「梅」の句
臘梅や不二にも重き空の青 三田逃水
ロウバイは蝋梅と書いたり臘梅と書いたりします。このパソコンのFEPでは「蝋燭」「蜜蝋」などと「蝋」に変換されてしまいます。
この花は江戸初期に渡来したものだとか。蜜臘でできたような外観、という説と、臘月(12月の異名)に咲くから、という説があるようです。工芸品のような花弁、香りが印象的です。
梅の上に聳ゆ富嶽も相模ぶり 吉田素抱
星ぞらに下田富士あり梅匂ふ 宮下翠舟
下田富士は下田にある高さ200m弱の富士山に形状が似た山。浅間神社をもあり、民話(「姉妹富士」)では、駿河富士(富士山=コノハナサクヤヒメ)、八丈富士(八丈島にある)と3姉妹の関係にあります。
暮るるまで富士に雲なし探梅行 福田蓼汀
「探梅」は、ほころび始めた梅を見に出かけることで、晩冬に使われやすい季語です。「探桜」という言葉が使われないことを思えば、その趣はそのときだけの大切なものですね。百田宗治の「どこかで春が」をふと思ってしまいましたが、それより探梅はずっと積極的な行為ですね。
どこかで春が 生まれてる
どこかで水が 流れ出す
どこかで雲雀が 啼いている
どこかで芽の出る 音がする
山の三月 東風吹いて
どこかで春が 生まれてる
(百田宗治「どこかで春が」、大正12年)