田山花袋
「田舎教師」
行田から羽生に通う路は、吹きさらしの平野のならい、顔も向けられないほど西風が激しく吹きすさんだ。日曜日の日の暮れぐれに行田から帰って来ると、秩父の連山の上に富士が淡墨色にはっきりと出ていて、夕日が寒く平野に照っていた。
かれは茶を飲みながら二三枚写生したまずい水彩画を出して友に示した。学校の門と、垣で夕日のさし残ったところと、暮靄(ぼあい)の中に富士の薄く出ているところと、それに生徒の顔の写生が一枚あった。荻生さんは手に取って、ジッと見入って、「君もなかなか器用ですねえ」と感心した。清三はこのごろ集めた譜のついた新しい歌曲をオルガンに合わせてひいてみせた。
寒い日に体を泥の中につきさしてこごえ死んだ爺(おやじ)の掘切(ほっきり)にも行ってみたことがある。そこには葦(あし)と萱(かや)とが新芽を出して、蛙(かわず)が音を立てて水に飛び込んだ。森の中には荒れはてた社があったり、林の角からは富士がよく見えたり、田に蓮華草が敷いたようにみごとに咲いていたりした。
「少女病」
電車は代々木を出た。
春の朝は心地が好い。日がうらうらと照り渡って、空気はめずらしくくっきりと透き徹(とお)っている。富士の美しく霞んだ下に大きい櫟林(くぬぎばやし)が黒く並んで、千駄谷の凹地(くぼち)に新築の家屋の参差(しんし)として連なっているのが走馬燈のように早く行き過ぎる。
「新撰名勝地誌」
地、丘上にあるがため、これに登れば市内の光景を始めとして、富士、筑波の諸峰隠見して目睫の間にあり。
※宇都宮の二荒山神社からの光景について。
「浅草十二階の眺望」
十二階から見た山の眺めは、日本にもたんとない眺望の一つであるということを言うのに私は躊躇しない。
それには秋の晴れた日に限る。十一月の末から十二月の初旬頃が殊に好い。東京では十一月はまだ秋の気分が残っていて、ところどころに紅葉などがあり、晴れた日には、一天雲霧をとどめずと言ったような好晴がつづくことから、殊に一日の行楽としては、その時分が最も適している。
十二階の上で見ると、左は伊豆の火山群から富士、丹沢、多摩、甲信、上毛、日光をぐるりと細かに指点することが出来る。
第一に目に着くのは富士である。東海の帝王、実際屹然(きつぜん)として群を抜いている。その下にやや左に偏って、足柄群山が見える。