の勢は富士の麓に引上げて、ひらばり打ちてやすみけるに、兵衛佐使を立てて、親の敵とうどんげにあふ事は、極めて有がたき事にて候に、御下り候こと悦存候、あすは急ぎ見参に入候べく候といひおくられたり、
清見が関をも過ぬれば、富士の裾べにもなりにけり、左には松山ががとそびえて、松吹く風もさくさくたり、右には海上漫々として、岸打浪もれきれきたり、
清見が関にかかりぬれば、朱雀院御時、将門が討手に宇治民部卿忠文、奥州へ下りける時、此関に止まりて、唐歌を詠じける所にこそと涙をながし、田子の浦にも着ぬれば、富士の高根と見給ふに、時わかぬ雪なれども、皆白妙に見え渡りて、浮島が原にも到りぬ、北はふじの高根、東西はるばると長沼あり、いづくよりも心すみて、山の翠かげしげく、空も水も一なり、
みなみに向て、又念仏二三十遍計申けるを、宗遠太刀をぬき頸をうつ、その太刀中より打をりぬ、又打太刀も、目ぬきよりをれにけり、不思議の思ひをなすに、富士のすそより光り二すぢ、盛久が身に、差あてたりとぞ見えける、
「百二十句本」
法皇、やがて還御の御車を門前に立てられたり。入道相国、うれしさのあまりに、砂金一千両、富士綿二千両、法皇へ進上せらる。人々、「しかるべからず」とぞ内々に申されける。
まことにめでたき瑞相どもあまたあり。吹き来る風も身に沁まず、落ち来る水も湯のごとし。かくて三七日の大願つひにとげければ、那智に千日籠り、大峰三度、葛城二度、高野、粉河、金峯山、白山、立山、富士の岳、伊豆、箱根、信濃の戸隠、出羽の羽黒、総じて日本国残る所もなく行きまはり、さすがなほ旧里や恋しかりけん、都へのぼりたりければ、飛ぶ鳥も祈りおとす、「やいばの験者」とぞ聞こえし。
清見が関も過ぎ行けば、富士の裾野にもなりにけり。北には青山峨々として、松吹く風も索々たり。南は蒼海漫々として、岸うつ波も茫々たり。
是は浮島が原と申しければ、大臣殿(おほいとの)、
塩路よりたえぬ思ひを駿河なる名は浮島(うきしま)に身をば富士のね
右衛門督(ゑもんのかみ)、
我なれや思ひにもゆる富士のねのむなしき空の煙ばかりは
※平家物語について
夕霧に富士の影富士離れ立つ
北斎の富士雪となる三ツ峠
※この方の情報を教えてください!
伊賀冨士のうす紫に今朝の秋
※この方の情報を教えてください!
表富士海まで枯れをひろげたり
「西塔武蔵坊弁慶最期書捨之一通」
抑若年之時、寄身于雲州鰐淵山、自童形以来、日夜不怠、粗試阿吽之二字。況至剃除餐髪之頃、向真言不思議窓、転極(うたた)頸密之秘法、於入定座禅床、探金胎両部之奥蔵。大日不二之法尤大切也。我自出母胎内以来、不犯禁戒、全護五常之道、欲達現当二世之本懐之処、先世之宿縁難遁而今将(はた)果者歟。
「かすむ駒形(こまかた)」
南は根白石嶽刈田の白石荒神山、こは、みな月のころのぼれば、はるかにのぞむ谷ぞこに、家あまたあるを、いかなる里としる人なし。又あやしの人に、あふことありといへり、加美郡のうち也。西の方には、胆沢の駒形、此郡の駒形、尾をまじへたり、二迫の文字邑、不二にひとしき山は、をとが森、一迫鬼頭(おにかうべ)、この山奥より、白黄土といふ土をとりて、よねをあはせて、辰のとしまで、餅飯となしてくらひしなど、花淵山、いみじき花、いろいろあればしかいふ。
「義経勲功記」(附録「夢伯問答」)
昔常陸坊海尊とかや、源の九郎義経奥州衣川高館の役に、一族従類皆亡びけるに、海尊一人は軍勢の中をのがれて、富士山に登りて身を隠し、食に飢えてせん方のなかりしに、浅間大菩薩に帰依して守を祈りしに、岩の洞より飴の如くなる物涌き出でたるを、嘗めて試むるに、味ひ甘露の如し。是を採りて食するに飢えをいやし、おのづから身もすくやかに快くなり、朝には日の精を吸いて霞に籠もり、終に仙人となり、折節は麓に下り、里人に逢いてはその力を助け、人の助かる事、今に及びて、世に隠れてありという。
「平泉志」の「医王山毛越寺」より
五十四代仁明天皇の御宇嘉祥三年慈覚大師の開基なり。大師済度の為め東奥に巡歴し、暫く禅錫を此地に留め伽藍を草創あり。抑大師飛錫の始め俄に霧雲山野を蔽ひて行路咫尺を弁せさりしか怪哉。前程白鹿の毛を敷散し綿々として一径を開けり大師追従数歩にして回顧すれは、白髪の老翁忽焉と出現し大師に告て曰く。此に蘭若を開始せは弘法済民の功※(火+曷)焉にして、邦國不二の霊場ならむと。即ち其形白鹿と共に消えて見えすなりぬ。
「封内風土記」
荻荘赤荻邑
戸口凡二百三十一。有號笹谷。外山地。本邑及山目。中里。前堀。作瀬。細谷。樋口。上。下黒澤。一関。二関。三関。凡十二邑。曰荻荘。
神社凡十一。
日光権現社。本邑鎮守。不詳何時勧請。
若宮八幡宮。同上。
神明宮二。共同上。
富士権現社。同上。
雲南権現社。同上。
寶領権現社。同上。
白山権現社。同上。
山神社。同上。
稲荷社。同上。
竈田神社。不詳何時祭何神。
春富士を目につなぎ来て旅装解く
※この方の情報を教えてください!
雲上に冠雪の富士七五三
白銀の雨に身震ふ富士詣
ふじのねにめなれし雪のつもりきて
おのれ時しるうきしまがはら
あまのはらふじのしば山しばらくも
けぶりたえせず雪もけなくに
今ぞおもふいかなる月日ふじのねの
峯にけぶりのたちはじめけん
ほととぎすなくやさ月もまだしらぬ
雪はふじのねいつとわくらん
※古谷知新 校訂版
あふことも涙にうかぶわが身にはしなぬくすりも何にかはせむ
かの奉る不死の藥の壺に、御文具して御使に賜はす。勅使には調岩笠(つきのいはかさ)といふ人を召して、駿河の國にあンなる山の巓(いたゞき)にもて行くべきよし仰せ給ふ。峰にてすべきやう教へさせたもふ。御文・不死の藥の壺ならべて、火をつけてもやすべきよし仰せ給ふ。そのよし承りて、兵士(つはもの)どもあまた具して山へ登りけるよりなん、その山をふじの山とは名づけゝる。その煙いまだ雲の中へたち昇るとぞいひ傳へたる。
大富士の影落つ湖の初明り
※この方の情報を教えてください!
大霞富士あるごとくなきごとく
※この方の情報を教えてください!
吹きこもる樹林の風や葉月富士
影富士となる雲海の晩夏光
松過ぎの富士山見ゆる駅に来て
寒星へ王墓のごとく暮れゆく富士
遠富士の尖りをくろく冬夕焼
※この方の情報を教えてください!
蝦夷富士を右に左に秋の旅
初富士や木々思はずも葉をふるふ
湯屋の富士描きなほされて夏に入る
山里の一本のみの富士桜
「五つの湖」
○五つの湖が
ふじをめぐる。
○山中湖は鶺鴒(せきれい)。
霧のなかの
かるい尾羽。
○額ぶち風な河口湖。
樹海のふところからとりだした珠。
明眸(めいぼう)の精進。
嫉みぶかさうな、秘やかな西湖。
そして、無の湖、本栖湖よ。
○五つの湖が
ふじをみあげる。
○芒すすきからのぞく
雪の額。
○緒が切れて
裾野にこぼれた五つの珠。
○五つの湖がしぐれると
ふじはもう、姿がみえない。
○移り気なふじよ。
雪烟(ゆきけむり)にかくれまはり
つゆつぽい五つの湖と
ふじは心の遊戯をする。
○五つの湖を
めぐりあるくふじは
どの鏡にもゐて
どれにも止まらない。
「富士」より
雨はやんでゐる。
息子のゐないうつろな空に
なんだ。糞面白くもない
あらひざらした浴衣のやうな
富士。
雪富士を列車の窓に連れて行く
松山へ飛ぶ富士の上の小春かな
富士から湧水柿田は下萌ゆる
冠雪の富士正面に入港す
※この方の情報を教えてください!
富士を見る新樹の森を抜けてより
痩富士が遠くて盆地ただ寒し
春の嶺富士と並んで勝気なり
五月富士雲脱ぐことを繰返す
「中古日本治乱記」(山中山城守長俊・編)に所載の歌
足利義満
時しらぬ冨士とは兼て聞触し水無月の雪を目に見つる哉
今川上総介恭範
はるばると君がきまさんもてなしに鹿の子まだらに降冨士の雪
君か見ん今日のためにや昔より積りは初し冨士の白雪
紅の雪を高峯に顕して冨士より出る朝日影哉
月雪も光りを添て冨士の根のうこきなき世の程を見せつつ
吹冴る秋の嵐に急れて空より降す冨士の白雲
我ならす今朝は駿河の冨士の根の綿帽子ともなれる雪哉
仰き見る君にひかれて冨士の根もいとと名高き山と成らん
法印尭孝
思ひ立冨士の根遠き面影を近く三上の山の端の雲
冨士の根に待えん影そ急るる今宵名高き月をめてても
君そ猶万代遠くをほゆへき冨士の余外目の今日の面影
言の葉も実にぞをよばぬ塩見坂聞しに越る富士の高根は
契りあれや今日の行手の二子塚ここより冨士を相見初ぬる
秋の雨も晴間はかりの言葉を冨士の根よりも高こそ見れ
雨雲の余外に隔し冨士の根はさやにも見へすさやの中山
白雲のかさなる山も麓にてまかはぬ冨士の空に冴けき
我君の高き恵に譬てそ猶仰見る富士の柴山
雲はこふ富士の根下風吹や唯秋の朝気の身には染共
足利義教
今そはや願満ぬる塩見坂心挽し富士を詠て
立帰幾年浪か忍まし塩見坂にて富士を見し世を
たくひなき冨士を見初る里の名を二子塚とはいかていはまし
名にしをへは昼越てたに冨士も見ず秋雨闇小夜の中山
見すはいかに思ひしるへき言の葉もをよはぬ冨士と兼て聞しも
朝日影さすより冨士の高峯なる雪もひとしほ色増る哉
月雪のひとかたならぬ詠ゆへ冨士に短き秋の夜半哉
朝あけの冨士の根下風身に染も忘果つつ詠ける哉
跡垂て君守るてふ神そ今名高き冨士をともに逢ふ哉
こと山は月になるまて夕日影猶こそ残れ冨士の高根に
今そはや願ひ満ぬる塩見坂心ひかれし冨士を詠て
冨士の根にする山もかな都にてたくへてたにも人に語ん
三条宰相実雅
我君の曇ぬ御代に出る日の光に匂ふ冨士の白雲
飛鳥井中納言雅世
冨士根も雲そいたたく万代の万代つまん綿帽子哉
山名持豊入道綱真宗全
雲や我雲をいたたく冨士の根かともに老せぬ綿帽子哉
細川下野守持春
冨士の根も雲こそ及へ我君の高き御影そ猶たくひなき
あきらけき君か時代を白雲も光添らし冨士の高根に
山名中務大輔熈貴
露の間もめかれし物を冨士の根の雲の往来に見ゆる白雲
太田資長
我庵は松原遠海近冨士の高根を軒端にそ見る
滝に森に人あそばしめ雪解富士
山椒の棘やはらかし雪解富士
夏富士の裾野町の灯散りばめて
弥生尽冨士山頂に入る夕日かな
※この方に関する情報を教えてください!
