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徳冨蘆花

「不如帰(ほととぎす)」
「しかし相馬が嶽のながめはよかったよ。浪さんに見せたいくらいだ。一方は茫々(ぼうぼう)たる平原さ、利根がはるかに流れてね。一方はいわゆる山また山さ、その上から富士がちょっぽりのぞいてるなんぞはすこぶる妙だ。歌でも詠めたら、ひとつ人麿と腕っ比べをしてやるところだった。あはははは。そらもひとつお代わりだ」
「そんなに景色がようございますの。行って見とうございましたこと!」


「熊の足跡」
九月九日から十二日まで、奧州淺蟲(あさむし)温泉滯留。
背後(うしろ)を青森行の汽車が通る。枕の下で、陸奧灣(むつわん)の緑玉潮(りよくぎよくてう)がぴた/\言(ものい)ふ。西には青森の人煙指(ゆびさ)す可く、其背(うしろ)に津輕富士の岩木山が小さく見えて居る。

「眼に立つや海青々と北の秋」左の窓から見ると、津輕海峽の青々とした一帶の秋潮を隔てゝ、遙に津輕の地方が水平線上に浮いて居る。本郷へ來ると、彼醉僧(すゐそう)は汽車を下りて、富士形の黒帽子を冠り、小形の緑絨氈(みどりじうたん)のカバンを提げて、蹣跚(まんさん)と改札口を出て行くのが見えた。江刺へ十五里、と停車場の案内札に書いてある。

蝦夷富士…と心がけた蝦夷富士を、蘭越驛(らんこしえき)で仰ぐを得た。形容端正、絶頂まで樹木を纏うて、秀潤(しうじゆん)の黛色(たいしよく)滴(したゝ)るばかり。頻(しきり)に登つて見たくなつた。