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泉鏡花

「白金之絵図」
坂下の下界の住人は驚いたろう。山の爺(おじ)が雲から覗く。眼界濶然(かつぜん)として目黒に豁(ひら)け、大崎に伸び、伊皿子(いさらご)かけて一渡り麻布を望む。烏は鴎が浮いたよう、遠近(おちこち)の森は晴れた島、目近(まぢか)き雷神の一本の大栂(おおとが)の、旗のごとく、剣のごとく聳えたのは、巨船天を摩す柱に似て、屋根の浪の風なきに、泡の沫か、白い小菊が、ちらちらと日に輝く。白金(しろがね)の草は深けれども、君が住居(すまい)と思えばよしや、玉の台(うてな)は富士である。


「悪獣篇」
見よ、南海に巨人あり、富士山をその裾に、大島を枕にして、斜めにかかる微妙の姿。青嵐(あおあらし)する波の彼方に、荘厳なること仏のごとく、端麗なること美人に似たり。


「南地心中」
初阪(はつざか)ものの赤毛布(あかげっと)、という処を、十月の半ば過ぎ、小春凪(こはるなぎ)で、ちと逆上(のぼ)せるほどな暖かさに、下着さえ襲(かさ)ねて重し、野暮な縞も隠されず、頬被りがわりの鳥打帽で、朝から見物に出掛けた……この初阪とは、伝え聞く、富士、浅間、大山、筑波、はじめて、出立つを初山と称(とな)うるに傚(なら)って、大阪の地へ初見参(ういけんざん)という意味である。

電車の塵も冬空です……澄透った空に晃々(きらきら)と太陽(ひ)が照って、五月頃の潮(うしお)が押寄せるかと思う人通りの激しい中を、薄い霧一筋、岸から離れて、さながら、東海道で富士を視(なが)めるように、あの、城が見えたっけ。


「神鷺之巻」
話は別にある。今それを言うべき場合でない。築地の料理店梅水の娘分で、店はこの美人のために賑った。早くから銑吉の恋人である。勿論、その恋を得たのでもなければ、意を通ずるほどの事さえも果さないうちに、昨年の夏、梅水が富士の裾野へ暑中の出店をして、避暑かたがた、お誓がその店を預ったのを知っただけで、この時まで、その消息を知らなかった次第なのである。……

――昨年、店の都合で裾野の方へ一夏まいりまして、朝夕、あの、富士山の景色を見ますにつけ……ついのんびりと、一人で旅がしてみたくなったんです。一体出不精な処へ、お蔭様、店も忙しゅうございますし、本所の伯父伯母と云った処で、ほんの母がたよりました寄親(よりおや)同様。これといって行(ゆ)きたい場所も知りませんものですから、旅をするなら、名ばかりでも、聞いただけ懐しい、片原を、と存じまして、十月小春のいい時候に、もみじもさかり、と聞きました。……


「燈明之巻」
いやどこも不景気で、大したほまちにはならないそうだけれど、差引一ぱいに行けば、家族が、一夏避暑をする儲けがある。梅水は富士の裾野――御殿場へ出張した。
そこへ、お誓が手伝いに出向いたと聞いて、がっかりして、峰は白雪、麓は霞だろう、とそのまま夜這星の流れて消えたのが――もう一度いおう――去年の七月の末頃であった。


「半島一奇抄」
――「当修善寺から、口野浜(くちのはま)、多比(たひ)の浦、江の浦、獅子浜(ししはま)、馬込崎と、駿河湾(するがわん)を千本の松原へ向って、富士御遊覧で、それが自動車と来た日には、どんな、大金持ちだって、……何、あなた、それまでの贅沢(ぜいたく)でございますよ。」と番頭の膝(ひざ)を敲(たた)いたのには、少分の茶代を出したばかりの記者は、少からず怯(おびや)かされた。

富士が浮いた。……よく、言う事で――佐渡ヶ島には、ぐるりと周囲に欄干(まわり)があるか、と聞いて、……その島人に叱られた話がある。が、巌山(いわやま)の巉崕(ざんがい)を切って通した、栄螺(さざえ)の角(つの)に似たぎざぎざの麓(ふもと)の径(こみち)と、浪打際との間に、築繞(つきめぐ)らした石の柵(しがらみ)は、土手というよりもただ低い欄干に過ぎない。
「お宅の庭の流(ながれ)にかかった、橋廊下の欄干より低いくらいで、……すぐ、富士山の裾(すそ)を引いた波なんですな。よく風で打(ぶ)つけませんね。」

「その居士(こじ)が、いや、もし……と、莞爾々々(にこにこ)と声を掛けて、……あれは珍らしい、その訳じゃ、茅野(ちの)と申して、ここから宇佐美の方へ三里も山奥の谷間(たにあい)の村が竹の名所でありましてな、そこの講中が大自慢で、毎年々々、南無大師遍照金剛(なむだいしへんじょうこんごう)でかつぎ出して寄進しますのじゃ……と話してくれました。……それから近づきになって、やがて、富士の白雪あさ日でとけて、とけて流れて三島へ落ちて、……ということに、なったので。」


