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水鏡

太子多くの馬の中よりこれを選び出して、九月にこの馬に乗り給ひて、雲の中に入りて、東をさしておはしき。麻呂といふ人ひとりぞ御馬の右の方にとりつきて、雲に入りにしかば、見る人驚きあざみ侍りし程に、三日ありて帰り給ひて、「われこの馬に乗りて、富士の嶽に至りて、信濃の国へ伝はりて帰り来たれり」と宣ひき。

役行者、御門を傾け奉らんと謀る」と申ししかば、宣旨(せんじ)を下して行者を召しに遣はしたりしに、行者、空に飛び上りて、捕ふべき力も及ばで、使帰り参(まゐ)りてこの由(よし)を申ししかば、行者の母を召し捕られたりし折、筋なくて母に代らんが為に行者参れりしを、伊豆の大島に流しつかはしたりしに、昼は公に従ひ奉りてその島に居、夜は富士の山に行きて行ひき。

役の行者、伊豆国より召し返されて、京に入りて後、空へ飛び上りて、わが身は草座に居、母の尼をば鉢に乗せて、唐土へ渡り侍(はべ)りにき。さりながらも本所を忘れずして、三年に一度、この葛城山と富士の峰へとは来たり給ふなり。時々は会ひ申し侍り。


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