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「御伽草子」より

「音なし草紙」
さて在原の中将も、鬼一口の辛き目に、都の中に住みわびて、東の方に旅衣、遥々行きて宇都の山、思ひをいとゞ駿河なる、富士の煙とかこちつゝ、なほ行末は武蔵野の、はてしもあらぬ恋路ゆゑ、身は徒らに業平の、男に今の世の、我も何かはかはらまし、幾程あらぬ夢の世に、はかなく思ひ消えぬべき、あはれを知らせ給ひなば、露の情をかけ給へ。


「文正ざうし」
冬は雪間に根をませば、やがてか人を見るべき、富士のけぶりの空に消ゆる身のゆくへこそあはれなれ。風のたよりのことづてもがな、心のうちの苦しさも、せめてはかくと知らせばやと、色おりたるもめしたくや候。


「辨の草紙」
  恋しくば上りても見よ辨の石われはごんしやの神とこそなれ
黒髪山の頂に、辨の石と云ふ霊石あり。富士の獄の望夫石の古語を思へば、事あひたる心地して、あらたなりける事どもなり。斯かる不思議ともに人みな見いて、あるは語り、あるは歎き、よしさらば、人の唱ふべきものは、弥陀の名号、願ふべきわざは安養の浄刹なるぺしと、一慶に不惜の阿弥陀仏を両三返申して、目を閉ぢ塞ぎ、袖を濡らさぬはなかりけり。


「美人くらべ」
  あふと見る夢うれしくてさめぬれば逢はぬうつゝのうらめしきかな
と有りければ、姫君の御夢にもこの如く見え給へり。又少将殿富士の高嶺を見給ひて、
  年をへむ逢ひみぬ恋をするがなる富士のたかねをなきとほるかな
さて斯様に尋ね来り給ふとは、姫君知らせ給はず、都の事を思ひて、花の一本、鳥の音までも、都に変らざりければ、かくなむ、
  鳥のねも花も霞もかはらねば春やみやこのかたちなりける


富士の人穴草子」
抑承治元年四月三日と申すに、頼家のかうのとの、和田の平太を召して仰せけるは、「如何に平太、承れ、昔より音に聞く富士の人穴と申せども、未だ聞きたるばかりにて、見る者更になし。さればこの穴に如何なる不思議なる事のあるらむ、汝入りて見て参れ。」と仰せければ、畏まつて申す様、「これは思ひもよらぬ一大事の御事を仰せけるものかな。天を翔くる翼、地を走る獣を獲りて進らせよとの仰せにて候はば、いと易き御事にて候へども、之は如何候べきやらむ、如何にして人穴へ入りて、又二度とも立返る道ならばこそ。」と申上げければ、頼家重ねて是非共と仰せありければ、御意を背き難くて、二つなき命をぱ、君に参らせむとりやうしやう申し、御まへをこそ立たれける。義盛の宿所に参り「聞召せ、平太こそ君の御望みを承りて、富士の人穴へ入り申し候。」と申す。

斯かりける所に、和泉の国の住人、新田の四郎忠綱と申す者、此の事を承り、心の内に思ふ様、「所領千六百町持ちたるなり、今四百町賜はりて、まつはうますわか二人の子供に千町づゝとらせばやと思ひ、鎌倉殿へ参り、御前に畏まりて申しけるは、「忠綱こそ御判をなして、富士の人穴へ入りて見申し候はむ。」と申す。鎌倉殿聞召され、御悦びは限りなし。忠綱宿所に帰りて、女房に語りけるは「頼家の敕を蒙り、富士の人穴に入り申すべく候、岩屋の内にて死したるとも所領二人の子供に、千町づゝとらすべし、松杉を植ゑしも、子供を思ふ習ひなる。

此の草紙を聞く人は、富士の権現に、一度詣りたるに当るなり。能く/\心をかけて疑ひなく、後生を願ふべし。少しも疑ひあれば、大菩薩の御罰も蒙るなり。いかにも後生一大事なりと思ふべし。御富士南無大権現と八遍唱へべし。


「ふくろふ」
上は梵天帝釈、四大天王、閻魔法王、五道の冥官、王城の鎮守八幡大菩薩、春日、住吉、北野天満大自在天神、伊勢天照大神、山には山の神、木には木魂の神、地にはたうろう神、河には水神、熊野は三つの御山、本宮薬師、新宮は阿弥陀、那智はひれう権現、滝本は千手観音、熱田の観音、富士の浅間大菩薩、信濃には諏訪上下の大明神、善光寺の阿弥陀如来、南無三宝の諸仏を請じおどろかし候ぞや。


御伽草子とは