残雪の片裾長し女富士
※この方に関する情報を教えてください!
夏富士の紫しるき姿かな
涅槃富士広き裾野は萌色に
※この方に関する情報を教えてください!
「白雪の唄」
○富士の白雪朝日に映えて
男どうしでくむ酒に
明日の明るい夢がある
山は富士なら酒は白雪
○酒に生れて四百年を
味にひとすじ生きてきた
男命の心意気
山は富士なら酒は白雪
○月の光のさしこむ窓に
花のさかずき松の陰
こよいあふれる幸福は
山は富士なら酒は白雪
藤吉正孝作詞/土田啓四郎作曲/井沢八郎唄
※「山は富士、酒は白雪」の小西酒造のテーマソング
国土地理院資料から。標高・位置の情報。
1位 天保山(大阪市) 4.50m
2位 日和山(仙台市) 6.05m
3位 弁天山(徳島市) 6.10m
1位 富士山<剣ケ峯>(静岡・山梨県境未確定地域)
3776m、北緯35°21′39″、東経138°43′39″
2位 北岳(山梨県)
3193m、北緯35°40′28″、東経138°14′20″
3位 奥穂高岳(長野・岐阜県境)
3190m、北緯36°17′21″、東経137°38′53″
※参考:日本博学倶楽部「[図解]日本全国ふしぎ探訪」 (PHP研究所)には、低山10位まで記載されている。
高山を持つ島
1位 ジャヤ(パプア島/インドネシア・パプアニューギニア)
5029m
2位 マウナケア山(ハワイ島/アメリカ)
4206m
3位 キナバル山(ボルネオ島/マレーシア・インドネシア)
4101m
4位 玉山(台湾/台湾or中国)
3951m
5位 クリンチ山(スマトラ島/インドネシア)
3805m
6位 富士山(本州/日本)
3776m
7位 クック山(南島/ニュージーランド)
3764m
※加納啓良「インドネシアを齧る―知識の幅をひろげる試み」(めこん社)による。
本書には16位まで掲載されている。
「日本その日その日(Japan Day by Day)」
山を描くにあたっては、どの国の芸術家も傾斜を誇張する――即ち山を実際よりも遥かに険しく描き表す――そうである。日本の芸術家も、確かにこの点を誤る。少なくとも数週間にわたる経験(それは扇、広告その他の、最もやすっぽい絵描のみに限られているが)によると、富士の絵が皆大いに誇張してあることによって、この事実が判る。私はふと、隣室の学生達に富士の傾斜を記憶によって描いて貰おうと思いついた。
私は髪に鋏を入れては山にあてがって見て、ついに輪郭がきちんと合う迄に切り、そこで隣の部屋にはいって、通訳を通じて、できるだけ正確な富士の輪郭を描くことを学生達に依頼した。私は紙四枚に、私の写生図における底線と同じ長さの線を引いたのを用意した。これ等の青年はここ数週間、一日に何十遍となく富士を眺め、測量や製図を学び、角度、図の弧等を承知している上に、特に、斜面を誇張しないようにとの、注意を受けたのである。
彼等は不知不識、子供の時から見慣れてきたすべての富士山の図の、急な輪郭を思い浮かべたのである。
※E・S・モース著/石川欣一訳
※旧仮名遣いや漢字は、一部現代向けに(恣意的に)直した。「絵書」→「絵描」などを含む。
「増鏡」
一番づつの御引出物、伊勢物語の心とぞ聞こえし。かねの地盤に、銀の伏篭に、たき物くゆらかして、「山は富士の嶺いつと無く」と、又、銀の船に麝香の臍にて、蓑着たる男つくりて、「いざ言問はむ都鳥」など、様々いとなまめかしくをかしくせられけり。わざとことごとしき様には有らざりけり。
※増鏡について
富士の水ここに湧き居りまんじゆさげ
「スープに浮かんだ富士」
朝の食卓に近い
窓いっぱいに富士
目近く見る
富士は意外に小さい
スープに浮かんだ
その富士を
スプーンに掬う
※↑勝山ふれあいドームの文学碑
「平治物語」
かくて近江の国をもすぎゆけば、いかになるみの塩ひがた、二むら山・宮路山・高師山・濱名の橋をうちわたり、さやの中山・うつの山をもみてゆけば、都にて名にのみきゝし物をと、それに心をなぐさめて、富士の高根をうちながめ、足柄山をも越ぬれば、いづくかぎりともしらぬ武蔵野や、ほりかねの井も尋みてゆけば、下野の国府につきて、我すむべか(ん)なる室の八嶋とて見やり給へば、けぶり心ぼそくのぼりて、おりから感涙留めがたく思はれしかば、なくなくかうぞきこえける。
※平治物語について
「義経記」(大町桂月校訂)
さてこそ常盤は三人の子供をば所々にて成人させ給ひけり。今若八歳と申す春の頃より観音寺にのぼせ学問させて、十八の年受戒、禅師の君とぞ申しける。後には駿河国富士の裾野におはしけるが悪襌師と申しけり。八条におはしけるは、そしにておはしけれども、腹あしく恐ろしき人にて、賀茂、春日、稲荷、祇園の御祭ごとに平家を狙ふ。
元日の冨士にあひけり馬の上
「三四郎」
「こんな顔をして、こんなに弱っていては、いくら日露戦争に勝って、一等国になってもだめですね。もっとも建物を見ても、庭園を見ても、いずれも顔相応のところだが、――あなたは東京がはじめてなら、まだ富士山を見たことがないでしょう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれよりほかに自慢するものは何もない。ところがその富士山は天然自然に昔からあったものなんだからしかたがない。我々がこしらえたものじゃない」
「東京はどうです」
「ええ……」
「広いばかりできたない所でしょう」
「ええ……」
「富士山に比較するようなものはなんにもないでしょう」
三四郎は富士山の事をまるで忘れていた。広田先生の注意によって、汽車の窓からはじめてながめた富士は、考え出すと、なるほど崇高なものである。ただ今自分の頭の中にごたごたしている世相とは、とても比較にならない。
「君、不二山を翻訳してみたことがありますか」と意外な質問を放たれた。
「翻訳とは……」
「自然を翻訳すると、みんな人間に化けてしまうからおもしろい。崇高だとか、偉大だとか、雄壮だとか」
三四郎は翻訳の意味を了した。
「みんな人格上の言葉になる。人格上の言葉に翻訳することのできないものには、自然が毫(ごう)も人格上の感化を与えていない」
「創作家の態度」
「君富士山へ登ったそうじゃないか」「うん登った」「どんなだい」「どんなの、こんなのって大変さ」「どうして」「まず足は棒になる、腹は豆腐になる」「へえー」「それから耳の底でダイナマイトが爆発して、眼の奥で大火事が始まったかと思うと頭葢骨の中で大地震が揺り出した」こんな人に逢ったらたまりません。
「文芸の哲学的基礎」
冬富士山へ登るものを見ると人は馬鹿と云います。なるほど馬鹿には相違ないが、この馬鹿を通して一種の意志が発現されるとすれば、馬鹿全体に眼をつける必要はない、ただその意志のあらわれるところ、文芸的なるところだけを見てやればよいかも知れません。貴重な生命を賭(と)して海峡を泳いで見たり、沙漠を横ぎって見たりする馬鹿は、みんな意志を働かす意識の連続を得んがために他を犠牲に供するのであります。したがってこれを文芸的にあらわせばやはり文芸的にならんとは断言できません。
「模倣と独立」
気高いということは富士山や御釈迦様や仙人などを描いて、それで気高いという訳じゃない。仮令(たとい)馬を描いても気高い。猫をかいたら――なお気高い。草木禽獣(そうもくきんじゅう)、どんな小さな物を描いても、どんなインシグニフィカントな物を描いても、気高いものはいくらもあります。
「現代日本の開化――明治四十四年八月和歌山において述――」
外国人に対して乃公(おれ)の国には富士山があるというような馬鹿は今日はあまり云わないようだが、戦争以後一等国になったんだという高慢な声は随所に聞くようである。なかなか気楽な見方をすればできるものだと思います。ではどうしてこの急場を切り抜けるかと質問されても、前(ぜん)申した通り私には名案も何もない。ただできるだけ神経衰弱に罹(かか)らない程度において、内発的に変化して行くが好かろうというような体裁の好いことを言うよりほかに仕方がない。
「硝子戸の中」
するとほどなく坂越の男から、富士登山の画(え)を返してくれと云ってきた。彼からそんなものを貰った覚(おぼえ)のない私は、打ちやっておいた。しかし彼は富士登山の画を返せ返せと三度も四度も催促してやまない。私はついにこの男の精神状態を疑い出した。「大方(おおかた)気違だろう。」私は心の中でこうきめたなり向うの催促にはいっさい取り合わない事にした。
さっそく封を解いて中を検(しら)べたら、小さく畳んだ画が一枚入っていた。それが富士登山の図だったので、私はまた吃驚(びっくり)した。
しかしその時の私はとうてい富士登山の図などに賛をする勇気をもっていなかった。私の気分が、そんな事とは遥か懸(か)け離れた所にあったので、その画に調和するような俳句を考えている暇がなかったのである。けれども私は恐縮した。私は丁寧な手紙を書いて、自分の怠慢を謝した。それから茶の御礼を云った。最後に富士登山の図を小包にして返した。
