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式亭三馬

「人間万事虚誕計(にんげんばんじうそばっかり)」
関と関との取組。イヤめざましいことであつた。そばで見ては顔がわからぬから。三里ばかりもあとへさがつて見てゐた。イヤすさまじい事よ。そこで両方がはねたはねた。ヤ。はねたのなんのとこそいへ。その地ひゞきが長崎の果まできこえて。唐人が目をまはしたといふはなしだ。しばらくもんでゐた所が。どこをどうしたか。蹴半弥をぐつとひつつかんで。目より。イヤ富士の山よりたかくさしあげて。曳と云てなげ出したが。きゝなさい。爰ががうせいだ。箱根山。富士川。天竜。大井川をはるかになげこして。京の六条数珠屋町へ。ずでんどうとぶつつけたが。大地へおよそ八万余旬。めりめりめりとめりこんだから。

あれもぜんたい大きなものさ。むかしは十八丈あつたけれど。大きくては流行におくれると云て。のちにちいさくしたのさ。その証拠は富士の山だ。おらが小児じぶんまでは。山の絶頂を見たものがなかつた。なんの事はない。雲の中からすぐに裾野さ。それが今では山のてつぺんが。どこからも見えるやうになつた。イヤ。事もたいさうなちがひさ。しかしこゝにはなしがあるテ。おれが血気さかんなころには。着物の丈も七尺八寸を着たから。ちよつと拵るものも一疋買ねば間にあはなんだが。今としがよつたら。きゝなさい。タツタ三尺二寸を着るから。一反で丈物だと。まへだれほどの裁がとれるやつさ。して見れば。富士の山もかんのんさまも。としがよつてちいさくなつたもしれねへ。