松尾芭蕉
霧しぐれ富士を見ぬ日ぞ面白き
富士の山蚤が茶臼の覆かな
雲を根に富士は杉形の茂りかな
一尾根はしぐるる雲か富士の雪
富士の風や扇にのせて江戸土産
富士の雪慮生が夢を築かせたり
目にかかる時やことさら五月富士
「奥の細道」
弥生も末の七日、明ぼのゝ空朧々として、月は在明にて光おさまれる物から不二の峯幽にみえて、上野谷中の花の梢又いつかはと心ぼそし。
むつまじきかぎりは宵よりつどひて舟に乗て送る。千じゆと云所にて船をあがれば、前途三千里のおもひ胸にふさがりて幻のちまたに離別の泪をそゝく。
行春や鳥啼魚の目は泪
室の八島に詣す。同行曾良が曰、「此神は木の花さくや姫の神と申て富士一躰也」。無戸室に入て焼給ふちかひのみ中に、火々出見のみこと生れ給ひしより室の八島と申。又煙を読習し侍もこの謂也」。将、このしろといふ魚を禁ず。縁起の旨世に伝ふ事も侍し。
「野ざらし紀行」
崑崙は遠く聞き、蓬莱・方丈は仙の地なり。まのあたりに士峰地を抜きて蒼天を支へ、日月のために雲門を開くかと。向かふところ皆表にして、美景千変す。詩人も句を尽くさず、才子・文人も言を絶ち、画工も筆捨てて走る。若し藐姑射の山の神人有りて、其の詩を能くせんや、其の絵をよくせん歟。
雲霧の暫時百景を尽しけり
「幻住庵の記」
比叡の山、比良の高根より、辛崎の松は霞をこめて、城あり、橋あり、釣たるる舟あり、笠取に通ふ木樵の声、ふもとの小田に早苗とる歌、蛍飛びかふ夕闇の空に水鶏のたたく音、美景物として足らずといふことなし。中にも三上山は士峰の俤に通ひて、武蔵野の古き住みかも思ひ出でられ、田上山に古人をかぞふ。