「草枕」
ところがこの女の表情を見ると、余はいずれとも判断に迷った。口は一文字を結んで静(しずか)である。眼は五分(ごぶ)のすきさえ見出すべく動いている。顔は下膨(しもぶくれ)の瓜実形(うりざねがた)で、豊かに落ちつきを見せているに引き易(か)えて、額(ひたい)は狭苦(せまくる)しくも、こせついて、いわゆる富士額(ふじびたい)の俗臭を帯びている。のみならず眉は両方から逼(せま)って、中間に数滴の薄荷(はっか)を点じたるごとく、ぴくぴく焦慮(じれ)ている。鼻ばかりは軽薄に鋭どくもない、遅鈍に丸くもない。画(え)にしたら美しかろう。
「虞美人草」
「おい富士が見える」と宗近君が座を滑り下りながら、窓をはたりと卸(おろ)す。広い裾野から朝風がすうと吹き込んでくる。
「うん。さっきから見えている」と甲野さんは駱駝(らくだ)の毛布(けっと)を頭から被(かむ)ったまま、存外冷淡である。
「そうか、寝なかったのか」
「少しは寝た」
「何だ、そんなものを頭から被って……」
「寒い」と甲野さんは膝掛の中で答えた。
「僕は腹が減った。まだ飯は食わさないだろうか」
「飯を食う前に顔を洗わなくっちゃ……」
「ごもっともだ。ごもっともな事ばかり云う男だ。ちっと富士でも見るがいい」
「今日はいい御天気ですよ」
「ああ天気で仕合せだ。富士が奇麗に見えたね」と長芋が髯から折のなかへ這入(はい)る。
「御迷惑でしたろう」と小野さんは隠袋(ポッケット)から煙草入を取り出す。闇を照す月の色に富士と三保の松原が細かに彫ってある。その松に緑の絵の具を使ったのは詩人の持物としては少しく俗である。派出(はで)を好む藤尾の贈物かも知れない。
「いえ、迷惑だなんて。こっちから願って置いて」と小夜子は頭から小野さんの言葉を打ち消した。
「行人」
それから一年ほどして彼はまた飄然(ひょうぜん)として上京した。そうして今度はお兼さんの手を引いて大阪へ下(くだ)って行った。これも自分の父と母が口を利(き)いて、話を纏(まと)めてやったのだそうである。自分はその時富士へ登って甲州路を歩く考えで家にはいなかったが、後でその話を聞いてちょっと驚いた。勘定して見ると、自分が御殿場で下りた汽車と擦れ違って、岡田は新しい細君を迎えるために入京したのである。
自分は胡坐(あぐら)のまま旅行案内をひろげた。そうして胸の中(うち)でかれこれと時間の都合を考えた。その都合がなかなか旨く行かないので、仰向(あおむけ)になってしばらく寝て見た。すると三沢といっしょに歩く時の愉快がいろいろに想像された。富士を須走口へ降りる時、滑って転んで、腰にぶら下げた大きな金明水(きんめいすい)入の硝子壜(ガラスびん)を、壊したなり帯へ括(くく)りつけて歩いた彼の姿扮(すがた)などが眼に浮んだ
「ではどうぞちょっと御改ためなすって」
自分は形式的にそれを勘定した上、「確(たしか)に。――どうもとんだ御手数(おてかず)をかけました。御暑いところを」と礼を述べた。実際急いだと見えてお兼さんは富士額の両脇を、細かい汗の玉でじっとりと濡らしていた。
富士が見え出して雨上りの雲が列車に逆(さか)らって飛ぶ景色を、みんなが起きて珍らしそうに眺める時すら、彼は前後に関係なく心持よさそうに寝ていた。
彼女のこの姿勢のうちには女らしいという以外に何の非難も加えようがなかった。けれどもその結果として自分は勢い後(うしろ)へ反り返る気味で座を構えなければならなくなった。それですら自分は彼女の富士額をこれほど近くかつ長く見つめた事はなかった。自分は彼女の蒼白い頬の色をほのおのごとく眩しく思った。
彼らは帽子とも頭巾とも名の付けようのない奇抜なものを被(かぶ)っていた。謡曲の富士太鼓を知っていた自分は、おおかたこれが鳥兜(とりかぶと)というものだろうと推察した。首から下も被りものと同じく現代を超越していた。
「道草」
そうしてあたかも健三を『江戸名所図絵』の名さえ聞いた事のない男のように取扱った。その健三には子供の時分その本を蔵から引き摺り出して来て、頁から頁へと丹念に挿絵を拾って見て行くのが、何よりの楽みであった時代の、懐かしい記憶があった。中にも駿河町(するがちょう)という所に描いてある越後屋の暖簾と富士山とが、彼の記憶を今代表する焼点(しょうてん)となった。
「門」
その時分にはちょうど旧の正月が来るので、ひとまず国元へ帰って、古い春を山の中で越して、それからまた新らしい反物を背負えるだけ背負って出て来るのだと云った。そうして養蚕の忙(せわ)しい四月の末か五月の初までに、それを悉皆(すっかり)金に換えて、また富士の北影の焼石ばかりころがっている小村へ帰って行くのだそうである。
波たたむ大秋晴れの逆さ富士
※この方の情報がありません。教えてください。
富士の雲散つて裾野の小菊かな
初ゆめや富士で獏狩したりけり
横にして富士を手に持つ扇かな
「二日物語」
山林に身を苦しめ雲水に魂をあくがれさせては、墨染の麻の袂に春霞よし野の山の花の香を留め、雲湧き出づる那智の高嶺の滝の飛沫に網代小笠の塵垢を濯ぎ、住吉の松が根洗ふ浪の音、難波江の蘆の枯葉をわたる風をも皆御法説く声ぞと聞き、浮世をよそに振りすてゝ越えし鈴鹿や神路山、かたじけなさに涙こぼれつ、行へも知れず消え失する富士の煙りに思ひを擬へ、
「水の東京」
○竹屋の渡場は牛の御前祠の下流一町ばかりのところより今戸に渡る渡場にして、吾妻橋より上流の渡船場中(わたしばちゆう)最もよく人の知れるところなり。船に乗りて渡ること半途(なかば)にして眼を放てば、晴れたる日は川上遠く筑波を望むべく、右に長堤を見て、左に橋場今戸より待乳山を見るべし。もしそれ秋の夕なんど天の一方に富士を見る時は、まことにこの渡の風景一刻千金ともいひつべく、画人等の動(やや)もすればこの渡を画題とするも無理ならずと思はる。
○富士見の渡といふ渡あり。この渡はその名の表はすが如く最も好く富士を望むべし。夕の雲は火の如き夏の暮方、または日ざし麗らかに天清(す)める秋の朝なんど、あるいは黒々と聳え、あるいは白妙に晴れたるを望む景色いと神々(こうごう)しくして、さすがに少時(しばし)は塵埃(じんあい)の舞ふ都の中にあるをすら忘れしむ。
「突貫紀行」
ともかくも青森よりは遥(はるか)によろしく、戸数も多かるべし。肴町(さかなまち)十三日町賑(にぎわ)い盛(さかん)なり、八幡の祭礼とかにて殊更(ことさら)なれば、見物したけれど足の痛さに是非もなし。この日岩手富士を見る、また北上川の源に沼宮内より逢う、共に奥州にての名勝なり。
「菊 食物としての」
薬用になるといふのは必ず菊なら菊の其本性の気味を把握してゐることが強いからのことであらう。進歩は進歩だらうが、ダリヤのやうになつた菊よりは、本性の気味を強く把握してゐるものを得て見たい。そんなら野菊や山路菊や竜脳菊で足りるだらうと云はれゝばそれも然様(さよう)である、富士菊や戸隠菊を賞してそれで足りる、それも然様である。
不二は白雲桜に駒の歩みかな
東武よりの帰さ、しらすかふた河の際より、松間の不二をかへり見る所あり。
伸上る富士のわかれや花すゝき
名月に富士見ぬ心奢かな
富士に添て富士見ぬ空ぞ雪の原
晴る日や雲を貫く雪の富士
富士はたゞ袴に着たる錦かな
「摺鉢伝」
備前の国にひとりの少女あり。あまざかるひなの生れながら、姿は名高き富士の俤に通ひて、片山里に朽はてん身をうき物にや思ひそみけん、
「鼻箴」
たとへ百年のつくも髪だに鼻ばかりは欠けもやらず、つぶれて用をかく事もなし。ひとり常盤の操を守りて時しらぬ山とも称すべけむ。
富士新雪托鉢僧の列ゆけり
建国祭G一色の富士仰ぐ
スケートの刃の傷あまた逆さ富士
初富士の大雪塊を野に置ける
初富士の出てゐて好きな榛の径
苗代の規矩の正しき五月富士
雲を出し富士の紺青竹煮草
初富士や古き軒端に妻と老い
大根の丘に現れ師走富士
岩手富士大根畑に出て近し
銭湯の富士の淑気を浴ぶ男女(なんにょ)
窓に富士膝に初刷手に眼鏡
東海道白妙の富士皮切りに
燕音について、だれかコメントしてください。人物について把握できてません。
湾に浮く朝の黒富士敗戦忌
冬没日瑪瑙の中に富士は凍て
お召車を待つ打水や五月富士
蛇匂ふ風に歪みし逆さ富士
身じろがぬ富士と暮して畦塗りぬ
どこからも正面に富士初耕
田植機の始動にゆらぐ逆さ富士
借景の富士の高さに松手入
火祭の燠にもほほと富士の風
火祭太鼓富士へひれ伏す炬火一里
富士の笠雲漂ひいでぬ春天ヘ
木々芽吹く富士の大氷壁の前
五月富士へ真直ぐよぎる牧草地
愛鷹と富士なだれ合ふ朴の花
振りし舳に見ゆ近江富士いさざ汲む
花林檎天に夜明けの津軽富士
ほととぎす富士は噴く火をなおはらむ
※宇咲冬男について
裏富士のたちまち暮るる蛇笏の忌
富士すこし見ゆ町裏の小六月
頂きが少し赤富士雁の声
火祭に富士講の灯も天駈くる
