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島崎藤村

「落梅集」に収録
「寂寥」より
あした炎をたゝかはし
ゆうべ煙をきそひてし
駿河にたてる富士の根も
今はさびしき日の影に
白く輝く墓のごと
はるかに沈む雲の外
これは信濃の空高く
今も烈しき火の柱
雨なす石を降らしては
みそらを焦す灰けぶり
神夢さめし天地の
ひらけそめにし昔より
常世につもる白雪は
今も無間の谷の底
湧きてあふるゝ紅の
血潮の池を目にみては
布引に住むはやぶさも
翼をかへす浅間山


「若菜集」に収録
「天馬」より
あゝ朝鳥の音をきゝて
富士の高根の雪に鳴き
夕つけわたる鳥の音に
木曾の御嶽の巌を越え
かの青雲に嘶きて
天より天の電影の
光の末に隠るべき
雄馬の身にてありながら
なさけもあつくなつかしき


「千曲川のスケッチ」
山荘は二階建で、池を前にして、静かな沢の入口にあった。左に浅い谷を囲んだ松林の方は曇って空もよく見えなかった。快晴の日は、富士の山巓(さんてん)も望まれるという。池の辺(ほとり)に咲乱れた花あやめは楽しい感じを与えた。

間もなく私達は甲州の方に向いた八つが岳の側面が望まれるところへ出た。私達は樹木の少い大傾斜、深い谷々なぞを眼の下にして立った。
「富士!」
と学生は互に呼びかわして、そこから高い峻(けわ)しい坂道を甲州の方へ下りた。


「夜明け前」(第二部)
伊那(いな)の谷あたりを中心にして民間に起こって来ている実行教(富士講)の信徒が、この際、何か特殊な勤倹力行と困苦に堪(た)えることをもって天地の恩に報いねばならないということを言い出し、一家全員こぞって種々(さまざま)な難行事を選び、ちいさな子供にまで、早起き、はいはい、掃除(そうじ)、母三拝、その他飴菓子(あめがし)を買わぬなどの難行事を与えているようなあの異常な信心ぶりを考えて見ることもある。これにも驚かずにはいられなかった。


「家」
「裏の叔父さんがなし、面白いことを言ったデ――『ああ、ああ、峯公(女教師の子息)も独りで富士登山が出来るように成ったか、して見ると私が年の寄るのも……』どうだとか、こうだとか――笑って了(しま)ったに」


「芽生」
こういう私の家の光景(ありさま)は酷く植木屋の人達を驚かした。この家族を始め、旧くから大久保に住む農夫の間には、富士講の信者というものが多かった。翌日のこと、切下髪(きりさげがみ)にした女が突然私の家へやって来た。この女は、講中の先達とかで、植木屋の老爺(じい)さんの弟の連合(つれあい)にあたる人だが、こう私の家に不幸の起るのは――第一引越して来た方角が悪かったこと、それから私の家内の信心に乏しいことなどを言って、しきりに祈祷(きとう)を勧めて帰って行った。

私の家に復たこのような不幸が起ったということは、いよいよ祈祷の必要を富士講の連中に思わせた。女の先達は復た私の家へ訪ねて来て、それ見たかと言わぬばかりの口調で、散々家内の不心得を責めた。「度し難い家族」――これが先達の後へ残して行った意味だった。