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徳田秋声

「あらくれ」
おゆうは、浮気ものだということを、お島は姉から聞いていたが、逢ってみると、芸事の稽古などをした故(せい)か、嫻(しとや)かな落着いた女で、生際(はえぎわ)の富士形になった額が狭く、切(きれ)の長い目が細くて、口もやや大きい方であったが、薄皮出の細やかな膚の、くっきりした色白で、小作(こづくり)な体の様子がいかにも好いと思った。


「縮図」
この裏通りに巣喰(すく)っている花柳界も、時に時代の波を被(かぶ)って、ある時は彼らの洗錬された風俗や日本髪が、世界戦以後のモダアニズムの横溢(おういつ)につれて圧倒的に流行しはじめた洋装やパーマネントに押されて、昼間の銀座では、時代錯誤(アナクロニズム)の可笑(おか)しさ身すぼらしさをさえ感じさせたこともあったが、明治時代の政権と金権とに、楽々と育(はぐく)まれて来たさすが時代の寵児(ちょうじ)であっただけに、その存在は根強いものであり、ある時は富士や桜や歌舞伎などとともに日本の矜(ほこ)りとして、異国人にまで讃美されたほどなので、今日本趣味の勃興の蔭(かげ)、時局的な統制の下に、軍需景気の煽りを受けつつ、上層階級の宴席に持て囃(はや)され、たとい一時的にもあれ、かつての勢いを盛り返して来たのも、この国情と社会組織と何か抜き差しならぬ因縁関係があるからだとも思えるのであった。