大富士の面よりおこり雪起し
から松の上の富士の上の露の天
富士の辺に烽火の入日実朝忌
裏富士の湖鏡なす春の霜
宵闇の五湖をしりぞけ富士聳ゆ
初冨士の裾広く展べ湖に果つ
蛇笏忌や富士の夕空がらんどう
遠富士の初雪父母の墓洗ふ
初富士にたちまちこころきまりけり
火祭の夜空に富士の大いさよ
富士の裾雲より垂れて麦の秋
大富士の暮れ去りてより春の月
冬空に掴まれて富士立ち上る
岩つばめ富士を暁色走りをり
飛雪尾根声あげて声奪はる
※長田尾根建設記念碑
きょうはきょうの富士で晴れている刈田の薄氷
梨花満てり夜空の奥の伯耆富士
富士に雪来にけり銀木犀匂ふ
軒すぐに富士ある暮し葱植うる
近江富士かすむ翁の笠ほどに
冬晴れの富士に祈りて人見舞ふ
初富士の鼓動聞こゆるところまで
すぐ合点ゆかざるほどに霞む富士
雲の間に赤富士覗きはじめけり
会釈したき新雪の富士麦を蒔く
影富士の消えゆくさびしさ花すゝき
浅間ゆ富士へ春暁の流れ雲
大北風あらがふ鷹の富士指せり
するが野や大きな富士が麦の上
尾花そよぎ富士は紫紺の翳に聳つ
富士ほのと劫火の舌の空ねぶる
尾花咲き猟夫ら富士をうしろにす
葡萄園山に喰ひ入り富士かすむ
枯草のそよげどそよげど富士端しき
富士皓といよよ厳しき年は来ぬ
春西風の空にもとめて富士あらず
(参考URL)
http://www1.ocn.ne.jp/~go79dou/haiku001.html
http://www.kumamoto-bunkamura.com/haiku/haiku200412.html
「浮世栄花一代男」
我大願あつて冨士山に参詣ゆくと宿を立出是を養生の種として。ひさしくたよりもせざりしを此女深く恨ミ。せめてうき世をわする事とて毎夜あまた女をあつめ。気の浮立はなしに大笑ひ聞えければ忍之介折ふし此里一見に通りあハせ。何事やらんと立入ける男なしの女ばかり寄合奥さまをいさめて不義なる事を取集めて語りけるに。後にハいろを替てひとりひとり上気して。お座にたまりかねてそれそれの寝所にことかけなるうきを晴しける。
「日本永代蔵」
雪のうちにハ壺の口を切水仙の初咲なげ入花のしほらしき事共。いつならひ初られしも見えざりしが銀さへあれバ何事もなる事ぞかし。此人前後にかハらず一生悋くハ。冨士を白銀にして持たれバとて武蔵のゝ土羽芝の煙となる身を知て老の入前かしこく取置。
「男色大鑑(なんしょくおおかがみ)」
神鳴の孫介さゝ波金碇。くれなゐの龍田今不二の山。京の地車平野の岸くづし。寺島のしだり柳綿屋の喧嘩母衣。座摩の前の首白尾なし公平。此外名鳥かぎりなく其座にしてつよきを求て。あたら小判を何程か捨ける。
冨士のけぶりしかけで廻り灯籠哉
冨士は礒扇流の夕かな
はたち計冨士の烟やわかたばこ
お中道夏霧が来てかきしけり
※Who is him?
大富士に引き寄せられて天の川
笠雲をすこし阿弥陀に皐月富士
ちかぢかと富士の暮れゆく秋袷
野分晴富士五合目を馬歩き
凛々と夜空を占めて涅槃富士
傾ぎつつ芽吹く潅木お中道
峠路にまざと大富士鳥帰る
春富士を真っ正面に野糞かな
富士山を閉づ火祭の火を連ね
いないいないバァを決め込む梅雨入富士
うち霞む富士三月の雑木のうへ
ゲテモノにして錦秋の球子富士
げんげ田やけふよく見えて富士の方
この向きの夏秋田富士よかりけり
さきざきに富士を眩しむ旅始め
サロベツの花咲く前の利尻富士
そこに見ゆ富士傾けて案山子翁
たちまち霧たちまち霽れて富士裾野
ハルジオン富士も薄紅帯びて聳つ
やっかいな正月の富士詠み初めに
羽衣の松越しに見る湯屋初富士
花に逝く富士を心の観世音
花過ぎの汝の墳富士が其処にあり
霞む中ふなばたよぎる利尻富士
海上に雪化粧して利尻富士
柿若葉皆富士に向く家のむき
柿若葉富士がありあり見ゆる日よ
冠雪の富士の高みに宿木も
冠雪の富士は野梅の空つづき
冠雪富士球子はいつも前向きに
干蒲団富士の白妙差しにけり
間引かれて明るさ半減富士桜
忌を修す弥生の富士のお膝元
啓蟄のぽこんと不二の佇つ遠野
厚雲に首を突っ込む文月富士
郊外に出て一月の風の富士
酷評に球子怯まぬ冠雪富士
酷評に怯まぬ錦秋球子富士
三浦富士登りてくてくつつじ季
三浦富士登山地獄の釜の蓋
三月は不二を遠目の霞み月
讃岐富士うどん腹もてあほぎけり
讃岐富士青麦畑侍らせて
枝豆を植えに植えたり秋田富士
七種の富士はすずしろ色をして
秋麗冨士頭を雲の上に出し
淑気立つ穹見渡して富士の位置
粛々と雲を募らせ睦月富士
春の雲一つぽっかり讃岐富士
春霞富士はうたたね決め込めり
春光に陵折り畳み利尻富士
春光に襞の浮き彫り利尻富士
春光をやはらかに投げ利尻富士
春光を鈍く放てる利尻富士
春夕焼け聳たする(たたする)富士のシルエット
初景色出来過ぎ富士を遠ちに置き
初御空妻は格別富士が好き
昌平坂正月富士の晴れ姿
水っ洟日の落ち際の富士を撮る
水仙に富士を配せる入賞作
青田の上日本一の津軽富士
雪解の最中の利尻富士眩し
雪解靄お顔隠るゝ利尻富士
雪嶽の富士風を切る雑木の枝
銭湯のブリキ板絵に雪の富士
銭湯の富士に長居の小晦日
銭湯の富士の淑気を浴ぶ男女(なんにょ)
早苗の上農兵節の富士現るる
窓に富士膝に初刷手に眼鏡
大寒の富士へ真向かふ尾根筋道
大空へ海猫を吹き上げ利尻富士
鷹の羽もって鷹とす一富士圖
朝富士もげんげも淡く宿発ちぬ
底冷えの富士より冷えを貰ひけり
梯子乗富士へ乗り出す膝八艘
田は展け富士の横雲げんげいろ
田蛙のかいかい富士も貌を出す
冬凪の富士が見えるぞほらあそこ
冬薔薇妥協なき色不二の白
東海道白妙の富士皮切りに
豆腐作りに富士の湧水はんぱじゃない
椴松へ利尻富士より雪解風
汝の恃みし花過ぎの富士空にあり
白隠一富士二鷹三茄子
白妙の富士に瑕瑾といふ言葉
八月の富士に向ひて釣り糸垂る
八重桜花房重う富士を据え
飛花は飛雪然ととびたり花は富士
富士に向く湯宿げんげ田前にして
富士講衆汗して高輪大木戸圖
富士臨む畦の春草照り強め
富士颪ありしや梛の春落葉
片岡球子ドカンと冠雪富士を置く
湧いてくる富士の真水に水草生ふ
湧水と汝が奥津城と富士桜
利尻雪富士望遠レンズに納むべく
利尻富士だんだんしさる雪明り
利尻富士眼鏡の球の雪解冷え
利尻富士高みうろつく雪解靄
利尻富士春さきがけの十六景
利尻富士真白に春光恰しや
利尻富士裾野に数戸春の家
利尻富士裾野青霞に突っ込みて
利尻富士呆と仰げば頬撫づ東風
利尻富士頬切る風に春遅し
利尻富士面を厳しく座禅草
利尻富士塒に春の明烏
利尻富士皚々客船真っしぐら
利尻富士顱頂を覆ふ雪解靄
流鏑馬の馬首めぐらすに冠雪富士
麗らかな容灸まん讃岐富士
恋すてふをみなの猫の富士額
櫟の芽霊峰富士に懸け連ね
雉子となり富士の裾野を啼き渡れ
雪解富士水車しぶきを宙にあげ
近づけば富士は石ころ秋あざみ
梅雨明けの裏富士のこの男貌
富士の山青く裾引く夏の空
秋燕の富士の高さを越えにけり
赤富士の片鱗を見て足らへしと
富士に傍て三月七日八日かな
真ん中に富士聳えたり国の春
笠雲の笠をずらして秋の富士
冬麗の富士中腹の雪煙
月夜富士見むとテラスに出て来たる
黒富士といふ大きさの夏野かな
鮎釣に雲はらひ聳つ紀州富士
大銀杏騒げる窓に夏の富士
赤富士の面険しき登山口
「草山和歌集」
便りあらば清見がせきも富士の嶺もかくながめきと人につげこせ
※深草元政について
「東海道名所記」
三嶋と富士とは、親と子の御神なり、富士権現には木花開耶姫なり。三島は御父の神にてオハシましけり。竹取の物語にかぐや姫とかきしハ、後の世の事にやあるらむ。三嶋と申すハ、伊予・摂津・伊豆の三所におハしますよしを、延喜式の神明帳にのせたり。
さて本町に入りて見れば、隔子かうしの中には、金屏風はしらかし、たばこ盆に眞刻(しんきざみ)、匂ひたばこなんど、金銀のきせるとりそへ、池田炭を富士灰に埋み、時々伽羅、梅花、侍從なんど、おぼろにくゆらかし、打しめりたる三味線の音引いて、さすがにかしましからず。
田子の浦にうち出でて見れば白妙の富士の高嶺に雪は降りつつ
「先哲叢談續編」
<松浦霞沼>から
芳洲が橘窗茶話に云く、霞沼余と同じく雉塾に寓す、我より少きこと八歳なり、最も成翠虚が富士山を賦する、空に浮ぶ積翠煙鬟を開く(浮空積翠開煙鬟)の句を喜び、吟賞して已まず、
<田中邱愚>から
相の酒匂川は、百川を會同し、東海に入る、富士・箱根其南に鎭し、大岳舟山其北に連なる、實に關中の襟帶、海東の咽喉なり、寶暦己亥の冬、富士山東南の隅、土中火を發し、砂礫數百里に飛ぶ、蓋し硫黄の氣の釀す所なり、其災傷の及ぶ所、關東八州の地、青草を見ざる者數百里、深き者は驤丈、淺き者は盈尺、武相の間、焦土最も甚だし、酒匂川遂に壅く、其後比年大水、○防悉く決す、故を以て居民流亡する者、此に二十年、朝廷方に水を治むる者を求め、以て生民の爲に利を興し害を除かんと欲す、
<高芙蓉(大島芙蓉)>から
