竹久夢二
「若き母達へ」
土蔵のまへの椿の下で、淡い春の日ざしを浴びながらきいた紡車の音も、また遠い街の家並のあなたの赤い入日を、子守女の肩に見ながらきいた子守唄や、または、乳の香のふかい母親の懐できいたねんねこ歌も、今の私達には、もはや遠い昔の記憶になつてしまひました。科学実験時代の現代の文化はサムライや紅い提灯や富士ヤマへの憧憬から、お寺の鐘の音から、人形芝居からそして紙と木の家から、鉄と電気の雑音の都会へ私達を追ひやつてしまつた。
私達は、もはや緑の草の上に寝ころんで、青空をゆく白い雲を見送ることはないであらうか。
「新年」
○富士山のうへに
太陽が出ました
○日本の子供は
みんな出て
太陽を拝みませう
○日本の島に
お正月が来ました
○日本の人は
みんな出て
お正月を祝ひませう
「夢二画集 夏の巻」
その他、破風造のシムプルな神社の建築や。客間の床に飾られた木と称する不快な骨董品や。地獄極楽のからくりや。枯枝に烏のとまつた枯淡な風景。木のない富士山や。数え来れば、灰色の背景は到る所にあるではないか。そしてそれ等の画材を、最も有効に最も適切に描表し得る線画を有するのは日本の誇りではあるまいか。
「沼津」
この子の可愛いさ限りしなし。
山で木の数、萱の数、
富士へ上れば星の数、
沼津へ下れば松林、
千本松原、小松原、
松葉の数よりまだ可愛い。
「お正月」
○正月さんが御座つた。
何処まで御座つた。
富士のお山の麓まで。
何に乗つて御座つた。
お餅のやうな下駄はいて、
譲葉に乗つて、
ゆづり/\御座つた。
○お盆のやうな餅ついて、
割木見たよな魚添へて、
霰のやうな飯食べて、
火燵へあたつてねんこ/\。
「お月様」から
○まうし、まうし、お月様、
猫と鼠が一升さげて
富士のお山を今越えた。
「砂がき」
ある時、銀座の夜店で、獨逸の「シンビリシズム」といふ雜誌を買つて、複寫のすばらしい繪を手に入れた、その山の畫はよかつた。今おもふとたしか、あれは、イタリアのセガンチニイだつたらしい。これにくらべると、その頃評判だつた「白馬山の雪景」や「曉の富士山」なんか影がうすくてとても見られないと思つたが、これもやつぱり誰にも言はないでゐた。
登山會といふ會はどういふことをするのか私は知らないが、多分、人跡未踏の深山幽谷を踏破する人達の會であらう。自分も山へ登る事は非常に好きだが、敢て、高い山でなくとも、岡でも好い。氣に入つたとなると富士山へ一夏に三度、筑波、那須へも二度づゝ登つたが、いつも東京の街を歩くよりも勞れもせず、靴のまゝで散歩する氣持で登れた。
昔下宿屋の二階でよんだ、紅葉や一葉の作物の中にある東京の春の抒景は、もう古典になつたほど、今の東京の新年は、商取引と年期事務としてあるに過ぎないと、思はるる。
富士山の見える四日市場に、紀州の蜜柑船がつくのさへもう見られまい。
「秘密」
けれど、私は何故に生れたらう? とさうきいて御覧なさい。知つてゐる人は言はないし、知らない人は答はしない。それゆゑにおもしろいのです。富士山が一万三千尺あらうとも、ないやがら瀑布が世界第一であらうとも、そんなことは少しもおもしろくない。私達の知らぬことが世の中には、まだどんなに沢山あることだらう。それからまだこの宇宙には世界の人達が今迄に知つた事よりももつともつと沢山の知らない事があるに違ない、けれどそれは土の世界のことである。