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幸田露伴

富士の雲散つて裾野の小菊かな

初ゆめや富士で獏狩したりけり

横にして富士を手に持つ扇かな


「二日物語」
山林に身を苦しめ雲水に魂をあくがれさせては、墨染の麻の袂に春霞よし野の山の花の香を留め、雲湧き出づる那智の高嶺の滝の飛沫に網代小笠の塵垢を濯ぎ、住吉の松が根洗ふ浪の音、難波江の蘆の枯葉をわたる風をも皆御法説く声ぞと聞き、浮世をよそに振りすてゝ越えし鈴鹿や神路山、かたじけなさに涙こぼれつ、行へも知れず消え失する富士の煙りに思ひを擬へ、


「水の東京」
○竹屋の渡場は牛の御前祠の下流一町ばかりのところより今戸に渡る渡場にして、吾妻橋より上流の渡船場中(わたしばちゆう)最もよく人の知れるところなり。船に乗りて渡ること半途(なかば)にして眼を放てば、晴れたる日は川上遠く筑波を望むべく、右に長堤を見て、左に橋場今戸より待乳山を見るべし。もしそれ秋の夕なんど天の一方に富士を見る時は、まことにこの渡の風景一刻千金ともいひつべく、画人等の動(やや)もすればこの渡を画題とするも無理ならずと思はる。

富士見の渡といふ渡あり。この渡はその名の表はすが如く最も好く富士を望むべし。夕の雲は火の如き夏の暮方、または日ざし麗らかに天清(す)める秋の朝なんど、あるいは黒々と聳え、あるいは白妙に晴れたるを望む景色いと神々(こうごう)しくして、さすがに少時(しばし)は塵埃(じんあい)の舞ふ都の中にあるをすら忘れしむ。


「突貫紀行」
ともかくも青森よりは遥(はるか)によろしく、戸数も多かるべし。肴町(さかなまち)十三日町賑(にぎわ)い盛(さかん)なり、八幡の祭礼とかにて殊更(ことさら)なれば、見物したけれど足の痛さに是非もなし。この日岩手富士を見る、また北上川の源に沼宮内より逢う、共に奥州にての名勝なり。


「菊 食物としての」
薬用になるといふのは必ず菊なら菊の其本性の気味を把握してゐることが強いからのことであらう。進歩は進歩だらうが、ダリヤのやうになつた菊よりは、本性の気味を強く把握してゐるものを得て見たい。そんなら野菊や山路菊や竜脳菊で足りるだらうと云はれゝばそれも然様(さよう)である、富士菊や戸隠菊を賞してそれで足りる、それも然様である。