「婦系図」
富士の山と申す、天までとどく山を御目にかけまするまで、主税は姫を賺(すか)して云った。

窓の外は、裾野の紫雲英(げんげ)、高嶺(たかね)の雪、富士皓(しろ)く、雨紫なり。

この富士山だって、東京の人がまるっきり知らないと、こんなに名高くはなりますまい。

県庁、警察署、師範、中学、新聞社、丸の内をさして朝ごとに出勤するその道その道の紳士の、最も遅刻する人物ももう出払って、――初夜の九時十時のように、朝の九時十時頃も、一時(ひとしきり)は魔の所有(もの)に寂寞(ひっそり)する、草深町は静岡の侍小路を、カラカラと挽いて通る、一台、艶やかな幌に、夜上りの澄渡った富士を透かして、燃立つばかりの鳥毛の蹴込み、友染の背当てした、高台細骨の車があった。

薄萌葱の窓掛を、件の長椅子(ソオフア)と雨戸の間(あい)へ引掛けて、幕が明いたように、絞った裙(すそ)が靡(なび)いている。車で見た合歓(ねむ)の花は、あたかもこの庭の、黒塀の外になって、用水はその下を、門前の石橋続きに折曲って流るるので、惜いかな、庭はただ二本(ふたもと)三本(みもと)を植棄てた、長方形の空地に過ぎぬが、そのかわり富士は一目。

「こうこう、姉え、姉え、目を開いて口を利きねえ。もっとも、かっと開いたところで、富士も筑波も見えるかどうだか、覚束ねえ目だけれどよ。はははは、いくら江戸前の肴屋だって、玄関から怒鳴り込む奴があるかい。

嗜(たしなみ)も気風もこれであるから、院長の夫人よりも、大店向(おおだなむき)の御新姐(ごしんぞ)らしい。はたそれ途中一土手田畝道(たんぼみち)へかかって、青田越に富士の山に対した景色は、慈善市(バザア)へ出掛ける貴女(レディ)とよりは、浅間の社へ御代参の御守殿という風があった。

扉(ドア)を開放した室の、患者無しに行抜けの空は、右も左も、折から真白な月夜で、月の表には富士の白妙、裏は紫、海ある気勢(けはい)。停車場の屋根はきらきらと露が流れて輝く。

右隣が空いた、富士へ向いた病室の前へ来ると、夫人は立留って、白衣は左右に分れた。

さて母屋の方は、葉越に映る燈(ともしび)にも景気づいて、小さいのが弄ぶ花火の音、松の梢に富士より高く流星も上ったが、今は静(しずか)になった。


「縷紅新草」
今朝六時頃、この見附を、客人で通りました時は、上下、左右すれ違うとサワサワと音がします。青空、青山、正面の雪の富士山の雲の下まで裾野を蔽うといいます紫雲英(げんげ)のように、いっぱいです。赤蜻蛉に乗せられて、車が浮いて困ってしまいました。


「草迷宮」
件の大崩壊(おおくずれ)の海に突出でた、獅子王の腹を、太平洋の方から一町ばかり前途(ゆくて)に見渡す、街道端の――直ぐ崖の下へ白浪が打寄せる――江の島と富士とを、簾に透かして描いたような、ちょっとした葭簀張(よしずばり)の茶店に休むと、媼(うば)が口の長い鉄葉(ブリキ)の湯沸(ゆわかし)から、渋茶を注いで、人皇(にんのう)何代の御時(おんとき)かの箱根細工の木地盆に、装溢(もりこぼ)れるばかりなのを差出した。

旅僧は先祖が富士を見た状(さま)に、首あげて天井の高きを仰ぎ、


「蛇くひ」
此處(こゝ)往時(むかし)北越名代(なだい)の健兒(けんじ)、佐々成政の別業(べつげふ)の舊跡(あと)にして、今も殘れる築山は小富士と呼びぬ。


「貝の穴に河童の居る事」
「……諏訪――の海――水底(みなそこ)、照らす、小玉石――手には取れども袖は濡(ぬら)さじ……おーもーしーろーお神楽らしいんでございますの。お、も、しーろし、かしらも、白し、富士の山、麓の霞――峰の白雪。」

「それでは、お富士様、お諏訪様がた、お目かけられものかも知れない――お待ち……あれ、気の疾い。」


「逗子だより」
これより、「爺(ぢゞ)や茶屋」「箱根」「原口の瀧」「南瓜軒(なんくわけん)」「下櫻山(しもさくらやま)」を經(へ)て、倒富士(さかさふじ)田越橋(たごえばし)の袂(たもと)を行けば、直(すぐ)にボートを見、眞帆(まほ)片帆(かたほ)を望む。

臺所(だいどころ)より富士見(み)ゆ。露の木槿(むくげ)ほの紅う、茅屋(かやや)のあちこち黒き中に、狐火かとばかり灯の色沈(しづ)みて、池子の麓砧(きぬた)打つ折から、妹(いも)がり行くらん遠畦(とほあぜ)の在郷唄(ざいがううた)、盆過ぎてよりあはれさ更にまされり。


「逗子より」
尤も、海に参り候、新宿なる小松原の中よりも、遠見に其の屋根は見え候を、後に心づき候へども、旗も鳥居もあるにこそ、小やかなる茅屋とて、たゞ山の上の一軒家とのみ、あだに見過ごされ申すべく、況して海水帽あひ望み、白脛、紅織るが如くに候をや、道心御承知の如き小生すら、時々富士の雪の頂さへ真正面に見落して、浴衣に眼を奪はれ候。


「雛がたり」
時に蒼空(あおぞら)に富士を見た。