芙蓉は富士山に登ること、前後三次、幽を探り勝を窮めて、自ら山嶽の眞景を寫し、百芙蓉圖と曰ふ、是より先き、未だ此擧をなす者あらず、後人富士を畫く者、多く皆之に據る、此より後、別に中嶽畫史と號す、
「にひまなび」 (邇比麻那微)
赤人の歌の詞は、吉野川如なすさやに、心は富士の嶺ねのごと、準よそり無く高し。人麻呂とは天地の違ひ有れど、共に古の勝れたる歌とせり。是等より前に、此の人々より勝れたる言も有れど、詠み人の名の聞えぬはこゝに云はず。
しるしなきけふりを雲にまかへつゝ夜をへてふしの山ともえなん
※新古今和歌集1008
「古今和歌集」(校註國歌大系)序
しかあるのみにあらず、さゞれ石にたとへ、筑波山にかけて君を願ひ、よろこび身にすぎ、たのしみ心にあまり、富士の煙によそへて人をこひ、松蟲のねに友をしのび、高砂住の江の松もあひおひのやうに覺え、男山の昔を思ひ出でて、女郎花の一時をくねるにも、歌をいひてぞなぐさめける。又春のあしたに花のちるを見、秋の夕暮に木の葉の落つるを聞き、あるは年ごとに鏡の影に見ゆる雪と波とを歎き、草の露、水の沫を見て、我が身をおどろき、あるは昨日は榮えおごりて、時を失ひ、世にわび、親しかりしも疎くなり、あるは松山の波をかけ、野中の水をくみ、秋萩の下葉をながめ、曉の鴫のはねがきをかぞへ、あるは呉竹のうきふしを人にいひ、吉野川をひきて世の中をうらみきつるに、今はふじの山も煙たたずなり、長柄の橋もつくるなりと聞く人は、歌にのみぞ心をなぐさめける。
日刊スポーツ:2006年3月8日
・ 8日昼前、下山した登山者が宿泊先のホテルを通じ富士吉田署に通報。
・ 「スペイン人パーティーの仲間が滑落した」
・ 午後2時20分ごろ、県警のヘリコプターが男性の遺体を6合目付近で発見、収容。
・ マドリード在住の会社員、エンリケ・エビア氏(40)。全身を強打、即死の模様。
・ 5日に来日、6日にスペイン人の仲間4人と登山を開始。
・ 7日に登頂、下山中の午後3時半ごろ、8合目付近から7〜800メートル滑落。
・ 冬山経験は豊富、しかし左右のアイゼン同士が引っ掛かり転倒した模様。
読売山梨:7日
・ 8合目の下山道から約800メートル下の地点で発見。
・ エンドリケ・エビア氏。
・ 6日に入山。6日はビバークし、7日に登頂。
・ 富士吉田署によると、4合目以上はこの時期、雪が凍りついてアイスバーン状態になっており、非常に滑りやすい。
・ 5人は冬山経験が豊富で、装備も万全だったという。
・ 富士山の遭難事故は今シーズン初。昨シーズンは2件発生、2人死亡。
腕二本振りて歩めば二月富士
外套を脱ぐバルザック富士が立つ
五月晴の富士の如くにあらせられ
※五百木瓢亭(いおぎひょうてい)
星月夜われらは富士の蚤しらみ
富士のけふ力を抜きて田螺和
初富士や光顔巍巍を拝まるる
※本名「為五郎」
「宿なし」より
○ところでここ何処今何時?
「朝の9時だって?」「見てみやー富士だって!」
このままじゃ仕事無理やっベー
名古屋に到着が12時やで
※ヤス一番? HIDDEN FISH作詞
ノリ ダ ファンキーシビレサス DJ MITSU作曲
nobodyknows+唄
「ドアを開ける俺」より
○街は入り日の雨上がり
また静かに燃え立つ富士の山
なんて豪華な夕焼けなんだろう
だってそうだろ? なあ そうだろう?
※吉野寿作詞作曲/eastern youth唄
「Aim High」より
○見てな 富士のふもとから
Risin' sun すべて真っ赤に 燃やすくらいにさ
外人さんも 吹っ飛ぶ パニックさ
いざ 戦の煙だ Burnin' sun
※降谷健志作詞作曲/Dragon Ash唄
「明治大学校歌」より
○霊峰不二を仰ぎつつ
刻苦研鑽他念なき
我等に燃ゆる希望あり
いでや東亜の一角に
時代の夢を破るべく
正義の鐘を打ちて鳴らさむ
正義の鐘を打ちて鳴らさむ
※児玉花外作詞/山田耕筰作曲
「きた!きた!とっきゅう」より
○おだきゅうあさぎり ふじさんみえた
とうぶスペーシア こしつでパーティー
きんてつとっきゅう アーバンライナー
めいてつとっきゅう パノラマスーパー
※伊藤アキラ作詞/勝誠二作曲/窓花さなえ唄
「次郎長富士」より
富士を見上げた男の顔に
意地と度胸という文字が
きざみ込まれたいい男
※原譲二作詞作曲/北島三郎唄
「おんな富士」より
ヨッシャ!! めざす人生おんな富士
ヨッシャ!! 賭けた人生おんな富士
ヨッシャ!! のぼる人生おんな富士
※中谷純平作詞/三島大輔作曲/水前寺清子唄
「富士山」より
富士山富士山 高いぞ高いぞ富士山
富士山富士山 高いぞ高いぞ富士山
富士山富士山 まだまだいけるぞ富士山
富士山富士山 雲より高いぞ富士山
富士山富士山 富士山富士山
※Pierre Taki作詞作曲/電気グルーブ唄
「愛国行進曲」より
○見よ東海の空開けて
旭日高く輝けば
天地の正気溌溂と
希望は躍る大八洲
おお晴朗の朝雲に
聳ゆる富士の姿こそ
金甌無欠揺ぎなき
わが日本の誇りなれ
※森川幸雄作詞/瀬戸口藤吉作曲
※3番あるうちの1番
物干に富士やをがまむ北斎忌
「日和下駄」
東京の東京らしきは富士を望み得る所にある。われ等はいたずらに議員選挙に奔走する事をもってのみ国民の義務とは思わない。われ等の意味する愛国主義は、郷土の美を永遠に保護し、国語の純化洗練に力むる事をもって第一の義務なりと考うるのである。
NPO法人「富士山測候所を活用する会」(認可申請中)は、下記の通り一般向けのシンポジウムを開催します。無料で申し込み不要なので、奮ってご参加ください。
・ 日時 2006年3月5日(日) 10:00〜16:00
・ 場所 学士会館(東京都千代田区)
・ 交通 地下鉄神保町駅A9出口すぐ
・ 共催 富士山高所科学研究会
・ 協賛 大成建設、富士急行
日記から
「昨夜寝るまへにウイムパーの『アルプス登攀記』を読んでゐた。富士山のことが想い出された。しかも不思議なことに楽しい思ひ出として。生きてをれば又今年か来年の夏ゆく事が出来ると思つた。急に生きてゐることはこれだからいいといふ気持が動いた。」
(昭和15年2月9日の南吉の日記)
※富士登山で詠んだ34句を選び、後日句集「ふじ」をまとめている。
「月下懐郷」
○照らすか月影 三国一の
富士より落ち来る 清水のながれ
清水に米(よね)とぐ わがふるさとを
○恋しやふるさと 思へば今も
かすかにひびくよ やさしき母の
みひざに眠りし むかしの歌の
○針の手休めて 同じき月に
この身やおぼさん 老いたる母は
みそばにはべりて 糸くる姉と
○照らすか月影 父ます塚を
思えば身にしむ おさなきなれが
行く末いかにの いまはのみこと
○打ちつれ 鳴きつれ 雁こそ渡れ
いずこの山越え 里越え来しか
はや影かすかに 月ただふけぬ
※下村莢作詞/ドイツ民謡
※明治の唱歌
ランナー昏れ血ひとすじの冬の富士
とまと十個あれば蝦夷富士と笑う
「子守唄」
松の木十本二十本
百本千本一萬本
ぽんぽんあがるは揚花火
あがつてはじめて下り龍
龍のゐるのは富士の山
富士の山から下見れば
三保の松原田子の松
松の木十本二十本
百本千本一萬本
ぽんぽん叱つて下さるな。
海の声 若山牧水 明治41年刊
富士よゆるせ今宵は何の故もなう涙はてなし汝を仰ぎて
凧ぎし日や虚の御そらにゆめのごと雲はうまれて富士恋ひて行く
雲らみな東の海に吹きよせて富士に風冴ゆ夕映のそら
雲はいま富士の高ねをはなれたり据野の草に立つ野分かな
赤々と富士火を上げよ日光の冷えゆく秋の沈黙のそらに
一すぢの糸の白雪富士の嶺に残るが哀し水無月の天
独り歌へる 若山牧水第2歌集 明治43年1月1日,八少女会
窓あくればおもはぬそらにしらじらと富士見ゆる家に女すまひき
武蔵野の岡の木の間に見なれつる富士の白きをけふ海に見る
おぼろおぼろ海の凪げる日海こえてかなしきそらに白富士の見ゆ
海のあなたおぼろに富士のかすむ日は胸のいたみのつねに増しにき
安房の国の朝のなぎさのさざなみの音のかなしさや遠き富士見ゆ
富士見えき海のあなたに春の日の安房の渚にわれら立てりき
別離 若山牧水第3歌集 明治43年4月10日,東雲堂書店
富士よゆるせ今宵は何の故もなう涙はてなし汝を仰ぎて
草ふかき富士の裾野をゆく汽車のその食堂の朝の葡萄酒
一すぢの糸の白雪富士の嶺に残るが哀し水無月の空
窓あくればおもはぬそらにしらじらと富士見ゆる家に女すまひき
おぼろおぼろ海の凪げる日海こえてかなしきそらに白富士の見ゆ
海のあなたおぼろに富士のかすむ日は胸のいたみのつねに増しにき
安房の国の朝のなぎさのさざなみの音のかなしさや遠き富士見ゆ
富士見えき海のあなたに春の日の安房の渚にわれら立てりき
路上 若山牧水第4歌集 明治44年9月12日,博信堂書房
酸くあまき甲斐の村村の酒を飲み富士のふもとの山越えありく
朝の歌 若山牧水第9歌集 大正5年6月22日,天弦堂書房発行
芝山に登れば見ゆる秋の相模の霞み煙れるをちの富士が嶺
