織田作之助
「道なき道」
やがて、父娘は大阪行きの汽車に乗った。車窓に富士が見えた。
「ああ、富士山!」
寿子は窓から首を出しながら、こうして汽車に乗っている間は、ヴァイオリンの稽古をしなくてもいい、今日一日だけは自分は自由だと思うと、さすがに子供心にはしゃいで、
「富士は日本一の山……」
と、歌うように言った。
「富士は日本一の山か。そうか」
と、庄之助は微笑したが、やがて急にきっとした顔になると、
「――日本一のヴァイオリン弾き! 前途遼遠だ。今夜大阪へ帰ったらすぐ稽古をはじめよう」
無心に富士を仰いでいる寿子の美しい横顔を見つめながら、ひそかに呟いた。美しいが、しかしやつれ果てて、痛々しい位、蒼白い横顔だった。