芝山の榊の蔭に風を避けゐつふと立ちたれば見ゆる富士が嶺
渓谷集 若山牧水第12歌集 大正7年5月5日 東雲堂書店
この朝のわきて寒けく遠空にましろに晴るる富士見えにけり
上総野の冬田行きつつおほけなく富士のとほ嶺を見出でつるかも
なだらかにのびきはまれる富士が嶺の裾野にも今朝しら雪の見ゆ
浪の間に傾き走るわが船の窓に見えつつ富士は晴れたり
海かけて霞みたなびくむら山の奥処に寒き遠富士の山
伊豆の国戸田の港ゆ船出すとはしなく見たれ富士の高嶺を
柴山の入江の崎をうちめぐり沖に出づれば富士は真うへに
野のはてにつねに見なれしとほ富士をけふは真うへに海の上に見つ
崎越すと船はかたむきひとごゑもせぬ甲板に富士を見て居る
冬日さし海は濃藍にとろみつつ浪だにたたぬ船に富士見つ
冬雲のそこひうづまき上かけてなびけるうへに富士は晴れたれ
見る見るにかたちをかふるむら雲のうへにぞ晴れし冬の富士が嶺
黒土 若山牧水第13歌集 大正10年3月22日,新潮社
わが部屋のはしに居寄れば冬空のふかきに沈み遠き富士見ゆ
隣家なる椎の老樹のうらがれていささか隠すその富士が嶺を
海見ると登る香貫の低山の小松が原ゆ富士のよく見ゆ
香貫山いただきに来て吾子とあそび久しく居れば富士晴れにけり
低山の香貫に登り真上なるそびゆる富士を見つつ時経ぬ
照り曇りはげしき地にみなみ風吹きすさびつつ富士冴えてをる
駿河なる沼津より見れば富士が嶺の前に垣なせる愛鷹の山
愛鷹の真くろき峯にうづまける天雲の奥に富士はこもりつ
夏おそき空にしづもる富士が嶺に去年の古雪ひとところ見ゆ
富士が嶺に雲かかりたりわが門のまへの稲田に雀とびさわぎ
消つ降りつさだめなき秋の富士が嶺の高嶺の雪を朝な朝な見る
愛鷹に朝居る雲のたなびかば晴れむと待てや富士のくもりを
綿雲の湧き立つそらに富士が嶺の深雪寂びつつかがよへる見ゆ
雪降りていまだ日を経ぬ富士が嶺の山の荒肌つばらかに見ゆ
裾野かけて今は積みけむ富士が嶺の雪見に登る愛鷹の尾根を
峯に夙く登らばひたと向ひあふ富士をおもひてなだれを登る
愛鷹のいただき疎き落葉木に木がくり見えて富士は輝く
愛鷹の峯によぢ登りわがあふぐまなかひの富士は真白妙なり
山なだれなだらふ張の四方に張りてしづもり深き富士の高山
松原のしげみゆ見れば松が枝に木がくり見えてたかき富士が嶺
山桜の歌 若山牧水第14歌集
大正12年5月17日 新潮社
時雨空小ぐらきかたにうかびたる富士の深雪のいろ澄めるかな
わが門ゆ挑むる富士は大方は見つくしたれどいよよ飽かぬかも
笠なりのわが呼ぶ雲の笠雲は富士の上の空に三つ懸りたり
をちこちに野火の煙のけぶりあひてかすめる空の富士の高山
怠けゐてくるしき時は門に立ち仰ぎわびしむ富士の高嶺を
雲まよふ梅雨明空のいぶせきに暁ばかり富士は見らるる
紫に澄みぬる富士はみじか夜の暁起きに見るべかりけり
たづね来て泊れる人をゆり起す夏めづらしき今朝の富士見よ
めづらしくこの朝晴れし富士が嶺を藍色ふかき夏空に見つ
陰ふくみ湧き立ち騒ぐ白雲のいぶせき空に富士は籠れり
叢雲にいただき見する愛鷹の峰の奥ぞと富士を思へり
夏雲の垂りぬる蔭にうす青み沼津より見ゆ富士の裾野は
片空に凝りゐる雲の下かげに長き尾ひけり富士の裾野は
富士が嶺や裾野に来り仰ぐときいよよ親しき山にぞありける
富士が嶺の裾野の原の真広きは言に出しかねつただにゆきゆく
富士が嶺に雲は寄れどもあなかしこわがみてをればうすらぎてゆく
大わだのうねりに似たる富士が嶺の裾野の岡のうねりおもしろ
つつましく心なりゐて富士が嶺の裾野にまへるうづら鳥見つ
富士が嶺の裾野の原のくすり草せんぷりを摘みぬ指いたむまでに
富士が嶺の裾野の原をうづめ咲く松虫草をひと日見て来ぬ
なびき寄る雲のすがたのやはらかきけふ富士が嶺の夕まぐれかな
まひのぼる朝あがり雲の渦巻の真白きそらに富士の嶺見ゆ
群山のみねのとがりのまさびしく連なれるはてに富士の嶺見ゆ
登り来て此処ゆのぞめば汝がすむひんがしのかたに富士の嶺見ゆ
冬さびし静浦の浜の松原にうち仰ぐ富士は真白妙なり
うねりあふ浪相打てる冬の日の入江のうへの富士の高山
わが登る天城の山のうしろなる富士の高きはあふぎ見飽かぬ
たか山にのぼり仰ぎ見高山のたかき知るとふ言のよろしさ
山川に湧ける霞のたちなづみ敷きたなびけば富士は晴れたり
まがなしき春の霞に富士が嶺の峰なる雪はいよよかがやく
富士が嶺の裾野に立てる低山の愛鷹山は霞みこもらふ
日をひと日富士をまともに仰ぎ来てこよひを泊る野の中の村
草の穂にとまりて啼くよ富士が嶺の裾野の原の夏の雲雀は
雲雀なく声空にみちて富士が嶺に消残る雪のあはれなるかな
寄り来りうすれて消ゆる水無月の雲たえまなし富士の山辺に
張りわたす富士のなだれのなだらなる野原に散れる夏雲のかげ
夏雲はまろき環をなし富士が嶺をゆたかに巻きて真白なるかも
富士が嶺の裾野なぞへ照したる今宵の月は暈をかざせり
めづらしき今朝の寒さよおもはざる方には富士の高く冴えゐて
冬なぎに出でてわがみる富士の嶺の高嶺の深雪かすみたるかも
黒松 若山牧水第15歌集 昭和13年9月13日,改造社
富士が嶺にひと夜に降れる初雪の峰白妙に降りうづめたる
この年の富士の初雪したたかに降りてなかなか寂しくぞ見ゆ
わが門の草に残れるよべの雨の露しげくして富士は初雪
冬寂びし愛鷹山のうへに聳え雪ゆたかなる富士の高山
富士がねのこなたの空を斜に切りて二つうち並び行くよ飛行機
この里よ柿のもみぢのさかりにて富士にはいまだ雪の降らざる
富士が嶺の麓ゆ牛に引かせ来て山桜植ゑぬゆゆしく太きを
富士と足柄とのあひだを流るる黄瀬川のみなかみに遊びて
樫鳥の群れて遊べる岡に見ゆ春しらたへの大富士の山
あらはなる富士の高嶺のかなしけれ裾野の春の野辺にあふげば
富士の嶺の裾野のなだれゆたかなる片野の春の今はたけなは
夜には降り昼に晴れつつ富士が嶺の高嶺の深雪かがやけるかも
冬の日の凪めづらしみすがれ野にうち出でて来てあふぐ富士が嶺
富士が嶺の麓にかけて白雲のゐぬ日ぞけふの峰のさやけさ
天地のこころあらはにあらはれて輝けるかも富士の高嶺は
※「富士」のみで検索抽出した。
「たべものの木」
山櫻の實。櫻のうちで私は山櫻を最も好む。そしてこの木は普通にはない。吉野染井などならば幾らでも手に入るのだが、私はわざ/\富士の裾野の友人に頼んで其處の山から三四本掘つて來て貰つた。中の一本が痩せてはゐるが相當の古木で、昨年も今年も實によく咲いてくれた。何ともいへない清淨な花のすがたであつた。
「伊豆西海岸の湯」
私はこの五六年、毎年正月元日に此處にやつて來てゐます。朝暗いうちに自宅で屠蘇(とそ)を祝つて、五時沼津の狩野川河口を出る汽船に乘るのです。幸ひと今迄この元日には船が止りませんでした。然し毎年相當に荒れました。私は船に強いので、平氣で甲板に出て荒浪の中をゆく自分の小さな汽船の搖れざまを見てゐます。晴れゝば背後に聳えた富士をその白浪のうへに仰ぐことになります。河口を出て靜浦江の浦の入江の口を横切り大瀬崎の端へかゝると船は切りそいだ樣な斷崖の下に沿うてゆくことになります。
「四邊の山より富士を仰ぐ記」
駿河なる沼津より見れば富士が嶺の前に垣なせる愛鷹の山
東海道線御殿場驛から五六里に亙る裾野を走り下つて三島驛に出る。そして海に近い平地を沼津から原驛へと走る間、汽車の右手の空におほらかにこの愛鷹山が仰がるる。謂(い)はば蒲鉾形の、他奇ない山であるが、その峯の眞上に富士山が窺(のぞ)いてゐる。
いま私の借りて住んでゐる家からは先づ眞正面に愛鷹山が見え、その上に富士が仰がるゝ。富士といふと或る人々からは如何にも月並な、安瀬戸物か團扇(うちは)の繪にしかふさはない山の樣に言はれないでもないが、この沼津に移住して以來、毎日仰いで見てゐると、なか/\さう簡單に言ひのけられない複雜な微妙さをこの山の持つてゐるのを感ぜずにはゐられなくなつてゐる。雲や日光やまたは朝夕四季の影響が實に微妙にこの單純な山の姿に表はれて、刻々と移り變る表情の豐かさは、見てゐて次第にこの山に對する親しさを増してゆくのだ。
一體に流行を忌む心は、もう日本アルプスもいやだし、富士登山も唯だ苦笑にしか値しなかつた。與謝野寛さんだかゞ歌つた「富士が嶺はをみなも登り水無月の氷の上に尿垂るてふ」といふ感がしてならなかつた。それで今まで頑固にもこの名山に登ることをしなかつたが、こちらに來てこの山に親しんで見ると、さうばかりも言へなくなり、この夏は是非二三の友人を誘つて登つてゆき度い希望を抱くに到つてゐる。
閑話休題、朝晩に見る愛鷹を越えての富士の山の眺めは、これは一つ愛鷹のてつぺんに登つて其處から富士に對して立つたならばどんなにか壯觀であらうといふ空想を生むに至つた。
愛鷹山は謂はゞ富士の裾野の一部にによつきりと隆起した瘤(こぶ)の樣なもので、山の六七合目から上は急峻な山嶽の形をなしてゐるが、それより下は一帶の富士の裾野と同じく極めてなだらかな、そして極めて細かな襞(ひだ)の多い、輕い傾斜の野原となつてゐるのである。
よく晴れた日で、前面一體には駿河灣が光り輝き、その左に伊豆半島、右手に御前崎が浮び、山の麓の海岸には沼津の千本松原からかけて富士川の川口の田子の浦、少し離れて三保の松原も波の間に浮んで見える。明るい大きな眺めであるが、矢張り富士の見えないのが寂しかつた。その富士はツイ自分等の背後峯の向うに立つてゐる筈なのである。
今來た道を沼津へ出ようとすればこそ夜にもなるが、頂上から最も手近な麓の村へ一直線に降りる分にはどうにか日のあるうちに降りられやう、頂上には小さなお宮があると聞くので、屹度(きつと)何處へか通ずる道があるに相違ない、折角此處まで來て富士を見ぬのは何とも氣持の惡い話だといふ樣な事から、時計が既に午後の二時をすぎてゐるのにも構はず、それこそ脱兎の勢で登り始めたのであつた。
辛うじて頂上に出た。案の如く富士山とぴつたり向ひ合つて立つことが出來た。然し、最初考へたが如く、一絲掩はぬ富士の全山を其處から見ると云ふことは不能であつた。たゞ一片の蒲鉾を置いた樣にたゞ單純に東西に亙つて立つてゐるものと想像してゐたこの愛鷹山には、思ひのほかの奧山が連り聳えてゐるのであつた。沼津邊からはたゞその前面だけしか見えぬのだが、その背後に寧ろ前面の頂上よりも高いらしい山嶺が三つ四つごた/\と重つてゐるのであつた。しかも自分等の立つた頂上からも最も手近に聳えた一つの峯は我等の立つてゐる山とは似もつかず削りなした樣な嶮しい岩山であつた。その切り立つた岩山を抱く樣にして、大きく眞白く、手に取る樣な眞近な空にわが富士山は聳え立つてゐるのであつた。
眞裸體の富士山を見ようといふねがひは前の愛鷹山で見ごとに失敗した。然し、何處かでさうした富士を見ることが出來るであらうといふ心はなか/\に消えなかつた。
そして寧ろ偶然に足柄と箱根との中間にある乙女峠を越えようとしてその願ひを果したのであつた。私はその時箱根の蘆の湖から仙石原を經て御殿場へ出ようとしてこの峠にかゝつたのであつた。乙女峠の富士といふ言葉を聞いてはゐたが實はその時極めてぼんやりとその峠へ登つて行つたのであつた。
乙女峠の富士といふ言葉は久しく私の耳に馴れてゐた。其處の富士を見なくてはまだ富士を語るに足らぬとすら言はれてゐた。その乙女峠の富士をいま漸く眼のあたりに見つめて私は峠に立つたのである。
富士よ、富士よ、御身はその芒の枯穗の間に白く/\清く/\全身を表はして見えてゐて呉れたのである。
乙女峠の富士は普通いふ富士の美しさの、山の半ば以上を仰いでいふのと違つてゐるのを私は感じた。雪を被つた山巓(さんてん)も無論いゝ。がこの峠から見る富士は寧ろ山の麓、即ち富士の裾野全帶を下に置いての山の美しさであると思つた。
しかもその山の前面一帶に擴がつた裾野の大きさはまたどうであらう。東に雁坂峠足柄山があり、西に十里木から愛鷹山の界があり、その間に抱く曠野の廣さは正に十里、十數里四方にも及んでゐるであらう。しかもなほその廣大な原野は全帶にかすかな傾斜を帶びて富士を背後におほらかに南面して押し下つて來てゐるのである。その間に動いてゐる氣宇の爽大さはいよ/\背後の富士をして獨りその高さを擅(ほしいまま)ならしめてゐるのである。
伊豆の天城から見た富士もまた見ごとなものであつた。愛鷹からと云ひ乙女峠からと云ひ、贅澤を言ふ樣だが實は少々近過ぎる感がないではなかつた。丁度の見頃だとおもふ距離をおいて仰がるゝのはこの天城山からであつた。
天城も下田街道からでは恰好な場所がない。舊噴火口のあとだといふ八丁池に登る途中からは隨所に素晴しい富士を見る事が出來た。高山に登らざれば高山の高きを知らずといふ風の言葉を幼い時に聞いた記憶があるが、全く不意にその言葉を思ひ出したほど、登るに從つていよ/\高くいよ/\美しい富士をうしろに振返り/\その八丁池のある頂上へ登つて行つたのであつた。
天城もまた御料林である。愛鷹と比べて更に幾倍かの廣さと深さとを持つた森林が山脈の峯から峯へかけて茂つてゐる。その半ばからは杉の林であるが、上は同じく落葉樹林である。私の登つたのは梢にまだ若葉の芽を吹かぬ春のなかばであつたが、鑛物化した樣なその古木の林を透かして遙かに富士をかへりみる氣持は實に崇嚴なものであつた。
高山に登り仰ぎ見たか山の高き知るとふ言(こと)のよろしさ
天地(あめつち)の霞みをどめる春の日に聳えかがやくひとつ富士が嶺
わが登る天城の山のうしろなる富士の高きは仰ぎ見飽かぬ
山から見た富士ばかりを書いた。最後にひとつ海を越えて見た富士を記してこの文を終る。これは曾て伊豆の西海岸をぼつ/\と歩いて通つた紀行の中から拔いたものである。
今度は獨りだけに荷物とてもなく、極めて暢氣(のんき)に登つて行くとやがて峠に出た。何といふことはなく其處に立つて振返つた時、また私は優れた富士の景色を見た。
富士の景色で私の記憶を去らぬのが今までに二つ三つあつた。一つは信州淺間の頂上から東明の雲の海の上に遙かに望んだ時、一つは上總の海岸から、恐ろしい木枯が急に吹きやんだ後の深い朱色の夕燒けの空に眺めた時、その他あれこれ。今日の船の上の富士もよかつた。
この中に「信州淺間の頂上から云々」とある。その廣々とした雲海の上に聳えて私の眼についた二つの山があつた。一つは富士、これはその特殊の形からすぐ解つた。今一つは細く鋭く尖つた嶺の上にかすかに白い煙をあげた飛騨(ひだ)の燒嶽であつた。
その燒嶽に昨年の秋十月、普通の登山者の絶え果てた時に私は登つて行つた。よく晴れた日で、濛々と煙を噴きあげてゐるその頂に立つて見てゐると、西に、北に、南に、東に、實に無數の高い山がうす紫の秋霞の靡いた上にとび/\に見渡された。その中に矢張りきつぱりと一目にわかる富士の山が遙かの/\東の空に望まれたのであつた。
「地震日記」
その間にも、ヅシン、ヅシンと二三度搖つて來た。海は然し却つて不氣味な位ゐに凪いでゐた。そしてまた何といふ富士山の冴えた姿であつたらう。
雲一つない海上の大空にはかすかに夕燒のいろが漂うてゐた。そしてその奧には澄み切つた藍色がゆたかに滿ち渡つてゐる。其處へなほ一層の濃藍色でくつきりと浮き出てゐるのが富士山であるのだ。
『斯んな綺麗な富士をば近來見ませんでしたねヱ、何だか氣味の惡い位ゐに冴えてるぢアありませんか。』
暫くもそれから眼を離せない氣持で私は言つた。
「夏を愛する言葉」
しいんとした日の光を眼に耳に感じながら靜かに居るといふことは、從つて無爲(むゐ)を愛することになる。一心に働けば暑さを知らぬといふが、完全に無爲の境に入つて居れば、また暑さを忘るゝかも知れぬ。ところが、凡人なかなかさう行かない。
怠けゐてくるしき時は門に立ちあふぎわびしむ富士の高嶺を
なまけつつこころ苦しきわが肌の汗吹きからす夏の日の風
「岬の端」
それから暫く嶮しい坂になつて、登り果てた所は山ならば嶺(いただき)、つまりこの三浦半島の脊であつた。可なり広い平地で、薩摩芋と粟とが一杯に作つてある。思はず脊延びして見渡すと遠く相模湾の方には夏の名残の雲の峯が渦巻いて、富士も天城も燻(いぶ)つた光線に包まれて見えわかぬ。眼下の松輪崎の前面をば戦闘艦だか巡洋艦だか大きなのが揃つて四隻、どす黒い煙を吐いて湾内を指してゐる。
「或る日の晝餐」
小山ながら海寄りの平野に孤立して起つた樣な山なので、この頂上からは四方の遠望が利く。北東には眞上に富士が仰がれる。が、その山の形よりその裾野の廣いのを眺めるのに趣きがある。次第高になつてゆく愛鷹と足柄との山あひの富士の裾野がずつと遠く、ものゝ五六里が間は望まれるのである。然し、その日は私は頂上まで行き度くなかつた。其處ではどうしても氣が散りがちであるからだ。そして中腹の、やゝ窪みになつた所に行つて新聞包を置いた。
「春の二三日」
松原に入つた頃はまだ薄暗かつた。松はたゞしつとりと先から先に立ち竝んで、ツイ左手近く響いてゐる浪の音もあるかなしかの凪ぎである。やがて空の明るむにつれて、高々と枝を張つてゐる松の梢を透して眞白な富士が見えて來た。そして同じくその右手の松の根がたに低く續いた紅ゐの色が見え出した。今を盛りに咲き揃つた桃の畑である。
一筋町の細長い其處を離れると、いよ/\廣重模樣の松並木が道の兩側に起つて來た。並木を通して右手眞上には富士、左には今までと反對に桃畑を前にした松原が見えてゐる。
一帶の感じが何となく荒涼としてゐて、田子の浦といふ物優しい名の聯想とは全く異つてゐるのを感じた。振向くと見馴れた富士の姿も沼津あたりとは違つて距離も近く高さも高く仰がるゝのであつた。傍へに富士川があり、前にこの山を仰ぎ背後に駿河灣を置いた眺めは太古にあつては一層雄大なものであつたに相違ないと思はれた。
思はず長い時間を其處で費し、また街道に出て暫く行くと道はやゝに海岸を離れて愛鷹山の根に向ふ形になる。そしてその向うに吉原宿の町が見えてゐる。なるほど此處では廣重の繪の左富士を想はす角度にその山を仰ぐのであつた。然し、我等は吉原には行かず、鈴川驛から汽車で富士川を渡り、蒲原の宿で降りて、またてく/\と歩き出した。
「木枯紀行」
十月二十八日。
御殿場より馬車、乗客はわたし一人、非常に寒かつた。馬車の中ばかりでなく、枯れかけたあたりの野も林も、頂きは雲にかくれ其処ばかりがあらはに見えて居る富士山麓一帯もすべてが陰欝で、荒々しくて、見るからに寒かつた。
須走の立場で馬車を降りると丁度其処に蕎麦屋があつた。
十月二十九日。
宿屋の二階から見る湖にはこまかい雨が煙つてゐたが、やや遅い朝食の済む頃にはどうやら晴れた。同宿の郡内屋(土地産の郡内織を売買する男ださうで女中が郡内屋さんと呼んでゐた)と共に俄かに舟を仕立て、河口湖を渡ることにした。
真上に仰がるべき富士は見えなかつた。たゞ真上に雲の深いだけ湖の岸の紅葉が美しかつた。
坂なりの宿場を通り過ぎると愈々嶮しい登りとなつた。名だけは女坂峠といふ。堀割りの様になつた凹みの路には堆く落葉が落ち溜つてじとじとに濡れてゐた。
越え終つて渓間に出、渓沿ひに少し歩き渓を渡つてまた坂にかゝつた。左右口峠(うばぐちたうげ)といふ。この坂は路幅も広く南を受けて日ざしもよかつたが、九十九折の長い/\坂であつた。退屈しい/\登りついた峠で一休みしようと路の左手寄りの高みの草原に登つて行つてわたしは驚喜の声を挙げた。不図振返つて其処から仰いだ富士山が如何に近く、如何に高く、而してまたいかばかり美しくあつたことか。
我等のいま歩いてゐる野原は念場が原といふのであつた。八ヶ嶽の南麓に当る広大な原である。所所に部落があり、開墾地があり雑草地があり林があつた。大小の石ころの間断なく其処らに散らばつてゐる荒々しい野原であつた。重い曇で、富士も見えず、一切の眺望が利かなかつた。
煙草を二三本吸つてゐるうちに土間の障子がうす蒼く明るんで来た。顔を洗ひに戸外(おもて)に出ようとその障子を引きあけて、またわたしは驚いた。丁度真正面に、広々しい野原の末の中空に、富士山が白麗朗と聳えてゐたのである。昨日はあれをその麓から仰いで来たに、とうろたへて中村君を呼び起したが、返事もなかつた。
そしていつの間に出て来たものか、見渡す野原も、その向う下の甲州地も一面の雲の河となつてしまつた。富士だけがそれを抜いて独りうらゝかに晴れてゐる。
「東京の郊外を想ふ」
そしてこちらの郊外の背景をなすものは遠く西の空に浮んでゐる富士山の姿であることを忘れてはならぬ。何處からでも大抵は見えるこの山ではあるが、ことに此處等の赤松林の下蔭、幾つか連つた丘陵の一つのいたゞきから望み見る姿は、たゞの野原であるのより遙かに趣きが深いのだ。
さう書くと、ほんの赤土の崖の上である樣な東の郊外田端の高みから望む筑波のことをも書かねばならぬ。同じく西の郊外から見る野の末の秩父の連山、よく晴れゝば其處まで見る事の出來る甲州信州上州路かけての遠山の事などをも。
二階は東北、及び僅かに西がかつた方角とが開けてゐて、ツイ眞下に、それこそ欄干から飛び込めさうな眞下に海がありました。そして海の向うには靜浦牛臥沼津の千本濱がずらりと見渡されて、その千本濱の少し左寄りの上の空に富士が圖拔けて高く聳えて居るのでした。
『これは素敵だ、早速此處にきめませう。』
「火山をめぐる温泉」
この火山は阿蘇や淺間などの樣に一個の巨大な噴火口を有つことなく、山の八九合目より頂上にかけ、殆んど到る處の岩石の裂目から煙を噴き出してゐるのであつた。その煙の中に立つて眞向ひに聳えた槍嶽穗高嶽を初め、飛騨信州路の山脈、または甲州から遠く越中加賀あたりへかけての諸々の大きな山岳を眺め渡した氣持もまた忘れがたいものである。更にあちらが木曾路に當ると教へられて振向くと其處の地平には霞が低く棚引いて、これはまた思ひもかけぬ富士の高嶺が獨り寂然(じやくねん)として霞の上に輝いてゐたのである。
「自然の息自然の聲」
捉へどころのない樣な裾野、高原などに漂うてゐる寂しさもまた忘れ難い。
富士の裾野と普通呼ばれてゐるのは富士の眞南の廣野のことである。土地では大野原と云つてゐる。見渡す限り、いちめんの草野原である。この野原を見るには足柄連山のうちの乙女峠、または長尾峠からがいゝ。この野の中に御殿場から印野、須山、佐野などいふ小さな部落が散在してゐるが、いづれもその間二里三里四里あまりの草の野を越えて通はねばならぬ。
富士のやゝ西に面した裾野はまたいちめんの灌木林である。そしてその北側はみつちり茂つた密林となつてゐる。いはゆる青木が原の樹海がそれである。
富士の大野原は明るくやはらかく、この六里が原は見るからに手ざはり荒く近づき難い。
これらの野原がすべて火山に縁のあるのも私には面白い。武藏野はもと/\富士山の灰から出來たのであるさうな。
「草鞋の話旅の話」
富士の裾野の一部を通つて、所謂(いはゆる)五湖をまはり、甲府の盆地に出で、汽車で富士見高原に在る小淵澤驛までゆき、其處から念場が原といふ廣い/\原にかゝつた。八ケ岳の表の裾野に當るものでよく人のいふ富士見高原なども謂(い)はゞこの一部をなすものかも知れぬ。八里四方の廣さがあると土地の人は言つてゐた。その原を通り越すと今度は信州路になつて野邊山が原といふのに入つた。これは、同じ八ケ岳の裏の裾野をなすもので、同じく廣茫たる大原野である。富士の裾野の大野原と呼ばるゝあたりや淺間の裏の六里が原あたりの、一面に萱や芒(すすき)のなびいてゐるのと違つて、八ケ岳の裾野は裏表とも多く落葉松(からまつ)の林や、白樺の森や、名も知らぬ灌木林などで埋つてゐるので見た所いかにも荒涼としてゐる。
「釣」
ソレ、君と通つて
此處なら屹度(きつと)釣れると云つた
あの淀み
富士からと天城からとの
二つの川の出合つた
大きな淀みに
たうとう出かけて行つて釣つて見ました
かん、かん、かんと秋らしい鉦(かね)が聞える
富士から愛鷹にかけては
いちめんに塗りつぶした樣な雲で
私の釣竿からも
たうとう雫が落ち出しました
「青年僧と叡山の老爺」
『ア、見えます/\、いいですねヱ。』
と。先刻(さつき)からまちあぐんでゐた富士が、漸くいま雲から半身を表はしたのだ。昨夜の時雨で、山はもう完全にまつ白になつてゐた。
『ほんたうにいゝ山ですねヱ、何と言つたらいゝでせう。』
「京人形」
○赤いかのこの お振袖
京人形の 見る夢は
加茂の河原の さざれ石
買われたあの日の 飾り窓
○春のひながに うとうとと
京人形の 見る夢は
月の銀閣 東山
別れたあの日の お友達
○ここはお江戸の 日本橋
京人形の 見る夢は
汽車に揺られて 東海道
眺めたあの日の 富士の山
※久保田宵二作詞/佐々木すぐる作曲
「昭和の子供」
○昭和 昭和 昭和の子供よ 僕たちは
姿もきりり 心もきりり
山 山 山なら 富士の山
行こうよ 行こうよ 足並み揃え
タラララ タララ タララララ
○昭和 昭和 昭和の子供よ 僕たちは
大きな望み 明るい心
空 空 空なら 日本晴
行こうよ 行こうよ 足並み揃え
タラララ タララ タララララ
○昭和 昭和 昭和の子供よ 僕たちは
元気なからだ みなぎる力
鳥 鳥 鳥なら 鷹の鳥
行こうよ 行こうよ 足並みそろえ
タラララ タララ タララララ
※久保田宵二作詞/佐々木すぐる作曲
「受験生ブルース」より
○ひとよ ひとよに ひとみごろ
ふじさんろくに オームなく
サイン コサイン なんになる
俺らにゃ俺らの 夢がある
※中川五郎作詞/高石友也作曲
「曾我兄弟」
○富士の裾野の 夜はふけて
宴のどよみ 静まりぬ
屋形屋形の 灯は消えて
あやめも分かぬ 五月やみ
○「来れ時致(ときむね) 今宵こそ
十八年の 恨みをば」
「いでや兄上 今宵こそ
ただ一撃(ひとうち)に 敵(かたき)をば」
○共に松明(たいまつ) 振りかざし
目ざす屋形に 討ち入れば
かたき工藤は 酔い臥(ふ)して
前後も知らぬ 高鼾(たかいびき)
○「起きよ 祐経(すけつね) 父の仇(あだ)
十郎五郎 見参」と
枕を蹴って おどろかし
起きんとするを はたと斬る
○仇は報いぬ 今はとて
「出合え出合え」と 呼ばわれば
折しも小雨 降りいでて
空にも名のる ほととぎす
※作詞不詳/作曲不詳/文部省唱歌
「菊五郎格子」
○十八娘の 緋鹿子(かのこ)の
手柄がくずれて 富士額
弁天小僧が きる啖呵
知らざあ言って 聞かせやしょう
なつかしいぞえ 菊五郎格子
※3番のうち1番
※作詞西條八十/作曲米山正夫
「東京音頭」より
○ハァ 西に富士の嶺(みね) チョイト
東に筑波 ヨイヨイ
音頭とる子は 音頭とる子はまん中に サテ
ヤットナァ ソレ ヨイヨイヨイ
ヤットナァ ソレ ヨイヨイヨイ
※西條八十作詞/中山晋平作曲
※1番歌いだしは「ハァ 踊り踊るなら チョイト 東京音頭 ヨイヨイ」
冬すみれ 富士が見えたり 隠れたり